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2015年2月24日火曜日

『史苑』75巻1号の書評

『史苑』(立教大学)の75巻1号(2015年1月)のPDFが送られてきて、拝見しました。青木 康さんが『イギリス史10講』をたっぷり書評してくださっています(pp.229-235)。
3週間あまり前に『西洋史学』に載った金澤 周作さんの書評は、『10講』を評しつつ彼じしんを語るかのごとく、若さ溢れる文章でした。『史苑』の青木さんの書評も、空気は全然異なるけれども、評者の人柄が巧まずして現れる、明晰な文章です。しかも読者の必要を配慮して(?)註の付された文章で、ありがたく受けとめました。

なお確認になりますが、
I. 『イギリス史10講』は、岩波新書としてはすでに限界を越えそうな分量でした。索引についてコメントしてくださっていますが、その項目は900以上用意したのを最終的に292にしたので、無理が残りました。刊行の1ヶ月前に、(本文が長くなりすぎたので)索引は4ページが限界と申し渡され、岩波書店の一室に2度にわたって缶詰になり、項目を削りました。
最終的な取捨選択基準としては、人名が時系列的に素直に(定石的な位置に)出てくる場合は、エドワード2世もフィリップ2世もヴォルテールもペインもエンゲルスも、アルバート公や E.パウエルさえも割愛するということにしました。研究者名についても、索引に日本人はほとんど登場しません。これでも「索引無しよりは、よほどまし」と自分に言い聞かせながらの苦しい作業でした。通常よりかなりポイントが小さいことにお気づきでしょう。

II. 本文最初のページ(p.3)で「アイデンティティと秩序のありかたに注意しながら、できるだけ具体的なイメージの浮かぶように述べたい」と記しているからには、「イギリスの通史‥‥の変化とそれらを通じての統一性を体現する要素」については、たとえば「王位の正当性の3つの要件」を -①②③という印とともに- p.33~p.274の間に 数度にわたって刻んでみました。これをご指摘のp.142 にも、またヴィクトリア治世の最初と後半(pp.214-15, 217-18)、1936年の王位継承危機(p.274)、そしてサッチャ期の王室と国教会(p.298)にも繰りかえし明記しても良かったかもしれませんが、くどくなるかな、と迷いました。
王を推挙したり承認したりする政治共同体については、中世史で「賢人‥‥すなわち歴史を知る聖俗の有力者」といった言い方から始まり、近世・近代・現代では「議会と教会」(p.158以下)にフォーカスすることになります。

III. 17世紀以降、トーリとホウィグのアイデンティティの核心らしきもの(pp.139, 160, 205-6, 213 . . . )、そして「ピットは‥‥自由主義者である」(p.204)と記述するときには、もちろんフランス史研究者たちと同時に青木さんの顔を思い浮かべていました。ピット、ピール、グラッドストンを同列に扱い、新自由主義者ロイド=ジョージと対照する(pp.257-8)というのは単純化しすぎ、とされるかもしれません。
また19世紀末からの現代的情況への取り組みとして、チェインバレン、ウェブ(ほかの社会主義者たち)、ランドルフ=チャーチル、ロイド=ジョージの交錯(そのなかにアイルランド・スコットランド・ウェールズ・インドなどの Home Rule 問題も組み込まれる)などをもっとしっかり浮き彫りにできればもっと良かったでしょう。そこは示唆に留まったかもしれません。
読者には明快な筋を示し、同時に問題の広がりと深さみたいなものを示唆して、各々考えていただく、というのが執筆の基本方針でした。ODNBや『イギリス史研究入門』のような参照文献は、巻末に明示しています。概してイギリス人歴史家の文章は、思い切りがよく、かつ余韻がのこる。政治も文化もしっかり取り組み、解釈する姿勢を、見ならいたいと思います。

IV. それにしても、ご指摘のとおり「‥‥近年有力となっている研究動向に積極的に向き合って叙述した結果、本書の上述の特徴が生じた」というのは真実です。『10講』のための勉強によって、ようやく「わかった/見えた」という論点が多々あります。「ハムレット」や「ぜめし帝王」や「本国さらさ」や「ワイン」(in vino veritas)では知的に遊ぶことができたし、また『福翁自伝』から『米欧回覧実記』『80日間世界一周』への繋がりは、年来あたためていたアイデアでもあり、pp.226-231で印象的に語れたかな、と思います。ビアトリス・ウェブ(pp.239-243, 278)についても、ケインズ(pp.271-272)についても、もっともっと素材はあるのですが‥‥
とにかく分量との、そして時間との戦いでした。キビキビとストーリを展開し、イメージ豊かに、しかも理屈はしっかり述べるといった、欲ばりの本でした。

ところで今日、再見した映画『イングリッシュ・ペイシャント』で、火傷で死に瀕したラズロ・アルマシ伯(Ralph Fiennes)が言っていました。「きみの読み方は速すぎる。キプリングの書いた速度で読んでくれ。カンマを付けて!」
この恋愛至上主義の映画の隠れたテーマは、20世紀前半のインテリたちの読書癖(ヘロドトス‥‥)と、朗読する習慣ですね。

