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2013年12月29日日曜日

クリスマス休暇をねらって?

 風邪と咳で苦しみ、年末のお仕事を片づけることができず、何人もの方々にご心配をおかけしました。まだ完全には復帰していません。

ところが、その間にも安倍晋三首相は、世界的にメディアがクリスマス休暇に入っていると踏んで(?)靖国参拝という愚行を実行し、これまで参拝できなかった「痛恨の極み」をはたし、日本の保守政治の呪われた宿命をあらわにしました。
安倍首相は日本資本主義の総帥であるよりも、ナイーヴなガラパゴス右翼の虜なのですね。なぜなら、

1. 西郷を国賊として排し、東条を英霊として合祀した靖国に参ることによって、首相は天皇陛下の歴史観と公けに対決しています。今上天皇は一度も靖国に参ったことはなく、昭和天皇は、靖国がA級戦犯を合祀した1978年以来参拝していません。
アジア太平洋戦争の開戦が愚かな国際政治の企てだったとして(それは今はおきます)、その終結の機を失い、ダラダラと後のばしにしたことによって、特攻隊もアジア各地の玉砕兵士も、また昭和20年3月の東京、大阪、名古屋をはじめとする全国の都市の空襲犠牲者、そして究極の広島、長崎、そして満州の犠牲者を無駄に増やしたのです。そうしたことの責任者=「英霊に哀悼の誠をささげ、尊崇の念を表する」とは、どういう意味なのか。まともな知性をもつ大卒者とは考えられない。
自民党右翼だけではありません。マスコミも問題の深刻さを認識していないんじゃないか。近現代日本がどれだけ有為の人材を無駄死にさせつつ突進してきたか、その責任を再確認する必要があります。

2. この問題について、歴代の官房長官のうちでも、クールで実際的な野中広務とか、福田康夫とかは脱宗教法人、国立追悼・平和施設といったことを提案してきましたが、フォローは乏しい。「政治は票だ」、「遺族会や右翼の票田を失うわけにゆかない」というだけでなく、三木武夫首相のころから/橋本龍太郎首相のときから(陰に陽に?)「怖い方面」からの脅迫・強要もあったのでしょうか? 明らかにしてほしい。

3. 無念なことに、戦後の民主日本は、ドイツ連邦共和国とは本質的に異なる道を歩むこととなりました。ナチス処罰とヨーロッパ統合という形で、近隣との呪われた関係を克服する道を選んだドイツ。公然と戦犯【開戦の責任者というより、むしろ終戦を決断しなかったリーダーたち】を哀悼し尊崇することによって、愚劣さを世界中に発信する安倍首相。
これでは「なにが決められない政治の克服だ」と言いたくなる。「世界」とか「普遍」とか「レゾン・デタ」とか「法」といったことを、大学時代にも、議員になってからも考えたことがないのだろうか。きみの父君の場合は、もうすこし国際感覚があったんじゃないの?

愚かな国民には、愚かな政治がふさわしい。

2013年12月22日日曜日

岩波新書 『イギリス史10講』 をもって


 お待たせしました。ほんとに刊行されました。
http://www.iwanami.co.jp/cgi-bin/isearch?head=y&isbn=ISBN4-00-431464
→ この画面で、右下の More Info をクリックしてください。
編集担当者によるメッセージと目次のページが開きます。

 21日、穏やかな土曜の午後に、柴田家に参って小冊を献呈してきました。
御遺影と対面して座すると、万感あふれてしまいましたが、
ご夫人はぼくをそのまま一人にしておいてくださいました。

「これで[本が出て]楽になったでしょう」というお言葉ですが、そう、前向きになれます。
累積する未決課題は多いのですが、積極的な気持でいます。

 おみやげに、なんとぼくの学部5年のときのレポート2つ(1970年5月5日という日付)
・「パリ、2月革命期における蜂起主体の社会的構成」
・「1848-49年革命の敗北とマルクス・エンゲルスによる教訓化
  -プロレタリアート党の独自的運動・組織化の提起」
をいただきました。
出席回数ゼロでしたが、単位をいただいたものです。
どちらも脚註つきで横書き原稿用紙23ページの力作!?
それぞれ先生の手で「80°」という評点が付いています!
捨てずに取っていてくださったのですね。

2013年11月26日火曜日

ルカーチ 『 歴史学の将来 』


このところ多事多端で、必要最低限のやりとり以外は、あまりウェブの世界も眺めていなかったら、
今晩、偶然にこんなページができているのを発見。いつから登載されているのか、わかりませんが。
http://www.msz.co.jp/news/topics/07764.html

最新刊のジョン・ルカーチ『歴史学の将来』(みすず書房)について、カバー写真、編集者の思いと関連書誌情報が載っていて、有益です。
ぼく個人としては、
ちょうど2年前に編集者が本郷の部屋に現れて、「まずは読んでみてください」と、本と New York Review of Books を渡されて(しかたなく)読み始めたのです。それが良かった。
1) historia とは「語り」であるより前に「調べてえられた知」だと明言したうえで、
2) 返す刀で、一次史料に取り組んだからといって、その成果を「役人が書くように醜い文章で」発表して恥じない凡庸な専門家にたいして、それでよいのかと叱咤激励し、
3) さらには「言語論的転回」の波に溺れて、「韻律の最新理論」を紹介するだけで、ご自分の「叙事詩」を産み出そうともしないヤカラを批判する、
そうしたルカーチは、禿頭の老先生かもしれないが、親近感をおぼえます。

さすが、みすず書房。品のある美しい造本です。

2013年11月15日金曜日

D くん

拝復

 多色彩の初校ゲラ 306 pp. を戻したら、再校ゲラは 310 pp.になって帰って来ました。つまりどこかで行がはみ出してしまったのでしょう。もとの306ページに戻さないと、索引のページが無くなります!

 ところで、Dくんの御メールのとおり、たしかに『10講』で礫岩という用語を数度つかいますが、それにしてもこれは conglomerate のみを視点にした単純な本ではありません。たしかに(イギリス史については明示的に)絶対主義という語の使用に反対しています。関連して、アメリカ史における「巡礼の父祖」伝説や、独立宣言における absolute despotism/tyranny への攻撃は、ためにするゾンビへの攻撃と考えています。
とはいえ、これらは『10講』の多くのイシューのうちの1つに過ぎず、他にもおもしろい論点は親と子、男と女といったことも含めてたくさん展開しています。

 御メールはさらに、次のように続きます。

>「歴史的ヨーロッパにおける複合政体のダイナミズムに関する国際比較研究」は、人間集団の政治性獲得のモメントを重視し、中世から近代へ「政体」のダイナミックな変遷をおうものと理解しています。
> 例えば、‥‥あたりで、それぞれの時代における「帝国的編成」との比較でコメントを頂くのも一興です。

 うーん、「帝国的編成」となると、ますます「ある重要な一論点」でしかないな。
通時的には「ホッブズ的秩序問題」を心柱にして叙述し、
同時代的には、たとえば1770年代のアメリカ独立戦争をアイルランドのエリートたちが注視し、
19~20世紀転換期アイルランド自治の問題をスコットランド人もインド人も注視していた、といった論点は出していますが。

 研究者の顔を意識した「問いかけ」もあります。一言でいうと、そもそも『イギリス史10講』は、二宮史学、柴田史学との批判的対話の書なのです!(これまで小さく凝り固まっていた分野の諸姉諸兄には、奮起をお願いします。)

>‥‥composite state や composite monarchy といった議論がまずは
> イギリスの学界で展開された議論だったことに関心を払う必要もあるようです。

 そうかもしれません。が、重要な方法的議論は英語で、という傾向が歴史学でも1980年代から以降、定着したということかな。
もっとも「1930代~40代のイギリス・アメリカ(とソ連)が旧ドイツ・オーストリアの知的資産をむさぼり領有した」こと、
「英語が真に知的なグローバル言語になったのは、このときから」といったことが、事柄の前提にあるわけですが。
イギリス史10講』では、戦後レジーム成立過程における人・もの・情報の「大移動」も指摘してみました。
S・ヒューズ『大変貌』にも示唆されていますが、1685年以後の名誉革命レジーム成立過程における(対ルイ太陽王)人材移動も視野において言っています。

 これまでの歴史学のアポリアが少しづつ解決してゆくのを、ともに参加観察するのはよろこびです。個人的にも、積年の「糞詰まり状態」を解消して、快食快便といきたいところです。単著ではないけれど、お手伝いしたルカーチ『歴史学の将来』(みすず書房)や『岩波世界人名大辞典』などが公になるのは、爽やかです。収穫の秋です!

