〈承前〉
暑い7月:『中学生から知りたい パレスチナのこと』の続きです。昨日書いたことだけですと、パレスチナのことを正しく知りましょう、というので終わってしまいそうですが、むしろこの本の強みは、アラブ・パレスチナ問題の専門家=岡さんと対話しつつ、ポーランド・ウクライナの小山さん、ドイツそして食の藤原さんが積極的に議論している点にあると思います。
中東欧のことに少しでも触れるとユダヤ人問題に正面から向きあわないわけにゆかない、と承知していますが、2つの地図、①旧ロシア帝国と旧オーストリア・ハンガリー帝国の境 - バルト海と黒海にはさまれた幅広い帯の地域 - に広がるユダヤ人強制集住地域(Pale of Settlement, p.113)と、②東欧の流血地帯(Bloodland, p.116)との重なりを見せつけられると、厳しい。 ここには地図②のみコピーして載せます。
著者3人の座談会で話されているとおり(pp.191-198)、ただの「民族の悲哀」ではなく、なぜかこのあたりには「突出した暴力を行使するシステム」が存在し、それを許容してしまう情況があった。【ちなみに the Pale とは原義の「柵の中」→「アイルランドにおけるイングランド人の支配地域」という用法はよく知られていますが、「ロシア帝国におけるユダヤ人強制集住地域」として固有名詞的に使用されていたとは!】
シオニズムについても、イスラエルに違和感をもつユダヤ人たちについても、中途半端な認識しかないぼくにとって、この本のあらゆるぺージが目の覚める発言に溢れています。
本体1800円。「中学生から」後期高齢者までに向けた本です。3著者とミシマ社の速やかな協力による、すばらしい本です。ぼくもL・B・ネイミア(ルートヴィク・ベルンシュタイン)をはじめとする中東欧人の生涯と20世紀シオニズムとの、単純でない関わりを知るにつれ、しっかり理解したいと思っていたテーマでした。
なお書名の前半『中学生から知りたい』については、前回ちょっと違和感を洩らしました。 → https://kondohistorian.blogspot.com/2022/06/blog-post_11.html
今回、あとがき(p.209)に小山さんが「中学生から」とは「‥‥日本語の本を読むための基礎的な教育を受けたことのあるすべての人」という意味だろうと「定義」しておられ、そういうことなら、違和感なし、とここに訂正します。
§ ところで、こうした問題は、『歴史学の縁取り方』(東大出版会、2020)でも - とくに小野塚さんあたりが - 明示的に問うておられました。また2022年、京大の西洋史読書会シンポジウム(Zoom)でも、重要なテーマになりました。 → https://kondohistorian.blogspot.com/2022/11/ 共通して、学者研究者にとって(その卵にとっても)根本的な問題が、より緊急性を帯びたイシューについて議論され、実行された出版の好例と受けとめました。
なお本のカバーデザインについても一言。明るい緑色のバックに、地球儀とともにパレスチナのオレンジが示されて、本文中の藤原さんの言(p.173の前後)に対応しています。むかし学校で習った「肥沃な三日月地帯」がイスラエルによる水資源の独占により、パレスチナでは柑橘栽培が抑制され、外国からの輸入・援助によらねば日常の食糧が確保できない現状 → 強制された飢餓状態、に思いを馳せることを読者に促しているのでしょうか。
近年はスーパーでも普通に目にするようになったイスラエル産の柑橘、果物、ワイン‥‥。手を伸ばすのにいささか躊躇します。
Features
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2024年7月27日土曜日
2024年7月26日金曜日
暑い7月
今月に入ってから、いろんなことがありました。
イギリス総選挙と労働党の組閣;フランス国民議会選挙と政権の「オランピク休戦」!;合衆国ではトランプ狙撃に続き、これではトランプ圧勝に向かうかと見られた情況が、22日、バイデンの大統領選辞退、ハリス支持にともない、事態は急転直下 → 民主党の団結へと転じて「最悪」は防げるかもという希望が生じました。‥‥
そうしたなか、2冊の本が到来して、背筋をのばされる思いです。
順番に、まずは『中学生から知りたい パレスチナのこと』(ミシマ社、2024年7月)です。
2022年6月に『中学生から知りたい ウクライナのこと』で、時宜をえた出版を実現した、小山哲・藤原辰史のお二人とミシマ社のトリオについては、このブログでも触れました。 → https://kondohistorian.blogspot.com/2022/06/blog-post_11.html
これはすばらしい内容と迅速な公刊で、大歓迎でしたが、じつは特別に驚いたわけではなかった。100%の好感とともに、このお二人なら、こういうこともなさるかな、と自然に受けとめました。
