沖縄・琉球のような所にこそ歴史のエッセンスが現れる。
明治天皇のこのような銅像が、琉球処分後の沖縄県「波上宮」には置かれています。波上宮(なみのうえぐう)は官幣小社として格付けされたのでした。
「
国家」と大書した左に、やや小さく「
睦仁」とみえます。
L'État, c'est moi. 「
国家トハ、朕ノコトナリ」と訳すのが、もっとも原意にかなっていると思われます。cf.『近世ヨーロッパ』p.61.
大日本帝国憲法 第4条では「
天皇は国の元首にして統治権を総覧し この憲法の条規により これを行う」[現代表記]として、元首であり統治権のトップである天皇が、「憲法の条規により」その権限を行使するわけだから、国のかたちとしては独裁ではなく
立憲君主制ですね。かつて「天皇制絶対主義」というコミンテルンの表現もありましたが、これは
絶対主義の近年の研究を予知した(絶対主義の非絶対性!)先見の明ある表現だったの?
法に拘束される君主制、これこそ
モンテスキュ(法の精神)の考えた君主政体(monarchie)です。睦仁陛下の考えた「国家」もまた、法と結合し、名誉というバネをもつ政体だったのですかね? 『法の精神』を再読しつつ、考え込みます。
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