2023年2月4日土曜日

『みすず』誌

 寒いといってもすでに立春。近隣の散歩道のユキヤナギは無数の小さなつぼみを付け、いくつか目立ちたがり屋の雪白の小花も咲いています。
 2日ほど前に『みすず』no.722 (1・2月合併号) が到着。恒例の「読書アンケート特集」です。これは百数十名の執筆者の読書嗜好とともにその個性、そして現況がうかがえる企画で、毎年楽しみにしています。今世紀に入ってからは書き手に加えていただいたので、年末年始の慌ただしい折とはいえ、何をどう書くか、何日か悩むのも楽しい。
 今号の場合は pp.98-99 に
・R. J. エヴァンズ『歴史学の擁護』〈ちくま学芸文庫, 2022〉
・David Caute, Isaac and Isaiah: The Covert Punishment of a Cold War Heretic (Yale U.P., 2013)
・G. ルフェーヴル『1789年 - フランス革命序論』(岩波文庫, 1998)
Oxford Dictionary of National Biography (Online, 2004- )
・S. トッド『蛇と梯子 - イギリスの社会的流動性神話』 (みすず書房, 2022)
の5つをめぐって、ちょっとしたためました。すべて E. H. カーおよび『歴史とは何か 新版』、そして『図書』の連載(『歴史とは何か』の人びと)に、なんらかの側面で関係することばかりです。

 同じ『みすず』では、川口喬一さんという英文学者が、『歴史とは何か』拙訳および T.イーグルトンにおける(笑)をめぐって鋭く指摘しておられます。『新版』の訳文および挿入の[笑]について、ここまで的確に受けとめ、評してくださった方は、他になかったような気がします。
「‥‥訳者がおそらく多く意を注いだのは、オックスブリッジでの講演者独特のポッシュ・アクセント(あえて言えば息づかい)の翻訳であったろうと思われる。‥‥当然のことながら(笑)のタイミングは難しい。笑いはしばしば講演者と聴衆との共犯関係、前提の共有によって成立するからだ。カーの立論もまた聴衆との知の共犯関係を前提にして展開されている。共感と逸脱のスリル。」pp.8-9.
 そして段をかえて、イーグルトンの講演をめぐって続きます。「‥‥アメリカではしばしば観客を爆笑(笑)させているのに、エディンバラでは、間を置いて待ってもイーグルトンの期待した(笑)が起こらず、講演者が「つまんねぇ客だ」と呟く場面も見える。‥‥この場合、文化の場における共犯関係がすれ違っているのだ。」p.9. 以上の引用文では( )もママ。
 川口さんは、1932年生まれとのこと。だとすると二宮、遅塚と同い年で、今、(誕生日前なら)90歳ということでしょうか? 上に引用したより前の段では、鹿島さんの『神田神保町書肆街考』をめぐって、川口さんが北海道から東京に進学してより、池袋・茗荷谷・本郷・神保町をむすぶ都電を愛用して通ったという神保町書肆街のこと、そして戦後の洋書事情が語られています。p.8. この都電は、ぼくが大学に入学したときにはまだありましたが、本郷に進学した68年には無くなっていました。
 ところで、この知的で愉快な月刊誌『みすず』が8月で休刊とのこと!? 驚きです。残念です。ただし、この「読書アンケート号は、なんらかの形で継続する予定です」とのこと。p.109. 恒例の楽しみです。どんな形でも継続してほしい!

2023年1月29日日曜日

年末年始のこと:2

(承前)妻の術後の経過は良く、3週間の入院という予告からはるかに短縮されて、12月29日退院と決まりました。ただし逆に、脚が不自由で介助の必要な家族と二人で生活するのは不安で、27日、病院の帰りに、地域の「長寿サポートセンター」に寄って、助言をいただきました。飛び込みでしたが、親切に対応していただきました。頼るべきは頼って、孤立してしまわないことは大事です。介護保険も、そのために夫婦それぞれ支払っているのだ、と自分に言い聞かせて‥‥。【 → 1月6日にはさっそくサポートセンターの人と屈強の業者がきて、玄関、寝室、居間に床から天井までの可動支持柱(つっかい棒)、手すりなどを設置してくれました。】
27日の帰途、すでに日没直後でした。運河にかかる橋は軽く太鼓橋になっていて、視線の先、南西の空には明るい三日月! 穏やかな気持で、あぁこのところ月を見上げるということもなかった、そもそも新月前後だったから‥‥、と想いがたゆたう時に、
いきなり後方からドヤしてきたのが、自転車に乗った中年男でした。「橋の真ん中でうろうろすんじゃない」。そしてぼくの顔を見て、さらに絡んできた! 
そもそもぼくは(一休さんではないので、橋の真ん中ではなく)橋のアーチの頂点だが右端の、歩道の中ほどを歩いたり止まったりしていたわけだから、自転車の男のほうが遠慮しながら走行すべきなのですよ! でもこの類のアラフォーと口論しても何もいいことはないので、どう遣り過ごすかを第一に考えて対処し、結局、どつくのをやめた彼が次の信号で左折するところまで、しっかり目視しました(以後、再会しないように)。
このアラフォー君も、きっとなにか彼なりの問題と課題をかかえて、心に余裕がなかったのでしょう。夕焼け空や「冬の大三角」などを見上げて想いをただよわせると、すこし気分も変わるでしょうにね。

