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2018年5月23日水曜日
広島にて
19-20日に日本西洋史学会大会がありましたが、ぼくの宿は、このように元安川のほとり、広島平和記念資料館をすぐ左下に見て、原爆ドームを右正面に遠望する所にありました。
こういう立地に立つと、かつての秋葉忠利・広島市長を想い起こします。
秋葉さんは、例の秋葉京子さんの兄上。ぼくの中学の大先輩で、高校は教育大附属、AFSをへて東大理学部へ、そしてMITに留学して、アメリカで活躍する数学者でした。それが、あるときから日本社会党の議員になり、そして広島市長選挙に立候補して当選、3期を勤められました。
数学者が政治家になった経緯については存じません。それにしても社会党内で村山富市に対抗し、東京と千葉とアメリカしか知らなかった彼が広島に根付いて、3度の市長選挙に勝利し、平和都市宣言を貫き、オバマ大統領を招致し、今あるような活気ある地方中核都市の建設に奮闘した、というのは生半可なことではないでしょう。
高校の優等生としてAFS留学を経験したこと、コスモポリタンな学問=数学を専門としたこと(彼のあと数学者になる人/なろうとするヤツが、ぼくたちの学年まで何人も続きました!)、などもポジティヴな要因だったでしょうか。
「そらには若葉かがやきて
胸には燃ゆる自由の火‥‥」
といった中学の校歌を、ぼくたちは歌っていました。
‥‥そんなことを考えていた広島の宿に、なんと中学の高梨先生から電話をいただきました。伊那谷で秋葉京子のリサイタルをやろうという企画の話です。
念のために秋葉忠利さんのブログを探してみたら、今日は日大アメフット部の問題を論じておられました。
→ http://kokoro2016.cocolog-nifty.com/blog/
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