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2014年7月4日金曜日

『ちくま』7月号

 筑摩書房の月刊誌『ちくま』No.520 に次のような文章が載りました(金澤周作さん執筆)。
http://www.chikumashobo.co.jp/blog/pr_chikuma/entry/1024/
(ただし月刊誌のほうは縦組、ウェブの「立ち読みページ」は横組)
こうした感動的な文章には滅多に出会えるものではなく、感極まりました。

じつは他にも『民のモラル』の学芸文庫版をお送りした方々から、20年あまり前に、あるいは学生としてどういう思いで読んだか、といった所感をいただいて、「そうだったのか」と霧の晴れるような感覚が続きます。今の時点で聞こえてくる率直でポジティヴな声と、かつてのメディアおよびアカデミズムの表面に現れたネガティヴというか斜に構えた声とのズレ、異次元性は何なのでしょう。

とにかく、『ちくま』の金澤さんの文章は圧倒的で、学部生のとき、京大西洋史の助手さんから、松井・川北・近藤の近刊書3冊を知らされたというエピソードから始まり、[‥‥中略‥‥]「多少とも書く経験を積んだ」金澤さんによる「構成の妙、文体の緩急、堂々たる叙述の幹、差し伸べられる枝葉の多彩さ‥‥」とのご指摘から展開部に入ります。ご本人もそういった点を意識して書いておられるんだということを確信しましたよ。
でも、コーダの「そう、私のタブララサは取り返しのつかないほどの刻印をほどこされたのであった」という締めは、ちょっと名文過ぎるかもしれません。
刻印は一冊の本というより、むしろその後の研究グループの討論や書き物から、相互的に得たのではないでしょうか。逆の方向でもそうです。1998年以来、フィランスロピとか海難事故とかいったテーマも、しっかり取り組むと枢要なことを照らしだすのだ、という発見が続きました。「取り返しのつかないほどの刻印」は、双方向的で互酬的なものでした。ありがとうございます。

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