2026年2月18日水曜日
『「歴史とは何か」の人びと 20世紀知識人群像』の読者より III
HMさん
‥‥『図書』連載が始まったときから、毎号拝読しておりましたが、それを数段もヴァージョンアップされた、とても内容の充実した御本ですね。カー/『歴史とは何か』を取り巻く歴史家・学者の研究・著作からプライベートまで、それぞれの個性が伝わってきました。20世紀イギリスの知識人のコミュニティを、立体的というのでしょうか、「ポリフォニー」的に感じ取ることができました。
錚々たる歴史家・学者ばかりでそれぞれの研究の意義をおさえるだけでも至難ですのに、各章のタイトルに掲げられた人物はもとより、現在の歴史家についてのエピソードも織り交ぜられ(キャナダインとコリーの結婚公告まで!)、大変面白かったです。また「付記」では歴史学の見方、日本の歴史学の先駆性・独創性にも言及されていて、イギリスを越えた同時代的な様子を知ることができたのも、有益でした。ご自身のリサーチによる『歴史とは何か』のアメリカ版刊行に関する書状の発見は、とてもスリリングでした。
拝読していつも感じるのですが、文体に無駄がないと申しますか、よく研かれていると感じます。加えて、アイリーン・パウワの箇所で「元気(パウワ)にあふれるアイリーン」「‥‥社会政策の「発電所(パウワ・ステーション)」と韻を踏まれるなど、読み手を楽しませてくれます。‥‥
NSさん
‥‥イギリスの歴史家論というと、ジョン・ケニヨン『近代イギリスの歴史家たち』を思い起こしますが、ケニヨンが情報豊富で勉強になりはするものの、記述がやや平板なのと比べると、ご著作のほうは人物の複合的背後が浮かび上がると同時に、筆致が活き活きしており、とても面白く、勉強になりました。
折に触れて示される鋭い洞察もとてもためになりました(アクトンがなぜ大著をまとめられなかったか、歴史家に構想力が必要なこと、しかし近年、資料の撮影が容易になり、資料フェティシズムには注意すべきこと‥‥)。
アダム・スミスがオクスフォード時代に読書に打ち込んだことにも言及されておりますが、近年の研究を踏まえても言えることで重要だと思います。かつてはスミスはオクスフォードであまり学びがなかったとされていましたが、フィリップスンらにより、スミスはオクスフォードで、グラスゴー大学にはない書籍に触れたことがわかってきました。
思想をどう歴史に組み入れるか、歴史的実態の中の思想をとくに意識するようになり、その点模索中です。とくに日本の思想史は、テキスト解釈に集中し、歴史的実態との関連を軽視する傾向にあります(内田義彦なども歴史を重視しましたが、それは講座派的な理解だったと思います)。イギリスの歴史解釈の層の深さを感じておりましたが、それはじつは20世紀に発展したものでした。‥‥
SOさん
‥‥歴史をやっている者にとってこの本が意義深いのは、一方で第15章で「わたしは孤独で、そして深く不幸です」というよく引用される言葉の本当の意味を教えてくれるというようなことだけでなく、『歴史とは何か』に登場する人たちが、20世紀史のなかに位置づけられ描写されていることだと思います。これは近藤さんにしかできない仕事だと思います。歴史学界の端っこにいる私にとって、興味深いだけでなく勉強にもなったところです。たとえば『P&P』誌の変身の舞台裏について、などなど。
個人的になるほどと思ったのはR・H・トーニのところでした。彼の人となりが魅力的なのは大昔に『ハエとハエとり壺』を読んで以来ですが、ながいこと彼が熱心なアングリカン[国教徒]だったことがしっくりきませんでした。ウェーバーの読み過ぎだったのかもしれません。[人口・家族史の]ケンブリッジ・グループの創立者たちがノンコンフォーミスト[非国教徒]だったことにも影響されていたかもしれません。‥‥
それが今回R・H・トーニの親友三人組の話を読んで、だいぶわかってきたように思います。その一人テンプルがアングリカンでキリスト教社会主義者、最後は大主教になったことを知り、あの時代のアングリカン改革派は国教会を内側から動かし、三人組のもう一人ベヴァリッジが構想した福祉国家への道を推し進めることになったのだと理解しました。有意義で楽しい読書でした。
KYさん
‥‥こうしてまとまって読ませていただくと、『図書』で拝読した時以上に、イギリスの歴史家たちへの近藤さんのまなざしがよく分る気がします。近藤さんが最も愛着を覚えているのはネイミアだろうという印象で読み終わりましたが、違っているでしょうか。
『図書』にはなかった「付記」も、日本関係の話題などを盛り込まれる形で、それぞれ短いながら読み応えがありました。カーの新訳同様、多くの方に読まれる本だと思います。
KYさんに近藤より返信
‥‥ぼくが一番愛着を覚えるのがネイミアなのかどうか、よく分かりません。ある時期にそうだったのかもしれませんが‥‥。カーその人については、ぼくとは違うタイプの人だが、理解はできる、という所まで辿り着きました!(かつて E.P.トムスンに距離感を覚えて以来、)あまり特定の一人に執着することはないかもしれません。むしろ拙著の執筆のために勉強した結果、従来は嫌いだった/理解の外だった、トレヴァ=ローパとか K.ポパーとかについて、少しは理解が増した気がします。
個人的に申しますと、1970年代に、フランス革命、18世紀英仏の民衆運動といったことで R.コッブ、G.リュデ、R.B.ローズ、M.ベロフなども読んでいたのですが、今回はこの人たちと E.P.トムスンばかりかネイミア(そしてベロフの場合はカー)との関係/摩擦まで浮かびあがってきて、目の覚める思いです。
フランス革命修正論とベティ・ベーレンス、そのカーへのつながりについて、なおまた I.バーリンが1955年にアリーンと婚約発表したあと(結婚前のハネムーンとして)夏の南フランスから車でたっぷり大旅行を敢行し、ローマの国際歴史学会議に向かったことについても(p.165)、柴田三千雄先生がお元気なら、ぜひ伝えたかったことでした。
【まだぼくが学部の5年生のころ、本郷の喫茶店で柴田先生から、世紀転換期ウィーンにおけるウェーバーの周辺の知識人世界をやるのも面白いんじゃないか、と誘惑されたことを、今ごろになって想い出しました。まだカール・ショースキの安井訳『世紀末のウィーン 政治と文化』(岩波、1983)が出るよりはるか前のことでしたが、ぼくが駒場で折原ゼミに精勤していたのをご存知だったので、柴田さんと西川正雄さんのあいだの懇談から、こうした発言が派生したのかもしれません。】
全体を通じてですが、巻末の「人物対照年表」の18名(→ 右上の Features に特別ぺージを設けました)について列伝みたいなものを試みたことにより、相互の意外なほどの関係が見えてきたのは収穫でした。当初に考えていたよりずっとテマヒマかかりましたが、調査探究の実が上がり、historiaという営みを生涯の仕事としてきたがゆえの喜び(これを醍醐味!というのでしょうか)を感じています。
2024年11月17日日曜日
山の上ホテルの記憶
1960年代に、学生のぼくにとっては、御茶の水駅から明大ブントの大きな立看群をすりぬけて、駿河台下・神保町の古書店街に下るその前に、右手にのぼる坂道があって、その奥に見える独特の洋館、不思議な、縁のない建物でしかなかった。
初めてその建物に入ったのは、正確にいつだったか覚えていません。でも、1987年にある出版社の編集部長と取締役が、(まだ名古屋にいた)ぼくを招いて企画にオルグしようとしたときの現場が、このホテルのロビーだったことは、そのときのお二人の表情までふくめて確かに覚えています。文人のホテルということは、そのころまでに認識していて、まさかここで将来、館詰めにされるんじゃないだろうな、と半分マジメに思ったものです。
【幸か不幸か、流行作家ではないので、その後にも、他の旅館もふくめて「館詰め」の上げ膳下げ膳で原稿執筆したとかいった経験は、ありません。あるのは、大学の自分の研究室で、原稿についてのヤリトリの後、編集者が「わたしは他の仕事を片づけながら待ちますから」と言って鞄からなにか書類を持ちだして、ぼくに背を向けて仕事を始め、数時間すわりこんでしまった。ぼくは机のパソコンに向かって文章をひねり出すほかなかった‥‥といった程度の経験です。】
次に覚えているのは、1989年9月の「フランス革命200年」の研究集会の折です。(組織責任者の遅塚さんが、ランチは「山の上」の中華、と指定なさって)柴田、二宮、樋口、ヴォヴェル、ルーカス、ハントといった先生方と一緒に、本郷からタクシーに分乗して、Hill Top 1階の中華料理に行って着席したのですが、遅塚さんは実務関連かなにかで到着がかなり遅れました。まぁよい、先に注文、乾杯だと柴田さんの音頭で、英仏チャンポンの談笑が始まったのですが、壁の大きな水墨画に添えられた漢詩には何が表現されているのか、とたしかリン・ハントから質問されて、日本人全員で四苦八苦、冷や汗をかいたのです。しばらくしてようやく遅塚さんが到着。白文を読む遅塚さんにとっては何でもない漢詩で、一挙に解決‥‥、といったこともありました。
この経験から後は、なんとなく気取った二次会には最適な場所、ということで、ワインを飲むためだけに数人で「山の上」のバーに行く、といったことも90年代にはありましたね。2000年をこえると、そうした luxury は縁遠くなったような気がします。他にもいろんな場所ができたから、ということもあるかな。
1937年創建の建物が、2024年にもとの明治大学に戻って改装、再利用されるというのは、めでたいことです。機会があれば、再訪してみますか?
