2020年12月26日土曜日

奇蹟が起こったのか?

24日の午前(日本時間)にある編集者に送った我がメールでは、こう書いていました。

"事態は悪い方ばかりに向かい、この年末・年始のイギリスは、  Brexit+Covid → 大破局 を迎えるのかもしれません。(救いがありうるとしたら、EU側から差し伸べられるかもしれない友情の手のみ!) ヨーロッパで団結して事にあたらねばならない時に、「国家主権の亡者」の言いなりで余分な負荷を負ってしまった連合王国。Brexitを撤回しないかぎり、確実に三流国への道をたどるように見えます。"

世を悲観して、なにごとにも消極的で、憂鬱でした。

それがイギリス・ヨーロッパの24日の午後(日本の日付が変わるころ)には、あたかもクリスマスプレゼント(Surprise!)として計ったかのように、イギリス側・EU側ともに合意できる Deal が成立し、ジョンソン首相(UK)フォンデァライエン大統領(EU)が笑顔で記者会見したのです。奇蹟としか言いようがない。【以下、情報は https://www.bbc.com/news/uk-politics の数々のウェブぺージより】 President of the European Commission ですからマスコミは「委員長」と訳していますが、日本語の「委員長」は中間管理職的で、かなり弱い。Von der Leyen の権限は文字どおりEUの首長 =「大統領」です。

カナダ型の自由貿易で合意したとジョンソン首相。フォンデァライエン大統領は It was a long and winding road. ‥‥ It is now time to turn the page and look to the future. とにこやかに公言しました。UK は信頼できるパートナだ、とも。

約定書は 1246ぺージ、付録や註が約800ぺージ! そのうち政府のサイトに公開されているのはその要旨のみ、ということでヌカ喜びはまだ早いのかもしれない。労働党のスターマ党首は、しかし、「最悪の No Deal よりはまし」という理由で、早々と議会の批准に反対しない、と意思表示しました。 逆にスコットランド首相のスタージョンは、そもそもブレクシットはスコットランドの意志に反するのだから反対。むしろ "It's time to chart our own future as an independent, European nation." とヨーロッパ国民としての(イングランドからの)独立、を唱えています。 BBCのデスクも大急ぎの速読をへて、ヨーロッパの Erasmus プロジェクトによる大学生の交換交流からの離脱は既定方針、と憂慮しています。

要するにジョンソン政権には、イギリス ⇔ ヨーロッパの貿易に free trade(無関税取引)の原則を堅持する、ということが譲れない原則で、それ以上に商品の検認、人の交流・雇用については自由でなくなる、つまりEU政府の/UK政府の時どきの干渉により、実質的な制限が加わる、ということらしい。主権と経済優先。移行期間を終えて2021年にヨーロッパ統合から抜けることには変わりない。

BBC より

はたして主権に固執してきたジョンソン首相の勝利なのか? 否。むしろフォンデァライエンの友情のおかげで最悪の事態が避けられたに過ぎないのかも。想い起こすのは、今年1月末のEU議会におけるUK離脱を惜しむ Aulde lang syne の合唱、United in diversity の横幕(→ https://kondohistorian.blogspot.com/2020/02/blog-post.html)、のただなかでジョージ・エリオットの詩を朗読したのは彼女でした。

   "Only in the agony of parting, do we look into the depths of love.  We will always love you, and we will never be far."

今回の声明でも、ビートルズを引用して a long and winding road と語りだしました。彼女がイギリス(あるいは英語文化)に親しみと愛情を持ちつづけていることは明らかで、もし交渉相手のトップが彼女でなくマクロンだったら、こうは展開しなかったでしょう。

はたして最後の最後に、最悪の事態だけは避ける(山積みのイシューには、来年になってから取り組む)というのは、アメリカ合衆国におけるバイデン大統領選出と同じ構図です! 2016年からの4年間、いったい英米両国は、なにをしていたのか。無駄な言説とエネルギーの費消。

新型コロナウィルスの来襲、パンデミックの収まらない脅威によって「主権の亡者」たちも正気を取り戻した、ということであれば、これは「天からもたらされた賜物」かもしれません。そういえば、トランプも、ジョンソンも、マクロンも Covid に罹患しました。

