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2026年9月6日日曜日

谷川稔さん(1946-2026)

 9月に入って、東京地方は、さすがに暑さよりは涼しさが増し、冷房なしの日が続きます。今日はしめやかな秋雨。そこに京都の mistoire6819 から久方ぶりのメール、と勇んで開けてみると、ご子息からの悲しいお知らせでした。12月の誕生日前ですから、享年79歳。
 これまで何度も苦しい闘病を粘り強く凌いで、優しさと批判精神にみちた笑顔をふたたび見せてくださるのが谷川稔さんの常でしたから、今年2月2日夕刻付けのメールをいただいた後も、再起を疑っておりませんでした。そのメールの最後には、こうありました。
「‥‥放射線治療の効果は遅れてやってくるという「通説」頼みです。万が一、4度目の奇跡が起きたら、どこかで語り合う時が来ますように。私が言うのも変ですが、どうぞお元気で。」

 谷川さんとは大学は違い、生年も違いますが、学年は同じで、「社会運動史研究会」以来のおつきあいです。いろいろな局面でご批判や励ましをいただきました。とはいえ、社会運動史研究会とは、彼にとって喜安さんや相良さんとのヤリトリが初めの主目的で、ぼくなぞは周辺的存在、あるいは東京の事務連絡係でしかなかったかな。お互いに年齢を重ねるにつれて接近し、少し離れた、別の、しかし同じ戦線でたたかっている同志のような気持が増しました。『近代日本の歴史学とフランス』(山川出版社、2026)については、原稿段階で、励ましをいただきました。さらにその後の『史潮』新99号(26年6月)における「労働分析研究会と1970年代 -『社会運動史』再考に寄せて」は谷川さんの絶筆ということになりますか。
 今回の訃報を受けて、そうした同志が先に逝ってしまったような、本当に悲しい気持です。 人生のクリティカルな時どきに決定的な示唆や支援をいただいた方がたが、ゆっくりと後を追うように亡くなり、想いかえすに感極まります。

2026年8月17日月曜日

刀水書房の歴史

 すでに立秋を過ぎて、さすがに暑さはおだやかになってきたかと思いきや、線状降水帯(むかしの表現では集中豪雨)でたいへんな思いをされた地域のみなさん、お見舞い申しあげます。

 夏休み気分のところ、久方ぶりに刀水書房の中村さんからお手紙! と喜んで開封してみると、なんと8月末で「48年の社歴を閉じる」とのお知らせです。驚きました。「現在のあまりにも本が売れない状況」に言及なさっていますが、スマホに加えてAIの普及により、なおさら本も雑誌も手にしない人が増えました。新聞すら購読者は減っています。
 想い起こすに、ぼくにとって刀水書房は、樺山紘一さんの『カタロニアへの眼』(1979)で始まります。その出版の前年に名古屋・栄までいらして、ぼくと青木くんを相手に、バルセロナ、そしてガウディの魅力を語って下さったものです。80年代には比較文明学会が『比較文明』誌を出していたのですが、ぼくが寄せた学会記事の小文について、桑原社長から電話で質疑があったことも覚えています。
〈樺山さんの世代の英才で山川出版社の『世界史小辞典』(今のと違い、オレンジ色のコンパクトで優秀な歴史辞典!)の小項目を分担し、編集長・桑原さんのお世話になった人は少なくないでしょう。ぼくたちの世代ですとまだ大学に入ったばかりで、事情はよく存じませんでした。桑原さんが70年代の終わりに山川から独立して、ご自分の出版社を立ち上げ、その書房の名を、利根川の源、刀根に発する「刀水」となさる、と聞いて、どうして「刀」なんだ? と的はずれの疑問をもったこともありました。〉
 樺山さんと桑原社長の友情は強いもので、それは刀水書房における西洋中近世史の出版が多いばかりでなく、実質的に樺山編になる『20世紀の歴史家たち』計5巻(1997-2006)、そして最近の〈世界史の鏡〉という(未完結の)シリーズにも反映しています。豪華献呈本、高山・池上編『宮廷と広場』(2002)もありました! 城戸先生をはじめ、少なからぬ歴史家への献呈論文集も続きました。
 樺山さんの縁というわけではないでしょうが、中東欧史でも刀水書房は存在感を示してきました。わが友人、木村和男の『カナダ自治領の生成 英米両帝国下の植民地』(1989)、そして綾部先生の『カナダ民族文化の研究』(1989)にはじまり、『カナダの歴史 大英帝国の忠誠な長女』(1997)を経由して、カナダ関係の重要な出版も続きました。

 ぼく個人はといえば、上の『20世紀の歴史家たち』で、大塚久雄、ナタリ・Z・デイヴィス、E・P・トムスンの3項目を執筆しました。編集の中村文江さん(フーミン)とは、他にもいろいろと思いつきを語らい、実現したもの、そのまま流れた/棚上げのものがいくつもあります。史学会編『歴史の風』(2007)は実現したうちの一つでした。翻訳書も次々に出て、歴史専門出版社としての定評は固まりましたね。ぼくが関与したわけではありませんが、城戸毅『百年戦争』(2010)とか、山﨑耕一『フランス革命』(2018)といった、当該分野において日本語で読める、もっとも信頼できる=成熟した概説書も公刊されています。
 なお個性的なところでは、佐藤清隆さんの英レスタ市におけるエスニックな人びととの交流にもとづくフィールドワーク、Memory & Narrative Series もあります。木谷勤さんの『讃岐の一豪農の三百年』(2014)もありました。
 そうした価値ある出版群の実質的な掉尾にあたるのが、二宮宏之ドラマールを読む』(2025)だったといえるでしょうか。刀水書房の出版歴の誇るに足る記念碑です。
 こうした刀水書房が悲しいことに、この夏にその社歴を閉じるとのことですが、今月にかぎり在庫本を特別販売なさるというので、ぼくの場合は既に手元にあるものは多いのですが、出版図書目録を見て5冊ほど注文してみました。
 http://www.tousuishobou.com/ には社の歴史と桑原社長の写真などがあります。
全出版の書名一覧・索引 http://www.tousuishobou.com/sakuin/syomei.htm もあります。
 いずれ社のお仕事の邪魔にならない日時に、ほんの少時、ご挨拶に行ってみましょう。

