2012年4月28日土曜日

『フランス革命はなぜおこったか』(山川出版社)

柴田三千雄先生の遺著、〈フランス革命史再考〉の三巻本のうち第一巻だけですが公刊されました。 cf. 『史学雑誌』120-7(2011年7月).
予告されていた『革命はなぜおこったか - フランス革命史再考』というタイトルは、最終的に上のように変更されました。
 練りに練ったクールな文章で、著者がなにを考え、なにを伝えたかったかがよく分かる。 弟子の福井さんとぼくの協力による共編ですが、若いアンシァン・レジーム研究者の支援により、細部にも気の配られた本となりました。ご覧ください。

2012年4月22日日曜日

オフィス ***

ご心配してくださる方がありましたので、昨日の一景をご覧に入れます。

 まだ段ボール箱を積み上げてるばかりでなく、左手に緑色の養生テープがだらりと垂れていたりして、いかにも構築途中です。じつは今日、写真の状態よりもすこし模様替えして--PC本体やプリンタ、Scansnap などを机上に置いては、本郷の二の舞になりそうなので--ちょっと工夫しました。使い勝手も改善されています。
 それにしても本郷の426室ではフロアさえほとんど見えなかった。そもそも何色だったのだろう? 今度のオフィスでは、このように床が見えます! 27平米の2倍以上を使用するわけだから当然といえば当然。
 ここを、3日には「鴎庵」と名づけましたが、OSによって鴎外のカモメの正字が出ないし、なんと読むのか、即時には分かりにくいというので、撤回します。 数年前まで K-Office を名のっておられた*先生が、水道橋・専大前の個人オフィスを「*研究室」と改名なさったので、わたくしメは「 オフィス *** 」を名乗らせていただくことにします。特定の数字 *** については、ウェブでなく個人的なおつきあいで、お知らせします。

2012年4月15日日曜日

立正大学 史学科

こんなところです。
 場所:JR「大崎」あるいはJR「五反田」下車です。↓
http://www.ris.ac.jp/guidance/cam_guide/osaki.html立正大学HPには「JR大崎駅と五反田駅から徒歩5分」と記されていますが、それは慣れた人が速歩で無駄なく歩いた場合。たしかに交通至便ですが、初めての人なら10分近くは見ておいたほうがよいでしょう。山手通り(長らく工事中)の西側の斜面に位置します。

 同僚はこんな皆さんです。お写真もどうぞ ↓
http://risweb2.ris.ac.jp/faculty/letters/sigakuka/kyoin.html

2012年4月10日火曜日

3月20日

年度替わりに加えて引越、そして新任校での勤務開始‥‥でしたので、あれから3週間しか経過していませんが、「いまは昔‥‥」と言いたくなるほど、色々なことが続きました。まだ終わっていません。
 そうした季節、あの3月20日(祝)にご都合をつけて参集してくださった皆さま、ありがとうございました。
 参加してくださった全員の合力で、楽しく、またしみじみと感じ入る集いとなりました。
 とはいえ、一番の功績は、発起人の4人による準備と演出でした。この最後の点について、当日皆さまの前では明言することを忘れていました。あらためて、ありがとうございます。
 おみやげもたくさん頂きましたが、なによりこうした「とき」を共有できたのが幸せでした。

2012年4月9日月曜日

山手線・車体広告

「英国政府観光庁」による山手線の車体広告と駅の壁面広告、気付きましたか?
 いつもながら即応性に欠けるところがあって、カメラを抱えて出かけたころには、有楽町駅の壁面広告は剥がされてステンレスがむき出しになっていました。
あきらめてプラットフォームに出たら、なんとその電車が来ました! ボディ外面だけなので、乗車すると見ることも写真を撮ることもできない。大崎駅に着いて、大急ぎでシャッタを切りましたが、せいぜい 2 shots くらい。次の電車を待ちましたが(反対方向の電車も見ましたが)いざ構えていると当該電車は来ない。
 じつは「ジェイアール東日本企画」というウェブページに解説があるのを、今夜、探しあてました。2月19日~3月31日、2編成のみだったんですね。
http://www.jeki.co.jp/transit/train/body/number.html 
つまり、もう3月末に終わっているはずのところ、きのうは間違えて1編成が走っていたということなのでしょうか。それとも「うどんこの定理」のための施し?

