2017年4月30日日曜日

ツツジと花壇


今の季節、桜(ソメイヨシノ)が終わり、ケヤキも銀杏も若葉が出揃ったころ、公道の植え込みのツツジが満開で、気持が爽快になりますね。「鬱」の学生も、大学に出てくるのが嬉しい、と言っています。良かったね。

それから、集合住宅の広い中庭の花壇も繚乱。
いつも手入れをしてくださるヴォランティアの方々のおかげです。

わすれな草 Vergiss mein nicht

 
 昨日の NHK アサイチで紹介された「わすれな草 Vergiss mein nicht」(ドイツ映画、2012年)へ。渋谷・円山町のユーロスペースにて。
 インターネット情報からも、静かに進行するドキュメンタリー映画ということは想像され、そのとおりでした。しかし、個人的には身につまされて、涙また涙。予想外ですが、なんと映画で主演した当事者 Malte Sieveking(監督 David の父)が会場の挨拶に現れました。68-9年の「新左翼」とその後のこと、大学教員としての定年退職、男と女、親と子・孫といったシチュエーション。トークの場面ではぼくは発言できず、終了後の廊下で彼の両手をとって、感動の度合いを伝えました。
 そうしたカタルシスの直後に、喧噪の渋谷(ボードレールの「雑踏で湯浴みする‥‥」)を歩くのは気恥ずかしい。
 今日の妻は理性的で、明るい渋谷の街頭で、「展開が予想できて意外なドラマがない。若者は惹きつけられないかも」と申します。そう、中高年向けの静かな感動映画かな。ぼくのすぐ前の席の男性も感極まっていました。ドイツと、そしてスイスの美しい景色もすばらしい。

2017年4月26日水曜日

〈歴史のフロンティア〉は今


 1993年11月から刊行の始まった山川出版社の〈歴史のフロンティア〉。最初だけ2冊配本で、近藤『民のモラル』と森田安一『ルターの首引き猫』が出ました。それから、松本宣郎『ガリラヤからローマへ』、喜安朗『夢と反乱のフォブール』、荻野美穂『生殖の政治学』、石井規衛『文明としてのソ連』、山本秀行『ナチズムの記憶』‥‥と続き、90年代半ば、歴史学の一風景をなしたのではないかと思います。
 結局、出版環境の変化と担当編集者の退職により、計20巻、本村凌二『帝国を魅せる剣闘士』(2011年)が最後となってしまいました。
 四六判の立派な装丁による定価2600円~2700円の本には一般学生が手を伸ばさないという時代になって、それならと、文庫に形をかえて出版されるのは、歓迎すべきことでしょう。文庫版として出た順で並べると、
・近藤和彦『民のモラル - ホーガースと18世紀イギリス』 ちくま学芸文庫 2014年(364 pp.) 1300円
・谷川 稔『十字架と三色旗 - 近代フランスにおける政教分離』 岩波現代文庫 2015年(306 pp.) 1240円
・松本宣郎『ガリラヤからローマへ - 地中海世界をかえたキリスト教徒』 講談社学術文庫 2017年(341 pp.) 1130円
 それぞれの出版社・文庫担当者の方針と見識が現れているかと思われます。講談社はずいぶん安く仕上げましたね。ただし、1ページに18行つめこんでいます。
 この次に文庫版で出るのは何でしょう。すでに準備されているのでしょうか。ぼくが出版者ならただちに「これ」と推せるものがありますが‥‥。

2017年4月25日火曜日

愛国主義・民族主義・国民主義・国家主義 (または超訳)


 日本のマスコミ関係者も進歩的な論者も、戦後ずうっと棚上げにしてきた言葉があります。Nation および nationalism, patriot および patriotism です。この二つは全然ちがう。

 そのことがはっきり露呈したのが、今回のフランス大統領選挙で、第1ラウンドの結果をうけてマクロン候補がおこなった勝利演説の日本語訳です。その混乱・ゴマカシ。分かりやすいように、フランス語をBBCの英訳で引用するとこうです。
. . . I will become your president. I want to become the president of all the people of France - the president of the patriots in the face of the threat from the nationalists.

