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2022年7月15日金曜日

7月14日に思ったこと

 35度をこえる暑い日が続いたかと思うと、豪雨が全国的に展開。Covid-19 も第7波入り、というだけでも大変ですが、参院選最終盤の7月8日(金)にあった凶行とその報道、その後の参院選の結果(弔い合戦?)には、暗然とします。
直ちにいろいろと考えましたが、身辺のことに紛れ、ブログ登載はかないませんでした。ここに遅まきながら、すこし書いてみます。
 7月8日昼に奈良であった安倍元首相襲撃/暗殺について、直後の報道や政党の発言の多くは、a.「民主主義への挑戦だ」「暴力による言論封殺は許せない」といったものでした。まもなく b.「特定の宗教団体へのうらみ」という捜査陣からのリーク情報が加わりました。
 後者(b)のリークについては、まず正規の記者会見報道でなくリークであることがけしからんと思いましたが、やがて海外メディアでのみこれが Moonies (文鮮明から始まった世界統一神霊教会)のことだと報じられたのには、怒りに近いものを感じました。日本のマスコミ業界の自主規制はここまで極まっているのです。こういった自主規制≒事なかれ報道に甘んじているマスコミでは、いざという時に信用されませんよ。
 そもそも世界統一神霊教会のことを、今どう名を変えているとしても、「特定の宗教団体」と呼ぶべきなのか、ただの「カルト」ではないか、という付随的な疑問もありますが、こちらは(今日のところは)問題にしません。
 ◇
 むしろ大問題なのは、(a)今回の事件は「民主主義への挑戦」や「暴力による言論封殺」のたぐいなのか、ということです。Oh, No! それ以前の、より深刻な問題ではないでしょうか。
 41歳の容疑者は、民主主義や議会制民主主義に不満をもらしたことはあったのか。あるいは自分の凶行が、国政の基本(国のかたち)にある「効果」をもたらすことを期待して -政治的テロリズムとして- 手製銃の引き金を引いたのか。否でしょう。
 彼はもっと別のレベルの、しかし本人にとっては深刻な不幸(母のこと、失意の人生、誰かの不用意な発言, etc.)について繰りかえし悩み、その不幸の原因を「これ」と思い詰めて、「これ」を解決する/消すためにどうするか執拗に考えた。それが母を奪ったカルトの代表を襲うこと、それが実行不可能となると、第2目標として安倍晋三元首相を襲うことだった。‥‥
 そこには論理の飛躍があり、分析も検証もないままの思いつきで、それを直線的に実行するための情報とノウハウを集積したのでしかありません。しかし、そもそも複合的な事態を調査探究したり、友人や同輩と対話し討論しながら、考えを具体化してゆくという訓練も経験も、彼は -学校でも自衛隊でも- していないのではないでしょうか。そもそも「話し相手」「グチ友だち」といえるほどの人は居なかったのかもしれない。
 TVなどで中学高校の同級生や、職場の同僚が「あんなにおとなしい人が‥‥」「いつも人に合わせる人で、暴力をふるうなんて想像もできない」とコメントするのを聞かされると、そもそも取材する側の無知と想像力の浅さに唖然とします。おとなしすぎる人こそ危険なのです。自分の意見を言ったことのない人こそ(いざとなれば)凶暴になるのです。
 こうしたことは民主主義や議会制よりはるか以前の、人間の社会性、あるいは文明/市民性の大前提ではないでしょうか。
 学校教育で、また社会で、こうした事態や証言の分析、人前での報告、ディベートやディスカッション、そして紙の上での文章化‥‥要するに以前から問われていた公民教育/文明的経験を欠いたまま、やれ「民主主義を守る」だの「言論の自由」だの言ってみても、ただのお題目にすぎないのではないでしょうか。  ◇
 じつは9日(土)午後8:00-8:45のNHKスペシャル「安倍元首相 銃撃事件の衝撃」と題する番組の後半で、御厨(みくりや)さんがコメントしていました。【まだ土曜まで NHK plus での視聴は可能です。】
「‥‥災害、疫病、戦争と続いて、人心が惑った。この国もテロを呼びこむのか。みんなが何でも言える社会になった。これはいい。しかし(イエス or ノーの)二値論理の対立になっちゃっている。これはまずい。自分の要求(思い)が通らない時にどうするか。内容のある議論を尽くして、これなら許せるという妥協点を見つける。このマリアージュが大事です。」
「妥協できる合意」を見つけて実行しよう、という立場です。
 ◇
 1789年7月14日から、フランス革命は時々刻々と展開しますが、1792年、93年と緊迫した情勢で、いわゆるジャコバン派(山岳派)が勢いをもち、93~94年のいわゆる「革命独裁」を国民公会が支持することになります。
 この苛烈な革命独裁は、味方と敵、パトリオットと反革命、徳と悪徳、純粋と腐敗といったシャープな対置、二項対立を是とし、異論をとなえる者、迷い、曖昧なままでいる者を許さず、さらには「まちがえる権利」も許さなかった。『王のいる共和政 ジャコバン再考』(岩波書店、2022)p.14.
 これをかつての「ジャコバン史学」は、歴史の必然とするか、あるいはせいぜい「歴史の劇薬」として是認していた。ロベスピエールやサンジュストの93~94年のメンタリティを、純粋で高貴と受けとめるか、悲劇的に狂っていると受けとめるか。革命史にかかわる人は、全員、この問題に正気で取り組むべきでしょう。
 御厨さんの立場は、必然や劇薬ではない。イギリスの首相ピットも、89年に始まったフランス革命には賛同し(バークとはちがいます)、92年の急転には唖然とし、93年1月のルイ14世処刑には意を決して、2月に対仏大同盟を結成します。はっきりと識別しておきたい。巻末の「関連年表」も活用してください。

