2011年10月28日金曜日

留学生交流支援制度(長期派遣)

いつも大変お世話になっております。
標記につき、本機構ホームページに掲載をいたしましたので
ご報告いたします。

http://www.jasso.go.jp/scholarship/long_term_h.html

今後ともよろしくお願いいたします。

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日本学生支援機構
留学生事業部 国際奨学課
http://www.jasso.go.jp/
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以上、来信から貼付します。

2011年10月25日火曜日

学士会分館のあと

 赤門脇の新建築について、2009年には、こんな写真をみていただきましたが、
→ http://kondohistorian.blogspot.com/2009/06/blog-post_28.html
現在はその隣に、右のような建物の工事がすすみ、出来上がりつつあります。
 本郷通り側でなく、東側、理学部生物学科の方向から撮りました。

 全学施設で、会議室・小講堂・レストランと、それから通り抜けのアーチがあって、経済学部や医学部に抜けられるようになります。便利で良い雰囲気、と期待されるところですが、2012年3月末に完成、4月初から利用開始ということです。
 残念、まにあわず!

2011年10月22日土曜日

本郷の光景

 「これはいったい何だ」、という今月の光景です。

 正式名称は何というのか、各部局を巡回して、段ボール詰めの機密書類をシュレッダーしたうえ、煉瓦のように固めてしまう装置です。なぜか水が滴り落ちる、灰色の「煉瓦」。その煉瓦が産み落とされる瞬間を撮りたかったのに、ぼくのケータイカメラでは思った瞬間にはシャッタが切れません。10年くらい前のデジカメを想い出しました。
 一人ではシュレッダーしきれない、学務関係の紙類を1箱だしました。

【危険なリンク 2つ】

このページをご覧の皆さまには被害がなかったことを望みますが、
公開されていないログイン → ダッシュボード画面に「トラフィック」という欄があり、そこに嫌な感じのリンクが2つ張られていました。
これをどうやって除去するかがわからず、当たらず触らず、過ごすしかなかったのですが、今朝みると、どちらも消えています。Google社で処置してくれたのでしょうか。
検索してみると、こうしたトラブルが世界中で広がっていたようですね。
  生兵法はケガのもと、と言いますが、
  自分で即対応できることだけ済ませ、あとは慎重に管理元の処置を待つ、
という姿勢でよいのかな。
   Don't click on the spam links!
   I didn't click on either link but, just for the record,
   I just got hit by the following 2 sites:
   http://googlecorrection。com and http://shineads。net/

2011年10月19日水曜日

『アニメで読む世界史』

 なんだこの変な本、と思って開いたら、案外でした。編者藤川さんの「あとがき」の大阪弁ムードとは全然ちがって、しっかり真面目に書かれています。しかも、おもしろい!

 大学教師風の不満を述べるなら、唯一、たとえば「ド・ラ・ラメー」とか「ウイーダ」とかいっても、(章末註でもいいですが)原綴りを示してほしい。でないと、ODNBOxford companion to English literature も引けません!
 de la Ramée (1839-1908), ペンネーム Ouida ですね。
彼女のイギリス人旅行者的な眼の軽薄さも、第2章「フランダースの犬」の隠れたテーマなのかな?『フランダースの犬』が1872年刊、翌73年にはヴェルヌの『80日間世界一周』が刊行されることを考えると、やはりこちらはリサーチという点でも、歴史感覚および想像力という点でも劣る。
「ネロはルーベンスになれるか」、そしてベルギーの現代的問題についてもしっかり論及してあり、これは学生の必読文献でしょう。「同僚との会話のネタができる」どころか、もっと知的な本ですよ。
 時代を19世紀から20世紀前半に絞ったのは、聡明な編集方針と思われます。
 阪大西洋史の実力と、山川出版社のセンスが合わさってこそ、実現した出版。
【山川出版社、2011年9月刊、1500円】

2011年10月18日火曜日

【危険なサイト g・correction】

今晩、知らずにアクセスしたら、とたんに自動的にページが次から次に展開し、こちらをパニック寸前に追い込んだ悪意のサイトです。
→ //:www。google・correction。com
【微妙に全角や余分な punctuation を交ぜて加工し、このままでは動作しないようにしてあります。一見してこれに酷似したウェブサイトには、アクセスしないでください。】

 ウェブの世界で検索してみると、これの被害経験者は多いようです。
My blog is being hit by www。googlecorrection。com - help me stop this attack!
How do I stop this?

