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『みすず』645号 読書アンケート

  2015年読書アンケート (2016年1・2月合併号) 近藤 和彦

1 パスカル『パンセ(中)』(岩波文庫、二〇一五)
 パスカルの『パンセ』が、塩川徹也・新訳により岩波文庫から刊行中。「もしクレオパトラの鼻が少し低かったならば‥‥」という『吾輩は猫である』にも出てくる有名な断章。これがどう訳されるのか、期待をこめて新訳『パンセ』断章413番を捜した。「人間のむなしさを十分に知りたければ、恋愛の原因と結果を考察するだけでよい。その原因は「私には分からない何か」なのに、その結果は恐るべきものだ。この「私には分からない何か」‥‥が、あまねく大地を、王公を、軍隊を、全世界を揺り動かす。[ここで改行!]
 クレオパトラの鼻。もしそれがもう少し小ぶりだったら、地球の表情は一変していたことだろう。」
 非現実の仮定による counterfactual な議論。ギリシア鼻かラテン鼻か、高いか低いか、長いか短いか、といったよく分からない論で足をすくわれるよりも、court というフランス語には英語の short と同じく、「なにかが足りない」「不十分だ」という意味もあるので、そちらに寄せて「もう少し小ぶりだったら」と訳してみたわけだ。
 「私には分からないエジプト女王の顔の真ん中の魅力」が大地を、カエサルを、ローマを、世界史を揺り動かした[ここまでは過去の事実]。もし、その女王の顔の真ん中の魅力になにか足りないものがあったなら[非現実の仮定]、カエサルもローマも揺るがず、プトレマイオス朝の運命も違っていただろうし、地球の様相も別だったに違いない、とパスカルは言い切った。すごい!

2 ヴェーバー『宗教社会学論選』(みすず書房、一九七二)
 『宗教社会学論集』三巻を著して「世界宗教の経済倫理」と取り組んだヴェーバーは、インド文化にも中国文化にも強い関心を抱いた。それも、「ヨーロッパ文化世界」と比較して、後者でのみ「普遍的な意味と有効性をもつ方向に発展する文化現象が出現するに至った」、その根拠を明らかにするために。近代ヨーロッパの世界的優位性、その普遍妥当性を、えられるかぎりの学知を動員して検証しようという志が率直に述べられる。と同時に、近代ヨーロッパ人の存在被拘束性にも自覚的で、「普遍的な」という強意の形容詞には「少なくともわたしたちがそう表象したがるように」という限定が付されている。
 昔とった杵柄で、今これを学生たちと一緒に読みつつ、二つの点に気付いた。①この密度ある論選がすでに二九刷を数えて、②わたしの所持する古い刷にあった訳文の問題箇所が、いくつも訂正されている。うれしい事実だ。

3 村上淳一『〈法〉の歴史』(東京大学出版会、一九九七)
 ドイツ法をはじめとする西洋の法史学の専門家が、「学生が世界地図のなかの自分の場所を見付けるためのガイドブック」として講義し、著した「法のエピステモロジー」。
 「保守反動」に対抗するためと称して、とりあえず近代的な仮想現実にこだわり続ける人々を「旧套墨守によって急激な社会変化に対応してゆけなくなっている」と批判し、「積極的にフレクシブルな秩序を生み出してゆく能動性とエネルギーをもつかどうか」と迫り問いかける。今日の知を見つめた政治発言でもある。

4 R. L. Kagan & G. Parker (eds), Spain, Europe and the Atlantic World (Cambridge U. P., 1995); T. Andrade & G. Parker (eds), The Limits of Empire: European Imperial Formations in Early Modern World History (Ashgate, 2012)
 前者はJ・H・エリオットへの献呈論文集、後者はG・パーカへの献呈論文集。別の本なのに、どちらでも、ケインブリッジ大学におけるエリオット先生の人柄、学生指導、そして人に読んでもらう文章の基準がエピソード豊かに語られ、元学生たちの敬意と謝辞が表される。日本の大学教育、そして自分を振り返って、考えこむ。

5 岡本隆司(編)『宗主権の世界史:東西アジアの近代と翻訳概念』(名古屋大学出版会、二〇一四)
 近世ヨーロッパでつくられた主権(sovereignty)という概念、中世の終わりとともに忘れられていた宗主権(suzerainty)という概念。ユーラシア近現代の秩序、そして東西関係の謎をさぐり、ローマ、イスラーム、モンゴル、中国、そして西欧列強の普遍主義と対外交渉を考える鍵として、ユーラシア史における概念の translation、翻訳、変換、移転、昇天!と取り組んだ共同研究。ここからいろいろなことが始まりそう、と予感させる。

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