9月のアイルランド・ブリテン旅行から帰国してすでに1ヵ月。今日は、木枯らしのような風に落ち葉が舞っています。いつまでも呆けているわけには参りません。
いずれしっかり具体化しますが、印象の強烈度からしても、ベルファストから北上して北端の海岸にある Giant's Causeway (巨人の土手道/踏み固めた道)こそ、圧倒的で、写真で見ていたのとは迫力が違い、それこそ百聞は一見にしかず、でした。
地質学的には、何百万年(何千万年?)前の火山/マグマ活動の結果が今、柱状節理(columnar jointing)として残っている所です。北大西洋の海嶺から東へと地殻が変動するうちに、吹き出したマグマが地表で冷却し、また雨水の浸食を受けて、6角形の柱のようにヒビが入り、それが壮大な絶壁の風景としてアイルランドの北端に連なっているわけです。
NHKの「ぶらタモリ」では紀伊半島南端の大火山跡の柱状節理を訪ねたことがありました。予算さえつけば、タモリさんも本当はここに来てみたいでしょうね。スケールが違います。
先史のアイルランド人(Scots)は、ほんの30kmほどの海峡を渡ってブリテン島の北端に移住したので、今はそちらがスコットランドと呼ばれています。古代人の想像力の世界では、この6角形の節理の連なりこそ、アイルランド島からブリテン島に渡った巨人の通路=足跡、というわけです。
Amphitheatre(半円形の劇場・盆地)という渾名の付いている湾の入口まで歩いて、向こうを見上げると、断崖絶壁の上に豆粒より小さく、上半身裸の男が(あまりのスケールに怖いので!)座り込んで、北の海を眺望しているのが見えました。同じ写真の上右の細部を拡大してご覧に入れます。
『イギリス史10講』p.31 このあたりは中世前半のキリスト教の重要地点でもあり、ヴァイキングの常用航路帯(sea-lane)でもあり、17世紀には逆にスコットランドからプロテスタントのアルスタ移民が渡った海峡です。ウィリアム3世の足跡も。フランス軍の上陸作戦も。またロマン主義の時代には、メンデルスゾーンの「スコットランド旅行」もかくや、と想像力をかき立てられます。18世紀の亜麻産業からグラスゴー、マンチェスタの産業革命へ、そして20世紀にはベルファストの造船・タイタニック‥‥ぼくが若かったら(40歳以前だったら!)この地域/海域に焦点を合わせて壮大な歴史を書けたかも‥‥
余計なことですが、むしろ兵庫県豊岡市の玄武洞の方が良く一致するようです。
返信削除1807年、幕府の儒官・柴野栗山が、柱状節理を蛇に見立て、平面状に並んだ六角形を亀に見立て、この場所を「玄武」と銘々、1884年、東大の小藤文次郎博士がこの場所の岩を「玄武岩」と名付けた、とあります。