2023年1月28日土曜日

年末年始のこと:1

年が改まっても、新年の挨拶もなく、このブログも一向に更新されないので、ご心配いただいているかもしれません。そもそも3月に母が亡くなって、年賀状は控えました。

月刊『図書』の連載「『歴史とは何か』の人びと」* はアタフタしながらも、なんとか続けています。毎回、たっぷり勉強して(積ん読だけだった本もすみやかに読破して)新しい発見もあり、「楽しくて為になる」連載です。
* 9月:トリニティ学寮のE・H・カー → https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/6074
10月:謎のアクトン。11月:ホウィグ史家トレヴェリアン。12月:アイデンティティを渇望したネイミア。1月:トインビーと国際問題研究所。2月:R・H・トーニと社会経済史。3月:フランス革命史とルフェーヴル。‥‥

ところが、旧臘19日に2月号(トーニと社会経済史)の原稿を仕上げ、ホッとしたとたんに、翌20日未明に事故発生。
トイレにゆこうとした妻が体の向きを変えようとして、尻もちをつきうめきました。段差も障害物もないのですが、布団がはみ出ていたかもしれません。痛がっていましたが、すごい転倒というわけでもなく(事が深刻とは想像もしなかった)、明るくなるまで待ってもらい、タクシーで、なじみのカイロプラティークに行きました。しかし、これは外科に診てもらわねばならないということで、救急車に頼りました。
【救急車はあまり待たずに来て車内に収容されましたが、時節柄、空いている病院を探し当てて車が動き始めるまで、3人の隊員が電話をしまくって、82分もかかりました! 病院まで、別に渋滞していたわけではないが、28分計110分。医療逼迫の現実を身をもって認識しました。】結局、かなり遠い、初めての病院に到着。検査の結果、股関節の大腿骨頸部骨折でした。
70歳以上の(ときには還暦以後の)女性によくある大怪我ということで、そういえば、6月に△さん、前年に◇先生と、先例を指折り数えることができます! 「段差のない所で、何につまずいたということでなく、ふわっと転んだ。強い打撲というわけでもないのに骨折した」といった話を他人事として聞いたばかりでした。
医師には、骨折部分に金属ボルトを入れる手術が必要、術後のリハビリを含めて3週間の入院、と告げられました。
ただちに入院手続をとって、想い出したのは、2010年にケインブリッジで知り合ったX夫人からうかがった話です。- 彼女は交通事故で入院し、手術は成功しても半身不随になると予告されたので、それなら、と入院中に医師・看護師が見ていない時にできるだけ四肢を動かし(最初はベッド内で、後には起き出して)、この自発的運動によって、みごとに今のとおり完全恢復した、とおっしゃるのでした。このエピソードを想い出して、二人で話題にしました。

 コロナ禍ですので、手術後、見舞いに行っても直接会うことはできず、すべて看護師をつうじての伝達・受け渡しと決められていました。しかも最初は大部屋で、電話は禁止。そこで考えて、昔の女子高校生がやっていた「交換日誌」みたいなノートを、未使用の手帳から作成しました。個室に移って電話できるようになってからも、これは役立ちました。<つづく>

2022年12月15日木曜日

冬の星空

このところ全国的にたいへんな冷え込みとのことですが、関東平野は晴天で、また近ごろは月の出も遅いので、星空が楽しめます。
ちょうど(夜の12時以前ですと)東から南東にかけて「冬の大三角」が望める時期です。 → https://kondohistorian.blogspot.com/2021/12/blog-post.html (去年も書きました)
しかも今は夜空で一番明るく赤い火星(Mars)が、「大三角」とオリオン座の上方で惑い往来しています。https://www.astroarts.co.jp/special/2022mars/index-j.shtml
ちなみに惑星について『歴史とは何か 新版』p.170 が言及したのは、歴史における偶発性、不運、無知を論じる文脈でした。

2022年12月14日水曜日

チャールズ3世の即位と立憲君主制

 『世界』1月号(12月10日ごろ発売)No.965 に「チャールズ三世の即位と立憲君主制のゆくえ」という拙稿が載っています。
 エリザベス二世の国葬儀の朝(9月19日)に『朝日新聞』に載った「二人のエリザベス」を見た編集者が依頼してきたものですから、おお急ぎで、研究者にとっては既知のことを述べたにすぎません: pp.133-142.しかし、一般には常識・通念にはなっていない大事なこと、共有すべき知識というのは、少なくない。
 エリザベス二世の死、チャールズ新王の即位(5月に戴冠式)という代替わりに、国のかたち、権力のしくみが明示的に集約的に現れます。それは日本における1989年、2019年にも同様でした。歴史学や国家学の研究者を刺激してくれる良い機会です。
 ちょうど個人的にも礫岩のようなヨーロッパ(山川出版社)、天皇像の歴史を考える:コメント『史学雑誌』、王のいる共和政 ジャコバン再考(岩波書店)といった共同研究の成果をふまえて、十分に述べることができたと思います。いわゆるアウトリーチです。 → https://websekai.iwanami.co.jp/ 
 なお『世界』のこの号は、特集ではなくても加藤陽子さん、橋本伸也さん、藤原帰一さんなどなど、関係しないではない記事がいくつもあり、楽しめます。「アメリカの憂鬱」という up-to-date な特集もあります。