2023年11月21日火曜日
RE-IMAGINING DEMOCRACY
しかたなく、facebook最後尾に書き込みました。↓
Joanna Innes
6日前 · LAC MAIN SEMINAR Tuesday, 14 November, 5.00 pm
Main Seminar Room, Latin American Centre, 1 Church Walk, Oxford and Zoom - registration link below
To join online, please register in advance:
RE-IMAGINING DEMOCRACY in Latin America and the Caribbean, 1780-1870
Book launch: presentation by the editors, followed by comments by Professor Alan Knight,
5日前
Well….Alan Knight liked the cover. After that he found it hard to follow.
5日前
David Schwartz
oh what does he know about revolutions in Latin America . . . oh wait . . .
今日
Kazuhiko Kondo
I'm glad you mailed me about this. But I noticed only today....
Kazuhiko Kondo
To set the years 1780-1870 as a global period of democratic transformation/revolution would have delighted my Japanese mentors - Shibata, Chizuka, etc - who wanted to describe the Meiji Revolution (1867-69) in a global context.
2022年7月15日金曜日
7月14日に思ったこと
直ちにいろいろと考えましたが、身辺のことに紛れ、ブログ登載はかないませんでした。ここに遅まきながら、すこし書いてみます。
7月8日昼に奈良であった安倍元首相襲撃/暗殺について、直後の報道や政党の発言の多くは、a.「民主主義への挑戦だ」「暴力による言論封殺は許せない」といったものでした。まもなく b.「特定の宗教団体へのうらみ」という捜査陣からのリーク情報が加わりました。
後者(b)のリークについては、まず正規の記者会見報道でなくリークであることがけしからんと思いましたが、やがて海外メディアでのみこれが Moonies (文鮮明から始まった世界統一神霊教会)のことだと報じられたのには、怒りに近いものを感じました。日本のマスコミ業界の自主規制はここまで極まっているのです。こういった自主規制≒事なかれ報道に甘んじているマスコミでは、いざという時に信用されませんよ。
そもそも世界統一神霊教会のことを、今どう名を変えているとしても、「特定の宗教団体」と呼ぶべきなのか、ただの「カルト」ではないか、という付随的な疑問もありますが、こちらは(今日のところは)問題にしません。
◇
むしろ大問題なのは、(a)今回の事件は「民主主義への挑戦」や「暴力による言論封殺」のたぐいなのか、ということです。Oh, No! それ以前の、より深刻な問題ではないでしょうか。
41歳の容疑者は、民主主義や議会制民主主義に不満をもらしたことはあったのか。あるいは自分の凶行が、国政の基本(国のかたち)にある「効果」をもたらすことを期待して -政治的テロリズムとして- 手製銃の引き金を引いたのか。否でしょう。
彼はもっと別のレベルの、しかし本人にとっては深刻な不幸(母のこと、失意の人生、誰かの不用意な発言, etc.)について繰りかえし悩み、その不幸の原因を「これ」と思い詰めて、「これ」を解決する/消すためにどうするか執拗に考えた。それが母を奪ったカルトの代表を襲うこと、それが実行不可能となると、第2目標として安倍晋三元首相を襲うことだった。‥‥
そこには論理の飛躍があり、分析も検証もないままの思いつきで、それを直線的に実行するための情報とノウハウを集積したのでしかありません。しかし、そもそも複合的な事態を調査探究したり、友人や同輩と対話し討論しながら、考えを具体化してゆくという訓練も経験も、彼は -学校でも自衛隊でも- していないのではないでしょうか。そもそも「話し相手」「グチ友だち」といえるほどの人は居なかったのかもしれない。
TVなどで中学高校の同級生や、職場の同僚が「あんなにおとなしい人が‥‥」「いつも人に合わせる人で、暴力をふるうなんて想像もできない」とコメントするのを聞かされると、そもそも取材する側の無知と想像力の浅さに唖然とします。おとなしすぎる人こそ危険なのです。自分の意見を言ったことのない人こそ(いざとなれば)凶暴になるのです。
こうしたことは民主主義や議会制よりはるか以前の、人間の社会性、あるいは文明/市民性の大前提ではないでしょうか。
学校教育で、また社会で、こうした事態や証言の分析、人前での報告、ディベートやディスカッション、そして紙の上での文章化‥‥要するに以前から問われていた公民教育/文明的経験を欠いたまま、やれ「民主主義を守る」だの「言論の自由」だの言ってみても、ただのお題目にすぎないのではないでしょうか。 ◇
じつは9日(土)午後8:00-8:45のNHKスペシャル「安倍元首相 銃撃事件の衝撃」と題する番組の後半で、御厨(みくりや)貴さんがコメントしていました。【まだ土曜まで NHK plus での視聴は可能です。】
「‥‥災害、疫病、戦争と続いて、人心が惑った。この国もテロを呼びこむのか。みんなが何でも言える社会になった。これはいい。しかし(イエス or ノーの)二値論理の対立になっちゃっている。これはまずい。自分の要求(思い)が通らない時にどうするか。内容のある議論を尽くして、これなら許せるという妥協点を見つける。このマリアージュが大事です。」
「妥協できる合意」を見つけて実行しよう、という立場です。
◇
1789年7月14日から、フランス革命は時々刻々と展開しますが、1792年、93年と緊迫した情勢で、いわゆるジャコバン派(山岳派)が勢いをもち、93~94年のいわゆる「革命独裁」を国民公会が支持することになります。
この苛烈な革命独裁は、味方と敵、パトリオットと反革命、徳と悪徳、純粋と腐敗といったシャープな対置、二項対立を是とし、異論をとなえる者、迷い、曖昧なままでいる者を許さず、さらには「まちがえる権利」も許さなかった。『王のいる共和政 ジャコバン再考』(岩波書店、2022)p.14. これをかつての「ジャコバン史学」は、歴史の必然とするか、あるいはせいぜい「歴史の劇薬」として是認していた。ロベスピエールやサンジュストの93~94年のメンタリティを、純粋で高貴と受けとめるか、悲劇的に狂っていると受けとめるか。革命史にかかわる人は、全員、この問題に正気で取り組むべきでしょう。
御厨さんの立場は、必然や劇薬ではない。イギリスの首相ピットも、89年に始まったフランス革命には賛同し(バークとはちがいます)、92年の急転には唖然とし、93年1月のルイ14世処刑には意を決して、2月に対仏大同盟を結成します。はっきりと識別しておきたい。巻末の「関連年表」も活用してください。
