『岩波講座 世界歴史』第3期が出始めました。編集委員の顔ぶれを見ても、国際交流と歴史教育に熱心に取り組んだ西川正雄さん(2008年没)の遺志が生きています。
第1巻の責任編集と「展望」pp.3-79 は小川幸司さん。
東大西洋史には、最初から高校教員になることを心に決めて進学してくる学生が毎年、何人かづついましたが、彼もその一人で、西川さんを含めて複数の教員が彼に大学院を勧めていましたが、出身県の教員採用を早々と決めて、迷いもない様子でした。その後も、高校教員の講習会の類の集いで再会していました。今年5月の西洋史学会大会の「歴史総合シンポジウム」@Zoomではいかにも明るく快適そうな空間に笑顔でいる小川校長の姿を見て、嬉しくなりました。
その「展望」:「〈私たち〉の世界史へ」は書き出しから力強く読者を惹きつけます。そのうえ、福島県「双葉郡の消防士たちの「3・11」を私たちがまとまった形で知ることが出来たのは ‥‥ 吉田千亜のルポルタージュ『‥‥』が世に出たからであった」というセンテンスにより、導入章の重要な論点の一つが説得的に呈示されます。2021年に刊行開始する『岩波講座 世界歴史』の巻頭にふさわしい「展望」と受けとめました。
続く佐藤正幸さん、西山暁義さんの章からもあらためて教えられるものがありました。
(p.18以降で)ヘロドトス、トゥキュディデスにおける historia とは「調査・探究(の記録)」だというのは、何度でも強調すべきことと思います。Oxford English Dictionary も英語の用例の調査探究を踏まえて history(何ぺージにも及ぶ長い項目です)の語義として、大区分Iで「事象の語り、表象、研究」とし、IIでようやく「過去の事象およびその関連」としています。そのI、IIの順番(逆ではない!)に感銘して、拙稿「文明を語る歴史学」『七隈史学』2017 の書き出しで、そのことを指摘しました。
なお、近藤への言及(p.40など)に関連して、些細なことかもしれませんが、大塚久雄の「代表的著作」として『欧洲経済史』と『社会科学の方法』が挙がっていますが、前者は戦後の平板な教科書です。むしろ、パトスと構成力からいって『近代欧洲経済史序説』(1944/1969:戦中の遺書!)を挙げるべきでしょう。
誤解してほしくないので一言そえます。ぼくは1950年代以降の日本で大塚・高橋史学のはたした役割はアナクロニズム(インテリのサボタージュ)だと思います。しかし、戦前~農地解放までの大塚たちを糾弾する気にはなれません。ごまかしようもなく貧しい日本の現実を見つめ、先行研究から学び、分析し、真剣に考えた強靱な知性であり、この姿勢から学ぶことなく前進することはできません。
「オクシデンタリズム」という語は今でも堅持したい表現です。しかし読者には説明なきままで唐突かもしれず、むしろ「特有の道」(特別の道)論議と日本近代史論議との同時代性・類似性をはっきり示すことに重点をおいて文体に手を入れました。その結果、『イギリス史10講』pp. 289-290 では13刷(2020年)以後、オクシデンタリズムという語が消えました。ペリ・アンダスンなどニューレフトの自国史批判 - 今日のイギリスに問題があるとしたら17世紀以降、近現代史を通じて「本当の市民革命」がなかったからという論理 - は、「あたかも日本近代史についての大塚久雄・丸山眞男の口吻さえ想わせるほどである」と、無理のない文にしました。
グローバル・ヒストリーとか connected とか言っても言わなくても、具体的に、同時代的な問題と議論(言説)が他所/ひとにもあったのだと知る=気づくだけで、自分だけの経験(不幸!)と思いこんでいたのが相対化され、楽になります。
トゥーキューディデースはἱστορίαを一切使いません(書名のἹστορίαιは当人がつけたものではないと思います)。相当する語としてζήτησις[「調査」]を用います。ἱστορίαにはヘーロドトスの色が着いていると感じていたのであろうと思います。
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