すでに10月、中秋の名月です。
春からずうっとせわしなく、慌ただしく、2つほどの原稿は仕上げ、旧友とのリモート懇談や Webinarを楽しむ余裕はありましたが、なにより3月以来ある課題を抱えこんだまま進展がなく、憂鬱な気持がつづいていました。それが28日に人手を借りつつなんとか解決して、ようやく秋の涼風や名月をよろこぶ気分にもなったのです。
そうしたなかで、昨日は若き友人からのメールにて、岩波書店のtwitterにこんな記事があると知らされました。
→ https://twitter.com/Iwanamishoten/status/1310459260334215170
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「岩波書店@Iwanamishoten
1066年の今日、ノルマン・コンクエスト開始。ノルマンディー公ギヨーム(ウィリアム)がイングランドに侵攻、勝利を収め、ノルマン王朝を開きました。征服王朝であるため、封建制に立脚するものの王権は強く、影響は地方にまで及びました。
近藤和彦『イギリス史10講』 http://iwnm.jp/431464
午後3:00 ・ 2020年9月28日・Hootsuite Inc.
愛知地域労働組合きずな@QDdrZLvHCC29HKa
・9月28日
返信先: @Iwanamishotenさん
以前にも書きましたが、中の人は近藤先生から先生が名大助教授時代に西洋史を教えていただきました。元東大全共闘として出された、明日のジョーを文字った、昨日のニャロメというガリ版のビラを講義で学生に配布して戦後歴史学の転換、刷新を熱く語っておられたことが記憶に残っています。」
----------------------------------------〈以上、引用〉
この投稿者はだれでしょう。名前までは想いだせませんが、書いてあることは(忘れていましたが)まざまざと想い出せる事実です。69・70年の退却戦という局面でたしかに「きのうのニャロメ」の漫画イラスト付きのビラを作っていました。それをコピーして77年後半~80年前半(?)くらいに名古屋の西洋史の教材として配ったのでした。
これに類したことは名古屋大学だけでなく、1974~77年に助手でしたので東大西洋史でもいろいろありました。とぎれとぎれの記憶の糸をたどると、学生Sくんは(西川正雄さんの下でドイツ社民党かなにかをやろうとしていましたが)他の何人かとも一緒に、安丸良夫やE・P・トムスンを読んだりしました。
Sくんはときに研究室にたむろしていましたが、ある日、テレビ局から電話の問合せで、「エジプトのピラミッドは正確に東西南北を向いているというが、それは各面がそうなのか、稜線が向いているのか」という質問がありました。ぼくが百科事典のぺージを繰りつつ、「この研究室にはエジプト史の人はいませんので‥‥」とうろたえていると、Sくんが研究室の『広辞苑』を開いて、各側面が東西南北に向いているとのことです、と助けてくれたのでした! 機転の利くSくん、ともに「広辞苑もさすが簡にして要をえたレファレンスだね」と感じ入った場面をいま想い出しています。現行の広辞苑には(エジプトに特化した)そういう記述はありませんね‥‥。
そうした彼が学者先生になるのでなく、故郷に戻って組合専従になるのだというので皆驚きました。同窓会名簿(2012)をみると、その時点では ITUC(International Trade Union Confederation)に勤めているんですね。世界史的な見識を発揮していることでしょう。
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