新年、おめでとうございます。
昨秋から家族の病気の一進一退でドタバタしています。
年賀状には
「‥‥ 櫪(れき)に伏して 志 千里にあり」
などとしたためましたが、これは曹操の
「驥老伏櫪 志在千里、烈士暮年 壯心不已」
の一部ですから、取りようによっては、「老驥」気取りの、かなり背負った発言と取られるかも知れません。ただし、ぼくとしては世に流布する「櫪に伏すとも」という読みでなく、むしろ素直に順接で、「櫪に伏して」、志だけは千里の遠くに在り、といった実情を謙虚に述べたつもりです。
そこに老人の挫折をみるか、まだまだ終わっていませんという心情をみるか。
抑制された心情は、型に約束があって枠のはまった定型句によってこそ表現しやすいような気がしています。
小春日に 母と語りめづ 向島蜜柑
向島とは広島県の旧御調(みつぎ)郡、尾道水道の向かいに見える「むかいしま」です。母は戌年、弟が向島に密柑山をもつ農民歌人です。先に老人ホームの誕生会で慰問の子どもたちが「みかんの花が咲いている‥‥」と歌ったら、ただちに母は「わたしの歌じゃよ」と申しました。
尾道高女卒の母にとっては、林芙美子の「海が見えた。海が見える」や小津安次郎の「東京物語」などは、きわめてローカルに親近性を覚える作品です。
皆さまも、ご健勝に。
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