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2019年2月3日日曜日
『みすず』読書アンケート
2日(土)は大阪にて研究会。会として充実していたけれど、わが頭脳は前夜からの睡眠不足で、条件反射より以上の意味ある発言はなかなか困難。睡眠にはふだん気をつけていますが、前1日に到来したお二方からの信書とメールの内容に励起されて、即答しつつ、時間の経過を忘れてしまいました。
研究会にはお一人の重要メンバーがインフルエンザで欠席。今年は1919年、第一次大戦の終戦にともない「スペイン風邪」と恐れられたインフルエンザが猛威をふった年からちょうど百年。マクス・ヴェーバーも翌1920年、56歳で命を落としました。アラフィフ、アラ還の皆さんはとくにご自愛ください!
本日落手した『みすず』678号には、例年どおり(140名の)「読書アンケート」が載っています。昨年から 1968-9年ないし東大闘争関連の出版がたくさんあったのに、それらへの言及はほとんどないのに驚きました。執筆者の世代ということなのでしょうか? いまさら言及の価値なしということ?
ぼくが挙げたのは(pp.69-70)、
小杉亮子『東大闘争の語り』、
和田英二『東大闘争 50年目のメモランダム』、
折原浩『東大闘争総括』、[ここまで3冊はこのブログでも論及しました]
そしてイギリスの友人イニスたちが編集した Re-Imagining Democracy in the Age of Revolutions: America, France, Britain, Ireland 1750-1850 (OUP, 2014);
Re-Imagining Democracy in the Mediterranean 1780-1860 (OUP, 2018)
という2巻本の共同研究です。
5冊に限定されていますから、これ以外は割愛するほかありませんでした。むしろ
山﨑耕一『フランス革命 「共和国」の誕生』(刀水書房、2018)
三浦信孝・福井憲彦(編著)『フランス革命と明治維新』(白水社、2018)
E.メンドサ(立石博高訳)『カタルーニャでいま起きていること』(明石書店、2018)
といった良書を挙げるべきだったでしょうか。
とりわけ、近年のフランス革命史で一冊だけ挙げるなら山﨑『フランス革命』です。長年の研究教育をふまえ、「正統」か「正当」かといったレベルも含めて、ことばの意味を反芻しながら書き進められる。同じ patriot が1789年の前後で「愛国派」と「革命派」に訳し分けられるといった苦しい方便も、正直に告白なさる。研究史の展開を十分に踏まえておられるのは言うまでもなく、たいへん好感のもてる執筆姿勢です。
最近のぼくなら、これに R. R. Palmer, Twelve Who Ruled: The Year of Terror in the French Revolution (Princeton U. P., 1941; Princeton Classics paperback, 2017) を加えたい。同じ著者の The Age of the Democratic Revolution がダイナミックな国制史だとすると、こちらはダイナミックな革命家列伝。第一章の題はなんと Twelve terrorists to be: 将来のテロリスト12名! ロベスピエールたち公安委員会の採りえた「狭い道」を描いて、国制的前提/思想的な資産と、革命情況の進展、友情と決断を浮き彫りにする。ご免なさい、ぼくは遅塚『歴史の劇薬』より、ずっとパーマのほうに共感できます。
『フランス革命と明治維新』は、タイトルからすると、あの高橋幸八郎的な問題意識なのか、と身構えさせるが、大丈夫、日仏会館の催しで P.セルナ、三谷博、渡辺浩といった論客が、それぞれ言いたいこと/言わねばならぬことをポジティヴに述べたスピーチが収録されています。
『カタルーニャでいま起きていること』はきれいごとでは済まない、ナショナリズムの現状。立石学長さん、多忙ななかで良い仕事をなさいますね。
『フランス革命と明治維新』のうち、セルナの正統派ぶりにはちょっと辟易しました。三谷先生のは以前のお仕事がもとになっていますが、明治「革命」論が明確で、共感します。渡辺先生のトクヴィル論は、実に啓蒙されました。中国を下敷きにした「専制君主のもとでの民主制」論は、ジャコバン研究も本気で受け止めねばならないものでしょう。それにしても、この本が出たのはよいことでしたが、日本史研究から明治維新150年をちゃんと考えたものがどれだけ出たか。
返信削除Yoshiro さん、コメントありがとう!
返信削除フランス革命史講座の正教授セルナが、本書で(p.50 近藤改訳)、総裁政府のもとで‥‥「代表制民主主義」が考案されるが、それはまだ未到達の地平線にあった、と言っていることが、たいへんに重要だと考えます。
徳と恐怖による革命独裁の正しさ/必然性を証明しないといけない、といったこれまでの正統ジャコバン史学の強迫観念から解き放たれている点は評価したい。
なるほど、そういう見方もありますか。どうもセルナについてはよくないところばかり目立ちますので、近藤先生のご指摘をあらためて考えてみたく思います。
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