2022年6月16日木曜日
王のいる共和政 ジャコバン再考 詳しい目次
編者名や本のタイトルだけなら、他の広告でも見られますが、
かなり詳しい目次 → https://www.iwanami.co.jp/book/b606557.html
そして何より、
立ち読み(試し読み) → https://www.iwanami.co.jp/moreinfo/tachiyomi/0615440.pdf
のコーナーがあるというのは、すばらしい! どうぞ、ご一瞥を。
2022年6月6日月曜日
王のいる共和政 - ジャコバン再考
6月28日には、やはり岩波書店で中澤達哉さん(編)の共著『王のいる共和政 ジャコバン再考』が出ます。このところ似た意匠の共著論集がないではないようですが、こちらはいささか ambitious な共同研究、中澤科研の成果です。この公刊により学界の景色、そのトーンもすこし変わるかと期しています。
ぼく個人にとっても数年かけて自分自身と先生方の研究をふりかえり、この何十年来に学び模索してきたことを総括する文章とすることができて、爽やかな快感をともなう仕事でした。序章「研究史から見えてくるもの」(pp.1-27)を執筆しています。ただし「市民革命」という語は用いていません。
中澤さん、近藤の他に、共著者は:森原隆、小山哲、阿南大、正木慶介、古谷大輔、小原淳、小森宏美、池田嘉郎、高澤紀恵のみなさん。巻末の関連年表もぜひご覧ください。 → https://www.iwanami.co.jp/book/b606557.html
2022年4月18日月曜日
カー『歴史とは何か 新版』 予告の2
◇ [訳者解説のつづき]
本書の読者は、カーの講演の様子を想像しながらウィットのきいた冗談に笑い、皮肉にため息をつき、豊かで具体的な議論の一つ一つから自由にインスピレーションをえることができる。ただ、本書は論争の書でもあり、どのような筋書きで成り立っている書なのか、その柱と梁だけでも確認しておくのは余計ではないであろう。
第一講「歴史家とその事実」は、冒頭の謎のようなアクトンは別にすると、その展開のまま素直に読めるであろう。大海原に生息する魚類にたとえられる「事実」と歴史家のあつかう歴史的事実なるものの区別、シュトレーゼマン文書にみる史料のフェティシズム、クローチェとコリンウッドの歴史論。巧みなたとえを用いながら話は進み、結びは、こうまとめられる。歴史家のあぶない陥穽として、一方には事実(過去)の優位をとなえるスキュラの岩礁のような史料の物神崇拝が、他方には歴史家の頭脳(現在)の優位をとなえるカリュブディスの渦潮のような解釈主義/懐疑論、今日のいわゆるポストモダニズムが存在する。しかし、カーとともにある歴史家は、史料/事実に拝跪して座礁するのでなく、主観的な解釈、構築という渦潮に翻弄されて沈没するのでもなく、二つの見地のあいだを巧みに航行する。そうした最後に導かれるのが、よく知られている「歴史家とその事実のあいだの相互作用」「現在と過去のあいだの対話」である。全体を通読した後にもう一度読みかえすなら、「読むのと書くのは同時進行です」といったノウハウ - 論文執筆のヒント - も含めて、第一講に込められた意味はさらによく見えてくるであろう。
ところで冒頭の欽定講座教授(補註c)アクトンであるが、じつはアクトンの名も彼の『ケインブリッジ近代史』(補註e)も、日本の読者にはあまりなじみがないのではないか。カーは、「アクトンは後期ヴィクトリア時代のポジティヴな信念‥‥から語り出しています」、「ところがですね、これはうまく行かんのです」と否認するかに見える。読者は一読して、アクトン教授とはこの本で最初に否とされる古いタイプの歴史家の役回りなのかと受けとめるであろう。博学なコスモポリタンで、講義でも会話でも人々を知的に高揚させながら、生前に一冊も歴史書を著すことのないまま心筋梗塞(過労死)で亡くなり、せっかくの野心的な企画も挫折した、魅力的で不運な歴史家。「なにかがまちがっていたのです」とカーは畳みかける。しかし、そのアクトンは本書のあらゆる講でくりかえし登場し、論評されるのである。索引を見ても、アクトンはマルクスと並ぶ双璧である。なぜか。片付いたはずの後期ヴィクトリア時代の「革命=リベラリズム=理念の支配」(256, 261ぺージ)の亡霊のようなアクトンが、それぞれの文脈でカーの議論をつないでいる。『歴史とは何か』を解読する一つの鍵はアクトンにある。この点はデイヴィスもエヴァンズも渓内謙も看過している。
[以下 5ぺージほど中略]
◇
カーが未完の第二版で意図していたのは「過去をどう認識するかについての哲学論議」(9ぺージ)ではなかった。この点は重要であるがデイヴィスが立ち入らないので、訳者として補っておきたい。もしそうした認識論談義を求められたならば、たとえば『マルク・ブロックを読む』(岩波書店、2005, 2016)における二宮宏之と同じく、思弁的な方法論に淫する人々に向けて弁じたリュシアン・フェーヴルの「そんなことは方法博士にまかせておけばよい」という台詞をカーもくりかえしたのではないか。フェーヴルやブロックについて二宮が明言したのと同様に、カーもまた「歴史を探究し記述するとはいかなる営みなのかを研究の現場に即しながら根本から考え直すような書物を書きたいと希っていた」(二宮、193ぺージ)‥‥[以下1ぺージあまり中略]
こうしたことより、現役歴史家にとって大きな問題と思われるのは、たとえばしばしば言及されるフランス革命について、G・ルフェーヴルの名はあがってもその複合革命論、ましてやR・R・パーマの同時代国制史への言及がないことである。カーは「歴史家稼業であきなうのは諸原因の複合性です」(146ぺージ)と述べるのにとどまらず、因果(why)だけでなくいかに(how)を考えるという示唆もあった。その因果連関論を縦の系列のつながりに留めることなく、同時的な複合情況(contingency)へと視角を広げ、さらにはアナール派や Past & Present の社会文化史と交流し、啓発しあう可能性もないではなかっただろうが、これは展開されないままに留まった。‥‥[中略]このようにカーの到達点からさらに具体的な「過去を見わたす建設的な見通し」へとつなげてゆくのが、今日の課題なのではないか。「今、わたしたちこそ、さらに一歩先に進むことができる」(333ぺージ)という自叙伝の一文は、わたしたち自身の言明とすることができるであろう。
その自叙伝は‥‥1980年、88歳にして自分の人生と著作を省みた語りで、そこに反省的な自己正当化が働いていないとは言えない。父のこと以外には家族関係に言及しないという心機が働いているかのようである。それにしても、ここでのみ開示される「秘密」もあり、巻頭の「第二版への序文」と合わせて、晩年のカーの貴重な証言である。エヴァンズを初めとして多くのE・H・カー論の依拠する情報源でもある。
巻末におく略年譜は、自叙伝ではパスされている事実婚を含む3度の結婚、不如意に終わったロンドン大学の教授ポストへの応募、7年間の失業といった「事実」を補い、‥‥訳者が作成した。激動の20世紀をそのただなかで生き、考え、書いたE・H・カーの姿が浮かびあがる。
[後略。以下3ぺージあまり]
5月の刊行を、お楽しみに! → 岩波書店 twitter
2021年1月23日土曜日
罰金と過料のちがい?
