『二宮宏之著作集』最後の配本、第3巻が到来。編集の方々、お疲れさま。
計5巻の編者「解説」をならべてみると、筆者それぞれの人柄と現況が反映している、あるいは、ごまかしようもなく表現されています。
最終配本=第3巻では、1) 例の「統治構造」論文をめぐって、「上向過程」「下向過程」とは、「背景は実は高橋史学なんです」と、たしかに二宮さんご本人は言っておられた。しかし、それをまた p.430で口移しに繰りかえされるのを読むと、うれしくはない。
2) なおまた p.431には喜安さんの発言として、「‥‥二宮氏は師たる高橋氏が踏み込むことをしなかった権力秩序の問題に取り入れていき、師の論理構成をそこに生かしている」と引用しています。どちらについても、ぼくは初出以来とても落ち着かない気持で読んでいました。
1) の「上向」「下向」とは、高橋より先に、たとえば大塚『近代欧州経済史序説(上)』(1944)の序でも言われていることです。しかも大塚の場合は「これが先例のないことではない」と、読者の常識を試し、また特高検閲官に挑戦していたんです。
若者たちのためには、あらためて記したほうがよいでしょうか。マルクス『経済学批判序説』の「方法の問題」なのですよ。そして、そうと二宮さんが言わないことにどういう意味があるのか、と読者は再考すべきなのではないでしょうか? 新宿高校時代からマルクスを読んでいたという二宮‥‥。
2) 権力秩序の問題は、ホッブズやロックや18世紀の moral philosophy の主要課題です。高橋学派=講座派は距離を保っていたかもしれないが、日本では戦前から市民社会派の学者が取り組んでいました。【別の文脈で水田洋が、丸山真男は結局ホッブズ問題を理解していなかった、と喝破しています。】
なんだか、ぼくは『二宮宏之著作集』の編集についても、喜安さんについても、「大丈夫? お元気ですか?」 と尋ねたい気分です。
添えられた「月報」もまた情報ゆたかです。合庭惇さんがブロック『封建社会』の翻訳をめぐって堀米・二宮(歳の差は15歳)の信頼関係を例示してくださったのは、すごくいい。
しかし、「月報」のいろいろなところで大塚史学末期の忠臣たちにも似た口ぶりを耳にし眼にするのはつらい。西永さんの言うとおり「間違っても失言、放言、暴言などは口から出ない」とは真実だけれども、二宮さんは、お釈迦様でもイエス様でもない。人間として敬愛はしても、神仏の「福音」か「託宣」のように上げ奉るのは、ご本人が望むところではないでしょう。
p.436 には「われわれは、二宮社会史が成し遂げてきたことをあらためてしっかりと噛みしめながら、われわれ自身の思索の歩みを続けて行く糧としたいものである」とあるが、これは他人事ではありませんよ。ただの「挨拶」としてでなく、文字どおり、本当に我々に課された課題と受けとめて邁進すべきです。「‥‥としたいものである」とか「‥‥具体的な研究成果の登場が待たれる」といったスタイルで書いていて良いのだろうか。
‥‥というのが、ぼくの卒読 第一印象です。
じつはすでに2007年には外語大の Quadrante によせて、こんなことを認めていました。
→ http://coocan.jp/bbs/Quadrante
歳を重ねて、二宮、遅塚、柴田という順の死を迎えて、ぼくは友人、信頼する知己に(友情と信頼あればこそ)遠慮なく公言すべだきと考えるようになりました。妄言多謝です。
なお、ちなみに『岩波講座 世界歴史』第16巻(1999)では、上品に(気どって!?)書いた大事な箇所について、文意が取れなかった読者から「両論併記、どっちつかず」などという感想が伝わってきて、びっくりしたことがあります。
→ http://coocan.jp/bbs/NON SUFFICIT
単刀直入に言わないと、わかってもらえないことが増えましたね。
というわけで、こちらも参照してください(2013年3月 京都・大阪にて)。
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