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2014年2月21日金曜日

鈴木博之さんと安西信一さん


 なんと予想もしない訃報が続きました。厳冬というのは関係あるでしょうか。

 鈴木博之さんは、『英国をみる』(リブロポート、1991)に「工業化以前の中世」を寄稿され、伊藤・吉田科研ではケインブリッジやエアフルトの都市史コンファレンスでご一緒しました。12月14日の「都市史学会」創立大会では、お姿を拝見したばかりで、たいした挨拶をしないままでいました。68歳、肺炎で急逝なさるなんて、だれが想像していたでしょうか。 「明治村」の館長もしておられたのですね。
→ http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/building/news/20140210/651029/

 さらに驚愕したのは、安西信一さんの急死です。
『朝日新聞』を定期購読していないぼくですが、必要が生じて、しかたがない、デジタル無料会員という制度を利用して、会員登録したところ、最初に飛びこんできたのが、あろうことか「東大准教授の安西信一さん死去」というニュースでした。
 個人的には1月24日付の葉書をいただいたばかりなのに。53歳、くも膜下出血。苦しかったことでしょう。
→ http://www.l.u-tokyo.ac.jp/bigaku/staff.html
「18世紀学会」では、ご心配ばかりおかけしました。
 いつだか東大文学部の催しでは、ジャズバンドを率いてフルートを吹かれました。

2014年2月19日水曜日

註釈『イギリス史10講』- または柴田史学との対話(上)


 『イギリス史10講』のあとがき p. 304 でもお約束のとおり、岩波新書の「脚注」というよりは研究史的解題に近い「註釈」の原稿を、先月27日に提出しました。編集実務の担当者にかなり急かされて、学年末の校務のさなか、時間的余裕がなかったので、(上)ということで第4講まで(~ p.112)で中締めとさせていただきました。匿名の査読者2名のご意見も考慮しつつ、改訂原稿を出したのが2月7日です。校正刷りはまだ目にしていません。
立正大学大学院紀要』の刊行予定日は3月15日と言われていますが、もし順調にいったとしても抜刷などの出そろうのはいつでしょう? しばらくお待ちください。
 上にも書いたような事情で前半だけとはいえ 21,000字を越えていて、『イギリス史10講』の本文ではかなり切り詰めてコンパクトに記したことの背景ないし根拠を説明しています。もっぱら近現代だけに関心のある方にも、方法的な構えとしてどういうことなのか、わかるように書いたつもりです。副題から全体のトーンは伝わるでしょう。

 ちなみに 「学内紀要を活用せよ」というのは、黒田先生の置き土産のような助言でもあり、早速に去年の 『立正史学』113号(礫岩政体と普遍君主:覚書)から利用させてもらっています。これからもそうします。

追記: 立正大学リポジトリに登載されました。どなたでも利用できます。 → http://repository.ris.ac.jp/dspace/handle/11266/5295

2014年2月12日水曜日

『10講』 増刷


 『イギリス史10講』(岩波新書)をめぐって、このページとは別に、相互発言のしやすい掲示板を用意してありますので、ご利用ください。
http://kondo.board.coocan.jp/

 おかげさまで、ローカルな本屋さんでは1月末から品切れ状態だったようですが、第2刷が出ました。奥付によると2月14日発売、とはいえ、すでに在庫です。「品切れ」という表示があっても、注文してみてください。

 年の瀬に出版された『10講』の仕上がりをみると、残念ながら、原図がカラーの図版は写真がかなり暗い印象になって、また地図にもごく細かい問題、本文にも不十分な箇所が残ってしまいました ! こうした点を気に病んでいました。
 増刷の機会にこれさいわいと、技術的に可能な修正をほどこし、また好評なので文中の参照ページ指示(p.*)をふやし、索引も窮屈なスペースながらほんのすこし改良しました。

 改訂版ではないので、パラグラフを入れ替えるような大きな改訂はできません。本質的には同じ本ですが、問題かなと思われた場合は、こちらの第2刷を参照してみてください。
 これからも、お気づきのことがあれば、大小いずれであれ、ご指摘ください。

2014年2月8日土曜日

すべて雪のせい

 今日は積雪で都心部も歩行はたいへんですが、とても静かです。午後、大学の会議に出て、そのあとは必要なコピーなどしていますが、このあと成績入力で、今晩も奮闘します。

 ところでJR東日本の駅に貼られているスキーの美少女ポスターですが、「ぜんぶ雪のせいだ」というキャッチが、おもしろく効果的。
「ぜんぶキミのせいだ」とすると、直截すぎて了見が狭く、おもしろさがない。
「ぜんぶスキーのせいだ」とすると、これはまた宣伝でしかなくなる。
「ぜんぶ雪のせいだ≒雪のおかげだ」とすると、おかしいが真実。印象的なキャッチとなる。

 試験の終わった学生たちの冬の vacation !
もうすこし大人になると、in vino veritas とか、つぶやくようになるよ。

2014年2月4日火曜日

『みすず』 読書アンケート特集


月刊のみすず』1/2月号、到来。「読書アンケート特集」、例年のことですが、156人の物書きたちが新刊・旧刊の本について所感を述べる、自由な空間です。しかも(おそらくは)原稿の到来順に組んであるので、だれの稿がだれの後に、といったことは予想不可能。

宮地尚子さんという(ぼくの存じあげない)方は、書物として『みすず』「読書アンケート特集」そのものを挙げておられます。「‥‥書き手の個性が豊か。その時々の心情を吐露したものや、自己宣伝に近いもの、自分の好みというより自分の領域で読んでほしいものの紹介など、様々。‥‥隠れた精神的系譜も見えてきます」(p.24)とのこと。大新聞の書評欄とは全然ちがう知的な宇宙が広がり、ぼくの大事な勉強部屋です。というより、たとえればオクスブリッジにおける SCR かな。オクスフォードでは Senior Common Room, ケインブリッジでは Senior Combination Room と微妙な表記の違いは譲らないんだが、実質は同じ。
みすず書房の「ハウス・スタイル」への賛辞も、自然と受けとめられます(p.57)。
坪内祐三さんという方には、ルカーチ『歴史学の将来』(11月刊)にも言及していただきました。「フール・ジャパンに必要なのは、現代史(つまり政治)リテラシーだ」(p.110)といった発言もあって、いまだ捨てたものではないな、という気になります。

ところで、ぼくの挙げたものはというと、
ハンナ・アーレント『イェルサレムのアイヒマン』(みすず書房、1969)
ステュアート・ヒューズ『大変貌』(みすず書房、1978)
熊野純彦『日本哲学小史』中公新書、2009
熊野純彦『和辻哲郎』岩波新書、2009
です。
横文字のものを少なくとも1つという、例年、自分に課している方針を守ることができなかったことにも現れているとおり、熟慮する時間がなくて、すぐ手近のものを列挙。これでも中長期にわたって振り返ると、なんらかの意味が見えてくるんでしょう。恐ろしい。