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2025年3月6日木曜日

主権国家サイコー(II)

 <承前> わが序章「主権という概念の歴史性」の書き出しについては、何度も書き改めて(合衆国の大統領選挙が進行中で、カマラ・ハリス優勢かもという報道に甘い期待を抱いたりしていました)、結局、現状分析の項目記事ではないと割り切って、第2段落で、短かくこうしたためて了としました。
 「今日、主権は争点としてきわだつ。ロシア連邦(プーチン大統領)、イスラエル国(ネタニヤフ首相)、そして中華人民共和国(習国家主席)のそれぞれ隣接地域にたいする侵攻と住民への暴虐については言葉を失うが、こうした事態を批判すると、当該政権から強い糾弾が返ってくる。その地のいわゆる「犯罪者」「叛乱分子」「テロリスト」を容認すること自体が、国家主権の侵害にあたるという「強者の論理」である。さらに今、トランプ第二期政権は歴史も国際法もなきがごとく、独特の「主権」を主張して世界を驚愕させている。
 2月17日に再校を戻す時点では、時間切れでもあり、おとなしくこれで済ませたのですが、その後の事態は、驚愕どころか、わたしたちの歴史観・世界観・ものの考えかたの根本的な更新を迫っているかもしれない。トランプ政権は経済学も、国際信頼関係もなきがごとく、Make America Great Again のスローガンのみ。MAGA、すなわち短期的(せいぜい4年の)スパンでしかことを考えないマネーゲーム人と有権者大衆との損得勘定の合算で、突っ走っています。
 損得勘定といっても、19世紀的(あるいは重商主義的?)な農工業偏重・貿易黒字主義で、自分/わが国さえよければ他はどうにでもなれ!という短慮だけです。たとえ自国のGDP≒国民経済ファースト、と考えたとしても、複合的な産業連関があるので、じつは関税障壁で国境を守れば OK というのはアホの知恵です。21世紀の大統領がそう本気で考えているとしたら、ブレインたちの怠慢でしょう。
 これにプラスして、民主党=バイデン政権を責める論法と、薬物規制がうまく行かないのを他国のせいにする議論が加わります。昨日の施政方針演説は、なんだか少年のケンカみたいで - 文字どおりのジャイアン - 、聞いていられない。大統領閣下=最高司令官がこのレベルで「論破」を続けると、全国民的に emotionalな対立があおられ、空気(political climate)が悪くなります。いずれ凶事が誘発されるのではないか、心配です。
 リベラル・デモクラシーが機能するには、有権者の大多数が知的で、落ち着いて、判断するということが大前提でした。合衆国でも、兵庫県でも、大前提が違ってきているのではないでしょうか。

2025年3月5日水曜日

主権国家サイコー!?

 この4月に刊行予定で進んでいる
 歴史学研究会編(中澤達哉責任編集)『「主権国家」再考』(岩波書店、2025)
ですが、ぼくは 序章「主権という概念の歴史性」を担当しています。
 昨夏の終わりが原稿〆切、暮れから正月に初校、2月に再校の期間がありました。歴史学研究会大会の合同部会で4年間にわたり共通テーマとして議論されたことが前提で、各章ともすでに部分的には『歴史学研究』大会特集号に連載されている論考を「再考」し、整えたものです。ぼくの場合は「序章」なので、第989号に載ったコメントから大幅に加筆して、「歴史的で今日的な問題」としての主権を、19世紀の東アジア、近世のヨーロッパについて論点整理してみたつもりです。そのさいに
・H. Wheaton, Elements of International Law (1836/1857)とその漢訳『萬國公法』(1864)および和訳・海賊版(1865-)
・J.H.エリオット「複合君主政のヨーロッパ」内村俊太訳、古谷・近藤編『礫岩のようなヨーロッパ』(山川出版社、2016)所収
が議論を展開するうえで、たいへん役に立ちました。
 とはいえ、11月~2月のあいだに国際政治上の緊迫と変化は著しく、悠長なことばかりで済ませることはできない、と再考しました。 → つづく

