お変わりありませんか。パンデミックの脅威はなおこれからという勢いです。
1918年に合衆国から始まったインフルエンザ(スペイン感冒)について歴史人口学の速水融さんの『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ 人類とウイルスの第一次世界戦争』(藤原書店、2006)が有名です。去年3月にブダペシュトの博物館で印象的だったのは、第一次世界大戦とのかかわりで一室ぐるっと具体的にこの Spanish Flu の脅威が展示されていることでした。(ウィーンにおける)ヴェーバー、クリムト、シーレ、(パリの)アポリネールなど、‥‥そしてぼくの知らない多くの名が列挙されていて、そうだったんだ、と認識をあらたにしました。パンデミックへの先見の明というわけではなく、むしろ第一次大戦(the Great War)への問題意識の強さの証だったのでしょう。
これらとは別に、今春になってから美術史的な観点で執筆された、この記事
→ https://news.artnet.com/art-world/spanish-flu-art-1836843
はムンク(罹患したときの自画像、ただし1944年まで生き延びた)、たった28歳で逝ってしまったシーレ、そして55歳にして基礎疾患の塊みたいなクリムトの、それぞれの自画像を大きくとりあげて、一見の価値があります。もしまだなら、どうぞ。
ぼくたちに近い知識人たちでいえば、辰野金吾が64歳で1919年3月の第二波で、マクス・ヴェーバーが56歳で1920年6月の第三波で急逝したという事実があり、厳粛な気持になります。それぞれ人生の盛りともいうべき時に、無念の死だったでしょう。
とはいえ、こうした人たちと違ってずっと無名のまま生き死んだ何千万の犠牲者たち‥‥は、戦争でなくパンデミックで亡くなった「無名戦士」たちでした。現今の Covid-19 と違って、若年層も容赦なく重症化するのでした。
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2020年7月20日月曜日
Pasmoの履歴 → Zoomで代行?
先日まったく久しぶりに雑草の繁茂する実家(空き家)にゆき、さらに老母のくらす老人ホームに往復しました。庭ではぼくの背丈より高くなったブタクサなど雑草を掻き分けながら、それにしても雨の多い今年の梅雨。晴れの続くころに庭木や雑草と奮闘することにして、先延ばし。
前よりさらに痩せたように見える母ですが、ホームの方々が良くしてくださり、食欲もあります。広島県の弟二人も90歳を越えて、ついに姉・弟三人が90代とあいなり、めでたいといえばめでたい。とはいえ、三人とも遠出は不可能で、互いに相まみえることはできません。ぼくのケータイ電話で姉弟が会話した折には広島弁まる出しで、「江奥小学校の卒業生でわたしが一番[年上]じゃ」とか、ぼくの知らない「[母の母の実家の]○さんのせがれは元気かのぅ」とかいった話題を何度もくりかえすのです。
で、帰途に Pasmo に入金したついでに「利用明細・残額履歴」(100件)をプリントしてみて驚きました。3月14日以来ぼくは電車・バスをほとんど使わなかったのです。
4月には計12回(都営・メトロ・バスと乗り継いだら、それで3回、往復で6回という記録方式です)
5月には計4回
6月には計2回(妻の通院に同行した日の往復だけ!)
7月には歯医者と、この実家・老人ホーム往復だけ(後者は乗換が多いので、回数が増えます)。
なにも忠良なる都民として「ステイホーム」、「自粛」を厳守したわけではありません。自転車や徒歩で移動できる範囲では毎日(外気のもとではマスクなしで)、雨でも出歩いていました。スーパー特売日の買い出しも(時間帯を考慮しつつ)積極的に。それにしても、これほど公共交通機関を利用しなかった月日なんて、東京生活では珍しい。そういえば、外食もしていません。
代わりに、5月11日の初体験から以後、Zoomを利用して、毎週水曜は2コマの大学院授業、不定期に学会の企画委員会や研究会、また N先生の最終講義、早稲田WINE のウェビナーといった催しが続きます。従来からの電子メールの交信も含めると、知的 sociabilité という点では、それなりの刺激は維持しています。とはいえ、face-to-face のあまり合目的でもない挨拶・ヤリトリ、すなわち雑談がないままでは味気なく、さびしいですね。
2020年7月19日日曜日
Go to トラブル
Travel も trouble も平板にカタカナで表記すると「トラブル」ですね。
違いは最初の母音が強い[æ]か、日本語のアに近い[ʌ]かということで、あきらかです。Apple や cat の[æ]か、cut や love の[ʌ]か、です。Cat と cut の区別は間違えようもないでしょう。
後半の弱い音節が「ブル」か「ベル」か、とかろうじて区別するというのは、非実践的な(日本の教室でしか通用しない)まやかしです。-vel と綴っても弱母音なので、「ベル」どころか「ブル」とさえ聞こえず、むしろ「ボー」と聞こえるかもしれない。「アンビリーバボー」と同様です。
英語はとにかく強勢のある音節で識別するので、この場合、最初の音節をきちんと発音しないかぎり、英米人に、というより英語の話者には伝わらないでしょう。
残念ながら、この基礎力は、中学・高校の英語の先生が英語の分かった人だったか、非力をカタカナ英語でごまかしながら授業してる人だったかによって、(あるいは、ラジオ「百万人の英語」で五十嵐先生の音声学を聴いていたかどうかによって)決まってしまうのかもしれません。
で、安倍内閣の(だれが言い出したのでしょう)「Go to トラベル」政策ですが、すでにトラブル続きです。