いま22日の閣議決定をへて国会に上程されようとしている「特別措置法改正案」のなかの用語ですが、時短要請について知事が命令したことに違反した場合に「50万円以下の過料」; 「感染症法改正案」の場合は、感染者の入院拒否や病院からの逃亡にたいして「懲役1年以下または100万円以下の罰金」; という規定があります。
現在のあくまで個人主義的な自発性にもとづく自粛、行政側からすれば「協力のお願い」では効果がうすい、というので、現政権はおそるおそる罰則規定を加えるわけです。それにしても「過料」と「罰金」はどうちがうんだ? それに「過料」って「科料」のまちがいでは? というので辞書を引き、ウェブで調べてみました。
「罰金」は刑法に定められているとおり、犯罪の処罰のうち死刑、懲役、禁固などの下位にある制裁の一つ。1万円以上。裁判所の判決できまるわけで、有罪になればもちろん「前科」として記録にのこる。その後の人生で、原則、公務員にはなれない。
「科料」も刑法で定められた刑罰だけれど「軽微な犯罪に科する財産刑」で1万円未満。「とがりょう」とも読むらしい。
「過料」は刑法上の刑罰ではないとのこと。「江戸時代から過失の償いに出させた金銭」に由来するもので、現行法でも軽い禁止に違反した場合にしはらう「秩序罰」、「あやまちりょう」とも読むらしい。
つまり、感染者が病院への入院を拒んだり、勝手に逃亡したりした場合は刑事罰として罰金/懲役を科される。休業や営業短縮などの命令に反した場合は、秩序罰として過料(罰金より軽い、あやまちりょう)にとどめる‥‥という差をつけるのですね。
ところでぼくは今のようなパンデミックの情況下には、強制力をともなう非常措置をとることに反対ではありません。ただし、せいぜい秩序罰だし、期限を明示し、始まりも終了も国会で決める、という条件で。
歴史的にローマの共和政でも、フランス革命の革命政府でも非常事態には dictator(独裁者)の執政が有期で(6ヵ月/1ヵ月)定められました。元老院や国民公会など議会が承認し決定することが条件です。カエサルが元老院で殺されたのは、有期のはずの独裁者なのに、彼の場合は「終身の独裁者」となったからでした。<小池和子『カエサル』(岩波新書、2020)
ロベスピエールたち山岳派の革命独裁(dictature)の場合は個人独裁ではありませんが、やはり(はじめは)期限をいちいち更新していました。なんといっても「徳と恐怖」の革命政府(非憲法体制)ですから、いささか疑問や異論を唱えただけで「反革命」と認定されればギロチン(断頭台)に上るわけです。1794年の3月からは、あのダントンさえ逮捕、処刑され、いつまで続くかわからぬ大恐怖のさなか、疑心暗鬼になった革命家たちが7月にクーデタを企て、ロベスピエールやサンジュストを国民公会で逮捕し革命独裁を終わらせました。
いずれの場合も、元老院や国民公会が舞台になったこと、議会主権が肝要です。
ところで、平和な日本ではギロチンでも暗殺でもなく、せいぜい「100万円以下の罰金」か「過料」でことは済みそうですが、それにしても 「罰金は、罪状や金額に関わらず、原則として現金一括払いで、納付した罰金は確定申告の控除対象とはなりません。」とのことです。 ご注意を! <https://www.keijihiroba.com/punishment/labor-seekers.html
2020年8月2日日曜日
さみだれを集めて‥‥
先週のことですが、NHKニュースで河川工学の先生が
「さみだれを集めて早し 最上川」
と朗じて、このさみだれとは梅雨の長雨のことで、流域が広く、盆地と狭い急流のくりかえす最上川は増水して怖いくらいの勢いで流れているんですね‥‥と解説しているのを聞いて、忘れていた高校の古文の教材を想い出しました。
さみだれを集めて早し 最上川 (芭蕉、c.1689年)
さみだれや 大河を前に家二軒 (蕪村、c.1744年)
明治になってこの二句を比べ論じた正岡子規の説のとおり、芭蕉の句には動と静のバランスを描いて落ち着いた絵が見える。しかし、蕪村の句は、増水した大河に飲み込まれそうな陋屋2軒に注目したことによって、危機的な迫力が生じる。蕪村に分がある、というのでした。
しかしですよ、子規先生!
第1に、そもそも蕪村は尊敬する芭蕉の歩いた道を数十年後にたどり歩き、芭蕉の句を想いながら自分の句を詠んだわけで、後から来た者としての優位性があって当然です。ないなら、凡庸ということ。
第2に、句人・詩人なら、完成した句だけでなく、
「さみだれを集めて涼し 最上川」
とするかどうか迷い再考した芭蕉の、そのプロセスにこそ興味関心をひかれるでしょう。蕪村はそうしたことも反芻しながらおくの細道を再訪し、自らを教育し直したわけです。
さらに言えば、第3に正岡子規(1867-1902)もまた近代日本の文芸のありかを求めて先人芭蕉、蕪村、明治のマスコミ、漱石との交遊、‥‥を通じて自らの行く道を探し求めていたのでしょう。そのなかでの蕪村の再発見だとすると、高校古文での模範解答は、論じる主体なしの芭蕉・蕪村比較論にとどまって、高校生にとっては「はぁそうですか」程度の、リアリティに乏しいものでした。教える教員の力量ももろに出ちゃったかな。
たとえれば、ハイドンの交響曲とベートーヴェンの交響曲を比べて、ベートーヴェンのほうがダイナミックに古典派を完成しているだけでなく、ロマン派の宇宙をすでに築きはじめていると言うのは、客観的かもしれないが、おこがましい。ハイドンが楽員たちと愉快に試みつつ完成した形式を踏襲しながら、前衛音楽家として実験を重ねるベートーヴェン。啓蒙の時代を完成したハイドンにたいして敬意は失うことなく、しかし十分な自負心をもって新しい時代を切り開いてゆく。(John Eliot Gardiner なら)révolutionnaire et romantique ですね。
両者を論評しつつ自らの道を追求したシューマン(1810-56)が、上の子規にあたるのかな。優劣を評定するだけの進化論や、それぞれにそれぞれの価値を認めるといった相対主義ではつまらない。自らの営為と関係してはじめて比較研究(先行研究)は意味をもつ、と言いたい。
2020年6月15日月曜日
コロナ後 と 香港
イギリスを代表する、もしやヨーロッパ一の金融企業(銀行)HSBC が驚くべき発言をしました。BBCの報道によると、
HSBC "respects and supports all laws that stabilise Hong Kong's social order," it said in a post on social media in China.