 で、そのときぼくは、とっさにどうしたか?
 対策として、動作中に電源をいじるのは危ない(HDを傷つける)と考え、まずLAN ケーブルを抜きました。PCを stand-alone にしたわけです。
それから落ち着いて、余分に開いているウェブページ右上の X をクリックして次々に閉じましたが、結局は消去しきれないページも残り、
→ [スタート] → [終了オプション] → [電源を切る]
としました(再起動ではなく)。

 頭を冷やして(不愉快感が消えてから)、仕事再開。
 これで良かったのか。識者のご助言をお願いします。

2011年10月17日月曜日

遅塚さんとDNB

 今日、青山学院における遅塚先生を記念する会で、いろんな話題がありましたが、歴史的与件のなかでの人の生き方、その選択への強い関心は、だれしも持つところでしょう。伝記的叙述のおもしろく有意義なところです。伝記文学でなく、アカデミックな伝記的研究、DNBみたいな叙述のことを念頭において言っています。【ところで「生きざま」という表現は「死にざま」みたいで嫌だと遅塚さんはおっしゃっていました。】

 それにつけても想い出しますが、1990年代のお終いに遅塚さんから電話がかかってきて、「蔵書を少しづつ処理しているのだが、DNB (Dictionary of National Biography) は私はもう使うことはないだろう、君は要らんかね」という趣旨でした。
 イギリス史の基本文献とはいえ、全巻私物でお持ちだったのですね。
 ところがぼくは、心配りも挨拶もできない男ですので、条件反射的に、こう答えました。

「先生、現行の DNB は増補をくりかえして、当該の人が何年に死んだか知らないと探し出せないし、不便なことこのうえない。そのコンサイス版は持っていますので、個人的にはそれで調べて、詳しくは図書館で見ます。そもそも根本的な改訂中で、あと2・3年もすればインターネットで全文検索できるようになります。
 場所塞ぎで、無用の長物ですね。なんなら、**くんとか、# # くんとかに聞いてくださってもいいですが、とにかく現役の研究者なら、要らないと言います。」

 電話の向こうで遅塚さんは、得心のゆかぬまま、諦められたようです。「あと2・3年もすれば‥‥」というのは早すぎで、結局、改訂版の DNB、すなわち ODNB は2004年まで刊行されず、インターネットにも載らなかったのですが。

 遅塚さんとぼくとの関係は、今日の記念会で発言なさったどなたよりも濃いのではないかと思われるほどですが、その分、あまりに遠慮なく甘えて、馬鹿のようなことを言い過ぎました。晩年には、あきらかにぼくとの距離を保っておられました【遅塚さんが電話で柴田さんを相手に、近藤の態度の悪さについて愚痴られたのは一度や二度ではない‥‥】。反省しています。

 いま『岩波西洋人名辞典』を全面改訂企画した『岩波世界人名辞典』が編集進行中ですが、遅塚さんに頭を垂れつつ謝意をこめて、ODNB を駆使しつつ、簡にして要をえた、しかもおもしろい、項目にするため、微力をつくします。

2011年10月15日土曜日

秋の西空


 夕刻 散歩していて、驚いたのは - 電線に群がる圧倒的なムクドリの群れ。上の写真では静かに整列しているように見えるかもしれませんが、じつは、第一にうるさい。「おまえ、近すぎだ、ドケ」とか言い合っているがごとし。しかも、第二に、数分もしないうちに わっと飛び立って、しばらく空を舞ったあとは「椅子取りゲーム」みたいに一斉に着席するのです! 完全に mobile vulgus.
 うちからさほど遠くない近隣ですが、この時間帯に歩くことがあまりなかったので、こんな光景が毎夕くりかえされていたとはつゆ知らず。