2013年11月14日木曜日

拝復

Aさん
 お久しぶりです。メールをありがとうございました。

 じつは7月から以降10月まで、校務や学外公務や91歳の母親のことはそこそこに(済みません!)、『イギリス史10講』優先の日夜を過ごしていました。岩波書店は、脱稿から初校、再校、校了にいたる日程表を、それなりに余裕をみて組んでくださったのです(11月でなく12月発売、といった具合に)。しかし、やはり実際には「火事場」とまでは言わないが、ドタバタしています。
 大学入試や中国・アメリカ出張もありましたが、本当に入稿してよい原稿はぎりぎりまで改訂して、最後の最後の部分を出したのは10月14日。長く暑い夏でした。
 すでに2色刷りの初校ゲラも戻し、図表の整頓、カバー関連なども済ませましたが、ホッとするまもなく、今週末には再校ゲラが来るはずです。本文とあとがきで306ページ、巻頭の目次、巻末の索引が加わって、岩波新書としてはたいへん厚いものとなります。
 爽快に書けたうえ図版ともうまくマッチしたと思われる箇所もあり、逆に中途半端で心残りの箇所もあり、複雑な気持です。そうはいっても、もう延ばすわけには行かず(Now, or never!)、思い切りました。足りない所は今後の仕事ですこし構えを変えて取り組んだほうが合理的かもしれません。

 一言でいうと、ぼくは戦後史学、柴田史学、二宮史学から大いに学んできましたが、それを部分的でなく根本的に乗り越えたい。ただ大きな歴史をすりぬけ、スキマ産業に従事して了とするのでなく、代替すべきものをみずから産み、呈示したい、という気持に支えられてきました。あらゆる部分が柴田先生(およびイギリスの実証史学)との対話です。
 Aさんとは『近代世界と民衆運動』(1983)が出版された直後から、その野心に感心しつつも特定箇所について似たような批判的発言を重ねてきましたね。『フランス史10講』(2006)については、むしろ全体の構えに不満がありました。今度の『イギリス史10講』はこの異なる性格をもつ2著にたいする、両面的な対話です。本文最初のページをくって直ぐに(p.4) こう述べます。

  歴史とは現在と過去の対話であり、また将来を見すえた歴史家の語りであるといった
  のは、E・H・カーである。『イギリス史10講』も、今を生きる歴史家が過去の事実
  および研究とくりかえす対話であり、イギリス史を語りなおす試みである。

「過去の事実および研究とくりかえす対話」とは生じっかのものではありません。やはり年末に出るルカーチ『歴史学の将来』(みすず書房)もくりかえし述べるとおり、historia とは「調べること、そのうえでの語り」ですし、research とは何度でも調べなおすことです。こちらがええかげんでは対話できません。
 岩波新書なので(またすでに十二分に厚いので)註はありませんが、分かる人には分かる書き方をしたつもりです。また今年度末の『立正大学大学院紀要・文学研究科』に長い註釈を載せて、論拠を明示し、誤解の余地のないようにします。

 急に寒くなりました。けやきの街路樹がきれいに色づいています。
 12月20日に見ていただきます。どうぞお元気で。

2013年11月1日金曜日

『10講』のもくろみ


12月20日発売の岩波新書ですが、その第1講に「本書のもくろみ」として、こんなことをしたためています。 → といっても、今このブロッガーが写真(.jpg、.png)などを受け付けないので、こちら http://kondo.board.coocan.jp/bbs/ で校正ゲラのごく一部をご覧に入れます。

 今回の著書は『フランス史10講』『ドイツ史10講』との共通了解があって始まった本ですが、じつは相違する点も大きいと考えています。
 戦後史学やホウィグ史観の批判、歴史の作法、etc. 長らくもろもろのおしゃべりが続きましたが、実際の作品(praxis)としてどれほどのものが生れたでしょう。『イギリス史10講』は、そうした情況にたいするポジティヴな発言でもあります。
 岩波新書だからといって、あなどるなかれ。

2013年10月31日木曜日

新刊予定3冊

いま出ている月刊『図書』の巻末に「12月刊行予定の本」として、ぼくの関与した本が2冊並んでいます。

1つ目は『イギリス史10講』(岩波新書)(ただし272頁というのは間違い、300頁を超えます)
2つ目は『岩波 世界人名大辞典』(こちらは項目選定と執筆)
この世界人名大辞典の関連で、『図書』コラムに後藤さんが執筆しておられます。

なおまた、3つ目で出版社は違いますが、
J. ルカーチ『歴史学の将来』(みすず書房)も巻末の「解説」を担当しました。
こちらは支障なく進めば、11月に刊行です。

1つ目は16年がかり、2つ目は数年がかり、3つ目は1年弱の仕事でした。

2013年10月20日日曜日

『 イギリス史10講 』

秋らしく涼しい日々となりました。気温が下がって、しっかり着込まないと寒い!

ところで、ご心配の皆さまへ近況ですが、

『イギリス史10講』(岩波新書)はようやく脱稿し、
今、印刷所からばらばらと初校ゲラが到来している状態です。
あとがきは、ハーヴァードの図書館 H.E. Widener Library で10月1日に仕上げました。

16年越しの仕事になりましたので、ふりかえって感慨深いものがあります。1997年夏(というと、ナタリ・Z・デイヴィスを送り返した直後でした!)、岩波書店の企画会議に出された柴田先生のメモについても、あとがきで一部を引用させていただきます。
『10講』の基本的構成は『ドイツ史10講』『フランス史10講』と同じく、15世紀までで3講、16世紀以降で7講を用いるのですが、じつはいろいろな点で既刊の『10講』とは違う特徴があります。意図的に変えました。そのことについては、おいおい。
http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_toku/tku0302.html

岩波新書としては破格の厚さとなってしまいました!
12月20日発売という予定で進行中です。

ご心配をおかけしてきましたので、あらかじめお知らせしておきます。

2013年10月9日水曜日

日航 B 787 と映画

無事、東京の蒸し暑い10月に帰着しました。

ところで往復とも話題の日航の Boeing787 でしたが、座席も快適。ちょっとした作業もできて、行き(成田 → ボストン)は飛行機のなかで約2時間+30分寝ました。
トイレも工夫されて(大きな鏡を2面に張り)清潔、気持ちよい。
これでバッテリ関連のトラブルというのは、かわいそう、という感想です。
JALの食事も、最初の昼食は機内食でこんなに美味しいもの!と驚くほどおいしいものでした。
野菜が生・和え物・加熱と3種類。
機中で、The Great Gatsby も見ました。これは F.C. Fitzgerald 原作(1925)で、DiCaprio 主演とはいっても、あまり楽しめない作品。原作自体の問題かも。

