学問的には充実した1年で、中澤達哉(編)『王のいる共和政 - ジャコバン再考』の1章も仕上げましたが、それとは別に春から、E・H・カー『歴史とは何か 新版』の翻訳に取り組みました。両方とも岩波書店です。
「歴史とは、歴史家とその事実とのあいだの相互作用の連続するプロセスである」とか、
「歴史とは、現在と過去のあいだの終りのない対話である」といった、印象的で上手な説は人口に膾炙していますが、それで終わる本ではない。もっと深い学識と、未来への理性的な投企が宣言された書でもあります。カーが講演の依頼を受けてただちに、最初の粗稿をアメリカへのリサーチ旅行の船上でしあげ、その後、1年半にわたって熟成し、十分に準備して、ケインブリッジ大学の講義棟を一杯にして行われた講演です。
BBCラジオでも放送され、『リスナ』誌に連載され、その年内に公刊した、勢いある講演録でした。新聞の論説委員もBBCの講演も十分に経験しているカーですから、そして言いたいことが一杯あるカー先生でしたから、そのこと(頭のなかでバズっていること)が読み取れないままでは、なんだか古今の引用の多い - ときにはラテン語の詩やフランス語の科学論まで、訳されないまま出てくる - 難解な書という印象しか残らないのではないでしょうか。
ぼくは名古屋大学でも東京大学でも立正大学でも、それぞれ1年分だけ演習で読んだことがあります。いずれも(一部の)学生の反応はたいへん良かった。しかし、難しい(よく分からない)という反応も必ずありました。ぼく自身もよく読めているのかどうか自信を持てない箇所がいっぱい。
コロナ禍で鬱々とする日夜がつづく間に、思い立って、前々から話のあった『歴史とは何か』の第二版をきちんと正確に(講演なのだから)よくわかる日本語にしよう、という気持をかためて岩波書店と話をしてゴーサインが出たのが、今年の3月。以来、考えていたより時間はかかりましたが、今は初校ゲラを抱えています。
しっかり読み込むと、クローチェをアメリカに紹介した Carl Becker がコーネル大学であの R. R. Palmer を研究指導した(!)といった関係も発見し、なにより巻頭に出てくる『ケインブリッジ近代史』のアクトン教授が、最初だけでなく何度も何度も、数え方では17回も言及されるのは何故か、今回はじめて分かった気になりました! 嬉しい(再)発見の多い本です。1961年12月に刊行されて、ちょうど60年ですが、全然古くなっていないどころか、あらためて69歳のカーの意志の強さに感銘します。当然ながら執筆刊行中だった『ソヴィエト=ロシアの歴史』をいったん停止してまで取り組んだ What is History? ですから、内容にふさわしい訳本とします。訳註もたっぷり付けます。見開き左註で、見やすい版面にします!
あす元日の『朝日新聞』に出る岩波書店の広告に、『歴史とは何か 新版』の2・3行も引用されるそうです。どんなデザインか、ぼくもまだ知りません!