「香港の治安を安定させるあらゆる法律を尊重し支持する」と。
現今の金融資本主義を代表する企業が、中国政府の治安優先、というより習近平の独裁体制=権威的全体主義体制を尊重し支持する、と。これは天地もひっくり返るほどのことですよ。
ちなみに BBC は同じ記事のなかで、日本のノムラ(investment bank Nomura)が香港への関与を再点検する(修正する)と報じて、対照しています。
資本主義は、あるいは18世紀のヒュームやスミス、そしてブラックストンに言わせれば「商業社会」は、自由と所有権(と法の支配)によって成り立つ「文明社会」でした。以後、この自由と所有権と文明の間の比重にはニュアンスはあれど、これを旗印にする自由主義者と、これを否定する(競争と搾取の元凶と考える)社会主義者は、19世紀の前半から対立してきました。
20世紀前半には、ケインズのように、政府の政策によって野放図な資本主義をコントロールしようとする経済学者、そして福祉国家(大きな政府)を唱える「新自由主義者」(ネオリベラルではありません!)が現れ、1970年代まで西側先進国の民主主義を支える政策体系でした。しかし、民主と福祉は、ナチスや、ソ連や中国の共産党独裁とは相容れないと考えられていた。政治家は、イギリス労働党も日本社会党も「政治的判断」によって海外の共産党独裁を許容することはあったけれど。
上の BBC は含蓄をこめてこう言います。
The bank's full name is the Hongkong and Shanghai Banking Corporation and it has its origins in the former British colony.
じつはぼくが1980年にイギリスに渡って直ちに British Council から四半期ごとに給費を振り込む銀行口座は Midland Bank と指定されました(バーミンガム起源の歴史的な銀行です)。これがしかし、80年代半ばに HSBC に吸収されて、以後ぼくの小切手や Bank Card は HSBCのものとなりました。
後年、上海に行ってそこでバンドの威容を誇る建物群のうちでもHSBCが一番であること[そこまでは事前に写真で承知していました]、それが革命後、共産党政権により接収されて上海共産党本部になったことは、感銘深い、共産党側の論理としては理解可能な事実です。
ところで、香港の気のいい若者たちとマンチェスタで交流したのは1990年前後のことでした。Oxford Road をずっと南に下った所の YMCAに泊まっていて、留学生たちと仲良くなったのです。若者たちといっても30歳前後(?)で Manchester Polytechnic(その後 Manchester Metropolitan Universityへと改組改称)に研修で来ていた様子。
中国名とは別に Bob とか John とか自称していました。戦後の日本で「フランク永井」「ジェームズ三木」と言っていたのと似てるなと受けとめました。ぼくがイギリスのしかもマンチェスタの歴史を研究しているというのを珍しがると同時に、香港での現実問題は「汚職」(corruption)だということで、香港政庁の汚職特別委員会ではたらく、明るい正義漢が印象的でした。
まだeメールなどの普及する前だったので、その後、連絡は取れなくなってしまったのが残念です。彼らもすでに60代でしょう。イギリスの植民地支配から自由になったのはいいけれど、中華人民共和国のきびしい統制下に、今どのような日夜を送っているのだろう。たとえ汚職が蔓延していても、自由で、冗談の言える社会のほうが、よほどマシです。
革命独裁政権が、政敵を腐敗している(corrupt)として追放する/粛清するのは、フランス革命中からの常でしたね。
2020年5月4日月曜日
石川憲法学
(承前)さて、その『朝日新聞デジタル』のインタヴューで石川健治さんは、客観的緊急事態(ぼくの言葉で言い換えると constitutional emergency)と主観的緊急事態(dictatorial emergency)を対比して論じています。ただし彼は、ローマの dictator については何故か(朝日の編集が介入した?)触れていません。共和制ローマ、革命フランスから登場する「独裁」あるいは「ジャコバン主義」は、ただの歴史的なエピソードではなく、自由民主主義の非常事態における緊急避難的な措置の正当性/不当性という問題です。憲法学者も、歴史学者も真剣に考えなくてはならぬ、主権と民主主義、非常事態[革命的な情況]と執行権力、危機と学問といったイシューではないでしょうか。
【日本語では非常事態と緊急事態が区別されているようにも聞こえますが、英語ではどちらも (state of) emergency で、通常ではない=extraordinary な情況です。私権やふだんの生活習慣が制限されてもしかたない「非常な」事態です。ローマ共和制でも respublica の存亡の危機には dictator (独裁官/執権) を「6ヶ月に限って」任命しました。「危機」はありうる。コロナ禍の後始末もできないうちに大地震・大津波が襲来することだってありうる。そうしたときに、強力なリーダーシップを発揮できる民主的制度を構築することは重要だと思います。】
石川さんの書くものは
「八月革命・70年後」『「国家と法」の主要問題』(日本評論社、2018)をみても、また
尾高朝雄『国民主権と天皇制』(講談社学術文庫、2019)の巻末解説(長い評注)をみても、
知的迫力があって、ドキドキします。仮に「‥‥の証拠が出てきてくれると「丸山眞男創作説」を打破できて大いに面白かったのだが、残念ながら‥‥」といったサスペンスも込められた文章を書く人です。東大法学部の憲法学の教授なのに!
それが浮ついた文にならない一つの根拠として、東大駒場の尾高朝雄文庫;国立ソウル大学校中央図書館古文献資料室(!);立教大学宮沢俊義文庫;早稲田大学のシュッツ・アルヒーフ;京都大学のハチェック文庫といった学者の蔵書・アルヒーフの踏査研究(evidence!)がある。20世紀の前半、戦間期に蓄積された知的資産をきちんと受け継ぐという「学問の王道」の観点からも、石川さんの言動はしっかり注目しておきたい。
先の『朝日新聞』のインタヴューの場合は(記者の自粛のため?/理解をこえたため?)ちょっと知的迫力が足りないのは残念ですが。
おかげで、勉強することは次から次へ現れて、「自粛疲れ」なぞするヒマがありません!
2019年6月4日火曜日
ジャコバン・シンポジウム反芻
5月19日西洋史学会大会小シンポジウム〈向う岸のジャコバン〉と、26日歴研大会の合同部会〈主権国家 Part 2〉における討論は、人的にも内容的にも連続し重なるところが多いものでした。文章化するまですこし余裕があるので、メール交信にも刺激されながら、反芻し考えています。とりあえず3点くらいに整理すると:
1.Res publica/republic/commonwealth にあたる日本語の問題。
これは古代由来の「公共善を実現すべき政体」ですが、politeia でもあり、「政治共同体」「政治社会」とも訳せますね。 cf.『長い18世紀のイギリス その政治社会』(山川出版社)pp.7-11 でも初歩的な議論を始めていました。
岩波文庫でアリストテレス『政治学』と訳されている古典は、ギリシア語で Ta Politika, ラテン語版タイトルは De Republica です。その訳者・山本光雄は訳者注1で、本書のタイトルにつき「もともと「国に関することども」というぐらいの意味で‥‥むしろ『国家学』とする方が当っているかも知れない」(岩波文庫、p.383)としたためています。また巻末の「解説」では同じ趣意ながら、「字義通りにとれば、「ポリスに関することども」という意味になるかと思う」(p.443)と言いなおしている。
宗教戦争中に刊行されたボダンの De République は『国家論』と訳され、共和政下に刊行されたホッブズ『リヴァイアサン』の副題は「聖俗の Commonwealth の素材・形態・力」でした。それぞれ「あるべき国のかたち」を求めての秩序論でした。
これが、しかし、ジャコバン言説(を結果的に生んだ18世紀第4四半期)あたりから「君主政を否定した政治共同体」=「王のいない共和政」を主張する republicanism の登場により、19世紀にはこちらが優勢となり、福澤諭吉の『西洋事情』(1867)では、「レポブリック」が即(モナルキやアリストカラシと並び区別された)デモクラシの意味で紹介されるに至るわけです。
とはいえ、共和政・共和国という表現は、今にいたるまで(自称・他称のいずれも)ある種の「理想的な政治共同体」「当為の公共善(へ向かうもの)」を指して、使われるようです。フランス共和国も、朝鮮人民共和国も、主観的には理想郷(をめざす運動体)なのですね! ここで共和主義と祖国 patrie への愛がポジティヴに語られるのが、おもしろい。何故?