2026年5月4日月曜日

新聞の書評

 5月2日(土)の朝日新聞に『「歴史とは何か」の人びと』の書評が載りました。 → 本ブログ右肩のぺージ(Features)をご覧ください。 → さらに更新しています
 評者は旧知の友で、書きにくそうな様子ですが、朝日新聞が読書欄で正規の書評としてぼくの著書・訳書を採りあげるのは、初めてのことです。(1990年の『歴史家たち Visions of History』、1993年末の『民のモラル』以来、朝日に限って、拙著は冷たい処遇を受けてきました!)
 それはそうと、今回の朝日の見開きぺージの右側に吉田裕さんの『流転する伝統』評で「本書の最大の成果は、エリック・ホブズボウムの「創られた伝統」概念を発展させたことだ」という指摘があり<ぼくならむしろ「伝統の捏造」と言いたい。cf.『人びと』pp.230, 235.>、左のぺージには『同性愛について』、植原亮さんの評が載っています。同性・異性の性愛については『人びと』全体を貫く一つのテーマですし、見開きの右・中・左のスペースを合わせて、有意の符合だなと受けとめています。

2026年3月25日水曜日

『近代日本の歴史学とフランス』

 高澤紀恵・平野千果子(編)、山川出版社で今月刊です。副題に「日仏交流150年の軌跡から」とあるとおり、歴史ある日仏会館2024年12月に催されたシンポジウムにもとづく、報告・討論集。
 ぼくも巻末に「反省的所感 西洋史研究におけるフランス学」というのを寄稿しています。ご覧になれば一目瞭然のとおり、この一文と『「歴史とは何か」の人びと 20世紀知識人群像』(岩波書店、2026)の該当部分とは、相互参照の関係にあり、照合しています。最後の校正をしている段階で、両方のゲラ刷りを見ながら調整したところもあります。また中澤(編)『王のいる共和政 ジャコバン再考』(岩波書店、2022)の序章「研究史から見えてくるもの」でも論じた点については、それと同一の典拠註となりそうな箇所は省略しています。
 つまり今回の「反省的所感」は計12ぺージで短いけれど、書き飛ばしたのではなく、このかんの問題意識を凝縮してしたためました。

2026年3月1日日曜日

『「歴史とは何か」の人びと 20世紀知識人群像』読者との交信 IV

OTさん
 ‥‥まず全体として本書は、『歴史とは何か』の副読本にとどまることなく、また内容的にも E.H.カーをめぐる人々の単なるエピソード集に収まることなく、20世紀の史学史・ヨーロッパ思想史になっている、と感じました。
 最も印象に残ったのは、いかに20世紀のイギリスがヨーロッパからの頭脳の流入により受益していたか、という点です。ネイミアやエルトン、ホブズボームといった歴史家に加え、バーリンやポパーといった20世紀思想史の最重要級もその列に連なります。こうしてみると、20世紀のイギリスは長期衰退過程にあっても、最強の国際言語たる英語と教育/研究機関、リベラルな政治体制により、すばらしい人材を誘引していたことが改めてわかりました。同じ衰退国でも、21世紀の日本では逆立ちしても真似できそうもないのが、悲しいところです。
 <中略>
 また、カーのある種の欠落を明らかにする7章、8章も、非常に効果的だと思います。『パースト&プレズント』の面々との没交渉、フランス革命史研究への言及の欠如は、カーの知的傾向を理解するうえで重要でしょう。また女性たちおよび周辺人物とのコミュニケーション不全(15章)も、著作のみからはうかがえない彼の人格的凹凸をよく示しており、彼を把握するための助けになろうと思われます。
 誰もが知る思想史上の大物ももちろんですが、個人的にはアクトンあたりに深い解説が加えられているのがありがたいです。主だった単著も邦訳もないアクトンの場合、特別な関心がない限り彼の著作を読むことも調べることもまずないと思われるので、彼の業績や歴史的評価に関する記述が読めるのは、貴重だと思います。
 マンチェスタ大学史学科に関する記述(特にp. 219-220)も心が躍りました。わけても「オクスフォード・マンチェスタ・ケインブリッジ・ロンドンの4点からなる四角形」なる表現は、非常に誇らしい思いを抱かせるものでした。
 以下には(些末ですが)気になった点を。
 「付記10 LSEの変貌」の最終センテンス(p.180)、「そこにはかつてのように前近代の歴史を研究する教員はいない」という表現について。この文章は二重にとれまして、「LSEにはもう前近代経済史の専門家はいない」とも、「かつてのように」が「研究する」にかかるとすると「LSEの前近代経済史家の姿勢がかつてとは変わってしまった」とも解釈できます。いずれにせよ、「LSEにおける前近代経済史研究にかつての勢いはない」、あるいは、「前近代経済史研究から熱気が失われた」くらいの意味の文章だと拝察します。
 しかし例えば、Oliver Volckart、イギリス史のPatrick Wallisなどは近世経済史において手堅い研究をしていると思います。アジア史でも、Tirthankar Royなどの仕事はどうでしょうか。
 別にLSEを擁護する義理はないのですが、LSE:Department of Economic Historyの教員一覧を眺めるに、前近代についても専門誌でよく見る名前がそろっていて、依然として経済史研究の最前線だな、というのが私の印象です。これ以上充実した経済史のスタッフを揃えている機関は、そうはない。確かに往年のPatrick O'Brienのような大物が見当たらない、といわれればその通りです。また「黄金時代」のような熱気が感じられないとするなら(それも否定できません)、個々人の資質というより「付記」にも指摘されるとおり、もっと大きな知的潮流の変化に原因があるのでしょう。