a)そもそも英語として、Go to travel ... という表現は自然でしょうか。むしろ、
Go out for a trip / go to the countryside / visit friends / come to town
といった言い回しのほうが普通でしょう。
b)憶測ですが、どこかの大臣室に出入りする役人か「有識者」で英語的センス無しの人の発案かもしれません。
Go という動詞はそもそもどこでもいいから(ここではないどこかへ)行ってしまう/姿を消すという意味合いで用いられます。
だからこそ、Gone with the wind で「風とともにレットは去ってしまった」わけだし、
ケンカ腰で Go! と言えば「失せろ」という意味、
曖昧な顔をして Where can I go? と聞けば「ハバカリはどちらですか」という意味です。
「Go to トラブル」内閣のゆくえやいかに? あきらかに some trouble(もしや troubles)へと向かっているのでしょう。
2020年7月10日金曜日
雨と『次郎物語』
未知の新型コロナウィルスに続いて、これまで経験したことがないような雨が連続。「線状降水帯」という語はしばらく前から使われて、理解しやすいのですが、それにしても同じような所で長雨が続くのは勘弁してほしい。
これから書くのは、水害地のみなさんには申し訳ない、九州と雨にかかわる悠長な想い出です。
大分・福岡・佐賀を貫く筑後川(筑紫次郎)。少年時代(中一でしたか?)に読んだ、下村湖人『次郎物語』のいくつかのエピソードをおぼろげに覚えています。イカダを組んで少年たちが川下り、にわか雨で走るかどうか、‥‥。
雨のなかを走るかどうかについては、納得のいかない「算数」あるいは「ギリシア的詭弁」の問題で、もしや以後(日本の)文人たちの論法への不審が芽生えた最初だったかもしれない。
こういうことです。少年たちがたむろしていたあるとき、にわか雨が降り出し、(だれも傘は持たず)何人かは急ぎ駅だか学校だかへ向かって走りだしたのだが、年長の@くんは「走っても歩いてもあびる雨の量は同じだから、走るのは無駄」といって悠然と雨中を歩き通した、というエピソード。そのとき、ぼくにはなぜこれが違うのかは言えなかったけれど、納得ゆかず、以後、雨の日のたびにこの問題が再浮上して悩ましかったのです。
@くんの論法は、(たとえば)学校と駅の間が1000mだとして、100mあたりの単位雨量が u だとすると、この間を走っても歩いてもあびる雨の量は u×10 で変わらない、というもの。
→ もし、雨の量が「単位×移動する距離」で決まるなら、亀さんのようにノロノロ歩いても(たとえ24時間かかっても)u×10 で同じ。古代ギリシアの詭弁家みたい!
そのときのぼくは、あびる雨の量は移動距離でなく(停止していても雨をあびるのだから)、「単位×雨中の滞在時間」で決まるといった反証ができずに、悶々としていたわけです。1分あたりの雨量を r とすると、(たとえば)学校と駅の間を歩いて12分かかる(r×12)のと、2分で疾走する(r×2)のとでは、顕著な差が出ます。【駅前商店街に屋根付きのアーケードとかはない、雨中に走って転倒する事故もなし、という前提。】
下村湖人(1884-1955)は、佐賀で生まれ育ち、帝大英文をでた教育者らしいですが、わがナイーヴな少年時代を悩ませた作家でした。その後もにわか雨で傘を持ちあわせない折には、いつも想い起こされた逸話です。
2020年7月2日木曜日
香港、加油!
中国共産党がここまで厚顔・破廉恥なのは、ウイグル(新疆)やティベット(西蔵)にたいする姿勢でわかっていたことですが、それにしても香港にたいする「國家安全法」(National Security Act)の効果はてきめんです。抗議どころか、コメントや疑問の声さえ封じてしまいそう。しかも香港人でなく、外国籍の者にまで適用が及ぶ、ということは、香港人が海外でおこなった発言・行動についても適用されるかもしれない。恐怖の弾圧法です。
罪刑を具体的に規定しないまま施行するのは、いかようにでも解釈し裁量できるような恐怖を導入するためですね。モンテスキュは『法の精神』で言いました。
「共和国においては徳(vertu)が必要であり、君主国においては名誉(honneur)が必要であるように、専制政体の国においては恐怖(crainte)が必要である。徳はここではまったく必要なく、名誉はここでは危険なものとなろう。」岩波文庫(上)p.82
この「恐怖」を後にロベスピエールは terreur (テロル)と言い換えたのでした。なんと今度の「國家安全法」では、恐怖の習近平政権に対する抗議を表明するデモンストレーションは「テロル」と規定されているのです!! なんという言語的暴力! なんという破廉恥!
コロナ後と香港(https://kondohistorian.blogspot.com/2020/06/blog-post.html)では、1982年にマンチェスタで出会った、快活な香港の正義漢たちの現在を心配しています。
Zoomの不都合な事実(https://kondohistorian.blogspot.com/2020/06/zoom.html)では、中国共産党にたいして弱腰の成長企業・諸国を憂いています。
【そもそも1997年施行の「一國二制度」というレトリックのまやかしに乗ってしまった時のイギリス政府[サッチャ・メイジャ政権]の甘さが悔やまれます。じつは香港・中国利権に目がくらんで、半ばこうなると承知しながら、言語論的まやかしに乗ったのかもしれない、とさえ疑われます。】
香港、加油! 香港、挺住!