Memento mori! 死を畏れよ! この世には「主権」より大事なことがある。あなどることなく、まじめに考えて行動せよ、と。

2020年12月22日火曜日

野村達朗さん, 1932-2020

 あとすこしで88歳になられるところ、今月に惜しくも亡くなって、すでに葬儀は済んでいるとのことです。

 1977年4月に名古屋大学に赴任して、ぼくの人生は新しい局面に入ったのですが、その名古屋におけるインフルエンサが野村達朗さんでした。ぼくが『思想』630号(1976年12月)に書いた「民衆運動・生活・意識」をほめてくださって、アメリカとイギリスと違うけれど、同じ労働者民衆の世界を社会史として見ている、それ以上に「近藤さんは民衆だ!」と過大評価してくださいました。

 名大文学部では非常勤の授業を続けてくださって、学生の良い先生でした。不定期ながら西洋史の研究会をやることもできました。それよりも映画についてのイニシエーションをしてくださって、名古屋は大須の芝居小屋で無声映画、グリフィスの『国民の創生』、そして『イントレランス』を一緒に見ました。小川プロの『日本国古屋敷村』も。

 西洋史学会大会の大シンポジウム、『過ぎ去ろうとしない近代』(山川出版社、1993)にどうしてアメリカ労働社会史の野村が入っているんだと、尋ねる人がありましたが、こうした名古屋の「密」なソシアビリテの結果であります。

 野村さんは1932年、鹿児島の生まれ。九州大学の大学院を修了してから愛知県立大学に赴任してそのまま30年間勤めあげたのでした。あの二宮宏之、遅塚忠躬と同じ「32年テーゼ」の年の生まれです。1950年代の東大西洋史は(34年生まれのTさんの言によると)、二宮・遅塚、そして33年生まれの西川正雄と「(知的)プリンスみたいな学生が揃っている研究室で、ぼくなんか気後れして‥‥」とのことでした。九州大学の、しかもエレガントでないアメリカ史をやって、野村さんも、このTさんと同じく「文化資本」の隔絶を感じてしまうはずのところ、そこはしっかり非共産党系の左翼労働民衆という立場を確立して自分の道を歩まれた。自己紹介では飲んべの「ノムラー」です、といった具合に気どらないおじさんでした。

 アメリカ史、カナダ史の交遊も広く、安武秀岳、太田和子、木村和男、金井光太朗、遠藤泰生‥‥といった方々とのお付き合いも、野村さんのおかげで始まったのでした。名古屋のアメリカンセンターで David Apter, Jack Greene をはじめ重要な学者たちと面談する機会もいただきました。亡くなってしまった木村和男とは、名大から四谷通りを下っていった店で初対面ながら、カナダや毛皮のことより、まずは吉岡昭彦、そしてグレン・グールドで盛り上がりました。

 近藤・野村(編訳)『歴史家たち』(名古屋大学出版会、1990);遅塚・近藤(編)『過ぎ去ろうとしない近代』で一緒に仕事をしましたが、明記されていなくとも、たとえば野村さんの『ユダヤ移民のニューヨーク』(山川出版社、1995)が〈歴史のフロンティア〉のシリーズに入っているのも、友情の結果です。『イギリス史10講』(2013)の名古屋における合評会にも出かけてくださいましたが、耳が不自由になって、とのことでした。2014年にいただいた(唯一の!)電子メールでは、長年ご愛用のワープロ専用機が壊れて使い物にならない‥‥と嘆いておられました。

 なかなか語り尽くせません。想い出を愛しみたいと思います。

2020年12月16日水曜日

ベルリンより

師走も中旬、いよいよ本当に寒いなぁと感じ入っていたら、予期せぬクリスマスプレゼントが到来! なんときれいなベルリンの住宅カレンダー。Charlottenburger Baugenossenschaft (シャルロッテンブルク住宅協同組合)とあり、毎月分 Shinichi 署名の景観水彩画です。
2000年の夏の終わりに Urban History の学会でベルリンに滞在したときは、工科大学に隣接し、クーダムからも遠くないホテルでした。このとき工科大学も本屋も運河もいろいろ案内していただき、楽しい想い出です。以後ちょうど20年も顔を合わせてないのではないでしょうか!