OTさんに近藤より返信
 ほとんど書評のようなコメント=メールをいただきました。内実のあるコメントを下さって、うれしい。たいへん心強く受けとめて、筆が軽く流れてしまった箇所など反省しています。
¶ マンチェスタについては、最初の留学で Boyd Hilton と V.A.C. Gatrell の指導を受けつつリサーチを開始したのですが、Manchester Central Library で Douglas Farnie先生(1926-2008)に会えてからは、ローカルな事情についてのお知恵を伝授していただくばかりでなく、史学史的な話もお好きなので、イギリスでも日本でも、会ってお話するのが楽しくなりました(拙著では p.281)。1987年9月に京都にいらしたときの写真をご覧にいれます(ぼくもまだ40歳になったばかり!)。
¶ 今日のLSEにおける歴史的学問の現状については、すみません、印象主義的な記述で凌いでしまいました。「付記10」p.180 の記述は、12行目「飛ぶ鳥を落とす勢いがある。」で終わりとし、以下は削除します。ここはむしろ、LSEは経済学自体の変貌、そしてヨーロッパ(西欧)中心史観からグローバルな視野への移行といった大きな変化を、オクスブリッジよりもはっきり代表具現している、と言うべきだったかもしれません。

2026年2月18日水曜日

『「歴史とは何か」の人びと 20世紀知識人群像』の読者より III

 あいつぐ私信から、シャープな指摘、そして思考の糧をいただいています。有難いことです。その一部をご紹介します。
HMさん
 ‥‥『図書』連載が始まったときから、毎号拝読しておりましたが、それを数段もヴァージョンアップされた、とても内容の充実した御本ですね。カー/『歴史とは何か』を取り巻く歴史家・学者の研究・著作からプライベートまで、それぞれの個性が伝わってきました。20世紀イギリスの知識人のコミュニティを、立体的というのでしょうか、「ポリフォニー」的に感じ取ることができました。
 錚々たる歴史家・学者ばかりでそれぞれの研究の意義をおさえるだけでも至難ですのに、各章のタイトルに掲げられた人物はもとより、現在の歴史家についてのエピソードも織り交ぜられ(キャナダインとコリーの結婚公告まで!)、大変面白かったです。また「付記」では歴史学の見方、日本の歴史学の先駆性・独創性にも言及されていて、イギリスを越えた同時代的な様子を知ることができたのも、有益でした。ご自身のリサーチによる『歴史とは何か』のアメリカ版刊行に関する書状の発見は、とてもスリリングでした。
 拝読していつも感じるのですが、文体に無駄がないと申しますか、よく研かれていると感じます。加えて、アイリーン・パウワの箇所で「元気(パウワ)にあふれるアイリーン」「‥‥社会政策の「発電所(パウワ・ステーション)」と韻を踏まれるなど、読み手を楽しませてくれます。‥‥

NSさん
 ‥‥イギリスの歴史家論というと、ジョン・ケニヨン『近代イギリスの歴史家たち』を思い起こしますが、ケニヨンが情報豊富で勉強になりはするものの、記述がやや平板なのと比べると、ご著作のほうは人物の複合的背後が浮かび上がると同時に、筆致が活き活きしており、とても面白く、勉強になりました。
 折に触れて示される鋭い洞察もとてもためになりました(アクトンがなぜ大著をまとめられなかったか、歴史家に構想力が必要なこと、しかし近年、資料の撮影が容易になり、資料フェティシズムには注意すべきこと‥‥)。
 アダム・スミスがオクスフォード時代に読書に打ち込んだことにも言及されておりますが、近年の研究を踏まえても言えることで重要だと思います。かつてはスミスはオクスフォードであまり学びがなかったとされていましたが、フィリップスンらにより、スミスはオクスフォードで、グラスゴー大学にはない書籍に触れたことがわかってきました。
 思想をどう歴史に組み入れるか、歴史的実態の中の思想をとくに意識するようになり、その点模索中です。とくに日本の思想史は、テキスト解釈に集中し、歴史的実態との関連を軽視する傾向にあります(内田義彦なども歴史を重視しましたが、それは講座派的な理解だったと思います)。イギリスの歴史解釈の層の深さを感じておりましたが、それはじつは20世紀に発展したものでした。‥‥
SOさん
 ‥‥歴史をやっている者にとってこの本が意義深いのは、一方で第15章で「わたしは孤独で、そして深く不幸です」というよく引用される言葉の本当の意味を教えてくれるというようなことだけでなく、『歴史とは何か』に登場する人たちが、20世紀史のなかに位置づけられ描写されていることだと思います。これは近藤さんにしかできない仕事だと思います。歴史学界の端っこにいる私にとって、興味深いだけでなく勉強にもなったところです。たとえば『P&P』誌の変身の舞台裏について、などなど。
 個人的になるほどと思ったのはR・H・トーニのところでした。彼の人となりが魅力的なのは大昔に『ハエとハエとり壺』を読んで以来ですが、ながいこと彼が熱心なアングリカン[国教徒]だったことがしっくりきませんでした。ウェーバーの読み過ぎだったのかもしれません。[人口・家族史の]ケンブリッジ・グループの創立者たちがノンコンフォーミスト[非国教徒]だったことにも影響されていたかもしれません。‥‥
 それが今回R・H・トーニの親友三人組の話を読んで、だいぶわかってきたように思います。その一人テンプルがアングリカンでキリスト教社会主義者、最後は大主教になったことを知り、あの時代のアングリカン改革派は国教会を内側から動かし、三人組のもう一人ベヴァリッジが構想した福祉国家への道を推し進めることになったのだと理解しました。有意義で楽しい読書でした。