2022年12月2日金曜日

毎日新聞 夕刊〈特集ワイド〉

世間はFIFAワールドカップで沸き立っています。他方で、宮台さんの襲撃事件で厳粛な気持にさせられています。
個人的には、先月に毎日新聞社であった取材をもとに、今日の夕刊に〈特集ワイド〉の記事が載っています。オンラインと紙媒体の記事の異同は、まだ確認していません。引用されている発言はぼくのものですが、それをもとにあくまで福田記者が構成した文章です。
 予想していたよりもぼくの顔写真が大きいのと、タイトル「この国はどこへ これだけは言いたい 歴史を顧みる姿勢大事 E・H・カー新訳 近藤和彦さん 75歳」には、ビックリしました。老人が世の中から消えてゆく前に「これだけは言っておかねば‥‥」と遺言しているかのような雰囲気? 
でも(家人に、ぼくの顔ってこんなもんだ、と言われて)もう一度落ち着いて読み直すと、まぁたしかにカー先生や『歴史とは何か 新版』のことばかりでなく、こんな話もしたな、ということを、有能な記者さんが上手に誘導して上手にまとめてくれているのかもしれない。
https://mainichi.jp/articles/20221202/dde/012/040/005000c
皆さんが読むと、どう受けとめられるのでしょうか。

2022年11月27日日曜日

Great outline & significant detail

   しばらくご無沙汰していますが、offline ではミニマムの諸々をこなしています。
 『図書』に連載しています列伝「『歴史とは何か』の人びと」の第4回(12月号)は「アイデンティティを渇望したネイミア」というタイトルです。ルイス・ネイミアについては、むかし『英国をみる - 歴史と社会』(リブロポート、1991)で「ネイミアの生涯と歴史学 - デラシネのイギリス史」という小文を書きましたが、今はE・H・カーおよび20世紀前半の知識人の世界でネイミアという人物をとらえなおそうとしています。
 一方では「ユダヤ人でありながらユダヤ教徒でなく、ポーランド生まれでありながらポーランド人でなく、地主でありながら土地を相続せず、結婚しながら妻は不在」とされる不幸なネイミアですが、他方でカーは、かれこそ「第一次世界大戦後の学問の世界に登場した最大のイギリス人歴史家」という賛辞をささげます(『歴史とは何か 新版』p.55)。この不思議な「‥‥粗野で態度が大きく‥‥2時間でも自説を弁じ続け」る男の学問は、カーの緻密な実証主義の手本でもあったわけです - この点は溪内謙さんも十分な理解は及ばなかったかな? またネイミアはアーノルド・トインビーともA・J・P・テイラとも(ひとときは)親しく交わった。そして、むしろ彼の死後に勢いをもつ修正史学の先鞭をつけたようなところがあります。
 学問とはすべて本質的には(アリストテレス以来の定説の)修正であり、長い註だ、という観点に立つと、ネイミアはまさしくそうした revisionism という学問の王道を行った人ということになります。だからこそ(一見正反対にみえる)E・P・トムスンも、あのリンダ・コリも、ネイミアの名言:「歴史学で大事なのは、大きな輪郭と意味ある細部だ」には脱帽するしかないわけですね。
 これは、オクスフォード・ベイリオル学寮で、トインビーとの座談のうちに出てきたセンテンスらしいですが。
 ‥‥ある樹木が何であるか調べるのに、枝が何本あって何メートルあるか計測してみても何にもならない。樹影全体の形を見きわめ、樹皮を見、葉脈の形状を調べるべきなのである。それをしないまま泥沼のようなどうでもいい叙述にはまることだけは、避けなければならない。
 秋の快晴の空を背景に屹立するみごとな欅を見上げつつ、想い出しました。(枝も葉もなんとなく右に傾いているのは、右が南だから‥‥)

2022年11月5日土曜日

大きな問いを取り戻す

 昨夜(金)に「西洋史学の出版の今とこれから」について書いたことで、落ちていた重要な論点は、「大きな問いを取り戻す」という鈴木哲也さん(京都大学学術出版会)の最初の問題提起です。これは2つの理由で、ただちには触れられませんでした。

 第1に、「大きな問いを取り戻す」なんて、当たり前でしょ、ということ。レンガをいくら集めても建物(家屋)にはならない。レンガの集積より以上のことをしなければ家は建たない、というのはE・H・カーもアーノルド・トインビーも言っていたことです。
たとえば、『歴史とは何か 新版』p.18 では「‥‥微に入り細をうがつ専門研究が、ますます小さなことについてますます膨大な知識をもつ歴史家候補生たちによって、巨大な山のように積みあげられ、事実の大海に跡形もなく沈んでいます。」
同じく pp.11, 276 では「大工の棟梁」architect、そのわざ architectonic という語を用いて、学問的構想力の必要を論じていました。
 また、ぼくたちの先生の世代からは、若い院生のゼミ報告のあと、まず最初に「そんな(チャチな)ことをやっていて、どこがおもしろいんだ?」といった対質を受けるケースを、しばしば見てきました。つまり、戦中戦後を知っている学者たちの強い問題意識/意志が若い世代に共有されなくなった1970年前後からの、長い齟齬の時代。その齟齬が、ハードアカデミズムjournal-driven researches という形でバイパスされているとしたら、空虚な時代ですね。