今回の『パレスチナのこと』については、まずは驚き、さらにこれこそ歴史的な学問をやっている人びとの責任のとり方だ、と姿勢を正しました。
イスラエルの蛮行、ガザの惨状につき、日夜、憤りとともに心を痛める(さらに歴史的背景を自分なりに探る‥‥)までは - このブログを見る人なら - だれもがやっているかもしれませんが、「事態は複雑だ、解決はむずかしい」より先に一歩進めて、歴史と地理を考える/調べる、さらに二歩目の、自分がやってること/自分の世界史観の見直し・再展開につなげる、というまでは(手がかりがないと)なかなか難儀です。
イスラエル国を批判することが「反ユダヤ主義」に直結するのではないかと懸念し、そもそもホロコーストと「英仏の帝国主義」に翻弄された被害者としてイスラエル人を免罪する/サポートするという傾向が、わたしたち生半可の知識をもつ者には少なくなかった。 → https://kondohistorian.blogspot.com/2024/01/blog-post.html
https://kondohistorian.blogspot.com/2024/01/blog-post_29.html
https://kondohistorian.blogspot.com/2024/01/blog-post_30.html
そうした生半可の常識(学校教育で教えられ/カバーされてきた事実認識)をひっくり返す本です。現代アラブ・パレスチナの専門家=岡真理さんによって、「2000年前にユダヤ人(ユダヤ教徒)が追放されて世界に離散した」というのはフィクション(p.24);かつての南アフリカ共和国のようなアパルトヘイト国家=イスラエル国は -「ホロコースト」の犠牲者であるがゆえに - 何があっても - 免責される;「敬虔なユダヤ教徒はシオニズムを批判し、これに反対してきました」(p.49)といったぐあいに指摘され、目の覚める思いです。 〈つづく〉
イギリス総選挙と労働党の組閣;フランス国民議会選挙と政権の「オランピク休戦」!;合衆国ではトランプ狙撃に続き、これではトランプ圧勝に向かうかと見られた情況が、22日、バイデンの大統領選辞退、ハリス支持にともない、事態は急転直下 → 民主党の団結へと転じて「最悪」は防げるかもという希望が生じました。‥‥
そうしたなか、2冊の本が到来して、背筋をのばされる思いです。
順番に、まずは『中学生から知りたい パレスチナのこと』(ミシマ社、2024年7月)です。
2022年6月に『中学生から知りたい ウクライナのこと』で、時宜をえた出版を実現した、小山哲・藤原辰史のお二人とミシマ社のトリオについては、このブログでも触れました。 → https://kondohistorian.blogspot.com/2022/06/blog-post_11.html
これはすばらしい内容と迅速な公刊で、大歓迎でしたが、じつは特別に驚いたわけではなかった。100%の好感とともに、このお二人なら、こういうこともなさるかな、と自然に受けとめました。
今回の『パレスチナのこと』については、まずは驚き、さらにこれこそ歴史的な学問をやっている人びとの責任のとり方だ、と姿勢を正しました。
イスラエルの蛮行、ガザの惨状につき、日夜、憤りとともに心を痛める(さらに歴史的背景を自分なりに探る‥‥)までは - このブログを見る人なら - だれもがやっているかもしれませんが、「事態は複雑だ、解決はむずかしい」より先に一歩進めて、歴史と地理を考える/調べる、さらに二歩目の、自分がやってること/自分の世界史観の見直し・再展開につなげる、というまでは(手がかりがないと)なかなか難儀です。
イスラエル国を批判することが「反ユダヤ主義」に直結するのではないかと懸念し、そもそもホロコーストと「英仏の帝国主義」に翻弄された被害者としてイスラエル人を免罪する/サポートするという傾向が、わたしたち生半可の知識をもつ者には少なくなかった。 → https://kondohistorian.blogspot.com/2024/01/blog-post.html
https://kondohistorian.blogspot.com/2024/01/blog-post_29.html
https://kondohistorian.blogspot.com/2024/01/blog-post_30.html
そうした生半可の常識(学校教育で教えられ/カバーされてきた事実認識)をひっくり返す本です。現代アラブ・パレスチナの専門家=岡真理さんによって、「2000年前にユダヤ人(ユダヤ教徒)が追放されて世界に離散した」というのはフィクション(p.24);かつての南アフリカ共和国のようなアパルトヘイト国家=イスラエル国は -「ホロコースト」の犠牲者であるがゆえに - 何があっても - 免責される;「敬虔なユダヤ教徒はシオニズムを批判し、これに反対してきました」(p.49)といったぐあいに指摘され、目の覚める思いです。 〈つづく〉
2024年7月6日土曜日
美浜区 打瀬(うたせ)
今日も - 太平洋側では - 暑かったですね。お変わりありませんか?