KYさん
 ‥‥こうしてまとまって読ませていただくと、『図書』で拝読した時以上に、イギリスの歴史家たちへの近藤さんのまなざしがよく分る気がします。近藤さんが最も愛着を覚えているのはネイミアだろうという印象で読み終わりましたが、違っているでしょうか。
 『図書』にはなかった「付記」も、日本関係の話題などを盛り込まれる形で、それぞれ短いながら読み応えがありました。カーの新訳同様、多くの方に読まれる本だと思います。

KYさんに近藤より返信
 ‥‥ぼくが一番愛着を覚えるのがネイミアなのかどうか、よく分かりません。ある時期にそうだったのかもしれませんが‥‥。カーその人については、ぼくとは違うタイプの人だが、理解はできる、という所まで辿り着きました!(かつて E.P.トムスンに距離感を覚えて以来、)あまり特定の一人に執着することはないかもしれません。むしろ拙著の執筆のために勉強した結果、従来は嫌いだった/理解の外だった、トレヴァ=ローパとか K.ポパーとかについて、少しは理解が増した気がします。
 個人的に申しますと、1970年代に、フランス革命、18世紀英仏の民衆運動といったことで R.コッブ、G.リュデ、R.B.ローズ、M.ベロフなども読んでいたのですが、今回はこの人たちと E.P.トムスンばかりかネイミア(そしてベロフの場合はカー)との関係/摩擦まで浮かびあがってきて、目の覚める思いです。
 フランス革命修正論とベティ・ベーレンス、そのカーへのつながりについて、なおまた I.バーリンが1955年にアリーンと婚約発表したあと(結婚前のハネムーンとして)夏の南フランスから車でたっぷり大旅行を敢行し、ローマの国際歴史学会議に向かったことについても(p.165)、柴田三千雄先生がお元気なら、ぜひ伝えたかったことでした。
【まだぼくが学部の5年生のころ、本郷の喫茶店で柴田先生から、世紀転換期ウィーンにおけるウェーバーの周辺の知識人世界をやるのも面白いんじゃないか、と誘惑されたことを、今ごろになって想い出しました。まだカール・ショースキの安井訳『世紀末のウィーン 政治と文化』(岩波、1983)が出るよりはるか前のことでしたが、ぼくが駒場で折原ゼミに精勤していたのをご存知だったので、柴田さんと西川正雄さんのあいだの懇談から、こうした発言が派生したのかもしれません。】
 全体を通じてですが、巻末の「人物対照年表」の18名(→ 右上の Features に特別ぺージを設けました)について列伝みたいなものを試みたことにより、相互の意外なほどの関係が見えてきたのは収穫でした。当初に考えていたよりずっとテマヒマかかりましたが、調査探究の実が上がり、historiaという営みを生涯の仕事としてきたがゆえの喜び(これを西川さんなら醍醐味!というのでしょうか)を感じています。

2026年2月15日日曜日

『「歴史とは何か」の人びと』(岩波書店)について II

 拙著の読者からのご感想の第Ⅱ弾です。お寄せくださった皆さま、ありがとうございます。たいへん嬉しく、また励みになり、著者冥利に尽きるとはこのことです。個人的固有情報は除き、エッセンスのみご紹介いたします。
AMさん
‥‥岩波の『図書』に連載されていたエッセイは、部分的に読んでいたのですが、内容に引き込まれて、先週末に一気に読み終えました。「人物対照年表」を見ながら、錯綜した人間関係とOxbridge, LSEとの関係を改めて見直すことができました。
 描かれる人物像とともに、付記の部分にも引き付けられました。付記12の、英米の出版事情の相違と、ご自身のオリジナルな史料的「発見」の部分は、さりげなく書いてありますが、本書における重要な独自性にもなっていると感じました。

KHさん
 ‥‥すぐにご本を拝読いたしました。複雑な面白さなので、読んでいると止まらなくなって2晩で読了。二、三の感想を記して御礼にかえたいと思います。
 登場する歴史家たちの大半について、学生時代以来さまざまの読書で学んできました。このご本の I部では文句なしに、第6章 経済史家にして教育者、トーニ。
II部では、第7章 フランス革命史-ルフェーヴルとコッブ、第9章 バーリンとドイチャ、カーの二人の友人 の両章がすばらしい。私はバーリンは大嫌いでしたが、今回その理由が分かったと思います。ルフェーヴルの本は何冊か持っていますが、やはり筋金入りの歴史家であることを納得。
III部は、とてもきつい。戦後育ちの私は、第15章 E・H・カーと女性たち を読むのが辛かった。時代的被拘束性は分かっていますが、それにしても何というカーなのだ、と。この本はこれから何度も読み直すと思います。
 率直な不満があります。第8章 『パースト&プレズント』の歴史家たち の記述にはやはり不十分さを感じました。私は、学生時代からホブズボームの仕事が好きでしたので、E・H・カーとホブズボームはいったいどのような関係であったのかを知りたい。その探索の可能性は果たしてないのでしょうか。‥‥

