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2010年5月26日水曜日
A型・B型
すこし日を遡りますが、ケインブリッジのあるセミナー後の光景。主賓がパイプを離さないので、パブ(禁煙)のなかに入れず、しかたなく、他にだれひとりスモーカは居ないのに、入れ替わり立ち替わり、外に出て話しました。<写真>
13日は、アメリカ・イェールから Keith が来て1636年夏のニューカースルのペストについて研究報告(at Christ's)。
アメリカに行った歴史家に、タイプは二つあるような気がします。A型: Stone, Cannadine, Colley はアメリカの学生・学界を意識して「大きな議論」(アメリカの大学生が「わかった」と思うようなアーギュメント)に比重を移したか、そもそもそういった仕事をしていた。
Keith の場合は、B型: と言うべきか、イングランドにいたときの文書主義・経験主義のまま、「意味ある細部」と信じるものに拘って、史料の海に淫するか溺れるか。Probate Court records: deposition から「ニューカースルの書士 Raphe Taylor 26歳の個人史が どう時代のコンテクストにはまるか」; personal narrative put in context; to recapture the texture という問題設定で、基本的にだれがどうした、こんな遺言が書かれた、死者の後始末の費用の訴訟がこれだけあった、といった例示が続きます。市当局の記録は19世紀の火事で焼失。
これだけ大変な疫病の後遺症もあったのに、どうして、この社会的記憶は失われるのか。直後の39年以来の三王国戦争、軍事衝突のインパクトが強すぎて、36年の災禍は市民の記憶から消失してしまったのだ、という話。
何千人もが一挙に死んだあと(市内の死者の多寡には地区による差があきらか)、37年に結婚・再婚ブーム。Raphe も36年に遺言まで書いて覚悟していたのですが、生き残って、この37年に27歳で結婚。1669年まで書士として繁盛します。
う~ん、個別的にはおもしろい事にさまざま触れて下さるけど(伝染病人介護の問題、遺言状をめぐる訴訟の多さ, etc.)、どうなんでしょう。これでは将来有望な院生の報告みたい。天下の Keith が大西洋を渡って古巣に帰ってきて報告するんだから、もう少しダイナミックな話を聴きたい。
その翌週、19日は Jeremy Adelman が 'Morality and markets: thinking about Albert Hirschman in the 1970s' と題して報告(at Trinity Hall)。
こちらは無限におもしろく、思考を刺激された。すでに19日 Whitsun Feast の項にもしたためましたが、Skinner, Waltzer, Geertz, Ginzburug, Sen といった人々への明示的論及があっただけでなく、マキァヴェッリかスミスかヘーゲルかといった、あまりイギリス人がしないスケールの大きい議論をしてくれたからです。ぼく自身がいま考えているテーマにもろに関連するからでもあります。A型の良き展開といえるでしょう。
Quentin や Gareth をふくむ他の聴衆も、プリンストンとパリで仕事している Adelman の話に、素直に喜んでいた様子。
なお念のため、上のA型、B型は仮のタイプ論であって、血液型とは無関係です。
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