2010年3月28日日曜日

アポロンさんに答えて、知の戦略

 アポロン(太陽神=美青年)さん、日曜のコメントありがとう。
 オンライン学術情報に限られることなく、知の戦略という問題だと考え、独立のスレッドとします。

 取り組み、支援‥‥について、それぞれの場でできることをするしかないと思います。とはいえ、ルートのないまま、個人で財務省や文科省や国家戦略担当相に意見書を送っても、また『朝日新聞』に投書してみても、ほとんど無駄でしょう。【万一にも担当課長や、政権ブレーンに知り合いがいたら、是非とも個人的信頼関係を築いて、実態を訴えてほしいですが。∴科学官さんは、重大なお仕事、頑張ってください!】
 ただちに考えられるのは、
1) その筋、すなわち学士院や学術会議、そして史学会や歴史学研究会などが、熟慮した決議と議論を根気よく提起すること。

2) そして、世論作りではないでしょうか。NIIも、政治家も、世論のバックなしには何もできません。

 1, 2 のうち、とくに 2 については若者・院生にもできることは一杯あると思います。
 1, 2 いずれについても「学問・人文科学・古典教育は、大切だ。尊重されたい‥‥」なんていう星菫派の論理ではなく、もっと今日の(非英語国)ドイツ連邦や大韓民国における具体例を挙げつつ、日本の知の戦略を積極的に議論する必要があるでしょう。だからといって、そのさいにぼくは単純な「グローバル主義」や「ハードアカデミズム」論は採りませんが。【星菫派とは加藤周一さんの語ですが、『文明の表象 英国』も見てください。】

 そう、簡単で効果的な方法が、もう一つありました。
3) 何より「世界一でなくちゃいけないの?」「無駄をなくそう」って議員は落選させることです。ケインズ経済学でも新古典派経済学でも、産業連関を考えない政権が続くなら、国は滅びます。

 じつはぼくの新年度、ケインブリッジでのテーマは、マンドヴィルの「私悪は公益」論の積極的な受けとめ and/or E・P・トムスンのモラル・エコノミ論の再審、おそらくは乗り越えです。18世紀前半のイギリスで、公共性と moral philosophy がめざましく展開したのは、ご存じのとおり。ハーバマスの市民的公共性は、まさしく私人が欲得づくで担ったものですし、ブルーアは『スキャンダルと公共圏』で、問題のありかをカラフルに描きました。

 今の日本国の第1の悲劇は、いかなる経済学的基盤も理解ももたぬ populist, amateur 政権が総選挙の結果として造られてしまったことでしょう。第2の悲劇は、学問の世界の基盤や水準もまた、怪しげになってきていることではないでしょうか。

 近刊の『イギリス史研究入門』も『イギリス史10講』も、広くアピールしたい著作です。

2010年3月26日金曜日

The Making of the Modern World

懸案の電子アーカイヴ
"The Making of the Modern World"
(元来は Goldsmith &Kress Libraries のディジタル版です)
この購入がようやく東大の図書行政商議会でも承認されました。

朗報です。
経理上の問題もクリアできて、良かった良かった。
グーテンベルク(Caxton)以降、1850年以前を研究している方々、みんなへの恩恵。
おおいに活用しましょう。

2010年3月7日日曜日

Carmen Blacker



 横山俊夫さんから伺うまで知りませんでした。昨年夏に亡くなったのですね。

 因縁は、すこし長くなりますが、1980-1年にニュージーランドの Duneden からケインブリッジのエルトン先生(Clare College)の所にサバティカルで来ていた Alistar Fox というトマス=モア学者がいて、7歳のお嬢さんが小学校でぼくの娘と同級という縁で、行き来が始まりました。澤田昭夫先生を当然のようにご存じでした。
 その Alistarに招待されて、Clare Hall のディナーに行き、そこでカルメンのように座の中心にいたのが、美しく赤いドレスを召した Carmen でした。福沢諭吉も、恐山の巫女も、南方熊楠も論じることのできる日本学者。

 それから23年もたって、オクスフォードは Somerville のランチに呼ばれていったとき、Colin Lucas 総長とともに、小柄なお婆ちゃんがいるな、と思ったら、なんとジョアナのお友だちでした、Carmen Blacker!

 この週はオクスフォードに滞在なさっていたのです。名のっていただかなかったら、あのカルメンとは分からなかった! 好々爺という語はあるが、「好々婆」という表現はあるのでしょうか。
 SCR で「あしたはサマヴィルのセミナーで話をする」とおっしゃるので、それではと妻も誘ってサマヴィルに行ったのですが、‥‥転倒して歩けなくなった、とのことでセミナーは cancelled.

 これが最後になりました。ときに想い出して、どうなさっているかと心配していましたが、2009年に亡くなって、秋にお別れの会をしたのでした。
 人生で、ときをへだてて、ただ2日 お話をしただけの方ですが‥‥ご冥福をお祈りします。
写真は(c)南方熊楠顕彰館

2010年3月6日土曜日

高橋 進 さん

 昨日の夕刊を読んでいなかったので(その暇さえなく)、今日になって知りました。亡くなるとは、驚き愕然とします。ぼくの1歳下。去年の 並木さん につづいて‥‥。
 法学部の政治史教授、東大の博物館長、COEリーダーといった重責もありましたが、個人的には1990年代から15年ほど 東京書籍の企画でずっとご一緒しましたので、そちらの場面のことを想い出します。

 近世ヨーロッパの「人口動態イモムシ」あるいは「人口稠密回廊」【『歴史と地理』no.554 (2002)】に関連して、もうずいぶん前ですが、全然別の現代政治学の観点から「マンチェスタ・ライン枢軸」(ライン・マンチェスタ枢軸)というコンセプトで議論なさっているのを知って、おぉ、と思ったものでした。
近世史の人口動態が、はたして20世紀の西欧型社会民主主義の場を説明しうるのかどうか、いまだ確信はありませんが、しかし、もっと調べるべき価値のある宿題をいただいたと考えています。

 2月の下旬、つまり先週でしたが、本郷の銀杏並木でお姿を見かけました。お疲れだな、と思って(こちらも元気がでないし)、声をかけそびれました。
 ‥‥ご冥福をお祈りします。