2015年2月14日土曜日

ぶりてん数寄

きのうの続きですが、読売新聞オンラインの「ぶりてん数寄」には↓
http://www.yomiuri.co.jp/otona/special/sakaba/20150127-OYT8T50116.html
↑「坂次劇場」のシティ観光案内にことよせて、かなり単刀直入に
イギリス法の世界、そして信託法チャリティの歴史に読者をいざなう、たくみなウェブページもあります(やはり3回物)。
グローバルに仕事をするビジネスマンにとって、コモンロー、信託(基金)法、そしてチャリティの理解は必要不可欠です。小坂記者は「タテマエとホンネ」という筋に話を落とし込もうとされていますが、ずっと本質的な問題だろうと思います。
『イギリス史10講』では、公益団体、endowment、そして「ワクフ」や国のかたち論(pp.219-221)にまで言及してみました。
これには小松久男さんが『史学雑誌』の回顧と展望(2014年5月)でさっそく反応してくださり、ほっとしたものです。

2015年2月13日金曜日

ワインな英国人


12日に読売新聞オンラインの記者さんから下記のような連絡が参りました。
題名「酒都を歩く(ぶりてん数寄)」「ワインな英国人」からもご想像のつくとおり、帰宅途上にスマートフォンで読むようなライトな記事(3ページもの)です。

≪先ほど、インタビュー記事をアップいたしました。
 URLは以下の通りです。
http://www.yomiuri.co.jp/otona/special/sakababanashi/20150130-OYT8T50208.html

また、連載記事の紹介を在日英国大使館が運営している Taste of Britain でも
紹介させていただいています。
https://www.facebook.com/oishii.igirisu

ヨミウリオンラインにアップ後、使用している写真の一部を使い、こちらのフェイスブックでも紹介をする予定です。≫

2015年2月7日土曜日

工藤光一さん

もう1ヶ月近く経ってしまいましたが、1月10日に工藤光一さんが亡くなりました。56歳でした。先月にはある方からメールで悲報をいただきましたが、昨夜は、ご夫人からの寒中見舞いが到来しました。

彼が院生の頃からのつきあいで、いろいろな場面が想い起こされます。樺山先生のお宅で毎正月に開かれていた(らしい)「一斗会」のこととか、柴田先生と彼とのやりとりとか‥‥。外語大からの、自他ともに任じる二宮宏之さんの愛弟子の一人でしたから、『二宮宏之著作集』第3巻(岩波書店、2011)の「解説」も執筆しておられます。闘病生活が長いことは存じていましたが、そのころは復調していたようだし、ぼくとしてはこの文章のトーンに不満で、そのように伝えました。

ぼくが「礫岩政体と普遍君主:覚書」の最後を執筆したときに想い浮かべていた人の一人が彼であることを隠す必要はないでしょう。
彼とのメールのやりとりの最後は2013年6月13~14日でした。
工藤さんの長いメールには次のような部分がありました。
以下引用
‥‥「礫岩政体と普遍君主:覚書」は、スケールの大きな問題提起にうならされるとともに、「おわりに」の二宮先生のお仕事についてのご見解には、考えさせられました。確かに、1990年代以降の二宮先生については、エトノスの複合性をふまえたうえでの res publica 論やホッブス的秩序問題、思想史・概念史にかかわる議論は棚上げされたかにみえます。ルフェーヴルの「革命的群衆」論文が集合心性の研究への橋渡しとしていかに枢要だったかを強調される一方で、「複合革命」論には言及されなかったのもご指摘のとおりでしょう。からだとこころとソシアビリテを軸に「社会史」ないし「歴史人類学」を構想してゆくうえで、「複合革命」論を取り込むことは、さしあたって必要なかったということなのかもしれません。
ご高論の中で、二宮先生の「文化史的な内向の磁力が、追随する若手研究者におよぼす抑制的影響力」を懸念しておいでで、「2000年代の内省的二宮は、具体的にその〔六角形の〕枠組ををこえて内外に浸透した秩序問題、そして概念史、世界史へと研究を広げようとする者に対する抑止力でもあった」とおしゃっておいでですが、「抑制的影響力」や「抑止力」という二宮先生が一番嫌われた力が現にあとに続く者に働いているかというと、私にはそうは思えません。私の場合、確かに「六角形の枠組」を越えることなく、フランス農村世界の政治文化史に一貫してこだわってきましたが、これは二宮先生からの直接的な影響力によるものというよりは、アラン・コルバンの「感性と表象の歴史学」が政治史に新たな地平を拓いたことに触発を受けています。コルバンの研究によって、農村世界の政治文化史には、まだ広大な未開拓の領野が残されていることが明確に見えてきたと思っています(詳しくは、『歴史を問う4 歴史はいかに書かれるか』岩波書店、2004年に所載された拙稿「記録なき個人の歴史を書く―アラン・コルバンの試みが意味するもの」pp.105-106をご参照ください)。
この未開拓の領野を切り拓いてゆく方向性において、私は二宮先生の「呪縛」なるものを感じたことはありません。他の研究者の場合は分かりませんが、多くの人たちが「偉大な先達をおもいつづけ、そのたおれたあと、未完の課題を引き継いで前へ進もうとする」点では、近藤さんと同じ立場を採っているのではないでしょうか。二宮先生のあとに続く者たちの間に、大塚史学の場合のように、「護教論者の集団」ができるようなことはないと信じています。
自分の病に対する不安で、少々鬱々とした気分でいましたところに、近藤さんから喝を入れられた思いがいたしました。刺激を与えて下さったことに深く感謝いたします。
工藤光一
以上引用

これにたいして、ぼくは謝意を表すると同時に、「‥‥歴史学はなにより体力勝負のようなところがあります。ぼくも家族も壮健ではありませんが、どうぞお大切に。」
と書いて送ったのでした。そのあと1年半、ついにふたたび拝顔することはかないませんでした。
ご冥福を祈ります。