2011年10月12日水曜日

Taylor & Trevor-Roper

 今夕のメトロでの会食、いろいろありましたが、最後の話題は
A J P Taylor (1906 - 90) と Hugh Trevor-Roper (1914 - 2003)のことになりました。
どちらも 神童、若くして後生畏るべしとされた秀才たちが、20世紀半ば以降のオクスフォード大学において、その才能をメディアや配偶者のために、活用したのかムダにしたのか、といったことです。そのことを ODNB がいかに上手に(学問的な裏づけのある、読んでおもしろい文として)書いているか、というのも副次的だが重要なポイントでした。

A J P Taylor については、こちら↓
http://www.oxforddnb.com/view/article/39823【マンチェスタ大学時代の経験、そしてネイミアの隠然たる影響もきちんと指摘してある。マンチェスタを辞して、オクスフォードの唯野フェロー。なぜこうした風貌の男が女性にもてたのか、ということも明記。】

Hugh Trevor-Roper については、こちら↓
http://www.oxforddnb.com/view/article/88756?docPos=1【オクスフォードの欽定講座教授、ケインブリッジのピータハウス学寮長、受爵。そしてヒトラー日記の(カネまみれの)スキャンダルで際だちますが、しかしアルツの奥さんをしっかり看取ったというので、最後にほっとする。とはいえ、彼自身の最晩年は孤独で不安に満ちたものだったようです。】

 ちなみに、第二次世界大戦起源論については〈修正主義者〉とされた AJPT ですが、ブリテン諸島史をとなえる修正主義青年ジョン・ポーコックから 1974-5年にイングランド中心主義と批判されて、「なにが悪い」と居直った。このことじたい、修正主義の〈無窮性〉みたいなものを示していて、おもしろいとぼくは思いますが、さすがこの論点までは ODNB は指摘していませんね。
 それから19世紀末のケインブリッジのホウィグ史家、同年生まれの二人というのは、Seeley (1895没)と Acton (1902没) のことでした。前者は福音伝道主義、後者はローマカトリック。どちらもリベラル進歩主義。当然ながら、カーの『歴史とは何か』の俎上にのぼせられています。

2011年10月1日土曜日

西方より

〈高地地方の Glen に籠もってしまったのか、このところまったく音沙汰なき、好青年にメールしてみました。以下のような返信があり、一安心。〉

‥‥長い間音信不通で申し訳ありませんでした.
連絡が遅くなってしまったのは,博論が完成していないのに報告するのも格好悪いと思ったからです.

博士論文の件ですが,遅ればせながら完成に近づいています.
いま最終原稿の仕上げの最中で,来月末に提出予定です.
Viva の審査官は Oxford の Bob になる予定です.
Viva は来月1月くらいになります.

論文については,正直会心の出来と言うわけではなく,
いろいろと後悔の残る博士論文になってしまいました.
今ではああしていればよかった,こうしていればよかった,と考えてばかりです.
Harry 先生の評価がそれほど悪くないのが幸いです.

Viva が終わった後は,こちらでしばらくポスドクを探そうと考えています.
その間に英語の業績を積み重ねておこうと考えています.
仕事が見つからなかった時のことはまだはっきりとは決めていませんが,
こちらに残ってアカデミックではない仕事を探すか,それとも日本に帰ってアカデミックな仕事を探すか,どちらとも決めかねています.

僕も来年には * * 歳になるので,仕事を見つけて家庭をもちたいと強く思うようになりました.
そのことを考えると,アカデミックな世界にこだわると,あと何年仕事なしでふらふらすることになるのか,不安で仕方がありません.
来年日本に帰ってもまず仕事はないだろうし,数年非常勤などで食いつなぐ生活になると思いますが,はたしてそれが現実的に良い選択なのか,あまり確信を持てません.

こちらはもうすっかり秋の雰囲気で,あとひと月もしないうちに冬の気配がしてくることと思います.‥‥
〈個人情報的なことは割愛〉