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2011年5月25日水曜日

魚住昌良 先生

 魚住昌良先生が亡くなったということです。享年80歳。
 このブログは訃報欄ではありません。しかし、ふつうの西窓記事をしたためる間もなく過ごしていると、とくに最近、大事な方々が亡くなって、しかも何故か大新聞がその事実を報じないという奇妙な現象=症候群がつづきますので、それでは、と事実だけ記しています。
→ http://www.icu.ac.jp/news/20110519-479.html

 魚住先生については、80年代の名古屋大学のころから中世史の方々の間で話題になっていました。立教の鵜川馨先生がイギリスから積極的に歴史家を招聘なさっていましたが、最初の Paul Slack のときでしょうか、Joan Thirsk でしょうか、Spufford夫妻だったでしょうか、分からなくなってしまいましたが、そのセミナーの帰路、紀恵先生が間に入って魚住先生から「折いったお話を」ということで、池袋西口の喫茶店に寄り、ICUの非常勤講師を慫慂されました。ありがたいお申し出で、即決し、それ以来、ICUとの関係が生じたわけです。
 その後、ICU出身の(元)学生たちとの縁がつづきますが、すべてこのときの魚住先生のお話から始まるわけです。
 合掌。

2011年5月18日水曜日

クリオ 25号

 土曜に日本西洋史学会大会@日大文理学部 に行ってみたら、『クリオ』25号(2011) が新刊発売中。美女編集部の奮闘努力により、想定をこえる立派なものができていました。全88ページ、1000円也。
ロング・インタヴューというより、まるでアルバムのように写真が一杯というのも、一つのメリットかと。

 もとになった2月24日のインタヴューは、柴田先生がこんなに早く亡くなるとは想像もしないままの発言でした。じつは3時間というのは案外短かくて、たとえば 1967-8年の折原ゼミのことや70年代の『社会運動史』のことはいっさい言及されず、他にもいろんなことを言い落としているのですが*、柴田先生と二宮さん、そして Boyd Hilton について最低限の必要なことは明言していると思います。
 * たとえば、どんな文書館でどんなリサーチをしてどんな出来事があった;英語ペーパーの発表や論文投稿でどんな苦労をした;科研グループではこんなことをしている;教科書執筆の苦労と楽しさ;出会った編集者たちの個性と志、etc. といったことです。
 そもそも1960年代~80年の「ケインブリッジ歴史学の黄金時代」については、『スキャンダルと公共圏』(山川出版社、2006)pp.19-25 で述べたので、インタヴューで繰りかえすまでもないと考えました。またインターネット・リソースについては、複数のインタヴューや講演【 Cengage、東大TV 】がオンラインに載っているので、これも今回は立ち入っていません。

 それにしても、ご関心のむきは、ご覧ください。

2011年5月10日火曜日

柴田三千雄 先生

つつしんでお知らせいたします。

柴田三千雄先生(東京大学 名誉教授、フェリス女学院大学 名誉教授)は、
5月5日に肺炎のため亡くなりました。

1926年10月、京都・伏見のお生まれですから、享年84歳でした。
すでに近親者による密葬は済みました(ご遺族の意向を第一に考えて、広報は控えました)。

著書に『バブーフの陰謀』『近代世界と民衆運動』『フランス史10講』など。
他に旧『岩波講座 世界歴史』『世界史への問い』(いずれも岩波書店)の編集執筆、
そして高校の教科書『世界の歴史』『新世界史』『現代の世界史』(いずれも山川出版社)があります。
フランス共和国の学術文化功労勲章 Officier des palmes académiques を受勲。紫綬褒章も。

「しのぶ会」が 7月14日午後6時に東京大学・山上会館で予定されています。