復路(ボストン → 成田)の食事は、期待が大きかっただけに幻滅。ボストン地域のケイタリング業者のセンスのなさ、ということでしょうか?
映画は Une estonienne à Paris. これが和名「クロワサンで朝食を」になるとは!?
いくら反知性的でオブラートにくるむ日本文化とはいえ、これでは見るべきインテリ・学生が見ようとしないではないか。英題 A lady in Paris は事柄の半分だけ伝えています。
一言でいえば、
老境のジャンヌ・モロ(1928年生)の「サンセット大通り」+パリにおけるエスニック・コミュニティの問題 
往路の「ギャツビ」のけたたましく虚しい大騒ぎにくらべて、なんと静かでゆったりとさびしいんだ。どちらも主人公は我が儘ほうだい、とはいえ余韻は後者のほうがはるかによい。老い(と記憶と友情≒許し)がテーマです。
(う~ん、やはり写真は登載できませんね。)

2013年10月5日土曜日

旧知の先生方

今回のコンファレンスの利点の一つは、アメリカの進歩的歴史家たちに会えて話を聞けること。
なんと、MARHO, Visions of History『歴史家たち』におけるインタヴューアの一人 Michael Merrill がいる。同じ『歴史家たち』のJohn Womack が名古屋大学出版会の漫画のような青年ではなく、今にも倒れそうな老人として現れたのには隔世の感。
とはいえ、話し始めると、さすがJohn Womack, だれかが「時間だ」とかいったのにたいして、別の(ぼくの隣の)女性が大きく No! といって昔話、意味のある昔話を続けさせました。
『歴史家たち』のウォーマック翻訳はぼくが担当したけれど、(院ゼミでも読みましたね、安村くんもいました)メキシコ革命だけでなく Harvard におけるラテンアメリカ研究全般についての研究指導をしていたんだな。E.P. Thompson か Perry Anderson かというのは、68年世代にとっては共通のイシューです。
Albion's Fatal Tree の Cal Winslow と奥さん、それから丸山眞男を知っている Charles Maier とか。
ぼくの場合は(若い世代の軽薄な-というか思いつきでしかないような-報告よりは)年季の入った中高年の渋い話のほうが、よほど聞き甲斐があります。Moral economy という、人を惹きつける用語は catchword としては良い。もっと今日の世界経済、将来の政治社会を考える助け(準拠枠)になるような概念がほしい。

なぜか写真を登載できませんが(もどかしい!)、コンファレンスの様子は、リアルタイムで世界のどこからでも見られるとのこと。 お試しください。↓ 東海岸で土曜の8:30~(日本時間との差は13時間)。
(http://bit.ly/18cpE73)
http://www.ustream.tv/channel/global-e-p-thompson-conference-harvard-university-october-3-5-2013


今晩は、主催者の一人 Sven Beckert のお宅で House dinner (といってもケイタリングサーヴィスの全面出前). 息子さんも一緒に皿をつつく、という設定。
市橋さんとともに徒歩にて寄宿。

2013年10月2日水曜日

ハーヴァード大学

 直行で12時間半!イギリスより遠いフライトの後、はじめてボストンに降り立ち、Cambridge, MASS. に来ました。 晴で、涼しい。
やや古めのホテル、大学キャンパスのほぼ中心 Garden Street に荷を解きました。
LANおよび無線の環境は良いみたい。
しかし、日本との時差13時間遅れ、というのは、調子狂います。

 17世紀にイングランドの Cambridge大学(Emmanuel College)を卒業した
牧師ハーヴァードさんが Harvard College 法人を生前贈与したので、
町の名もそう命名された、とかいったことは承知していましたが、
来てみれば、本家に比べて中世要素がない分、近現代にがんばって、
広々とより大きく育った分家、という感じ。

 ところで米国のケインブリッジは、英国のケインブリッジに似た大学町で
人口10万あまりですが、違いは、
1) 建物がちょっと大きく、道も広い。
2) 大都市ボストンから 5km ほどなので、スーパーとか量販店とかいったものが見あたらない。
3) 大学関係じゃない人口もそれなりにいるようです。はるかに多文化で、スペイン語、ロシア語、そして中国語が乱れ飛ぶ。こじき(物乞い)もいるが、それぞれ Change, change, change, とか歌ったり、そぼくな楽器(せいぜいカスタネット)をならしてパフォーマンスをしている!
 人びとは比較的おだやかで(全米とはちがう特異なエリート都市だから?)、信号も守るし、今のところイヤな思いをすることはありません。(この感想は中国旅行の直後だから?)

 宿から繁華街(といってもこじんまり)Harvard Square および大学中心 Harvard Yard までは徒歩で500mほど。川までは1キロかな。
地図の左上に Sheraton Commander Hotel(1775年に司令官 George Washington が将兵を鼓舞した所とのこと), 右上にコンファレンスのある CGIS, 手前に Charles 川。

 歴史的な Harvard Yard 構内でも威容を誇るのが図書館 Widener Library です。
なんと1912年のタイタニックで亡くなった息子(卒業生)を悼む母親が、寄贈してできあがったとのこと! アメリカ人の富は規模がちがう。写真のとおり、大階段を強調する設計思想です。

申告したら、簡単に利用票(3カ月有効)をつくってくれました。

2013年9月30日月曜日

『上海』

 皆さま、
 まったくもってご無沙汰です。
 この夏はたいへんな暑さもありましたが、諸々が重なって多事多難でした。しかもこの9月後半は中国(上海、天津、北京)、現在はアメリカ(Cambridge=Harvard)と、東奔西走中です。

 中国は、科研による租界調査の旅行でした。中国はすごいインパクト。世界史観が変わりそうなくらい。まだ整理がつきませんが、考えたことの一端を。
 7泊8日の充実した旅行を終わり、26日(木)夜に北京から羽田に着きましたが、モノレール内でメンバーの一人が(遠慮がちに?)寄ってきて、横光利一『上海』の岩波文庫本の解説文を示してくれました。
「上海はリヴァプールにならって作られた。」
 ぼくの反応は「えっ」という二重の驚きでした。第1に、「今回の旅行を着想したアイデアが、いとも簡単にオリジナリティを否定されてしまった‥‥」というもの。
だれでも思い付くことなのか。ただし、この解説者は根拠を示さないままです。
 第2には、「ぼくも文庫本を持っていたのに、この箇所に気付かないままだった。ぼくの目はフシ穴だったのか‥‥。」
 さて、金曜は勤務先の授業3コマを消化。土曜は重要な校務。その夜、ようやくに徒歩7分のオフィスに行って(ハーヴァード関連の物を回収するついでに)ぼくの『上海』文庫本を手にしました。
 意識していなかったが、ぼくの『上海』は講談社文芸文庫なのでした。装丁の雰囲気は似ている。∴上述の解説文を認識していなかったからといって、必ずしもぼくの眼力か知力の衰えの証というわけではなかった!
 講談社文庫では、横光の息子が父の想い出を、解説を菅野昭正がしたため、最後に「作家案内」と「著書目録」が収められている。岩波文庫より充実しているかも。
 菅野の解説(1991年ないしそれ以前に執筆)はさすがで、死ぬ前の芥川が横光に「上海を見て来い」と言ったこと、横光の文に
「芥川龍之介氏は支那へ行くと[ひとは]政治家になると言っている。これには僕も同感である」
というのがあると記しています。横光は39年に上海を再訪して
「ここほど近代という性質の現れている所は、世界には一つもない」
とまで記したということです。
 ここから先は菅野の表現ですが、「西洋と東洋の対立と角逐が、もっとも尖鋭にあらわれる問題の場所」、「現代の歴史の大きな波頭に拠点を定めて‥‥魔術的な力を秘めた都市を相手どる小説」。
 こうしたイマジネーションの最近の例は、高樹のぶ子の日経連載小説『甘苦上海』でしたね。高樹は、横光の本歌取りを意識していたのでしょうか。