 第2には、そもそも京都大学学術出版会の誕生にかかわる、八木俊樹さんを想い出すからです。京都大学学術出版会の本を手にした人は、なぜこの publisher は「京都大学出版会」でなく、わざわざ「学術」と名乗っているか、ご存知ですか?
 すでに1970年代には京都大学を中心に University Press を立ち上げようという話は動いていて、さまざまの交渉が交錯したようですが、そのなかに(当時まだ社会思想社にいた)八木俊樹さんがいました。そしてこの社会思想社と八木さんは、他ならぬ「社会運動史研究会」にも関与していたので、ぼくたちも東京で、京都で、八木さんの人柄に触れる機会があったわけです。『歴史として、記憶として:「社会運動史」1970~1985』(御茶の水書房、2013)の巻末索引および略年表;そして彼の遺著『逆説の對位法(ディアレクティーク) 八木俊樹全文集』(2003)を参照してください。
 「社会運動史研究会」が1970年代のもろもろの尖鋭性と発達不全の限界を持ちあわせていたことは、『歴史として、記憶として』からも容易にうかがえると思います。そのなかで八木さんは、研究者のチンマリした「小業績」には関心なし、でした。こわい御意見番でした。

2022年11月4日金曜日

西洋史学の出版の今とこれから

 昨3日(木)には、京大の西洋史読書会大会で、シンポジウム「西洋史学の出版の今とこれから」 https://www.bun.kyoto-u.ac.jp/european_history/eh-dokusyokai-new/ があり、Zoomにて視聴しました。多くの関係する方々の十分な協力があってこそ実現したのだろうと想像されますが、すばらしい企画でした。
 個人的経験として、一著者が幸運にも有能な編集者・出版人と知りあって、一緒に仕事する過程でいろいろな助言を得て、学習し、ゆっくり育つということはあったでしょう。【ヴェテラン編集者の場合は、逆方向のヤリトリで学習をくりかえしつつ、逞しく育つのでしょう。】しかし、今回のように4種の出版について、それぞれ編集者=著者間の良き友情もうかがわせつつ、経験と教訓が公共的に語られたのは稀有なことです。若い研究者には未知の世界を垣間見た思いでしょう。
 感動のあまり、一人の胸に収めることあたわず、以下、順不同で感想を述べます。

・佐藤公美さんは(他の問題とともに)何語で書くかという論点を呈示され、これはまじめな外国史研究者の悩んできた問題です。もうすこし(別の機会にでも?)語り合い、深めるべきかと思いました。
 また専門論文は、著書という形でなくとも、専門誌や論集への寄稿という形での publication があるわけで - そのほうが読まれる機会も相対的に多かったりして -、ガチの専門書出版は、助成金なしには難しいですね。とはいえ、佐藤さんの報告は多岐にわたりましたが、「文体」の指摘も含めて、もっとも深く考えられた感動的なものでした。心ゆさぶるものがありました。

・白水社の糟屋さんが、出版サイドの判断として、厚い本だからといって困るとは限らない、むしろ薄くて苦労することもある、とは眼から鱗でした! コスト計算が合理的に成り立ち、内実のともなう本でさえあれば、良心的な出版社は OK してくれるのですね。内実しだいというのは、心強い。

・金澤周作さんも言われたとおり、一般学生(あるいは積極的な高校生)にとって新書は学問(考えること)への良き道案内です。岩波書店の飯田さんの巧みな表現によれば「観光案内」なのですから、ぜひ実力ある執筆者にはまじめに/本気で取り組んでほしいと思います。じつは一般学生や読者だけでなく、他分野の専門家にとっても、岩波新書は最初に頼れる導師、信頼できる博識な「観光ガイド」なのです。
 ただし、たとえば柴田三千雄は中公新書と岩波新書を書いたけれど、二宮宏之は書かなかったというように、向き不向き/ときどきの巡り合わせはあるでしょう。それにまた、新書ばかり量産している方は、あまり近くに居てほしい人ではありません‥‥。
 ポイントはむしろ新書かどうかよりも、低価格の(今日では2000円未満くらい?)、しかも目に止まりやすい出版が、ひろく知的に飢えた若者向けに必要なのだと思います。小山哲・藤原辰史『中学生から知りたいウクライナのこと』の場合は、迅速な公刊という点でも、特別な賞賛と推奨に値する出版でした。

・井上浩一さんと江川温さんのやりとりから展開して、討論されたとおり、翻訳および新書の苦労と成果についても、しっかり踏みこんだ、批判的な書評がぜひ必要というのは、大賛成です。

・最後の松本涼さんがアウトリーチ、「協働」について具体例を紹介してくれました。ぼくにはちょっと別世界の感がありますが、それぞれの世代、それぞれの感性にたいするアプローチは必要でしょうね。ただしぼく自身が関われるのは、せいぜいブログまでです!

