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2015年8月4日火曜日

Paul Langford 1945-2015

 ラングフォド先生の授業(講義)を、ぼくは1981年にケインブリッジの Faculty of History 棟で聴講しました。オクスフォードから一種の非常勤講師として1学期間だけいらしたのです。ぼくの2歳年上とはいえ、24歳から特別研究員(junior research fellow)として研究に専念し、 The Excise Crisis (OUP, 1975)をはじめとして、18世紀の諸イシューを焦点に、政治社会史をダイナミックにとらえようとする仕事を次々に発表する新しい星として、日本でも松浦高嶺さん、青木康さんをはじめ、知る人ぞ知る研究者でしたから、毎週欠かさず聞きました。あのとき36歳だったのですね。

 ぼくの先生 Boyd Hilton, そして John Morrill と同期で、同じオクスフォード歴史学の秀才3人組。Langford (18世紀)が、生涯、オクスフォードで教え、(HRB、一種、日本学術振興会の会長さんみたいな激務でロンドンにいた期間は別として)勤務したのにたいし、Morrill (17世紀)、Hilton (19世紀)の2人は、ともに以後ケインブリッジで生涯を過ごすことになった。オクスブリッジのどちらが上か、強いか、というのは(ほとんどセリーグとパリーグを比べるのに等しい)愚問に属するけれど、それぞれの歴史学部の顔となったわけです。
 その主著 Langford, Public Life & the Propertied Englishman (OUP, 1991) は Ford Lectures の大冊ですが、2つの意味で印象的でした。1) J. ハーバマスにただの一度も言及することなく18世紀イギリスの言論、公共性、ブルジョワ、商業生活を論じていること。2) 18世紀前半の宗派がもろに表面化する係争的政治文化から、後半への転換を論じるところで Kondo, The workhouse issue at Manchester (Nagoya University, 1987)が数度にわたり論及・引用されていること。

 1995年、ロンドン在住中でしたが、Joanna Innes の仲介でラングフォド先生の18世紀史セミナーで研究報告することができました。リンカン学寮の中庭に面した、明るい=ネオバロック風の部屋。事後に恒例の The Mitre で一杯飲んだあと、 Covered Market 近くのピザ屋で、上の2点について改めて尋ねてみました。2) については外交辞令的な(?)お褒めの言葉でしたが、1) についてはハーバマスなんて読んでないし、影響も受けていない、自分は経験主義史家だ、と繰りかえされました。

 まだ若いぼくとしては、こうした答えにはいささか不満が残る夜でした。しかし、この English elite のイメージとは異なる風貌の、オクスフォードを代表する知性と議論できて、なおぼくの側の地平の広まりと深まりが必要だと再認識したことでした。やはり南ウェールズの出身で、どこか John Habakkuk に似た雰囲気でしたね。
 しばらくご病気だったと聞いていましたが、訃報を聞き、いろいろなことが甦ってきました。ご冥福を祈ります。

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