 なんでこんなことにこだわるかというと、中学校で鉄道少年だったから、ではなく、この4月からの「史料講読」の授業で使いたいからなのです。史料といっても図像も景観も含むので、「英国政府観光庁」の表象は、じつに良いイントロになるのです。

2012年4月8日日曜日

立正大学 文学部 教授

 4月1日に辞令をいただき、上記のような身分となりました。どうぞよろしく。
 IT環境について変化はありますが、従来のメールアドレス( @nifty および @l.u-tokyo )を使用していますので、3月までと同様にお願いします。また、ris.ac.jp の kondo というのも使えます。
 3月30日にガイダンスのガイダンスというのを受け、4月1日からは本日まで一日も休まず精勤しております(すでに授業は4コマ済ませました)。

 今夕、ある老先生から東大西洋史の大事な行事に遅刻してはいけませんと叱られましたが、何をおっしゃる、本務校優先ですよ。5:40 pmまで立正大学の院生ガイダンスとTA手続きをしていて、本郷のファカルティ・クラブに駆けつけたのが 6:30 pm(しかも澤田先生をアシストしながら)なのですから、むしろ誉めていただきたいところです。
 それにしても、こちらは若い人がたくさん集ってよかったね。

2012年4月3日火曜日

鴎庵の設営

(承前)
 移転先のオフィスは、西窓ならぬ南の水面を見おろし、潮の干満も、水に映る季節感も直接感じることのできるところです。カモメや鵜なども見るので「鴎庵」かな。海面をはるかに望むのでなく、まぢかに臨むので、鴎外の「望潮楼」は、ちょっと当たらない。
 60平米あまりということで楽観していたら、じつは西窓亭(27平米)にはなかった風呂・手洗い・台所には本や書類は置けないわけだし、天井もやや低い。
 白木の書棚をあつらえて、床の見える、余裕のある知的空間としたい、という願望は、そう容易に実現するものではない、と気付くまで、しばらくかかりました。
 まず29日夕、引越業者が帰ったあとはこんな具合:

 31日(土)には、荒天にもめげず5人の若者が結集して、かなり段取りよく開箱・排架作業をしてくれました。書斎作りは人任せにできないというのは自明の理として、それにしても大きなアウトラインは機動的にやってもらったほうが、はかどる。意味ある細部は、これから時間をかけてたっぷり詰めます。
 壁の書棚は高さ25cm×奥行き20cmで統一しましたが、可動スチール書架の組み合わせで、合理的・機能的な空間とします。
 鴎外先生が机を二つ用意して、それを仕事によって替えた、といったことを聞いて/読んで、羨ましいと思ったのは何十年前。これからのぼくは、そうしたいものです。

西窓 より撤去

 西窓の小部屋といっても27平米あまりのオフィスは、1月にはこんな具合で、「穴蔵みたい」「古めかしい英国の臭いがする」と評する方がいました。なにしろ在外をはさんで24年間使い続けた部屋ですので。その方はむしろ「老人臭」とでも言いたかったのか。とにかく物持ちのよい人ですので、工夫に工夫を重ねて、隙間なく(床も見えないくらいに)本や書類を詰め込んで/積み上げていました。
 2月に**商事の人が来て、おおざっぱに見積もって、「段ボール200箱くらいですかね」と。
「よく見てください、棚は二重に入っていますよ;こんな部屋でも奥は深い、電話がかかってきても5回鳴るくらいでは行きつかないほど、細く曲がりくねった経路になっているのです。」
 3月21日に7人の侍の力仕事が始まってから、2度3度にわたって箱を追加してもらい、結局、合計320箱が届きました。うち10個くらいは余りましたが、しかし、古い(名古屋時代の!?鈴木書店の)段ボールも生かしている場合もあるので、結局320と考えてよいでしょう。なにしろ1号館4階の部屋と廊下(あっちとこっち)だけでなく、2号館1階別室にも36個仮置きさせてもらいました。

 これに18連の組立スチール書棚/ラック、割れ物、PC・電器系の養生機器が加わります。
 あいだに母の卒寿の祝いとか、26・27日の History of Consumer Culture とか重要な催しも挟まりましたが、とにかく28日で荷造り作業は終了。
29日朝9時過ぎに**商事と引越業者が来て、トラック2台に搬入。小休止をはさみ、きれいさっぱりとなったのは11時でした。
 キーを助教さんに託し、昼食をはさんで、午後は新オフィスへ。こちらについては to be continued.