 感激のあまりの、妄言多謝です!

2022年9月18日日曜日

エリザベス女王からチャールズ王へ

今夕配信の『朝日新聞』オンライン版 ↓
https://digital.asahi.com/articles/ASQ9J6581Q9HUCVL044.html
で拙稿が公開されました。印刷版では、女王の葬儀(文字どおりの国葬です)の19日(月)朝刊に載るはずのものですが、ウェブでは半日早く公開されるのですね。
他の識者・先生方とはちょっとちがう議論をしています。『イギリス史10講』も『歴史とは何か 新版』も『王のいる共和政 ジャコバン再考』も著している者として、短いスペースながら言うべきことは言いました。
ウェブですとカラー写真で、かつ「紙媒体では所定のスペースから溢れ出てしまい、ボツになったチャリティ法についてのパラグラフ」が甦りました! ここにこそ、ウェブ版のメリットあり、ということですが、しかし、これでは紙離れ、ウェブ志向が、ますます進行してしまいます! ちょっと心配。

『歴史とは何か』の人びと(1)

 いま台風14号が襲来中の地域のみなさまには、済みません、悠長すぎる情報かもしれません。

 『歴史とは何か 新版』に関連して、月刊の『図書』に連載を始めました。 「『歴史とは何か』の人びと」第1回は「トリニティ学寮のE・H・カー」です。9月号(通巻885号)、こんな具合で、毎回計6ぺージです。↓

紙幅もあり、あまり立ち入っては書けませんが、それでも『歴史とは何か 新版』の訳註や補註には書ききれない、それなりに意味あることを述べてゆきたいと目論んでいます。
 岩波書店の『図書』誌は、『みすず』や『未来』、そして今は消えてしまった『創文』とならんで、むかしは大学生協書籍部に、自由に持っていってくださいって具合に置いてありました。定期購入する場合も、たしか1部10円、年間100円といった「第三種郵便」の郵料だけ負担で、「安い!」と感動したものでした。今も、見てみると定価102円、1年分まとめて購入すると1000円(送料共)ですから、やはり安いと言えますね。
 大学図書館、公共図書館にもかならず置いています。

いま気付きましたが、岩波書店の WEBマガジン「たねをまく」にこの第1回の全文が載っています。こちらにはハイパーリンクも張ってあるので、便利! → https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/6074

2022年9月17日土曜日

9月25日 『歴史とは何か』を再読する

9月11日(日)午後には早稲田のWINEウェビナーで自由に語らせていただきました。
https://kondohistorian.blogspot.com/2022/08/wine911.html
多数の皆さんの参加をえて、なにより池田喜郎さんのコメントが力強く、司会=中澤さんのリードとあいまって印象的でした。
ロシア文学・ソ連研究の方面から、ぼくには言えない評言があるだろう、とは予測していましたが、それ以上に(遅塚忠躬に先行する)1940年、53年の林健太郎による仕事の評価があって、これには脱帽です。

さて、これとは全然別に企画された催しとして、史学会例会「E・H・カー『歴史とは何か』を再読する」があります。
案内は、こちら → http://www.shigakukai.or.jp/annual_meeting/schedule/
9月25日(日)午後2:30~、ハイブリッド式で実施とのこと。
  司会 勝田俊輔
  報告
  1.成田龍一(日本女子大学名誉教授)
  2.加藤陽子(東京大学)
  3.小山哲 (京都大学)
  4.吉澤誠一郎(東京大学)
  レスポンデント 近藤和彦(東京大学名誉教授)
11日WINEの催しではぼくのほうから語り出すことができましたが、25日はむしろ「俎上の鯉」で、こちらは身を清めて臨むしかありません。
無料で公開ですが、事前申込制(9月20日受付締め切り)です。
申込フォームは、こちら → https://forms.gle/Adc9VFAWf1EeBReT8 

2022年9月9日金曜日

The Queen is dead

6日のバルモラル宮での首相認証式にはにこやかに臨んでいた Her Majesty the Queen でしたが、日本時間で今朝未明(8日午後 BST)に亡くなったということです。1926年の生まれで、96歳。心底、お疲れさまでした。
ヨーロッパの君主として例のとおり、間髪を入れず、
  The Queen is dead. Long live the King!
と宣告されたのでしょう。
新王「チャールズ3世」とは、ジャコバイトの呪われた歴史がありますが‥‥
イギリス史をやっていますから、いろいろと考えます。
今の時点では、立憲君主制あるいは「国のかたち」について、どこかに書いてみたいという気持になっています。
 かつて書いたもののうち、映画「クイーン」(2006)評、また中澤編『王のいる共和政』(岩波書店, 2022)にも関係します。