YNさん
 ‥‥引き込まれるように一読させていただきました。素晴らしいご著書で、感嘆しております。
 E.H.カーを軸に、20世紀を歩んだイギリスの歴史研究者を、その研究や大学人としての歩みだけでなく、全人格とともに描写し尽くす。これは並大抵なお仕事ではないと、門外漢ながら感じ入っております。英国におけるオックスブリッジの位置、また学寮を基礎とする大学の社会や機能、そこを主な舞台として繰り広げられてきた20世紀英国の歴史学の状況が、きわめて鮮明な像として描かれ、とてもよく理解できました。
 いくつも印象的な部分がありました。
 *ネイミアのいう、歴史家の仕事は画家に似ている、医者の診断に似ている。。。
 *(歴史家の)頭のなかで響いていた音を聞き分ける
 *ハスラム「カー評伝」における、私生活を含め「全人格をあつかう」という手法
 *こうした視点で叙述された「知と愛とセクシュアリティー」の各章
 また、ぜひ再読させていただくつもりです。

KSさん
 ‥‥興奮をもって読了しました。
 激動の20世紀のイギリス主要大学で、伝統の血/知と外国からの新しい血/知が混ざり合い、濃密な人間関係の中で、互いの仕事を意識しつつ、強烈な自負をもつ、総じて「奇矯な」人びとが、教え学び、時代の荒波を生きて、同時代的課題に向き合い、友情や嫉妬や恋心や虚栄心や失望に翻弄されながら歴史を書いていたさまが、息遣いを再現するかのように描かれていて、ほんとうに、ほんとうにおもしろかった。
 たしかに人生を生き切ったような綺羅星のごとき人たちの頭を「いっぱい」にしていたことを踏まえてはじめて、その人の仕事の真の評価ができるのだなと思います。
 本書は、まことに「ポリフォニック」な作品だと思います。カーを出発点にして、数珠つなぎのように人間関係を探査していくうちに、当初計画にはきっとなかったような意外な事実が次々に浮上したのだろうと推察いたします(研究計画に偶然性を組み込んでいる、ということではないでしょうか)。登場人物が勝手に語り出すような、勝手に自己主張し始めるような、そんなところが随所にある気がいたします。著者自身が登場人物のお一人でもあり、そのことが独特の臨場感を与えています。 個人的に、昔お世話になった人に出逢った感もありました。「地上の星」的な存在にも随所で言及しておられるのも素晴らしいです。
 本書は一書として自律したポリフォニックな書物ですが、また『イギリス史10講』と『歴史とは何か 新版』とトライアングルを成していて、互いのサブテクストになっているのだな、との印象を抱きました。このようなコンステレーション - 近藤史学の星座 - を観られるのは幸せです。

2026年2月6日金曜日

読者の反応

 1月末の拙著『『歴史とは何か』の人びと  E.H.カーと20世紀知識人群像』(岩波書店)の刊行は、個人的には人生の一大事(!)なのですが、いま真冬の解散・総選挙という国民的大イヴェントのほうに人びとの関心が向いています。これじたいは健全なことなのですが、著者としてはほんの少しさびしい。ところが、政治文化の大きな転変、「大変貌」も予測されて、気がかりで、正気にかえります。8日(日)に投票所に行けない人は、不在者投票をしましょう!

 拙著については、ふだんからお世話になっている方々から反応を頂いています。ありがとうございます。個人を特定する固有情報は除いて、順にエッセンスのみ紹介させてください。
NMさん
  ‥‥じつは二日ほどで、ほとんど拝読いたしました(後さき 行きつ戻りつもありましたが)。なんて沢山のものをお読みになって、桁外れのひとの頭のなかと人生とイギリス人のありようを活写なさったのかと、感じ入りました。‥‥本当にものを読むのがお好きなんですね。
ACさん
 ‥‥先生が長年、多彩な歴史家の皆さんとの交流を大切にされ、楽しんでこられたご様子を、まのあたりにしてきました。ですので、舞台を20世紀イギリス歴史学界にして、「知識人群像」というこのご本をお書きになられたことにつきましては、なるほどなと感じております。
   少し驚きましたのは、ホモソーシャルで知的な側面ばかりでなく、取り上げられた方々のこだわりや失策や性愛にいたるまで、しっかり描かれていることです。女性たちの矜持や生き方も語られていて、実に興味深いです。全体に人物像がとても生き生きしており、立体的だと感じました。なんだかワクワクしてきて、読み進めていくのが楽しみです!! 個人的にはリチャード・コッブの『革命軍』を見つけ、なつかしくて涙が出そうになりました(笑)
ITさん
 ‥‥カーを取り巻く群像をポリフォニックに描くという離れ業へのご挑戦、流石としか言いようがありません。その「雰囲気」は芬々と本書全体から醸し出されています(人間工学的に優しい書籍の大きさ・重さも含めて)。 ケインブリッジの地図を眺め、ずいぶん昔に案内していただいたカレッジ群やケム川辺の風景、雑踏などが頭のなかに重奏的に甦ってきています。
 全体は I~IIIの3部構成になっていて、Iの内部的オーソドックスな知的関係、IIの外部からの知的刺激、IIIのジェンダー的様相の3楽章は、それぞれ異なる旋律とハーモニーが奏でられるであろうことが早くも予感されてワクワクします。そして『図書』の連載原稿には、大幅に手が加えられ、‥‥各章に付記が周到に配されていることにも、読者への心遣いが感じられます。そしてポリフォニーのさらなる増幅がはかられているようでもあります。
HMさん
 ‥‥大変興味深いです。ケインブリッジの芝生のかぐわしい匂いがよみがえります。 同じ頃私はパリに留学していました。まだブローデルもフーコーも健在だったのに、視野の狭さと博論作成の難しさのゆえに、彼らの講義に出席することはありませんでした。今になってとても残念に思っています。 [‥‥] が日記を残しており、それを読むと歴史学者とその学問がその人の生きた時代の思潮の影響を、半ば無意識のうちに強く受けていることに気付きます。
HYさん
 『図書』で欠かさず拝読していましたが、あらためて拝見すると、アングロフォンの知識人を中心とするカーの生きた時代の知的コミュニケーション空間が甦ってくるようです。その時代の思想空間を全体として反映するポリフォニーでなくとも、今日までなお歴史家に課題を提示する通奏音が聞こえる気がします。また何より生身の人間としての歴史家たちの交わりの物語が楽しめるのが喜ばしい。 こういう世界が、そしてこのようなスタイルの伝記的叙述を誘発するような歴史家(たち)は今後なお存在するのだろうかと思ってしまいます。

 なお、新著の刊行にともない、じつに何年ぶりかですが、右上のぺージ = FEATURES も対応して、少しづつ更新してゆきます。よろしく。

2026年1月7日水曜日

試し読み

 あまり心構えもできないうちに年が改まり、年賀状はようやく本日6日に投函しました!