2022年7月3日日曜日

書評ふたつ

 きのう(土)の『毎日新聞』書評欄には、加藤陽子さんの『歴史とは何か 新版』評が載っていました。いろいろなことの分かっている加藤さんですから、本の装丁から全体の構成について特徴を指摘しつつも、ナゾリでなく、具体的なイメージの湧く紹介をと心がけておられる。註についての言及に続いて、訳文における[笑]の挿入についても「余裕ある理性には、笑いがふさわしい」と言ってくださって、ホッとします[笑]
https://mainichi.jp/articles/20220702/ddm/015/070/020000c
 「「無人島に一冊だけ持って行くなら」という問い方がある。‥‥断言してしまおう。上半期ではこの新版がそれだと。ただ、原作と清水訳の新書も持っては行きたい。」
 これは最高級のお誉めの言葉です。たしかに原文の英語はどうだったのか、それに清水幾太郎はどう訳していたのか、その違いと how を確かめたくなりますよね。
 最後の締めの文は -「カーは常に新しい。」でした。

 ウェブでは匿名のコメント評が多数あるようですが、ここでは署名ブログから:
http://www.kai-workshop.com/diary/diary.cgi?move=202206
 筆者・難波和彦さんとは、まったく存じ上げない方ですが、「界工作舎」という建築設計社の代表のようです。文中に鈴木博之とか陣内秀信といった知らないではない方々の名前も出てくるので、どこかですれ違っていたのでしょうか。
 東奔西走のお忙しい仕事の合間に、6月10日から21日までかけて1講づつ丁寧に読んでくださいました。最初の10日のコメントは、「‥‥同じタイトルの第1版の『歴史とは何か』(E.H.カー著 清水幾太郎訳 岩波新書)は古典的名著であり大学時代に読んだ。‥‥自叙伝、詳細な補註が加えられている。講義自体も新訳なので、NHKラジオでの話の仕方を念頭に置きながら読んでみよう。」と始まります。ラジオでのトークもなさる方なのか。
その最後の言葉(21日)は、「‥‥たまたま手にした本書からは、実に沢山のことを学び、さまざまなことを考えさせられた。久しぶりに充実した読書だった。」とのこと。 訳者冥利に尽きるものです。ありがとうございました。

 ところで、建築士/建築家 architect とは近世・近代のイギリスで gentleman's profession であるということは20歳くらいまでのナイーヴなぼくは知識としても知らなかったのでした。心底そうだったのだと理解したのは、恥ずかしながら、1981年にロンドンの Sir John Soane 邸(Lincoln's Inn Fields)に訪れたときです。つまり33-4歳まで、ぼくは「何も知らなかった」!
 『歴史とは何か 新版』の2箇所(pp.11, 276)で建築家(大工の棟梁)についての訳註をくりかえしていますが、そうした昔の自分を省みての慚愧の訳註です。

2022年7月1日金曜日

梅雨明けの日射し

 いつのまにか夏至を過ぎたと思う間もなく、6月というのに関東は早々と梅雨明け。しかも今日からは7月! 今年は季節の移ろいが速い。
 このところ連日最高は35℃前後で、昼間に散歩に出かけるのは勇気を要します。
 この日当たりの良い通りで、左手の緑と花はとても爽やかで良いのですが、それを愛でる余裕はなく、みなさん右手の欅の並木がつくる日陰を選んで歩いています。