2025年2月19日水曜日

『読書アンケート 2024』

みすず書房より『読書アンケート 2024』(単刊書、2月刊、800円)が到来。
https://www.msz.co.jp/book/detail/09759/ 
ぼくも短かいながら5件の出版について感想を述べました(pp.175-178)。掲載の順番は、おそらく原稿がみすず書房に着いた順で、この本文180ぺージのうち、ぼくはビリから4番です。
月刊誌『みすず』は紙媒体ではなくなり、今はウェブ配信ですが、毎年2月号に載っていた読書アンケートだけで単刊書とすることになり、毎年の年初の楽しみは保たれます。むしろ前より厚くなった観があります。
ぼくの場合は、
1.二宮宏之『講義 ドラマールを読む』(刀水書房、2024)
2.木庭顕『ポスト戦後日本の知的状況』(講談社選書メチエ、2024)
3.松戸清裕『ソヴィエト・デモクラシー 非自由主義的民主主義下の「自由」な日常』(岩波書店、2024)
4.Lawrence Goldman, The Life of R.H.Tawney: Socialism and History (Bloomsbury Academic, 2013)
5.『みすず』168号~177号(1973-74)に連載された、越智武臣「リチャード・ヘンリー・トーニー あるモラリストの歴史思想」
を挙げてコメントしました。
4,5については、今書いている本『「歴史とは何か」の人びと』のなかの一つの章にもかかわり、また著者ゴールドマンが、E・H・カーの世代のインテリ男性の性(さが)について明示的に問うているので、響きました。
巻末の奥付に (c) each contributor 2025 とあり、著作複製権についてはぼくにあるのでしょうが、出たばかりの本ですので、ここには言及するだけで、文章は引用しません。

2025年2月4日火曜日

卒寿の著書

 みなさんは、服部春彦フランス革命と絵画 イギリスへ流出したコレクション』(昭和堂、今年2月刊)を見ましたか? 先に『文化財の併合 フランス革命とナポレオン』(知泉書館、2015)がありました。これに続く、フランス革命・ナポレオン・美術品の移動というテーマだな、と軽い気持で読みはじめて、驚嘆しました。
 明快な問題設定のもと、研究史と(回顧録や売立てカタログ‥‥からイギリス政治史のオーソドックスな史料 Hansard 議会議事録にいたる!)多様な史料を渉猟し分析した、374ぺージの研究書です! 今回はフランス史というより、イギリスの美術品取引史です。フランス革命期に大量の絵画が、フランス・ネーデルラント・イタリア各地から大量にイギリスへ移動したプロセス ~ 1824年、ロンドンに国立美術館(National Gallery)が設立されるまでの、オークションから私的契約売買まで、美術品取引の実際が具体的に解明され、迫力があります。
 イギリス史をやっている者にとって、18世紀前半のホウィグ体制において枢軸をなしたウォルポール家(Houghton Hall)タウンゼンド家(あの農業改良の Turnip Townshend)の今日にいたるまでの家運の転変はおもしろいものです。両家は同じノーフォーク州でほとんど隣接した大所領をもって、たがいに交際していました。しかし世紀後半の代になるとHorace Walpole は放漫な家政で、結局、せっかくのコレクションをロシアのエカチェリーナに売却するしかなかったばかりか、19世紀にはロスチャイルド家と縁組みし、今日も観光客を迎えて入場料を取り、一般向けのイヴェントをくりかえして所領を維持しています。他方のタウンゼンド家は代々、堅実な農業経営のおかげで、今も一般客を入れることなく所領を維持しています。
 1770年代にあの急進主義の風雲児 ジョン・ウィルクスが、そのウォルポールの Houghton collectionを国内に留めるための議会演説を行ったこと( → その効なくロシア宮廷に売却)から始まり、ナショナルな絵画館の設立運動をめぐるLinda Colley 説の批判、そして1824年にようやく National Gallery 創立、38年の新館開館にいたる政治社会史には、感服しました。脱帽です。
 たしかノーリッジのEdward Rigby(1747-1821)の娘 Elizabethは Charles Eastlakeとかいう NGの初代館長に嫁したのではなかったかな? この時代のチャリティ、農業改良、医療をはじめとする公共プロジェクト、そして大陸旅行記が父・娘ともにありますね。NG の1824年設立/38年の新館までで本書は終わりますが、それにしても、多くの登場人物、そして
公衆(the public)なる語にどのような意味がこめられていたか」p.335 
といった議論に刺激されます。服部春彦さんによるイギリス近代史の研究書です!
 1934年4月生まれの服部さんは、遅塚、二宮、柴田(この順)と同じころパリに留学していた方ですが、名古屋大学西洋史におけるぼくの先任助教授でした。こういう方が元気でしなやかに生産的でいらっしゃるので、こちとらも呆けることはできません。