2022年9月8日木曜日

ラス ではなく ト

今回の党員投票で、英国保守党(の党員基盤)が、米共和党のそれに似た内向き・後向き集団であることがあまりにも明らかになりました。保守党議員投票による1位の Sunak(もと蔵相)が、エリート臭を嫌われて、党員投票では敗北しました。政策的になにか不合理なことがあったわけではありません。
逆に大学時代の労働党 → 自由民主党から保守党へと鞍替えし、EU堅持派から離脱派へと転換した(ようするに時流に乗るポピュリスト)flaky Liz(ハスっぱリズ)のトラスは、議員投票では2位止まりだったのに、一般党員の支持を集めました。理屈や合理性を問わない、したがって政策的有効性もわからない即効性のスローガンで勝利する、ジョンスン前首相と同じ手法です。
Liz Truss の発音ですがラスでなく、信頼の trust から t の足りないまま s を重ねた Truss ですからトスです。Trustworthy ではなく、Truss unworthy です。
ちなみにトラスのことを日本のマスコミは「サッチャ元首相を尊敬し「鉄の女2.0」とも呼ばれる」などと一知半解のことを言っています。これは2重の意味で失礼な話です。第1に Iron Lady は「鉄の女」ではなく「鉄の淑女」です。ゴルバチョフが名付けたと言われますが、「女」と見下しているのでなく「レイディ」と一定の敬意を表していました。
第2にサッチャは父も夫も保守党員で、父にも夫にも愛され、メソディスト(カトリック嫌い)で、ハイエク、フリードマンを勉強した筋金入りの Conservative & Unionist でした。トラスははるかに浮気で、上に書いたように党を左から右へ渡ったポピュリストであるばかりでなく、夫婦関係についてもサッチャ夫妻とは大違いです。
 いずれにしても Brexit の撤回、ヨーロッパ統合への(ベネルックス主導でない)イニシアティヴの回復がないと、連合王国(UK)の将来は暗い。北アイルランドの通商問題は全然解決していません。スコットランドの分離独立も行程表に上ってくるでしょう。しかも、たとえ次の総選挙で労働党政権になったとしてもEUへの復帰に舵を切れるかどうか。<左のグラフは『日経』より引用>

このままでは、われわれが知っている(幕末明治以来の)「英国」は、あと10年くらいのうちに解体してしまう運命でしょうか。イングランド人は、小さく「寄り添い、互いに平明な日常英語で語りあいつつ、「外の諸国や諸大陸はおかしな言動をするものだから、わが文明の恵みからも運からも孤立してしまったのだ」とかつぶやいているのです。」カー『歴史とは何か 新版』p.255  - これが61年前の連続講演の終わりに近い一句だとは、にわかに信じがたいほど、今に当てはまります。

2022年9月1日木曜日

池袋のジュンク堂

昨日、外出のついでに池袋のジュンク堂に行ってみました。その1階入口には「現在と過去の対話のために」と題する、例の特製ブックガイドにもとづく展示があり、
4階にはジュンク堂開店25周年特別企画として「人文学入門の手引」による展示があり、
それぞれ、なかなかの壮観です。
『歴史とは何か 新版』にともなう岩波書店の「特製ブックガイド」23点について、前にこのブログで触れました。 →https://kondohistorian.blogspot.com/2022/08/blog-post.html
人文学入門の手引」は、7月にジュンク堂からの委嘱があり「歴史学」というジャンルについて5点を推薦ということで、こんな原稿を用意したのでした。

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 人文書5冊(歴史学)
1.『翻訳語成立事情』  柳父 章 (岩波新書、1982)
 高校3年生や大学1年生が最初に読むべき本。言葉は歴史的に生まれ、使われてきた。「自由」も「社会」も「個人」も「愛」も「彼・彼女」も幕末・明治の東西交流から生まれた。
2.『社会認識の歩み』  内田義彦 (岩波新書、1971)
 社会を歴史的に考えるキミのために。マキアヴェリは運の女神は前からつかまえるしかないと主体性をうながし、ホッブズは国家を論じる前に人の感情に立ち入って考える。
3.『歴史学入門 新版』  福井憲彦 (岩波書店、2019) 
 歴史学をはじめとする学問は20世紀に大きく転換した。今どのような景色になっているか、本書はバランスよく指南してくれる。このあと何を読むと良いか、文献案内もたっぷり。
4.『全体を見る眼と歴史家たち』  二宮宏之 (平凡社ライブラリー、1995)
 フランスで生まれ展開したアナール学派。パリで彼らと一緒に史料調査し、議論した二宮による自分ごととしての歴史学。この語りにあなたの心が動かないなら、歴史学はあきらめよう。
5.『歴史とは何か 新版』  E・H・カー 近藤和彦訳(岩波書店、2022)
 名著の新訳・註釈付き。「歴史とは現在と過去の対話」、そして「すべての歴史は現代史」といった有名なせりふの意味を知りたければ、これを読むしかない。歴史学入門の仕上げ。
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ところが、内田さんも二宮さんも版元品切ということで、しばらく悩んだあげく、エイヤッと ↓ 写真のように差し替えてみたわけです。
 

ぼくの差替え部分はさておき、日本近現代史、イギリス史、ドイツ史、フランス史など、それぞれなるほどと思わせる選書です。しばらく見て歩いたあと、同じ4階に清水幾太郎関連の本が何冊かあり購入しました。計1万円をこえたので、4Fカフェで一杯分のサービス券がもらえて、一服しました。