かねてから中澤さんの指摘なさる「王のいる共和政」については、中東欧だけの問題ではなく、イングランドの研究史でも Patrick Collinson (ケインブリッジの近代史欽定講座教授、Q.スキナの前任者) による The monarchical republic of Queen Elizabeth I (1987) という覚醒的な論文があり、さらにその影響を20年後に再評価する論文集
The monarchical republic of early modern England: essays in response to Patrick Collinson, ed. by J. McDiarmid (2007) も出ています。
2.近世 → 近現代
こうした republic の用語法(の変化)にも、近世(前近代)から近現代への飛躍か架橋か、といった問いを立てる意味があるわけですが、これについて、ぼくの立場は折衷的です。まず、もし「近世」なるものと「近現代」なるものの実体化(平坦なピース化)に繋がる議論だとしたら危ういものがあります。ジャコバンについて、(静岡で申しましたように厳密な a であれ、向う岸の b現象であれ)いろんな議論が可能ですが、結局は飛躍と連続の両面があるといった結論に帰着しそうです。
なおまた次に述べることですが、フランス革命もジャコバンも、社団的編成論(二宮、Palmer)や複合革命論(Lefebvre)といったこれまでの理論的な達成をパスしたまま議論するのは空しい。革命はアリストクラートの反動から始まり、情況によってロベスピエールもサンキュロットたちも変化・成長するのです。
3.国制史の躍動
2にもかかわることですが、近藤報告は「「大西洋革命」論を冒頭において、その意義を論じようとした‥‥」と受けとめられた方もあったようですので、補います。ぼくの主観的ねらいは違いました。
第1報告の本論冒頭においたのはロベスピエールの2月5日演説であり、(切迫した情況における)徳、恐怖、革命的人民政府、正義、暴政、République といったキーワードを集中的に呈示し、共同研究のイントロにふさわしいものにしたつもりでした(ブダペシュトでも、静岡でも)。研究史として「大西洋革命」やパーマが出てくる前に、国制史の意義をとき、成瀬治と Verfassungsgeschichte、二宮宏之とコーポラティストやモンテスキュに論及し、そのあとにようやく広義のジャコバン研究&社団的編成論として R.パーマの The age of the democratic revolution(とこれを早くに評価した柴田三千雄)が登場します。これにより一方でロベスピエールないし厳密なジャコバンを相対化する(歴史的コンテクストに置く)と同時に、他方で成瀬、二宮、柴田を再評価する、随伴してスキナたちケインブリッジ思想史の偏りを指摘し、イニスたちの近業の可能性を讃える、といった筋(戦略)で臨んだつもりでした。
むしろ広汎な各地で、若くして啓蒙の republic of letters に遊んだ人々が、1790年代の高揚した情況のなかで élan vital を共有し、当為の宇宙に夢を見た(それを E.バークたちは冷笑した)、それぞれの運命をもっともっと知りたい、と思いました。
2019年5月20日月曜日
ジャコバン シンポジウム
終了後にある先生から、チーム内の考え方の不一致というより多様性を指摘されました。それは認めますが、そうした点はネガティヴよりはポジティヴに受けとめてほしいと思いました。なにより
1) シンポジウムとして、各報告間とコメント間にたしかな共振・呼応関係があり、
2) (18世紀やモンテスキュはもちろん)いくつか重要で大きな論点が開示され、それを我々も出席者も持ち帰っていま再考=熟慮中という事実に、発展的な可能性をみるべきではないでしょうか。
たとえばですが[古代からの継続・近世史のイシューについては、すでにいろんな方々が問うておられますので、近代以降を展望しますと]、
・厳密な「ジャコバン主義」は歴史家の概念として、(1793-4年の)山岳派・ロベスピエール(そしてバブーフも?)の言説・思想から抽出した理念型として、考え用いるべきでしょう。
・理念型としての「ジャコバン主義」においては18世紀から革命へと(近代的)断絶がみられますが、広汎な向う岸の「ジャコバン現象」においては res publica も君主政も19世紀へと連続しえた。しかも、こうした異質の両者が1790年代には共振する情況・関係がありました。
・19世紀にはイギリスが、ジャコバン主義的近代もウィーン体制も拒絶しつつ、経験主義的な改良を重ねて Pax Britannica の世界秩序を築きあげる。その国のかたちは君主政・貴族政・民主政の混合政体で、しかも自由放任です。
・こうしたイギリス型近代に対抗すべきフランス型近代は、清明な合理主義による統制をめざすとみえてもストレートには行きません。体制転換(革命やクー)を繰りかえしつつ、パリコミューンを鎮圧した第三共和政で、ようやく1789年/93年的なフランス革命が国是とされます。フランス史における contemporain=近現代=革命体制の遡及的措定ですね。
・上海租界地などで今も19世紀半ば以降のイギリス型近代とフランス型近代の競争的な共存を目撃し再確認できますが、共通の敵/市場に対峙する列強=英仏の協力関係、それを補完するようにナショナルな様式を顕示した建築やデザイン -
こうした議論もいくらでも展開できるでしょう。
ぼく個人としては
『長い18世紀のイギリス その政治社会』に結実したシンポジウム(2001年@都立大)、
『礫岩のようなヨーロッパ』に結実したシンポジウム(2013年@京都大)
を想い出しつつ、前を向いています。
2019年4月30日火曜日
5月の予定
日本西洋史学会大会(5月19日@静岡大学)では「ジャコバン研究史から見えてくるもの」という題目で、中澤科研の議論およびブダペシュトの研究集会で学んだことを還元したいと考えています。
日曜の午後2:15~5:30の小シンポジウム「革命・自由・共和政を読み替える-向こう岸のジャコバン」での報告です。
また歴史学研究会大会(5月26日@立教大学)では、去年の合同部会から続きですが、「主権国家」再考 Part 2 という設営で、
皆川卓さん「近世イタリア諸国の主権を脱構築する:神聖ローマ皇帝とジェノヴァ共和国」
岡本隆司さん「近代東アジアの主権を再検討する:藩属と中国」
という二つの報告があります。これにコメンテータとして、大河原知樹さんと近藤が加わります。
日曜朝の9:30から17:30まで、全日シンポジウムとなります。
これとは別にさる催しで「イギリスとEU:歴史的に見ると」といったお話もしますので、いささか過度に充実した5月となります‥‥。
2019年4月11日木曜日
向う岸のジャコバン
そのウェブサイトのどこを探しても、各小シンポジウムの趣旨説明と「目次」は見えますが、各報告の要旨は載っていません。昨12月末〆切で、準備委員会の定める厳密な書式設定で提出しました物はどうなっちゃったのでしょう? 例年の大会サイトでは各報告の要旨も掲載されて、どんなシンポジウムになるか、事前からよく想像できるようになっていました。
中澤達哉さんの組織した小シンポジウム6「革命・自由・共和政を読み替える-向こう岸のジャコバン」は、このとおりです。
「革命・自由・共和政を読み替える ― 向う岸のジャコバン ― 」
近藤 和彦 ジャコバン研究史から見えてくるもの
古谷 大輔 混合政体の更新と「ジャコバンの王国」― スウェーデン王国における「革命」の経験 ―
小山 哲 ポーランドでひとはどのようにしてジャコバンになるのか ― ユゼフ・パヴリコフスキの場合 ―
中澤 達哉 ハンガリー・ジャコバンの「王のいる共和政」思想の生成と展開 ―「中東欧圏」という共和主義のもうひとつの水脈 ―
池田 嘉郎 革命ロシアからジャコバンと共和政を振り返る
コメント 高澤紀恵・正木慶介・小原 淳
(企画:中澤達哉)
このうち近藤の発表要旨について、右上の Features で紹介します。
2019年3月19日火曜日
ブダペシュト
ヨーロッパのど真ん中ゆえにCEU(Central European University)があって、そこでこんな話をしています。
→ https://pasts.ceu.edu/events/2019-03-18/european-jacobins-and-republicanism
本日までは、(原稿未完のまま飛来したので)寝ても覚めてもナーヴァスな日夜でした。報告・討論を終えて、ようやくホッとしています。
リスト、ルカーチ、ポランニ、バルトーク、セル、といった人材を輩出したハンガリー。
ブダ+ペシュトは、ドナウ川が流路を90度変えたあと、ハンガリーの大草原に出てくる所にある、というわけで西と東、ヨーロッパ・カトリック教圏と正教圏、あるいは近世ですと神聖ローマ帝国とオスマン帝国との境目にあたります。ユダヤ人街がこんなにも広く展開しているとは、想像もしていませんでした。
CEUもここになくてはならぬわけではない . . .