  朋あり遠方より来信、また楽しからずや。

それにしてもドイツの都市景観は、このカレンダーとは別の所でも、明るい雰囲気の似た場が少なくないような気がします。2005年にリサーチに行ったハノーファも [戦災による全滅後に建て直したようですが]これに似たよい雰囲気の住宅街の一角に泊まりました。Rathaus の前を通り、小川のほとりの Hannah-Arendt-Weg を歩き、Archiv に通ったのです。ずうっと後に行ったミュンヘンも含めてドイツの印象はいいことばかりです。

2020年12月4日金曜日

折原浩先生のホームぺージ

みなさま、コロナ禍でもお変わりないことを希望します。 こちらはあまり変わりなく静かな生活ですが、久しぶりに折原浩先生のぺージを読もうと思い、

http://hwm5.gyao.ne.jp/hkorihara/ をクリックしたところ

「指定されたページがみつかりませんでした。  以下の項目をご確認のうえ、再度アクセスしてください。  ホームページのアドレスをもう一度ご確認ください。  アドレスが正しい場合は、ページが削除されている可能性があります。」

というメッセージが出てしまいました。

今日昼に、わが集合住宅のインターネット設備のメインテナンス工事があったためか、と時間をおいて、再起動のうえ、再度クリックしてみましたが、変わりません。Google 検索では「アドレス変更のお知らせ(11月18日)」という断片が垣間見えますが、その先は辿れません。

いささか焦りました。慌てて、よくご存知のはずの方に問い合わせてみると、SONET側の事情で gyaoのサイトが閉鎖される、ということのようですが、現在のことは不詳と。あらためて、落ち着いて検索しなおし、 https://max-weber.jp/archives/1438 (Moritzさん)から確かな情報をえました。そこから

http://hkorihara.com にたどり着いて、先生ご自身の挨拶文を拝見し、ほっとしています。

11月後半には移動の予告があったようですが、今はすでに旧アドレスから辿れない状態になっていますので、慌てる人が他にもいらっしゃるかもしれません。

2020年12月2日水曜日

『感情史の始まり』

Jan Plamper著・森田直子監訳『感情史の始まり』(みすず書房)を手にしています。いつもながらみすず書房の美しい造本。

メルケル・プーチン・大きな犬の関係性をしめす写真(p.48)、アメリカ心理学の教科書みたいな表情のならぶ写真(pp.213, 217)、‥‥「キス測定器」!? など文脈のわからないまま一しきり見渡したあと、訳者あとがき、用語解説を見てから、最初に戻り、卒読を始めました。

当初の期待はあまり大きくなかったこの本、読み進むにつれ、知的なおもしろさと ambitionの力強さに引き込まれました。博士論文がスターリン崇拝だったという Plamper(初めて聞く名です)が、序論ではアリストテレス以来の哲学を(再)吟味する必要を説き、第1章をリュシアン・フェーヴル(アナール学派)で始める意気込み、‥‥pp.400-2 の引用文のしばらく後には「歴史家はなぜ、文書館作業における自身の感情について、一種のフィールドワーク日誌をつけないのであろうか」と尋問して、読者に迫ります。

あとがきによると、本書は歴史学の史学史(来し方行く末)、19世紀以来の諸学問の歴史(これから)「としても読める」とのことですが、むしろ積極的に、それこそが著者の狙いだったのではないか、とさえ思えます。ドイツ生まれ、大学・大学院は合衆国、その後またドイツで、今はロンドン大学教授。 圧倒的な本です。ブツとしても432+144ぺージ+前付き、後付き。すなわち600ぺージの存在感、退屈しません。

→ 著者・共訳者たちの紹介はこちらに:https://www.msz.co.jp/book/detail/08953/

関連して思うのは、 a)アメリカの学界(東海岸、西海岸)の先行性と土壌の豊かさ。引用されている中世史の Rosenweinも、フランス革命の Huntも、アメリカ人で外国史をやって世界のその分野を領導するような存在になりました。ここに出てこない N. Z. Davisも! 逆にヨーロッパ人でヨーロッパ史をやっている研究者も、おもしろい研究をする人は必ずのように何年か何十年かアメリカで過ごす(Kocka, Frevert, Elliott, Koenigsberger, Brewer . . .)。日本生まれの研究者でもノーベル賞をとっている人の過半はアメリカ在外生活。ちょっとこれにはかなわない!という気になります。

とはいえ、b) pp. 314, 325あたりでも指摘されるように、アメリカ中西部・キリスト教原理主義のルサンチマン、反啓蒙性 -つまりトランプ以前のトランプ現象- は厳として存在しています。この本の初版は2012年、英訳は2015年とのことですから「東西両海岸の左派リベラルにとっての「通過飛行地帯」」(p.314)の深刻な問題性は、まだ示唆にとどまったのでしょうが、いまや恥ずかしげもなく世界に報道されています。7000万票も集める大問題です。