2022年8月25日木曜日

『日経』と『朝日』

北海道も暑かったとはいえ、30度以下でした。東京に戻ってあらためて気付いたのは「蝉しぐれ」です。
21日(日)『日本経済新聞』The Style の「文化時評」に掲載されたのは、深田記者のエッセイ風「『歴史とは何か』とは何か」でした。
24日(水)『朝日新聞』夕刊の1面は北海道・富良野の鉄道についてでしたが、2面「考える read & think 」というぺージには、大内記者の「問いかける知識人 新たなカー像」というインタヴュー記事が見えます。ぼくの顔写真までも。
どちらも市松模様の写真とともに、たっぷり書いてくださって、有難いことです。

真夏の大雪山国立公園

8月も下旬。みなさま、いかがお過ごしでしょう。
ぼくは母の新盆の後は、北海道に飛び、札幌から道東へ。十勝平野の北、大雪山の南の秘湯めぐりと洒落込んだのですが、警報が出るほどの強雨で、通行止めにも遭遇しました。 でも翌日にはカァーっと晴れて、たっぷり紫外線を浴びるとか。相客もそれなりに居て、(みんなマスクをしていますが)パンデミックも終局に向かいつつある、という空気でした。

然別(しかりべつ)湖糠平(ぬかびら)湖といった名は初耳のような気がするけれど、帯広から糠平を経由して十勝三俣にいたる士幌線については、中学の人文地理で習ったな、とあやふやな記憶がよみがえり、糠平のひがし大雪自然館の脇からおりて廃線跡を歩き、左手の橋梁跡へ、右手の鉄道博物館まで行ってみました。

糠平川橋梁の下では前日の強雨のためものすごい濁流(↓)を間近にみて危険を感じ、鉄道博物館の士幌線関連の展示は、モータリゼイション≒高度成長期の前までの林業と鉄道を想わせ、そこはかとなく懐かしいものでした。

2022年8月5日金曜日

WINEのシンポジウム(9月11日)

ありがたいことに早稲田大学のWINE研究所で、下記のような催しを企画してくださいました。こちらをご覧ください。参加希望の方は、事前の視聴申込・登録が必要です。
https://www.waseda.jp/inst/cro/news/2022/07/14/9747/
http://wine-waseda.com/project
ポスターはこちらです。 → https://twitter.com/WineWaseda/status/1546439755449368576/photo/1

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WINEオンライン・シンポジウム「E・H・カー『歴史とは何か』を読み直す」(第12回研究会)
日時 2022年9月11日(日)14:00~17:00
場所 Zoomによるオンライン・シンポジウム(申し込み方法は下記のとおり)
開会の辞・注意事項 中澤達哉(早稲田大学・WINE所長)
報告者      近藤和彦(東京大学)
        「『歴史とは何か』を読み直してみると」
コメンテーター 池田嘉郎(東京大学・WINE招聘研究員)
申し込み方法
  参加については事前登録制を設けます。参加費は無料です。
多数の参加が見込まれます。視聴申込はお早めにお願い致します。
登録情報に基づき、講演会の2日前までに、主催者の中澤からZoomURL、レジュメを配信致します。
以下のGoogleフォームから参加登録いただけますと幸いです。
 https://bit.ly/3RbQusu

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2022年8月1日月曜日

特製ブックガイド

 第七波だ、梅雨の戻りだ、戦争犯罪だ、体温以上の気温だ、などと言っているうちに月が替わって、8月=葉月です。
 ぼくの本には、ウクライナのもなければ、プーチンのも出てこない - そうした点で、まだの人にはまず、小山・藤原『中学生から知りたい ウクライナのこと』<http://kondohistorian.blogspot.com/2022/06/blog-post_11.html>などを手にして欲しいです。それにしても、パンデミックや戦争も含めて、長期的に人類史や現代文明の問題として考えるときには、ぼくの本も少しは役立つかな、と思います。
 『歴史とは何か 新版』の販促グッズとして、A4表裏を四折りにした「特製ブックガイド」なるものが、7月から大きな本屋さんや大学生協書籍部に置いてあるかもしれません。赤白市松のデザインで、小さいけれど目立つ「粗品」です。

その裏に、訳者厳選ブックガイドなるものを自由に書かせてもらいました。最初は20点というはずでしたが、版元品切れのものが少なくないので、補っているうちに計23点になりました。
 各100字までという制限があります。ただ「良い本」です、夏休みに「考える糧」となりますよ、といった推薦文ではつまらないので、具体的にその魅力やポイントにぐっと迫りました。プランパー『感情史の始まり』といった本について、「‥‥ドイツのメルケル首相が犬嫌いと知ったロシアのプーチン大統領が、会見場に巨大な犬をリード紐なしで放つ意味も論じる」といった具合に。 写真は上半分です。下半分は現物をご覧ください。