 横光も高樹も、非マルクス主義/右寄り/ノンポリということで、ぼくたちの育った進歩的歴史学界では、歯牙にもかけない処遇でした。
 上海・天津の会食の場でも断片的に口にしましたし、12月刊の『イギリス史10講』を読んでいただけば明らかなとおり、今さらながら歴史学の転換(の収穫!)を意識しています。
 ぼくの先生や先輩たちの大前提にあったマルクス主義講座派は、コミンテルン32年テーゼ、『日本資本主義分析』34年刊に現れたとおり、あまりにもダイレクトな欧米日中心史観≒対義和団出兵国史観でした。それが再生産されていました! あるいはせいぜいそれから一国革命論を人道主義的に希釈化したもの(越智、松浦、今井‥‥、検定教科書)でした。この両方を越えてゆかなければ、イギリス史も歴史学も日本国憲法も展望はないと考えています。
 経験主義≒実証主義( → 業績主義)だけでなにかが解決するというのは甘い。

2013年8月10日土曜日

A Passage to India

 暑いですね!
 今日は風はあっても、それが熱風で、ちょっと『インドへの道』を想わせる。

 『イギリス史10講』では、良い映画は積極的につかう(言及してイメージを豊かにしてもらう)、しかし見てダメだった映画は言及しない、とい方針です。たとえば『冬のライオン』は先日のNHKテレビでも再放送していましたが、アンジュ朝、ヘンリ2世、エレナ妃、リチャード獅子心王、ジョン欠地王、そしてあのフィリップ2世について何ページも費やすより、この名画を見てもらうほうがはるかに良い(ロワール川、中世の城、なんたる野蛮な生活‥‥ リヤ王のような親子の葛藤!)。アントニ・ホプキンズの実質的なデヴュー作品ですが、彼にはまた9講、1930年代の『日の名残り』、宥和主義で再登場してもらいます。

 9講といえば、もちろんE・M・フォースタ(20世紀ケインブリッジの富裕知識人の代表!)と彼の『インドへの道』には、大いに重要な役割を演じてもらいますが、そのDVDがどこかに雲隠れしていたのです。原作にあったアンビヴァレンスがアイヴォリ映画では、安直に=誤解の余地なく表現されてしまっているという、どこかのコメントに遭遇し、もう一度見直さなくては‥‥と考えていたのですが、見つからなくて。

 オフィスと自宅との2日にわたる家捜しをへて、インド的暑さのなかでようやく姿を現しました。

2013年7月25日木曜日

相良匡俊さん

 昨夜おそく帰宅したら、訃報が待っていました。

7月3日に下のようなメールを頂いたばかりだったし、昨夜の会でも「相良さんは元気だ‥‥」と話題にしていましたから、驚きました。法政大学を定年退職後、病魔におかされながら、車椅子で、日々を聡明に、自宅で過ごしておられたのですね。
歴史として、記憶として』(御茶の水書房)に寄稿された章は一種の哀感を覚える、「読めて良かった」という文章でした、と書いたぼくのメールへの返事として:

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‥‥この先、どの程度のことができるかわからないけれど、精一杯の仕事をしたいと思う。
ボクが気にしていたのは、政治的行動や社会運動のなかにある行動のパターン、文化でした。
あなたが関心をもっておられたのもそうだったのではないか。そんな風に感じていました。‥‥

残る元気でおもしろい仕事を。
                    さがらまさとし
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相良さんとのお付き合いは、1970年代半ばに濃いものがありました。その江戸っ子というのか、シティボーイというのか、独特の雰囲気(文化!)にはアテられ、たいへんに影響を受けました。

パリに行かれる前の本郷でのさまざまの場面、そしてパリからのお手紙、航空便用の薄い便箋に青インクでしたためられたお原稿(一回では終わらず、数回に分けて送られてきました)‥‥、帰国後は『社会運動史』第6号で相良編集長の下、ぼくが柴田さんからいただいた原稿に赤で編集指定など加筆して印刷所に送った、といった場面を懐かしく想い出します。

一種の諦観のようなものを漂わせつつ、しかしできるだけ粋に、生きようとなさっていたのではないか。地方人のぼくとしては、九鬼周造の『「いき」の構造』なんかを読んで感心していたものです。

相良さんは柴田さん、喜安さんとの「接近戦」がいろいろあったようですが、二宮さん、遅塚さんとご一緒の場面はあまり見かけませんでした。 それから、すでに60年代から冗談の種となっていた「木村・相良の共著」は、ついに実現しませんでしたね。残念!
【ちょっと古いが、法政大学にホームページがあることを発見。
 → http://www.geocities.jp/hoseisagara/

ご冥福をお祈りします。

2013年7月20日土曜日

『10講』

 事情を知る方々から、問い合わせと励ましをいただいています。

> ゴールまであと一息に迫っておられるものと楽しみにしています。
> (あるいは、もうテープを切った!というサプライズも?)

 いえいえ、サプライズはありません。
 『フランス史10講』『ドイツ史10講』への参照を本文中で求めることもありますが、それら既刊書とは一寸違う、タネもシカケもある本です。

 たとえば、E・M・フォースタを小説として引用するのか、それとも映画として?
といったレヴェルで悩んだりしつつ、のたりのたりと9講を書き進んでいます。
フォースタともケインズとも異なる非オクスブリジ・エリートである、ウェブ夫妻の「新しい文明 ソ連」への高評価も、しっかり書きこみます。

 前評判の 『海のイギリス史』(昭和堂)は頂いて、価値ある出版と受けとめています。ありがとうございます。感謝しますが、ご免なさい、本質的にぼくの『10講』では、第1講から視座として「海は人や文化を隔てるだけでなく、人や文化を結びつける」と宣言して、すでに織り込み済みです。越智先生の『大航海時代叢書』(岩波書店)への評価についても(御編著の場合は、p.309)、本文中で言及しています。

 9月後半の上海・天津(旧租界)調査旅行、および
10月の Harvard Conference on Global E.P.Thompson には予定どおり参ります。

2013年6月30日日曜日

初版刊行後 50周年



 E・P・トムスンの『イングランド労働者階級の形成』の初版がゴランツから刊行されたのは1963年。その後、アメリカ版、ペンギン版と出ましたが、いま出回っているのは、基本的に1968年のペンギン版(or その再版にあたる1980年ゴランツ版)でしょう。68年版はペーパー版であるだけでなく、初版に残っていたフランス語のフレーズなど、ちょっとだけインテリ向けだった表現が、ふつうの英語読者むけに改善され、また68年という時宜をえて、一般学生が競って購入する本になりました。日本でも(今でも)邦訳本より英語版を買った方がはるかに安価ですね。

 初版から50年、あらゆる方面からの批判をふまえて、21世紀にどう継承されるのか。
 The global E. P. Thompson という催しが企画されています。ぼくにも言いたいことがあり、せっかく声をかけていただいたので、10月3~5日にはハーヴァードでしゃべり交流してこようと思います。案内は、こちら ↓

http://wigh.wcfia.harvard.edu/content/global-ep-thompson-reflections-making-english-working-class-after-fifty-years

 じつは Cambridge, MASS に行くのは初めてです!「世界史」の企画としても刺激をうけそう。

 トムスンについては、『20世紀の歴史家たち』4(刀水書房、2001)などなどでコメントしました。ご覧ください。

2013年6月28日金曜日

立正大学 西洋史ゼミ



 高校生(の家族)および受験界むけの案内誌 ARCH 2014 というのがあって、昨冬に取材を受けましたが、いま、こんな形で出版されています。

 現4年生が3年生だったときの演習風景とインタヴューも掲載されています。ご笑覧あれ。

 ぼくも立正大学のために貢献しています。

2013年6月10日月曜日

科研ホームページ

 ルンド大学の古谷先生から、「礫岩国家科研のホームページのアドレスをお知らせします」とのメール到来。
http://conglomerate.labos.ac

 さらには 「近日中に新規科研「歴史的ヨーロッパにおける複合政体のダイナミズムに関する国際比較研究」の内容にアップデートしていく予定」 とのことです。
 ぼくもこの科研では連携研究者としてたいへんに恩恵にこうむってきました。今後も乞うご期待。

