その後の経過を見つめつつの考察です。マスコミに載る多くの論評よりは、おのずから歴史的で、すこし深みのある考察となります。
A. レファレンダムとはそもそも「特定問題についての有権者の意向伺い」なので、最終的な決定は、議会で首相が何をどう言うかにかかっています。6月23日のレファレンダムの無視ややり直しはありえないとしても、国民総懺悔で、「ご免なさい、軽率でした」とEUメンバーの全国民に謝って歩く行脚、というのは理論的にありうる。しかし、現実的にはほぼない。ふざけんな、ということになります。
B. EUからの離脱(Brexit)を唱えていた二人、ボリス・ジョンスン(保守党)とナイジェル・ファラージ(UK独立党)の二人ともに、レファレンダム前にとなえていた主張=政策を撤回して、リーダーであることを辞退しました。- これが意味するのは、次の3点でしょうか。
1) 二人ともに公党の指導者としては不適格で無責任なデマゴーグだった。
2) そうしたデマゴーグに煽られてEU離脱に投票した52%の有権者の危うさ。
3) そうしたデマゴーグの煽りを書き立てたマスコミの危うさ。
C. ただし、EU離脱に投票し、それに賛意を表明したマスコミ・政治家は全員デマゴーグか右翼かだったと捉えては、表面的すぎます。むしろ、残留派のキャメロン首相が情勢を見誤ったように、離脱派のインテリの一部もまた情勢分析を誤った。すなわち、イギリスの国制(国のしくみ)という観点から、「EU官僚の中央集権主義/高慢と偏見」なるものを牽制し、英国の議会主権を維持するために、究極は_僅差で_EU統合・残留することを望みつつ、その僅差が十分に「批判票」ないしは「牽制/交渉のためのプレッシャ」として政治的意味をもつことを期待した。ところが、意外に伸びて過半をこえてしまったというのもあったでしょう。
D. ここで想起するのは『礫岩のようなヨーロッパ』(山川出版社、7月刊)です。こんなことになるなら、3・4週間でも早く公刊されれば良かったですね。
その第2章で「複合君主政のヨーロッパ」を論じるエリオットは、章の最後に、現在の問題を「統一性と多様性を願うというヨーロッパ史に通底していた‥‥気持を両立させるための試み」とまとめ、17世紀の司教の言を引用しつつ、「神が創造した世界では、より完全な統合をめざしても不完全なものにならざるをえない」と結論しています(p.74)。
また第1章では、ケーニヒスバーガが「複合国家・代表議会・アメリカ革命」を論じつつ、ふつう議会主権というところを「絶対主義的な議会による統治」とまで言っています。近世の「ボダンの主権理論の勝利の行進」(p.45)のなかに、jura summi imperii としての議会主権が位置づけられているのです。そう、イギリス法では(アメリカや日本のような)三権分立ではなく、議会の絶対主義。王権も議会のなかにあってこそ機能します(Crown in Parliament)。だからこそ行政は議会に従属する議院内閣制だし、司法のトップは2009年まで議会(貴族院)に所属した。‥‥この事実と意味を日本のイギリス史や政治学は十分に認識し強調してきたでしょうか。
専制、君主の絶対主義にたいする防衛、また千年をこえるイギリス史の経験にもとづく知恵、として表象されてきた、何にもまさるべき議会の絶対主義。これを、ヨーロッパ議会ならぬヨーロッパ行政官が陵辱するのは許しがたいと考えたのだとすると、今回のレファレンダムは、歴史的な意味も見え方も違ってきます。
エリオット先生(1992)、ケーニヒスバーガ先生(1989)の慧眼に脱帽。【ページは、印刷所に入る前の責了版のものを示しています。】
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