 ありがたいことに、いつのまにか拙著『「歴史とは何か」の人びと - E.H.カーと20世紀知識人群像』については、早々と詳細な刊行情報が出ました(1月23日刊)。旧臘にくりかえしたドタバタの<成果>ですね。
https://www.iwanami.co.jp/book/b10154380.html
しかも、巻頭部分は「立ち読み」もできます。はしがき(v-ix)、目次、凡例、第Ⅰ部のイントロ(p.2)、第1章の前半 pp.3-10まで。 → 試し読み」をクリック
 ここで 図1-1 ケインブリッジ 学寮と大学(p.5)もきれいに読めます。

2026年1月3日土曜日

腰帯

 正しい名はどういうのか、知りませんが、とにかく本のカバーの下方を覆うように巻いて、その本の内容をアピールする、キャッチーな文言の記された帯/紙片です。著者でなく、その著書に長らく関与した編集担当者が苦労して制作します。
  ↑ クリックすると拡大します ↑
 今回の『「歴史とは何か」の人びと - E.H.カーと20世紀知識人群像』の場合は、長い帯の右側(仕上がりでは本の裏側)に並んだ21名だけでなく、ウェブ夫妻やハイエクやマンハイム、そしてグラッドストン首相、チャーチル首相、サッチャ首相も登場します。カーの3人の妻や子どもたちが本のなかでどのような役をになうのか。そして高橋幸八郎や柴田三千雄を - 二宮宏之も西川正雄も! - 近藤がどう論じるのか。現役の歴史家たちにも顔を出していただきます。印象的な写真もありますよ。
 「読んで楽しい」本にはなっているかな? ちなみに It is a delight to read とは、リン・ハントが History: Why it matters? (2018), p.124 でカーの What is History? を評した、短いけれど本質的な言でした。拙著の場合は、図版が多いので、見て楽しい本にもなっているかと期待しています。

2025年12月11日木曜日

新刊予告

雑誌『図書』12月号の一番最後のぺージにも予告が出ました。
「歴史とは何か」の人びと』、四六判、1月23日刊と予告されています。
本文と巻末(横組)の史料文献一覧も確定し、カバーおよび帯のデザインも決まりましたが、ただ今、索引につき最終的な、ホントに最後の奮闘中です。よく考えた索引がなければよい本は完成しない、という立場は柴田先生と共有しています。

2025年12月3日水曜日

すずらん通りの東京堂

ただいま新著『「歴史とは何か」の人びと - E・H・カーと20世紀知識人群像』のポリフォニー的列伝の最終局面。ほとんど昼夜反転しそうな日が/夜が続きます。
神田一ツ橋の岩波書店で今夕の仕事は済んだことにして、白山通りを渡り、ホッとした気持で歩くのは神田神保町の「すずらん通り」。
いろんな飲食の店、和菓子店、バーなどに間を彩られながら、専門古書店がならび、その先にこの通りにしては大きめのビルとして「東京堂」があります。
ここはぼくの学生時代(1960年代といえば、60年ほども前!)に三省堂の裏に、あの事典類を出してる「東京堂出版」ってこんなところに本社があるんだ、と認識したころ、本屋さんとしては冴えない部類だな(失礼!)という印象でした。
ところが、今や三省堂がなくなり、岩波信山社もなくなりました。近隣の環境変化と、おそらくは社の方針の転換も加わって、この近辺の新刊本屋としてレアなばかりでなく、じつは1階から3階まで、品ぞろいも悪くない、訪れて楽しい書店です。とくに3階は『思想』や『現代思想』のバックナンバー、全集の売れ残りなどを見て時間を潰す/啓発されるのには好ましい空間です。まだなじみのない方がたは、ぜひ!
今晩は、1階の目立つ書棚に『悪党たちのソ連帝国』『悪党たちの中華帝国』『悪党たちの大英帝国』が並んでいました。真面目な本かどうかを即断するには、が付いているかどうかだ、という説もあることは承知していますが、しっかり構えてプロデュースした本かどうかは、むしろ索引のありなしで即断できると、思っています。(いまぼくはそれで奮闘中です!)

2025年11月20日木曜日

20世紀知識人群像

季節は進んで、熊と雪の便りがつづきますね。
こちらはあいもかわらず拙著の仕上げでアクセクしております。
【とはいえ、この間に日仏会館の催しにもとづく、高澤・平野(編)『近代日本の歴史学とフランス』(山川出版社)の後半に収まるはずの「<反省的所感> 西洋史研究におけるフランス学」- 長くはない、ただの12ぺージですが、しっかり書きました - の校正も終えて、雰囲気は高まります。】
拙著『「歴史とは何か」の人びと - E・H・カーと20世紀知識人群像』(岩波書店)のほうの校正は、300ぺージを越えて、図版とキャプションも多いので、オイソレとは行きません。いま再校ゲラを抱えていますが、なかなか<充実>して、他のことが考えられません。
目次をご覧に入れると、こんな具合です。 請うご期待!