昨日はたいへん暖かい快晴日、ドナウ川をさかのぼる形ですが、ブラティスラヴァまで出かけました。
今日はふたたび曇天、夜は冷えます。
(写真はたくさん撮っているのですが、カードリーダを忘れできたので、こちらに転送することができません。帰国してからゆっくりご覧に入れます。)
2019年1月31日木曜日
パーマ『民主革命の時代』旧版・新版いずれも
〈承前〉 というわけで、新版(2014)に不都合や瑕疵はあるとはいえ、しかし、ヤル気のある学生たちに手に入りやすい形と値段で、この20世紀の古典が再版されたのは、悪いことではない。
礫岩のような国家とか、躍動する国制史とか、言ってきた者にとっての価値は無限です。このパーマの書物には conglomerate state とか composite monarchy といった用語こそないけれど、なんと
「ウィーンのハプスブルク君主政とは、一種の巨大持ち株会社のようなもの(a kind of vast holding company)で、その下であまたの従属的な社団の構造が生命を維持していた」(旧版 I: 103; 2014版では p.78)
といった文が次から次に出てきます。いったいアンシァン・レジームの絶対主義とか社団的編成とか唱えていた論者は、これを見過ごしていたのでしょうか? それとも、そもそも NATO 史観のアメリカ人の本など相手にしない、という姿勢だったのでしょうか? こういった「方法的ナショナリズム」こそ、パーマが反対したものでした。「比較国制史の試み」(p.3)なのだけれど、各国史を束ねて終わりではなく、
The book attempts to deal with Western Civilization as a whole, at a critical moment in its history(p.6)
と宣言します。さらに第2巻の序では
I have tried to avoid a country-to-country treatment, and to set forth . . . on the wider stage of Western Civilization (2014版では p.376)
と念を入れています。
ヨーロッパおよびアメリカの monarchy and republicanism, aristocracy and an emerging democracy が本書のテーマだと言うんですから、「主権概念の批判的再構築」のグループにも、「向こう岸のジャコバン」のグループにも、およそ歴史学的に政治社会と取り組もうという方々には例外なく必読文献(再読文献)ではないでしょうか。国制史は躍動するとか、well-ordered state とか、ホッブズ的秩序問題とか語っていた人、そして18世紀「啓蒙」に取り組んできた識者にむかっては、あらためて言うも愚か、かな。
2019年1月30日水曜日
R. R. パーマ『民主革命の時代』第2版(2014)
〈承前〉 というわけで、今回、書き込みの一杯ある手元の Princeton U.P., 1959-64 のぺーパーバック2巻本と対照しつつ、アーミテジのお弟子さんであるWくんの進言にすなおに従い、Princeton Classics edition, 2014 の1巻本を購入して再読することにしました。旧2巻本には40年以上も自分のカバーをかけて大事に扱ってはきましたが、汗とほこりと経年変化で、いささか脆くなっています。新1巻本はソフトカバーだけれど材質(acid-free paper)に工夫があり、丈夫で触感も悪くない。
R. R. Palmer (1909-2002) ご本人は亡くなって久しいので、この第2版の出版全体について学識ある責任者はだれだったのでしょう。アーミテジは「前言」を執筆して彼の仕事を歴史のなかに位置づけていますし、また息子 Stanley Palmer もテキサス大学の歴史学教授だとのことですが、はたして、内実的な編集を supervise したのはだれか、ということは明確ではありません。扉のうら、(c) 2014 の奥付ぺージに This book includes the complete text of the work originally published in two volumes .... と記されていますが、じつは以下のような特徴ないし問題があります。
まずは物理的な特徴から。
① 旧版は I(The Challenge) 9 + 534 pp.
II(The Struggle) 9 + 584 pp.
新版はこれを1巻に合体して 22 + 853 pp. に収めています。
単純に比較してぺージ数で 1,136ぺージ → 875ぺージ、つまり77%に減量。
本文・註ともに省略せず100%生かすために、その分、各ぺージの版面は圧縮されていて、
旧版は1ぺージに40行、概算で約428 words,
新版は1ぺージに45行、概算で約652 words.
旧版でも1ぺージにほぼA4・1枚分より詰めた感じの(充実した!)仕上がりだったのに、その1.5倍以上に詰まった版面で、字のポイントも小さい。
しかも旧版では各章の始まりは改丁して贅沢に1枚の紙の表裏をつかい、余白の美が読者をほっとさせてくれていたのに、新版はさすが章の始まりこそ「改頁」としていますが(改丁ではない)、余白はできるだけ詰めようという方針らしく、中高年の読者にはつらい仕上がりです。一巻本で900ぺージ未満に、という出版社側のコスト圧縮への強い意志のようなものを感じます。
さらには、(旧版と対照しつつ)読み始めてから気付くことですが、
② 旧版にあった段落の区切りを無視して、2つの段落を合体して1つにするといったこと(これは暴挙!)が無断でおこなわれています。cf.新版の pp.14, 19, 26, etc.