2013年6月1日土曜日

歴史として、記憶として

こんな論文集?集団的記憶集?が出ました。
喜安朗・北原敦・岡本充弘・谷川稔 (編) 『歴史として、記憶として
(御茶の水書房、2013年5月末刊行)
『社会運動史』1970~1985- という副題が付いています。

 2年前からいろんな会合と連絡がつづきました。70年代半ばに社会運動史研究会の実務を担当していたぼくとしては、この本にやや中途半端に協力しましたが、現時点でこうしたものを編集し公刊する動機/理由にはよく分からないものが残りました。19名の著者たちがそれぞれ勝手放題のことをしたためているのですが、とはいえ、できあがったものをみると、複数の志向性が相互に響きあい、問題も浮かび出て、それなりに意味のある歴史的証言集かな、と思います。
 322+19 pp. しかも各ページには21行も詰まっている!
 索引が充実していて、これをさぐる人には、いろんなことがゆったりと判明する構成になっています。1970年代を知らない読者には、驚くべき事実も含まれているでしょう(第3部を書いている人びとも、よく理解していない事情がたくさんあります)。

 谷川さんからすると、この本は「喜安朗」論集であるだけでなく、「東大西洋史=柴田三千雄」論集でもあるんだな。

 ぼく個人としては、諸事情のため、短く生硬な覚書(pp.176-182)となりました。やがて -いますぐにではなく- しっかりと十分に再論することを、お約束します。

2013年5月30日木曜日

わからないことはドンドン聞く ?

 公私ともに多事多端のさなかに、帰宅したらこんなメールが来ていました。

 ≪私は私立**高等学校に通う三年生の**と申す者です。今私は学習課題で自分の興味のある人物や事件についての論文を書いております。私はエリザベス一世を題材として選びました。今までエリザベス一世についての洋書、和書、参考資料をいくつか読んできましたが、まだ理解出来てない部分がいくつかあります。
 今回メールさせて頂いたのは、西洋史を専門とする先生の培われた知識を教えて頂きたく送らせて頂いた次第に御座います。御多忙の身だとは十分承知しておりますが、以下の質問に出来るだけ返答して頂けたら幸いです。

 こういう文章は先生が雛形をつくって、生徒が言葉を填めこんで制作しているのだろうか?高校生らしくない文体(「送らせて頂いた次第に御座います」)‥‥もうこれだけで不愉快になる。もっと清楚な日本語を使ってね。

 それはさておき、知的な質問のしかたのマナーを、この生徒も先生も知らないようだ。

「洋書、和書、参考資料をいくつか読んできましたが、まだ理解出来てない部分がいくつかあります」というからには、どんな文献を読んだのか、固有名詞を示してほしい。洋書とはいかなるもの? 高校3年なら、著者・研究者名を意識して質問してほしいな。百科事典もおおいに結構です。項目執筆者を意識してね。

 1990年代のはじめに東大西洋史で3年生が、「本で読んだんですけど‥‥」と質問してきたので、著者名を尋ねたら答えられなかったので、こっちが驚いたことがある。いまの高校では、著者も書名もなく、「わからないことはドンドン人に聞く」という教育をしているのか。一見積極的に見えても、自分で調べる、読んで考えるということをしないかぎり、結局は伸びませんよ。

 以下5か条にわたる質問事項は、「洋書、和書、参考資料をいくつか読んできました」という人の質問としては、お粗末。言ってしまえば高校世界史定番の質問で、ちょっとした書物を読めばすぐわかるはず。あなたは、現役の研究者の知的関心をそそらないことばかり、質問しています。「御多忙の身だとは十分承知しております」というからには、こちらが乗り気になるような good question を書いてきてね。

 というわけで、あなたの質問にはお答えできません。
 かわりに、近藤(編)『イギリス史研究入門』(山川出版社)という良書があります。近世については小泉徹さんという方が担当しています。同じ小泉さんは『世界歴史大系 イギリス史』第2巻(山川出版社)でも該当部分を担当されています。あなたの学校の図書館には入っていますか? 信頼に足る答えは、この2冊で十分でしょう。万一図書館にない場合は、希望して入れてもらってくださいね。

 【じつは、もう一つぼくを慎重にさせた事情もあります。メール発信人名と質問者名が異なるのです。苗字も違うし、受信メール一覧にみえる From: の氏名がやや色っぽい‥‥。考えすぎだとしたら、ご免なさい。】

2013年5月13日月曜日

小シンポジウム3 & 林志弦


¶ 昨12日(日)は五月晴れで、百周年時計台記念館の学会よりは北山・東山へと出かけてしまった方々も少なくなかったのではないでしょうか。

 ぼくはというと、午前中、A3で2枚×200部のレジュメ・複写に手間取りました。街中のコンビニは、コピーを数枚とるには便利至極ですが、うけつけるのは最大限99枚まで。お金も千円札1枚かぎり。したがってちょうど200部+自分用1部をコピーするためには、どんなに工夫しても、3回の設定、それを2度繰りかえす、という羽目に。途中で、トナー交換、用紙の補充。コンビニの不慣れな店員より、ぼくにやらせてくれたら、もっとすみやかにできるのに‥‥と思いながら待ちました。こういうことは大学で済ませなくちゃいけないんだな。

 というわけで、他のメンバーをやきもきさせながらも、昼食をかっ込んで、定刻に開始することはできました。お一人からの深夜のメールを無断部分引用しますと、
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「「礫岩」という共通のテーマが多面的に、かつ凝集力をもって報告され、問題提起も
含めて5本の報告が、惑星系のようにそれぞれ響き合っていましたが、この種のシンポジウムとしては希有なことではないでしょうか。」
「‥‥私が刺激を受けたのは、「礫岩(状態)」が静態的なものではなく、政治的主体間の多様な「交渉の結果として」「可塑的」に成立しながら、一つの秩序をなしている、という論点でした。それぞれの事例研究は、その様態を非常に説得的に提示していたと思います。」
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 ありがとうございます。当然ながら、登壇した者だけでなく、科研メンバー全員、そして他の研究会と合同でやりとりを繰りかえした成果であり、皆さんとの共鳴関係のお陰だと思います。

 フランス史、ドイツ史の方々との討論も、これからの課題となるでしょう。それより前に、東欧も北欧もイベリア半島もブリテン諸島も、「ヨーロッパ周縁世界」として位置づけられ、かつそこに注目することがヨーロッパ(近世)の本質を見やすくする、ということが本科研グループの呈示する vantage point として、会衆のみなさんにアピールできたかと思います。

 ひとまず3年間の共同研究としては成功したと見てよいのではないでしょうか。ここまでの中間報告として共著の公刊、さらなる新研究への発展、‥‥と楽しいアイディアが次々に湧いてきます。

¶ それから、11日の林志弦(Lim JieHyun)の講演は盛り沢山でおもしろかった。彼の有能さと自負も感得されました。

 なお、ぼくが『現代の世界史』および『世界の歴史』(世界史A)の共編著者だとは、ご認識がなかったようで、山川出版社の担当編集者とともに挨拶しておきました。

2013年5月7日火曜日

富士山の県の知事



 今夜、久しぶりにお話をしました。富士山をかたどった襟の記章、空色に富士山とお茶のネクタイ。いつもながら明るく周囲を盛りたてる方です。

 なんと一期目のおわりが迫り、6月16日の投票日は間近なのに東京で学問的な会合と二次会に出席。選挙運動はしない、勝手連が運動するのは拒まない、という方針。現職の彼は一期目は民主党推薦でした。今回は無所属。売られたケンカは買わない。しかし自然エネルギー、健康日本一の県をほこり、大地震・大津波への対策は怠らず、製薬でも打って出る、新幹線の駅の数が一番多い県。

 実績からいえば安泰か、とよそ者は考えるけれど、しかし対抗馬は自民党で県人。安部政権は必死で戦うでしょう。彼はといえば、京都生まれ、早稲田大学卒、オクスフォード大学博士。(ぼくと彼との共通点といえば、マンチェスタでファーニ先生のお世話になったことくらい‥‥)

 今夜、彼を囲んだ5・6名のうち、有権者は一人もいないが、勝手連を‥‥という声は高まりました。

 *県立大学の先生、いかがお考えですか? こんなときに共産党推薦候補に投票するなんて、ナイーヴ+阿呆ですよ。

2013年5月6日月曜日

西洋史学会大会@京都大学


 まだまだ先と思っていたら、すでに次の日曜(12日)午後です!