2025年11月1日土曜日

はしがき

ご無沙汰は続き、ついに11月になってしまいましたが、理由は9月27日に書いたのと同じで、まだ拙著の校正ゲラと取組中です。経過のご報告として「はしがき」から一部を引用いたします。
 <Quote:>
 先にわたしはカーの『歴史とは何か 新版』(岩波書店、二〇二二)を訳出したが、その翻訳中に興味関心をひかれ、もっと知りたくなったのは、著者カーの頭はいったい何で一杯だったのか、彼が思いうかべてもの言わんとした相手はどういう人物なのか、ということであった。『歴史とは何か』でカーが俎上(そじょう)にのぼせた人びとは、二〇世紀を代表するような知識人たちだった。重要でありながら、なぜか正面から切り結ぶことなく、パスした人もある。そうした人びとの思想と人柄について、生活環境(ミリュー)に注目しながら、「列伝」のようなものを描いてみたいと考えた。カーは『歴史とは何か』の第二講で「良い伝記とは結局、悪い歴史である、などと言ってみたい気にもなります」(『何か』p. 72)と読者を笑わせてから、悪い歴史どころか、すばらしい歴史の例として友人ドイチャによる伝記の著作をあげていた。
 じつはイギリスは一九世紀に歴史学の最先進国ではなく、史料の保存・編纂についても研究教育についても、ドイツやフランスが先を行っていた。アクトンやアンウィンのようなドイツ留学経験者、そしてフランスで学んだ若手により、イギリスの学問は革新された。さらに二〇世紀前半、とくに一九三〇年代には中欧・東欧出身のユダヤ系の優秀な/独特の人材が ー 自発的に、あるいはナチスに追われて ー イギリスに渡来し、知的世界の「大変貌」をもたらす。そうした人びとのたくましい生涯も見ることにしよう。英語が商業言語より以上の知的なグローバル言語となるのは、これ以後である。
 本書はこうした人びとの生活環境として大学事情にも説きおよぶが、多くの大学は二〇世紀半ばまで男女別学である。また二〇世紀イギリスの知識人群像のうち一定の割合の人びとにとって、親子の愛情の薄さ、同性愛もふくむセクシュアリティは現実的な問題であった。いくつかのケースと並べて見ると、カーのかかえた個人的な問題は相対化されてくる。パートナーとの関係、老いと病いについても考えよう。
 <Unquote.>
少なからぬ方々にはそれぞれのお約束を守れず、失礼を重ねています。申し訳ありません!

2025年9月27日土曜日

近況ご報告

 まったくご無沙汰しています。ときに「‥‥ホームページのブログの更新が4月以降止まっていることを心配しています」とかいう優しい問合せをいただいて、恐縮しています。
 なんとか無事に日々を暮らしていますが、ブログの更新がないのは、① 言いたいことがないのではなく、むしろ逆で、日本の政治社会よりもなによりも、トランプの3権分立なきがごとき独裁政治について憤懣やるかたない毎日です。これほど傍若無人の男にディクタトルぶりを発揮されては、モンテスキューもジェファソンも天を仰ぐでしょう。しかし、ぼくがブログをしたためるとしても、せいぜい新聞の社説に毛を3本加えた程度の(サザエさんの父=磯野波平くらいの)コメントしかできないでしょう。虚しい。
 ブログ更新のないもう一つの理由はもうすこしポジティヴで、② 拙著
「歴史とは何か」の人びと - E・H・カーと20世紀知識人群像』(岩波書店)
がいよいよ最終局面で、そちらに集中するしかないという事情もありました。(過去形で書いているということは、今は一段落ついたということです!)
 これは『図書』の15回連載をもとにしたもので、それで骨組はできているとはいえ、調べれば調べるほど発見があり、「止められない止まらない」状態でした。最初は岩波新書にしようという話だったのに、註も図版も豊富な四六判で行こう、となり、この2年間に現地調査・取材した成果も生かしたく - といっても完璧な学術書というより、むしろ「こんなにおもしろいこと/すごいことがある。皆さんに伝えたい」としたためた試論(essay)であり、皆さんの思考と探究をうながす「いざないの書」という性格を打ち出しています。
 『図書』連載時より分量はだいぶ増えて、内容も充実したかと思います。 ← https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/6074
「15章+エピローグ」編成ですが、全体を3部に分け、
 Ⅰ.歴史学とオクスブリッジ
 Ⅱ.変貌するイギリスの知的世界
 Ⅲ.知と愛とセクシュアリティ
としてみました。各章の「付記」も含めて、書き込んでいます。
 やがて校正ゲラにて目次などご覧に入れられるかと思います。

2025年4月17日木曜日

主権・IR・カー

「主権国家」再考』(岩波書店)は本日、16日発売とのことですが、先にも書きました詳細な目次だけでなく、立ち読みコーナーもあって、ぼくの「序論」についてはちょうど半分、pp.1-10 がウェブで読めるようになっています。
https://www.iwanami.co.jp/moreinfo/tachiyomi/0616940.pdf (目次のあとです)
そうした出版のオンライン開示は便利だなぁと見ているうちに、さらに今月刊のE・H・カー『平和の条件』(岩波文庫)も、訳者による解説(部分)が読めることを発見。
https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/8771
ちょうど『「主権国家」再考』がらみで、中澤論文からドイツの Andreas Osiander による
'Rereading early twentieth-century IR theory: Idealism revisited', International Studies Quarterly 42 (1998) へと導かれ、この論文でE・H・カーの国際関係学(IR)批判が試みられていることを認知したばかりでした。
この間のいろんなことが繋がってきて、嬉しいかぎりです。

2025年4月10日木曜日

Shohei's 'might-have-been'