古典的なテクストがたいへん長い場合、モダンな版では段落を分けるといったことがしばしば慣行としておこなわれているのは承知していますし、それは意味の無いことではないと思います。が、この Princeton Classics でおこなわれているのは、その逆です。
③ 旧版ではフランス語のアクサン、ドイツ語のウムラウトをはじめとする語の修飾が丁寧になされていたのに、新版ではこれらを、ときに(!)無視する、という中途半端な方針。しかも、OCRで読み込んだ結果でしょうか(?)、like a girl, ... like a child とすべきところが life a girl, ... life a child となっちゃって意味不明(p.42)といった瑕疵もあります。こうしたことは、いかに globalization=Americanization=digitization の時代とはいえ、立派な出版社ならやっちゃいけないことですよね。
④ 索引について。新版は2つの巻の合体により、索引も合体されて便利になったばかりでなく、じつは旧版になかったいくつかの項目 absolutism, British Parliament, などが独立して、使いやすさが改善したと思われます。
ただし constituted bodies, corporatist school, intermediate bodies, patriot, patria (patrie), prescription (自然権の反対), virtue, well-ordered state といったパーマのキーワードは、残念ながら索引として立項されていない。また sovereign/sovereignty という項目はあるけれど、人民主権でない意味で使われた箇所については採用しない、といった瑕疵があります。
旧版において原著者が立項しなかったのだから‥‥という言い訳はあるかもしれないし、索引は読者が自分で必要に応じて補えばよろしい、といった考え方もないではないけれど、20世紀の「古典」を今のアカデミズムのなかで生かすためには、やはり著者のキーワードについては立項したい。
それから、新版の索引には信じがたい過ちも新たに生じています。たとえば、プロイセン王国のフリードリヒ2世(大王)は当然ながら立項されて、英語表記で Frederick the Great なのですが、これがなんと、Frederick William II [king of Prussia] と合体されてしまった。編集者さん(あるいはアルバイトの院生さん)、Frederick II [king of Prussia] という項目が必要なのですよ! 旧版の索引ではそこは間違いなく独立していましたから、一知半解の索引アルバイターがやっちゃったのかな?
2019年1月29日火曜日
R. R. パーマ『民主革命の時代』
The Age of the Democratic Revolution, 1959-64年の2巻本(Princeton U. P.)で、アメリカ独立およびフランス革命をそれぞれの「祖国愛の史観」から一歩はなれて、1760~1800年くらいの「大西洋史」のダイナミックな動きのなかで捉えなおした「古典」ですが、皆さん、(その本があることは知っていますよ、といった具合に)言及するだけで、しっかり読んでないんじゃないかと思われます。
かくいうぼくは、名古屋大学に赴任して2年目、1978年、- 隣の南山大学に青木くんが赴任してきたし、ちょうどフランス革命の天野さんが大学院に進学した、イギリス急進主義の松塚くん、アメリカ(Oberlin)留学から帰ってきた高木くんも院に在籍している - といった環境で、輪読にふさわしいテクストとして選定し、この2巻本を相手に奮闘しました。アメリカ史のさかんな名古屋という土地柄、院生たちの勉強と知恵にも支えられて、1980年夏にイギリスへ飛び立つ直前の鳥羽合宿まで続きました。アメリカの「自由の息子たち」や、ポーランド人コシチューシコについて基本的な知識をえたのも、パーマのこの本のお陰です。
1970年代の日本では、パーマも大西洋革命もいささか不評で、理由を憶測してみますと、
1) 冷戦体制のなかで「右寄り」かリベラル(当時は「反共」という意味)の歴史家とみなされ、フランス革命の人類史におけるユニークな意義をパスして、18世紀末の国制史に議論をフォーカスしてゆく、「反動」ではないが主流でもない歴史家、相対主義者という位置づけだったのではないでしょうか。日本学界でも、ましてやフランス学界でも不人気だったようです。日本のフランス革命研究者では、柴田三千雄さんが注目していましたが、これはかなりレアで、今思えば勇気ある立場でした。
ぼくはフランス革命では、その前に(75~76年) Richar Cobb, The Police and the People を読んで、おもしろい本だけれど、(ちょっと E. P. トムスンに似て)細部にこだわりすぎ;コッブの議論はこの10分の1くらいの量でも証明できそう、なんて思っていました。だからパーマの、経験的な叙述でありつつ「構造」を鮮明に打ち出す論理に、一種の爽快感を覚えました。成瀬先生の授業で「身分制議会史国際委員会」というのがあるのだと聞き知っていたし、それが新版のp.23の註1と2に挙がっているのをみると、それだけでも「えっ」という興味関心を励起されますよね。そういった感想を申しましたら、柴田先生もなにか曖昧な共感めいたことを言ってくれた覚えがあります(考えてみれば、早くも星雲状態ながら『近代世界と民衆運動』を構想されていた時期ですね)。遅塚さん、二宮さんの場合は、ほとんど反応ゼロでした!
1989年に来日したリン・ハントとフランス革命関連で読んだ本という話題となり、まず Palmer, Age of Democratic Revolution と申しましたら、反応はネガティヴで、パーマでおもしろいのは Twelve Who Ruled だ、Age of Democratic Revolution は広い学識は示されているが、いささか退屈、ということでした。ジャコバン史家の面目躍如でした。
2) また、アメリカ史学界では「古いヨーロッパ」から自己を解放したはずの独立革命について、ヨーロッパ史と同一の動きと構造を指摘するパーマ教授は、やはりアメリカ史の世界史的なユニークさを捉えきれない学者という評価でしょうか。1960年代から以降の「新しい歴史学」になると、なおさら中途半端で退屈な仕事という受け止めかな。
この二つの理由で、第2版の前言(2014)を書いているアーミテジの表現では「その後ほとんど40年ほど、古典であって、崇拝はされても読まれることのない本」に落とし込まれたと言います。1955年の 国際歴史学会議@ローマ におけるパーマとゴドショによる「大西洋革命」論の提唱と、それはNATO(北大西洋条約機構)擁護論だ、といった強い批判をよくは知らなかったぼくが、「ホッブズ的秩序問題」「躍動する国制史」といった問題を意識するよりはるか前に、なんとルースをはじめとする「社団的な社会編成」をキーワードとするコーポラティストを理論的な指針としたパーマ先生の主著に取り組んでいた。これは「偶然」というよりは、幸せな contingency (複数の契機からなる時代情況)の賜物、というしかありません。
2018年6月6日水曜日
階級闘争の歴史
いま立正大学の院生たちと一緒に読んでいるテキストは、Gordon Taylor, A Student's Writing Guide (Cambridge U.P.). この p.10 に挙がっているエピソードを、昨日のラウル・ペック監督は味読すべきだと思いました。
... when I read those words by Karl Marx, 'The history of all hitherto existing society is the history of class struggles', childhood memories made me say 'and that's true!', just as years of reading and observation later were to fill in the details for that proposition and raise doubts about what it leaves out.
そう、階級闘争は、ことの一面にすぎない。それ以外のことが人類史には一杯ある。読むべきこと、考察すべきことをネグレクトして、問題を単純に絞り上げて「敵」を示した上に、ナイーヴな大衆を扇動したマルクス・エンゲルスは、ほとんど文革の毛沢東と同罪、共和党のトランプと同じかもしれない。
19世紀前半まではどうか知らないが、少なくとも1848年『共産党宣言』以後の社会主義運動にとって、ブルジョワ社会を倒したあと、どういった社会を創るのか、そして議会や国家、そして正しい者の「前衛党」といったものをどう機能させてゆくのか、こうした問題をきちんと考えることができないまま(棚上げにしたまま)、「批判的批判」に甘んじていた。これは、重大な欠損でした。
というわけで、映画「マルクス・エンゲルス」は「カール・マルクス生誕200年記念作品」と銘打つには、足りない出来。責任の過半は、監督と制作スタッフの力量不足にあるかと見えます。
いかに今の世がひどい、ネオリベラルが跳梁跋扈しているからといって、旧態依然たる共産党のプロパガンダでよしとするのは、人民への愚弄だと、ぼくは受けとめます。そう、ぼくはマルクス主義についても、ピューリタニズムについても、修正主義者です。悪しからず!




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