 夜10時のNHK-BSでは、これをナショナリスト=民族主義者としたうえで、(パトリオットを愛国主義者と訳すと分からなくなってしまうので飛ばし)「わたしは民族主義者の脅威に対抗して、全国民の大統領になりたい」と超訳したのです。できの悪い学生が、一番大事なポイントを飛ばして訳す、あのやりかた!
英和辞典も、仏和辞典も、独和辞典も(あまり深く考えずに)編者が思いついた単語を列挙して了とする編集方針をとっているかぎり、役立たずです。 Nationalism は国家主義だったり、民族主義だったり、Scottish National Party は「スコットランド民族党」! いったい「スコットランド民族」というのは存在するんですか、と聞きたくなる。
Nation は歴史的につくられた政治用語です。生まれと信条をともにすると表象された「国民」nationを第1に考える運動が nationalism です。「ドイツ民族」とか「日本民族」とかが本質的に存在すると信じる人たちにとっては「民族」=「国民」なのでしょう。そうした場合はユダヤ人とか在日集団とかがジャマな夾雑物で、排除すべき存在となる。

 これにたいして、patriot は愛国者でも憂国派でもなく、OEDの名言によれば、「敵に対抗して、自由と権利を支持し守る人」。初出は1577年、ハプスブルク朝に抵抗したオランダ独立派について用いたのが始めのようです。ぼくたちがよく知っているのは、アメリカ独立戦争でイギリス支配に抵抗した「自由の戦士」で、OEDは1773年のフランクリンを引用しています。
 このところ機会あるごとに北原さんが言明なさるとおり、patria自体は、国家や土地と関係なく、(現存在しないかもしれない)理想郷のことだというのは、OEDの語源説明でギリシア語における patria がポリスの市民でなく、バルバロイについて用いられたというのと符合します。

 ようするにマクロン候補は、右からの民族本質論・「他民族」排除の立場の人々に対抗して、「自由と権利を支持し守る人」「自由の戦士」の大統領になるというレトリックを用いて、左派および自由主義者、そして全人民に決選投票での支持を訴えたのです。NHKの超訳のような、ぼんやりした「全国民の大統領」というアピールだけでは弱い。むしろ左派(メランション、アモン)にも、中道にもネオリベラルにも訴求する、曖昧だが「良いことば」(歴史的な用例でも good patriot, true patriot, etc.として出てくる!)を政治的に借用し、横領したわけです。

2017年4月4日火曜日

痛みと感情のイギリス史

前々から予告されていた6人の共著『痛みと感情のイギリス史』(東京外国語大学出版会、2017年3月)を手にしました。
まずは第一印象を。
目次を見ても、期待感をそそられますが、さらにカバーを取り去り、本体を見て驚きました。瀟洒です。紙なのに、しっかりして柔らかく、手になじむ上品な装幀。
http://www.tufs.ac.jp/blog/tufspub/

しかし、この装幀、ぼくも知っているぞ、と記憶をたどりつつ書棚から引き出したのは
英国をみる: 歴史と社会』(リブロポート、1991年)です。
この共著は慶応ボーイの企画にぼくが紛れこんだ異文化遭遇の本でしたが、元筑摩書房のリブロ編集者(現・書籍工房早山の社長)が入れ込んでやってくれたのですが、
「ちょっといい物にしました」と控えめに自慢していました。

とはいえ、ちょうど手になじむ大きさ、版面の美しさ、赤いしおり付き!
今回の『痛みと感情』には負けます。しかも、2600円! どうして可能なんでしょう?
これだけ読者に物としての感触的喜びをもたらす本は、あまりありません。

もう一言つけ加えます。
英語のタイトル Pain and Emotions in British History については、
Pain and Emotion . . . あるいは Pains and Emotions . . . というのがありうるけれど、
Pain だけが単数形で抽象化された概念、
Emotion は複数の具体的な、さまざまの喜怒哀楽・快不快、
というのは、どうでしょう。明快な説明が必要です。
たしかベンサムの場合は pleasure and pain ないしは all sorts of pleasures and pains でした。