 古谷代表による科研組織の研究プロジェクトにもとづく小シンポジウムですが、ぼくもその一端をになって「問題提起 - 礫岩国家と普遍君主」をやります。右肩の FEATURES をクリックしてください。その趣旨というか、前口上というか、こんなことです、とあらかじめお知らせします。礫岩(れきがん)=conglomerate とは、こんなにカラフルな堆積岩(さざれ石のイワオとなりて‥‥)です。
OUM

 ヨーロッパ近世史からの発言ですが、すこし広い意味合いもねらっています。

 この小シンポジウム全体は、いうまでもなく京都大学の準備委員会と古谷科研のおかげで実現するものですが、この feature ページの文責は近藤にあります。

2013年4月30日火曜日

春の海


 4月もまたあっという間に過ぎてゆきます。
 写真は、「春の海、ひねもすのたりのたり‥‥」ならぬ、豊洲岸壁の様子です。

2013年4月9日火曜日

Baroness Thatcher 1925-2013


Former Prime Minister Baroness Thatcher has died "peacefully" at the age of 87 after suffering a stroke, her family has announced.


David Cameron called her a "great Briton" and the Queen spoke of her sadness at the death.
Lady Thatcher was Conservative prime minister from 1979 to 1990. She was the first woman to hold the role.

She will not have a state funeral but will be accorded the same status as Princess Diana and the Queen Mother.
The ceremony, with full military honours, will take place at London's St Paul's Cathedral.
The union jack above Number 10 Downing Street has been lowered to half-mast.
(c) BBC

2013年4月7日日曜日

胸像をぬらす‥‥花


 今年のソメイヨシノは、咲きいそいで、すでに葉桜になってしまいました。

3月28日、本郷へ科研の決算関連で行きましたが、本郷でみる桜といえば、もう決まっています。(赤門の八重桜はまだなので、)医学部病院前へいそぎました。
 胸像をぬらす日本の花の雨 (秋桜子)

ベルツ、スクリバ両先生としては、これだけ日本人に大事にされて、言うことはないんじゃないでしょうか。

 19世紀末、ドイツが文明・科学・普遍を代表具現していた時代、ということもあり、世紀転換期の本郷の胸像群は、雄弁なメニュメント群をなしています。【ところでこの時代、日本ばかりでなく、イギリスでもアメリカでも進歩的知識人はドイツを注視していました。ロシアでも?】

2013年3月31日日曜日

『青春の一冊』?


 これが共著というのは恥ずかしい。この「信山社新書」は、要するに数年前に『東大新聞』に寄稿したコラムが編集されて一冊の新書になった、ということに過ぎません。ぼくの『資本論』というコラムは、去年の3月20日の催しに来てくださった方々に受けとっていただいた『いまは昔』(非売品)に所収のものです。


 ただし、そこにあった誤植は訂正され、また編集部から「仕上がりで1行減らすよう」要望があったので、それにともない、モタモタした部分を添削しました。趣旨もトーンも変わらないが、ほんのすこし文章として改善された、と考えています。

 むしろ読者としての楽しみは、他の皆さんの文章です。一番年長は佐々木毅さん(元総長)、続いて五十嵐武士さんかな。塩川さんや吉田さんなど団塊が多いのは当然として‥‥、若いのは塚本昌則、阿部公彦、赤川学といった方々。東大を退職されて、いまは?という方々の現職を知る手がかりになる場合もあります。

理工系がやや少なめで、東大文学部と駒場の関係者が多いのは、自然でしょうか。それにしても、小冊ながら島薗進さんのように率直な文章を読めて良かった、と思わせる本。

ぼく自身の率直な述懐といえば、むしろ近刊の
 ・「70年代的現象としての社会運動史」『歴史として、記憶として』(御茶の水書房、4月刊)、そして
 ・「礫岩政体と普遍君主:覚書」『立正史学』113号(5月刊)
 のほうにしたためました。島薗さん言うところの「ものごとを見通す枠組」を求めて、「煮えたぎるような思いを冷静にふり返るために、他者の生涯や思考・信仰の歩みをまなぶ」という方法の試みは、そう易々とできることではなく、年来の『イギリス史10講』の課題です。

2013年3月29日金曜日

立正大学 西洋史

27日(水)は冷雨のなか立正大学の卒業式でした。

あいにくの天気でしたが、「雨降って地かたまる」と言います。
これからの人生の門出としては、象徴的でよいかもしれません。

この卒論ゼミ17名の写真はTAの須藤さんが撮ってくれましたが、
無声だったので、後方でなにが起こっていたか、知りませんでした。

きれいな花束をありがとう。
28日からは桜も満開。
卒論を書きあげたことが、これからの人生の自信になるといいですね。
ゆうぽおとの会食(1月11日)写真は ← こちら。

2013年3月26日火曜日

京都・大阪にて


23(土)は京都大学で、24(日)は千里中央で、それぞれたいへん充実した会合がつづきました。東京よりちょっと寒いと思いましたが、高揚しました。

・京都(土)は近世史研究会。二宮宏之さんの仕事をどう継承し発展させるか、ということで、余所者ながら押しかけて発言してしまいました。中世や近現代、それからあまり関係ないかに見える方々もたくさんいらして、二宮さんの影響力というか啓発力をあらためて再認識しました。

小山さん、佐々木さんの進行の妙もあり、具体的な論点もそうですが、皆さんの誠意と相互の信頼関係が伝わって、すばらしい unforgettable な会合となりました。
二次会、三次会も含めて、* * さんを緊張させ、興奮させたのも、レアな機会でした!!
Ringo, the Beatles という店には初めて行きました。

・千里中央(日)は古谷科研で、ぼくは「礫岩政体(conglomerate polity) と普遍君主(universal monarch)」という問題提起。

じつは科研プロジェクトの3年めの小括でもあり、5月12日の西洋史学会大会小シンポジウムのための準備会でもありますが、ぼく個人としては勤務先の必要もあって、荒削りの覚書をすでに『立正史学』113号(2013年5月刊)に書きました。

土曜の討論と連続する部分を集団的に反芻しつつ、さらにわれわれ的に先を見すえて、近世的秩序について議論できて、たいへん効果的でした。教会(君主の司祭性)や概念史の重要性、同時代的競合、世界史的広がり‥‥、The world is not enough.

皆さまには、請うご期待、としか今は言えませんが、まもなく/やがてホームページを開設するとのことで、パブリックな討論もできるかと思います。

念のために申しますが、ときにドラスティックな批判・飛躍とみえるときもあるかもしれない学問も、継承的にしか発展しない。マンタリテやソシアビリテや社団的編成や etc. の時代は終わって、いまや礫岩政体論の時代だ、といった(新商品の)販拡キャンペーンではけっしてありません。

ヨーロッパ近世史の資産を継承しつつ、フランス中心主義を相対化し、もうすこし広いパースペクティヴ、もうすこし(focusを深く)長い時間軸で〈秩序問題〉を再考したいのです。そうすることによって二宮さんの知的洗練もあたらしい意味をもつでしょう。

三間堂という店も悪くなかった!