2022年7月15日金曜日

7月14日に思ったこと

 35度をこえる暑い日が続いたかと思うと、豪雨が全国的に展開。Covid-19 も第7波入り、というだけでも大変ですが、参院選最終盤の7月8日(金)にあった凶行とその報道、その後の参院選の結果(弔い合戦?)には、暗然とします。
直ちにいろいろと考えましたが、身辺のことに紛れ、ブログ登載はかないませんでした。ここに遅まきながら、すこし書いてみます。
 7月8日昼に奈良であった安倍元首相襲撃/暗殺について、直後の報道や政党の発言の多くは、a.「民主主義への挑戦だ」「暴力による言論封殺は許せない」といったものでした。まもなく b.「特定の宗教団体へのうらみ」という捜査陣からのリーク情報が加わりました。
 後者(b)のリークについては、まず正規の記者会見報道でなくリークであることがけしからんと思いましたが、やがて海外メディアでのみこれが Moonies (文鮮明から始まった世界統一神霊教会)のことだと報じられたのには、怒りに近いものを感じました。日本のマスコミ業界の自主規制はここまで極まっているのです。こういった自主規制≒事なかれ報道に甘んじているマスコミでは、いざという時に信用されませんよ。
 そもそも世界統一神霊教会のことを、今どう名を変えているとしても、「特定の宗教団体」と呼ぶべきなのか、ただの「カルト」ではないか、という付随的な疑問もありますが、こちらは(今日のところは)問題にしません。
 ◇
 むしろ大問題なのは、(a)今回の事件は「民主主義への挑戦」や「暴力による言論封殺」のたぐいなのか、ということです。Oh, No! それ以前の、より深刻な問題ではないでしょうか。
 41歳の容疑者は、民主主義や議会制民主主義に不満をもらしたことはあったのか。あるいは自分の凶行が、国政の基本(国のかたち)にある「効果」をもたらすことを期待して -政治的テロリズムとして- 手製銃の引き金を引いたのか。否でしょう。
 彼はもっと別のレベルの、しかし本人にとっては深刻な不幸(母のこと、失意の人生、誰かの不用意な発言, etc.)について繰りかえし悩み、その不幸の原因を「これ」と思い詰めて、「これ」を解決する/消すためにどうするか執拗に考えた。それが母を奪ったカルトの代表を襲うこと、それが実行不可能となると、第2目標として安倍晋三元首相を襲うことだった。‥‥
 そこには論理の飛躍があり、分析も検証もないままの思いつきで、それを直線的に実行するための情報とノウハウを集積したのでしかありません。しかし、そもそも複合的な事態を調査探究したり、友人や同輩と対話し討論しながら、考えを具体化してゆくという訓練も経験も、彼は -学校でも自衛隊でも- していないのではないでしょうか。そもそも「話し相手」「グチ友だち」といえるほどの人は居なかったのかもしれない。
 TVなどで中学高校の同級生や、職場の同僚が「あんなにおとなしい人が‥‥」「いつも人に合わせる人で、暴力をふるうなんて想像もできない」とコメントするのを聞かされると、そもそも取材する側の無知と想像力の浅さに唖然とします。おとなしすぎる人こそ危険なのです。自分の意見を言ったことのない人こそ(いざとなれば)凶暴になるのです。
 こうしたことは民主主義や議会制よりはるか以前の、人間の社会性、あるいは文明/市民性の大前提ではないでしょうか。
 学校教育で、また社会で、こうした事態や証言の分析、人前での報告、ディベートやディスカッション、そして紙の上での文章化‥‥要するに以前から問われていた公民教育/文明的経験を欠いたまま、やれ「民主主義を守る」だの「言論の自由」だの言ってみても、ただのお題目にすぎないのではないでしょうか。  ◇
 じつは9日(土)午後8:00-8:45のNHKスペシャル「安倍元首相 銃撃事件の衝撃」と題する番組の後半で、御厨(みくりや)さんがコメントしていました。【まだ土曜まで NHK plus での視聴は可能です。】
「‥‥災害、疫病、戦争と続いて、人心が惑った。この国もテロを呼びこむのか。みんなが何でも言える社会になった。これはいい。しかし(イエス or ノーの)二値論理の対立になっちゃっている。これはまずい。自分の要求(思い)が通らない時にどうするか。内容のある議論を尽くして、これなら許せるという妥協点を見つける。このマリアージュが大事です。」
「妥協できる合意」を見つけて実行しよう、という立場です。
 ◇
 1789年7月14日から、フランス革命は時々刻々と展開しますが、1792年、93年と緊迫した情勢で、いわゆるジャコバン派(山岳派)が勢いをもち、93~94年のいわゆる「革命独裁」を国民公会が支持することになります。
 この苛烈な革命独裁は、味方と敵、パトリオットと反革命、徳と悪徳、純粋と腐敗といったシャープな対置、二項対立を是とし、異論をとなえる者、迷い、曖昧なままでいる者を許さず、さらには「まちがえる権利」も許さなかった。『王のいる共和政 ジャコバン再考』(岩波書店、2022)p.14.
 これをかつての「ジャコバン史学」は、歴史の必然とするか、あるいはせいぜい「歴史の劇薬」として是認していた。ロベスピエールやサンジュストの93~94年のメンタリティを、純粋で高貴と受けとめるか、悲劇的に狂っていると受けとめるか。革命史にかかわる人は、全員、この問題に正気で取り組むべきでしょう。
 御厨さんの立場は、必然や劇薬ではない。イギリスの首相ピットも、89年に始まったフランス革命には賛同し(バークとはちがいます)、92年の急転には唖然とし、93年1月のルイ14世処刑には意を決して、2月に対仏大同盟を結成します。はっきりと識別しておきたい。巻末の「関連年表」も活用してください。