そうしたなか、前々から予定されていた用件で京葉線「海浜幕張」まで参りました。昔「放送大学」の番組制作で何度か訪れた駅ですが、そちらとは反対の、南口(海の側)に出て、幕張メッセや千葉ロッテのスタジアムの方角、しかし直近の超高層ビルへ。その25階でのお話と手続はトントン拍子で運び、11時半にはすべて終了して、解散とあいなりました。
支障なくことが運んだのは良いのですが、ちょっと拍子抜けで、商業地区、そして広い帯状の海浜公園を抜けて、美浜区打瀬の、これぞ「幕張ベイタウン」という街区を歩いてみることにしました。
ぼくが京成電車で中学、高校に通っていたころは、このあたりは遠浅の海岸で、アサリ取りと海水浴(と海苔養殖)しかなかった! 60年代、70年代に埋め立てが進んで、成田空港ができてからは(途中にあたるこの辺には)高速道路と京葉線が計画され、80年代には幕張はその要、「副都心」とする構想が唱えられるようになりました。京葉線の沿線の北半分(市川、船橋)はおもに工業・倉庫・物流の拠点となり、南半分(千葉市内)は住宅地が広がり、「海浜幕張」は両者の要というか狭間というか、商業・情報・教育の拠点となってゆくプロセスはぼくの知らぬまに過ぎ、いつのまにか、バブル期が終わってみたら、そうなっていたんだ、という認識です。
1996年正月に日本に帰ってきてから - そのころは両親と一緒に住むことも展望して - しばらく広い範囲で(多摩や国立まで含めて)住宅/住宅地を捜したのですが、新聞広告にくりかえし出ていた幕張ベイタウンの集合住宅は魅力的で、その写真や図面は今でも記憶に残っています。
多摩ニュータウンは傾斜地が前提の街造りでしたが、幕張は平坦な埋立地で、商業地や放送大学、アジア経済研究所と近接しながらの地割りも計画的に行なわれて、街の真ん中および海側の緑地も十分に設けられています。 最高気温35度にもなる真昼だったので、ベイタウンの目抜き通り(美浜プロムナード)も歩行者が少ない。しかし街路樹もたっぷり、目抜きの1階は(雪国の雁木通りみたいに)回廊のようになっているので、雨ばかりか日射しも避けられる構造です。小さな商いやブティクも並んで、悪くない街並みだなと思いました。駅の近くの超高層は別にして、たいていの集合住宅は6階ないしは5階までとして統一感があり、間隔を十分にとった(上から見ると)ロの字型、コの字型の住宅。なんだか西ドイツかオランダの都市住宅みたい、と連想しました(高度成長期の日本の団地住宅とは大違いです)。
そういえば、わが高校の同窓生たちの現住所で、美浜区打瀬とか磯辺といったのが少なくない‥‥。京葉線快速を利用して、東京駅近辺まで通勤するには便利ですね。ここはまた定期借地権での分譲という手法も活用された、革新的な住宅地でした。
そうしたなか、前々から予定されていた用件で京葉線「海浜幕張」まで参りました。昔「放送大学」の番組制作で何度か訪れた駅ですが、そちらとは反対の、南口(海の側)に出て、幕張メッセや千葉ロッテのスタジアムの方角、しかし直近の超高層ビルへ。その25階でのお話と手続はトントン拍子で運び、11時半にはすべて終了して、解散とあいなりました。
支障なくことが運んだのは良いのですが、ちょっと拍子抜けで、商業地区、そして広い帯状の海浜公園を抜けて、美浜区打瀬の、これぞ「幕張ベイタウン」という街区を歩いてみることにしました。
ぼくが京成電車で中学、高校に通っていたころは、このあたりは遠浅の海岸で、アサリ取りと海水浴(と海苔養殖)しかなかった! 60年代、70年代に埋め立てが進んで、成田空港ができてからは(途中にあたるこの辺には)高速道路と京葉線が計画され、80年代には幕張はその要、「副都心」とする構想が唱えられるようになりました。京葉線の沿線の北半分(市川、船橋)はおもに工業・倉庫・物流の拠点となり、南半分(千葉市内)は住宅地が広がり、「海浜幕張」は両者の要というか狭間というか、商業・情報・教育の拠点となってゆくプロセスはぼくの知らぬまに過ぎ、いつのまにか、バブル期が終わってみたら、そうなっていたんだ、という認識です。
1996年正月に日本に帰ってきてから - そのころは両親と一緒に住むことも展望して - しばらく広い範囲で(多摩や国立まで含めて)住宅/住宅地を捜したのですが、新聞広告にくりかえし出ていた幕張ベイタウンの集合住宅は魅力的で、その写真や図面は今でも記憶に残っています。
多摩ニュータウンは傾斜地が前提の街造りでしたが、幕張は平坦な埋立地で、商業地や放送大学、アジア経済研究所と近接しながらの地割りも計画的に行なわれて、街の真ん中および海側の緑地も十分に設けられています。 最高気温35度にもなる真昼だったので、ベイタウンの目抜き通り(美浜プロムナード)も歩行者が少ない。しかし街路樹もたっぷり、目抜きの1階は(雪国の雁木通りみたいに)回廊のようになっているので、雨ばかりか日射しも避けられる構造です。小さな商いやブティクも並んで、悪くない街並みだなと思いました。駅の近くの超高層は別にして、たいていの集合住宅は6階ないしは5階までとして統一感があり、間隔を十分にとった(上から見ると)ロの字型、コの字型の住宅。なんだか西ドイツかオランダの都市住宅みたい、と連想しました(高度成長期の日本の団地住宅とは大違いです)。
そういえば、わが高校の同窓生たちの現住所で、美浜区打瀬とか磯辺といったのが少なくない‥‥。京葉線快速を利用して、東京駅近辺まで通勤するには便利ですね。ここはまた定期借地権での分譲という手法も活用された、革新的な住宅地でした。