2013年3月18日月曜日

弥生の鼎談

今日も暖かく風の強い日でした。

ソメイヨシノの開花宣言が聞こえてきますが、わが深川の水辺では写真のように、まだつぼみが張っている状態。ところが茗荷谷、お茶の水女子大の構内に参りますと、ご覧のようにすでにしっかり咲いていました。
隣町は「小日向」ですから、日当たり良好、校舎の南側で風も当たらないのかな。

そもそも今日、お茶の水女子大に参りましたのは、柴田三千雄先生の蔵書の受け入れを決めてくださった大学図書館に詣でるためでした。
遅塚、柴田両先生の蔵書が、こういう穏やかで暖かい環境で合体する、‥‥しかもなんと御縁で、二宮蔵書は春日通りをはさんで旧教育大(現筑波大)の文京校舎に収まるのだとすると、これはすばらしい。三旧友の霊が、茗荷谷=大塚で相まみえて、尽きせぬ鼎談を毎夜つづけることになるのですね。
ダレソレの声はでかすぎるとか、君のルフェーヴルの読み方は違っているとか、こんどの京都の会はだれが仕切るんだとか‥‥

2013年3月16日土曜日

二宮史学の不思議


 3月23日(土)に京都大学で開かれるコロクにも、5月12日(日)の西洋史学会大会シンポジウムにもかかわりますが、関連して、二宮宏之(1932~2006)さんのお仕事について、「礫岩政体と普遍君主:覚書」(『立正史学』 2013年5月刊で二言したためました。その最後の段をちょっと抜粋させてください。

【前略】
A. 「フランス絶対王政の統治構造」およびこれと不可分の「社団的編成と「公共善」の理念」が一揃いになって、フランス社会史および国制史の研究蓄積を知悉した二宮による近世王国の社団的編成と理念的統合の議論であり、これがまた、「六角形のフランス」というフランス史の人びとを拘束し続けた枠組への批判にもつながるものであったことは、いまさら言うまでもないでしょう。編著『深層のヨーロッパ』(山川出版社、1990)もその一つです。

B. しかし、1990年代以降になると、こうした多様で複合的で可塑性の政治社会や政治文化にはあまり論及することなく、からだとこころ、地域/家族の(顔のみえる)共同体に沈潜されたようにみえます。たしかに『マルク・ブロックを読む』(岩波書店、2005)では アルザス人、フランス人、共和主義者としてのブロックの重層的アイデンティティが語られていますが、エトノスの複合性をふまえたうえでの res publica 論やホッブズ的秩序問題、あるいは思想史・概念史(history of ideas)にかかわる議論は棚上げされたかにみえます。その理由については、宿痾のことがあるから軽々には憶測できませんが、それにしても、晩年の二宮の文化史的な内向の磁力が、追随する若手研究者におよぼす抑制的影響力をわたしは懸念しています。

 二宮は今でもすばらしい。その文章は人を魅惑します。だが、「六角形の枠組」をこえなければならないとくりかえされながらも、2000年代の内省的二宮は、六角形をこえて内外に浸透した秩序問題、そして概念史、世界史へと研究を広げようとする者にたいする抑止力でもありました。あたかも高橋幸八郎(1912~82)の理論的かつ個人的な魅力/呪縛が、1960年代・70年代の二宮と遅塚忠躬の自由な飛翔を抑止したのと似ているかもしれない。

 二宮はまた、G.ルフェーヴルの「革命的群衆」論文が集合心性の研究への橋渡しとしていかに枢要だったかを強調しますが、なぜか同じルフェーヴルの「複合革命」論には言及しません。柴田とも遅塚とも違って、二宮は革命の情況性にも国際的条件にも言及しないといった不思議が、わたしたちの前に残されています。 【中略】

 ‥‥根本的なところで、二宮宏之と E.P.トムスン(1924~93)には共通点があります。わたしは両者を批判的に継承したい。『二宮宏之著作集』第2巻「解説」(岩波書店、2011)にも書いたとおり、偉大な先達のたおれたあと、未完の課題を引き継いで前へ進もうというのが、わたしの立場です。
(C) 近藤和彦
 

2013年3月15日金曜日

Industrial Action !

こういう通知/予告が British Library から来ました。


Planned Industrial Action
Wednesday 20 March 2013

若い人たちのために、industrial action とは産業行動/勤勉に働くことではなく、
罷業=ストライキを打つことですよ。やったことあります?
詳報は、下記のとおりですが、給与・年金・労働条件について争議権を行使するというのは、いまの日本で、本当にマレになりました。
アメリカ的(NY的?)ハード・キャピタリズムがこの20年ほどで定着したからでしょうか?それとも事態は80年代の国鉄解体・民活路線あたりから始まっていたのか?

Members of the Public & Commercial Services Union (PCS) have voted for a one day strike on Wednesday 20 March 2013 over changes to pay, pensions and working conditions in the public sector.

The British Library at St Pancras plans to be open as usual for visitors to its public areas and exhibition galleries, but there is likely to be significant disruption to our Reading Room services with the potential of late opening and some rooms likely to remain closed.

2013年3月2日土曜日

三宅ディレクター


NHK-BSの予告を見ていたら、昔の名前ばかりか、笑顔も出てきたので驚きました。
【こちらは、むかし1999年9月、オクスフォードからウェルズ大聖堂、グラストンベリに行った小旅行のときのスナップ。14年くらいでは人は変わらないということかな。】

東大西洋史からオクスフォード大学へ、そしてロンドンで活躍とは聞いていましたが。
学生のころ、第2志望として映画関係で仕事ができれば、ということを聞いていましたから、その道に進んでいるわけですね。

母上のご実家は福島県とは承知していましたが、311に海通りでご親戚がたいへんな被害とは‥‥
[BS1]   <以下引用 (c) NHK>
2013年3月8日(金) 午後11:00~午前0:40(100分)
 福島第一原発事故のニュースを海の向こうで知ったロンドン在住のディレクターの三宅響子が、福島県浪江町の親類たちの軌跡を1年半にわたって追った。国際共同制作
  
【後日加筆】 見たあとの感想ですが、三宅さん自身の(進行形の)認識の歩みと、邦子おばさん一家とのこれまでの歴史と現在が交錯するドキュメンタリ作品でした。
Fact とはそれ自身の歴史をもつ;語られたこと、語られかたに左右されるし;そもそも近世英語では feat (なされたこと、事績)である、という ジョン・ルーカス(ルカーチ)を想い起こしながら見ました。

2013年2月26日火曜日

柴田蔵書


 柴田三千雄先生が亡くなって、5月にははや2年となります。

 その蔵書については、いろいろなことがありましたが、結局、お茶の水女子大学の関係者の皆さんの奮闘で、その図書館に収まる方向で進んでいます。先に遅塚忠躬先生の蔵書がやはりお茶の水女子大学に寄贈されていますので、これと合体し、フランス革命史関連では、もしや日本で一番充実した図書館となるかもしれません。

 その作業の途上ですが、日曜に北原さんと一緒に柴田家に伺いました。2階の書斎の本はもう段ボール箱に収まっていました。1階西の書庫はほとんど手つかずで、洋書はフランス史ばかりでなく、イタリア史、イギリス史、ヨーロッパ史、そして方法論、とりわけ政治文化関連、またあらゆる分野の日本語文献が、ご本人独自の分類によって排架されています。すでに生前に、ロシア史関係はI氏へ、インターナショナル議事録関係はN氏へ、贈与されたとのことですが。

 昔日は手書きのフランス語で購入年月を記入されるだけで、蔵書印はほとんど使われなかったようですが、石は中国にいらした折に購入され、文字は日本で刻印された立派な物があります。お茶大で整理する際にこれを捺すことにしましょう、と方針が決まっています。
 とにかくお茶大関係の皆さん、ありがとうございます。

 この日、先生の蔵書から何冊かいただきましたが、蔵書印を記念に自分で捺して収めました。

2013年2月19日火曜日

50th anniversary of EPT's Making of the English Working Class !