2025年2月1日土曜日

2期目のトランプ

 1月20日に就任式を終えたトランプ大統領、議会の承認なしで執行できる大統領令(executive order)でどんなことを指令するか、メディアは戦々恐々で見つめていただろうと思います。ただ、いろんな極端なことを言っても、それは deal の始まりで、(ブレインが熟慮したうえでの)ほどほどの所に落とし所があるのではないか、と。 DEI (Diversity, Equity, Inclusion)原則の否定についても、民主党政権とは違う、という意思表示でしかないかも、と甘い観測もありました。
AIP(American Institute of Physics)は科学の研究教育にかかわる補助金の支出停止について憂慮を表明していましたが、裁判所が「支出停止」は違法だと決定したようです。https://ww2.aip.org/fyi/trump-spending-freezes-sow-confusion-among-researchers
   ところが、ワシントンDCの航空機衝突事故について、31日(JST)のトランプは型どおりの弔意を表したあとに、事故は管制官の採用方針における DEI のせいだと述べます。
. . . the hiring guidance for the FAA's diversity and inclusion programme included preference for those with disabilities involving "hearing, vision, missing extremities, partial paralysis, complete paralysis, epilepsy, severe intellectual disability, psychiatric disability and dwarfism".
https://www.bbc.com/news/articles/cpvmdm1m7m9o
これはまるでガキの喧嘩の論法(おまえのカーさんデベソ)で、大国の大統領としての品位も徳も感じられない。こんな男を大統領へとかつぎ上げ、投票した有権者たちの人格も疑われます。
記者会見で、このトランプの放言について根拠を問いただした記者にたいしては、
Asked by a reporter how he could blame diversity programmes for the crash when the investigation had only just begun, the president responded: "Because I have common sense."(やはり BBC.com)
ということで、これは18世紀スコットランド人たちが common sense について口角泡を飛ばして議論していたことへの侮辱か、挑戦か。両方でしょう。そもそもトランプもその支持者も反知性主義 anti-intellectualism です。

 モンテスキューは言っていました。「共和国においてはが必要であり、君主国においては名誉が必要であるように、専制政体の国においては恐怖が必要である。」『法の精神』岩波文庫(上) p.82.
同じく一君をいただく政体ではあっても「君主政においては、君公がもろもろの知識の光をもち、大臣たちが公務に堪能で練達である。専制国家においてはそうではない。」p.86.
 アメリカ合衆国はいまや共和国でも君主国でもなく、(4年間の)専制政体の国に転じたかに見えます。

2025年1月5日日曜日

謹 賀 新 年

 戦禍や災害がうち続き、政治も危うげな昨今です。みなさま、いかが新年をお迎えでしょう。
 こちらの直近の最優先課題は
「歴史とは何か」の人びと - E・H・カーと20世紀知識人群像』(岩波書店)
の仕上げです。中澤(編)『「主権国家」再考』(岩波書店)は共著者とともに校正中です。その次の仕事『デモクラシー像の更新』も、自分の勉強として、公けの出版として、今から楽しみが一杯です。
 これらにも関連して、昨3月にはオクスフォード、バーミンガム等、9月にはスコットランド(ハイランド)、バーミンガム、ケインブリッジ等に参りました。ワークショップや人びととの再会懇談、文書リサーチとともに、1689年~1746年のジャコバイトの関連史跡を見て歩き、エディンバラでは一つの史料の細部を確かめることができました。ECCOなどディジタル化された画面では(いくら拡大しても)判別不能の、現物を見て触って、はじめて確かめられる特徴や細部など、喜びです。これはカーのいう「史料フェティシズム」でしょうか。
 それにしてもスコットランドのうち、ハイランドとロウランドの違いは、車で巡行してあらためて印象づけられます。北西部の氷期の痕跡、rough で tough な地理・天候とジャコバイトの心性は、無関係ではありませんね!(スコットランド王国には歴史的な大学が4つありましたが、グラスゴー以外は東海岸に偏っています。)
写真はインヴァネス(ジャコバイト最後の戦地 Cullodenの最寄り都市)のあるパブに刻まれていたエピグラムです。
 今年もお元気にお過ごしください。
 2025年正月     近藤 和彦