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2013年3月31日日曜日
『青春の一冊』?
これが共著というのは恥ずかしい。この「信山社新書」は、要するに数年前に『東大新聞』に寄稿したコラムが編集されて一冊の新書になった、ということに過ぎません。ぼくの『資本論』というコラムは、去年の3月20日の催しに来てくださった方々に受けとっていただいた『いまは昔』(非売品)に所収のものです。
ただし、そこにあった誤植は訂正され、また編集部から「仕上がりで1行減らすよう」要望があったので、それにともない、モタモタした部分を添削しました。趣旨もトーンも変わらないが、ほんのすこし文章として改善された、と考えています。
むしろ読者としての楽しみは、他の皆さんの文章です。一番年長は佐々木毅さん(元総長)、続いて五十嵐武士さんかな。塩川さんや吉田さんなど団塊が多いのは当然として‥‥、若いのは塚本昌則、阿部公彦、赤川学といった方々。東大を退職されて、いまは?という方々の現職を知る手がかりになる場合もあります。
理工系がやや少なめで、東大文学部と駒場の関係者が多いのは、自然でしょうか。それにしても、小冊ながら島薗進さんのように率直な文章を読めて良かった、と思わせる本。
ぼく自身の率直な述懐といえば、むしろ近刊の
・「70年代的現象としての社会運動史」『歴史として、記憶として』(御茶の水書房、4月刊)、そして
・「礫岩政体と普遍君主:覚書」『立正史学』113号(5月刊)
のほうにしたためました。島薗さん言うところの「ものごとを見通す枠組」を求めて、「煮えたぎるような思いを冷静にふり返るために、他者の生涯や思考・信仰の歩みをまなぶ」という方法の試みは、そう易々とできることではなく、年来の『イギリス史10講』の課題です。
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