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2009年6月14日日曜日

日本西洋史学会大会@専修大学

 主催校の皆さまのおかげで、有意義に過ごしました。
 土曜の城戸さん、油井さん、板垣さんの講演に刺激されて、もろもろのことを感じたり考えたりしました。日曜午後のセッションも共通して、歴史における violence や war をテーマとしていましたが、暴力なのか、強制力なのか、争いなのか。とりわけ集団的な強制力は、戦争や内戦という形ばかりでなく、一揆やリンチという形もとります。それらは例外的な事態というより、
   「争いごとにこそ、ふだんは隠れていた事実が浮上してくる」(スリニヴァス)。
ぼくも 『民のモラル』 の一巻をつかって、時代の文化として規範・価値観の強制と、違犯者への〈制裁の儀礼〉を論じました。民衆史か社会史か、といった次元をこえた歴史学として、今でも有効な観点だと信じます。

 なお、板垣さん、ホロコーストの記憶こそパレスチナの悲劇を隠す装置だとは、よくぞ言ってくれたと思います。歴史的なユダヤ人差別やナチスの暴虐ばかりを説いて、現在のユダヤ人の暴虐に言及しないのは、(一番ひかえめに言っても)アナクロニズムでしょう。ただし、板垣さんの万事イスラーム起源主義≒Eurocentrism批判は、いささか眉唾です。そして挑発主義は、議論の始まりとしてはおもしろいが、それで終わるわけにはゆかない。
 ぼくは油井さんと同じく、多文化主義(異文化との共存)に希望を託します。城戸さんのように「(若いときからずっと)挑発を続ける板垣さんに脱帽する」と言いつつ、ご自分の静かなスタンスを守るのも、大人の態度ですね。

1 件のコメント:

  1.  じつは年次大会に合わせて、久しぶりに懐かしい面々で懇談する、というのも学会の重要な一面です。かのナタリ・Z・デイヴィスも言っています。「孤立してはいけない」「なじみの仲間集団をもつこと」「会合があったら出かけること」『歴史家たち』p.91.

     今回も大会に合わせていろんな会合があったようですが、ぼく自身は、日英歴史家会議(AJC)の委員会で9月の会議にむけた進捗を確認しました。確定した順に、この欄で、おいおい公開します。

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