 ハーヴァード大学から、今朝、前触れなく a conference to reflect on the importance of Thompson's work around the world on the occasion of the 50th anniversary of the publication of The Making of the English Working Class への参加の意向を尋ねるメールが到来。開催は10月3~5日だそうですが、proposal は5月、draft paper は9月1日まで、というのはちょっと厳しい。

でも、添付の案内などを熟読のうえ、間をおかず、積極的な返事を出しました。(学期中とはいえ、校務やたいくつな執筆, etc. より、学問と国際的発信のほうが優先ですよ!)
Translating E. P. Thompson: English Idioms and Traditions in Global Context

Class Formation: An Important Category of Analysis in History?

Moral Economies and Political Economy: Culture, Economy and Politics

Spatially Situating Social Processes: Communities, Regions, Nations, World-Systems

などがイシューとして想定されているようです。
ということは、ぼくが出ていって場違いでないことは明らか。というより、ご指名で . . . as an ideal participant from Japan, so I write to encourage you to take part in this event. It would be an honor if you agreed to participate と書いてくださっているのだから、ありがたい話です。「日本におけるEPTの受容」といったよくある話より、もう少し普遍的な意味のある議論をしたいな。

Call for papers にもある表現ですが、
critical engagement with Thompson's legacy
ということで思いの丈を語りましょう。

このところ、ぼくの書くものはすべて「思いの丈」を率直に表明することにしています。かつてレトリックを用いて「上品に」書いたものの、正反対に受けとめてくださる読者もいたりして、これじゃ困る。
残り時間も少なくなってきたことだし‥‥。

2013年2月4日月曜日

『みすず』読書アンケート


『みすず』1・2月合併号(no. 611)、恒例の読書アンケート特集が到着しました。
→ http://www.msz.co.jp/book/magazine/

 例年の特集号ですし、おおくは例年なじみの執筆陣(計158名とのこと)。それぞれさまざまですが、それにしても楽しみな企画です。新刊ばかりでなく旧刊についても、教えられることが多い。

 ちなみに、今回ぼくが言及したのは、

1. 松方冬子『オランダ風説書と近世日本』(東京大学出版会、2007)
  同(編著)『別段風説書が語る19世紀』(東京大学出版会、2012)

2. 石田千尋『日蘭貿易の史的研究』(吉川弘文館、2004)
  同 『日蘭貿易の構造と展開』(吉川弘文館、2009)

3. A. P. Wadsworth & Julia de Lacy Mann, The cotton trade and industrial Lancashire 1600-1780 (Manchester U.P., 1931)

4. John Lukacs, The future of history (Yale U.P., 2011)

です。 今やっている仕事の関連で手にした本、という偏りがあります。これしか読んでないというわけではありませんが‥‥

 去年の特集号については、こちらをご覧ください。↓
http://kondohistorian.blogspot.jp/2012/02/blog-post.html

2013年1月29日火曜日

教師冥利



昨日、34人の卒業論文の口頭試問をやって、【2・3年生の個別面談はまだ2月ですし、なにしろ今月末には修論、来週は博論の審査がありますが、】 学部生相手の行事は、峠をこえました。専任教員としては初年度ですが、昨年度に非常勤で演習をやりましたから、この春の卒業生は2年間もったことになります。

 (手間のかかる!)学生たちと2年間つきあい、卒論指導でさんざやりとりした結果ですから、それなりの情も移ってきて、全員が無事に卒論(正本も副本も)を提出して、また口頭試問もそれなりにこなしたのを見ると、いささかの感懐があります。 → 卒業式後の写真

 そうした折も折、次のようなメールが到来。
 「約2年間、演習ではお世話になりました。はじめは卒論を書くことに全く自信の無かった私が、卒論を無事書き上げることができたのも、先生のご指導のおかげです。ありがとうございました。
 その他にも授業や、教育実習での指導を受けて、とても強い刺激を受けました。先生の指導のおかげで、歴史学の奥深さを知り、沢山の勉強が必要とわかりました。
 先生を見て、森羅万象に興味を持ち、常に疑問を投げかけながら勉強していくことが大切なのだと思いました。もちろんそれは歴史に限らないことですが。
 これから働きながら、一生懸命勉強して、高校世界史の先生になりたいと思ってます。先生のゼミで本当に良かったと思っています。[後略]」
 こういうのをもらうと、‥‥ウルウルではないが、教師冥利に尽きる、という句を想い起こします。

 ところで、ぼくたちはぼくたちの先生にこうした感謝の念をしっかり伝えていただろうか? 先生の死後に遺稿を公刊するだけでは、償いとして乏しい。‥‥

 『イギリス史10講』
 (共著)『「社会運動史」 1972~1985 - 記憶として 歴史として -』
などをはじめとして、これからたっぷり「恩返し」をします。

2013年1月24日木曜日

Holly Cole Trio in Tokyo

http://www.youtube.com/watch?v=72Ts84JLG5c

しばらくぶりに NZD よりメールにて、Aaron Davis の東京公演のおしらせ。
息子をおもう母の心情です。
Holly Cole は 例の Calling You で知られているでしょうか。そのキーボードを担当しているのが Aaron なのです。いつも冬の、大学教員がもっとも忙しい季節にやってきます!

Holly Cole and the band will be performing in Tokyo on January 25-30. Here are the show times in case you or any friends want to attend performances.


Blue Note Tokyo, 6-3-16 Minato-ku Minamiaoyama Raika Bldg. B1-2
Friday, Jan. 25, open 5:30 p.m. show time 7 p.m;
  second show: open 8:45 p.m. show time 9:30
Jan 26 open 3:45 p.m. show time: 5 p.m.;
  second show :open 7 p.m. show time 8 p.m

Cotton Club Tokyo, Tokyo Building 3F, 2-7-3 Marunouchi Chiyoda-ku
Jan 29 and Jan. 30: first show open 5 p.m. show time 6:30 p.m
  second show: open 8 p.m. show time 9 p.m.

Chandler and I went to the Holly Cole concert here in Toronto last night, a warm up for the Tokyo performances. It was really terrific! Many new songs and wonderful new arrangments.

2013年1月14日月曜日

お年賀状から


 到来する年賀状も、「返事」か寒中見舞いというタイミングですね。
 ところでいろいろ印象的な年賀状が多いなかで、一番だったのは、水田洋先生からのものです。最初に
9月には94歳になる予定ですのでどうぞよろしく」とあります。また
翻訳者として終わってはならないという自戒を守り、ホッブズからスミスへの唯名論の継承というスミス論を書いていますが、同時に訳者として残したものへの責任は重く感じていますので、‥‥ミルの自由論の‥‥拙訳を点検しています。立つ鳥跡を濁さず。
「‥‥」の部分はぼくが勝手に省略していますが、きちんとしたセンテンスです。
 ぼくの母は91歳ですが、水田先生には負けます! 蔵書は浙江大学に贈る手筈とのことで、「老後」も立派なものです。なにか秘訣がおありなのでしょうか。尋ねてみたい。
 中国における近影を、お年賀状から拝借します。このサイトが複写権について厳しくなっているようで、Picasa経由です。

2013年1月3日木曜日

謹 賀 新 年

 2013年をいかがお迎えでしょうか。
 12年3月に東京大学における24年間を終え、4月から立正大学史学科(大崎)に勤務しています。初年度でもあり、毎週毎週があらたな経験です。
 9月に実施したケインブリッジの日英歴史家会議(AJC)のあとも 新旧の企画が目白押しで、途中に難儀する苦しみと喜びには事欠きません。‥‥ すこし仕事を抱え込みすぎたかもしれません。

 健康第一と心しています。
 皆さんも ご健勝にお過ごしください。

 2013年正月                  近藤 和彦