 『「主権国家」再考』が岩波書店のウェブぺージに載りました。中澤達哉責任編集/歴史学研究会編、岩波書店、4730円。16日刊行とのこと。詳細な目次も、こちらに → https://www.iwanami.co.jp/book/b10132793.html
先にも(3月6日)書きました「‥‥今、トランプ第二期政権は歴史も国際法もなきがごとく、独特の「主権」を主張して世界を驚愕させている。」というぼくのセンテンスは、今となっては、ちょっと弱すぎる表現でした。
 そうした折、なんと大谷翔平(とドジャーズ選手たち)がホワイトハウスに招かれてトランプ大統領と談笑する光景が報道されました。何を話したのか、あまり愉快でない報道写真でした。ここでもし Shohei Ohtani が 
「ぼくは高校しか出てないし、野球のことばかり考えてきましたが、でも高校の公民では貿易収支(balance of trade)と経常収支(balance of current account)の区別は習いました。トランプさんはどうして今さら「貿易収支」みたいな物の取引の赤字なんかにこだわって、国際的なマネーや目に見えない富のやりとりは見ないんですか? 大統領はたしか大学を出て、すごいビジネスで成功なさっているんですよね」
とか、たとえ通訳を通してでも言えたなら、Shohei's Show-time! として、万国で人気が沸騰したに違いないのに。たられば(might-have-been)史観ですが。

2025年3月5日水曜日

主権国家サイコー!?

 この4月に刊行予定で進んでいる
 歴史学研究会編(中澤達哉責任編集)『「主権国家」再考』(岩波書店、2025)
ですが、ぼくは 序章「主権という概念の歴史性」を担当しています。
 昨夏の終わりが原稿〆切、暮れから正月に初校、2月に再校の期間がありました。歴史学研究会大会の合同部会で4年間にわたり共通テーマとして議論されたことが前提で、各章ともすでに部分的には『歴史学研究』大会特集号に連載されている論考を「再考」し、整えたものです。ぼくの場合は「序章」なので、第989号に載ったコメントから大幅に加筆して、「歴史的で今日的な問題」としての主権を、19世紀の東アジア、近世のヨーロッパについて論点整理してみたつもりです。そのさいに
・H. Wheaton, Elements of International Law (1836/1857)とその漢訳『萬國公法』(1864)および和訳・海賊版(1865-)
・J.H.エリオット「複合君主政のヨーロッパ」内村俊太訳、古谷・近藤編『礫岩のようなヨーロッパ』(山川出版社、2016)所収
が議論を展開するうえで、たいへん役に立ちました。
 とはいえ、11月~2月のあいだに国際政治上の緊迫と変化は著しく、悠長なことばかりで済ませることはできない、と再考しました。 → つづく

2025年2月19日水曜日

『読書アンケート 2024』

みすず書房より『読書アンケート 2024』(単刊書、2月刊、800円)が到来。
https://www.msz.co.jp/book/detail/09759/ 
ぼくも短かいながら5件の出版について感想を述べました(pp.175-178)。掲載の順番は、おそらく原稿がみすず書房に着いた順で、この本文180ぺージのうち、ぼくはビリから4番です。
月刊誌『みすず』は紙媒体ではなくなり、今はウェブ配信ですが、毎年2月号に載っていた読書アンケートだけで単刊書とすることになり、毎年の年初の楽しみは保たれます。むしろ前より厚くなった観があります。
ぼくの場合は、
1.二宮宏之『講義 ドラマールを読む』(刀水書房、2024)
2.木庭顕『ポスト戦後日本の知的状況』(講談社選書メチエ、2024)
3.松戸清裕『ソヴィエト・デモクラシー 非自由主義的民主主義下の「自由」な日常』(岩波書店、2024)
4.Lawrence Goldman, The Life of R.H.Tawney: Socialism and History (Bloomsbury Academic, 2013)
5.『みすず』168号~177号(1973-74)に連載された、越智武臣「リチャード・ヘンリー・トーニー あるモラリストの歴史思想」
を挙げてコメントしました。
4,5については、今書いている本『「歴史とは何か」の人びと』のなかの一つの章にもかかわり、また著者ゴールドマンが、E・H・カーの世代のインテリ男性の性(さが)について明示的に問うているので、響きました。
巻末の奥付に (c) each contributor 2025 とあり、著作複製権についてはぼくにあるのでしょうが、出たばかりの本ですので、ここには言及するだけで、文章は引用しません。

2025年2月4日火曜日

卒寿の著書

 みなさんは、服部春彦フランス革命と絵画 イギリスへ流出したコレクション』(昭和堂、今年2月刊)を見ましたか? 先に『文化財の併合 フランス革命とナポレオン』(知泉書館、2015)がありました。これに続く、フランス革命・ナポレオン・美術品の移動というテーマだな、と軽い気持で読みはじめて、驚嘆しました。
 明快な問題設定のもと、研究史と(回顧録や売立てカタログ‥‥からイギリス政治史のオーソドックスな史料 Hansard 議会議事録にいたる!)多様な史料を渉猟し分析した、374ぺージの研究書です! 今回はフランス史というより、イギリスの美術品取引史です。フランス革命期に大量の絵画が、フランス・ネーデルラント・イタリア各地から大量にイギリスへ移動したプロセス ~ 1824年、ロンドンに国立美術館(National Gallery)が設立されるまでの、オークションから私的契約売買まで、美術品取引の実際が具体的に解明され、迫力があります。
 イギリス史をやっている者にとって、18世紀前半のホウィグ体制において枢軸をなしたウォルポール家(Houghton Hall)タウンゼンド家(あの農業改良の Turnip Townshend)の今日にいたるまでの家運の転変はおもしろいものです。両家は同じノーフォーク州でほとんど隣接した大所領をもって、たがいに交際していました。しかし世紀後半の代になるとHorace Walpole は放漫な家政で、結局、せっかくのコレクションをロシアのエカチェリーナに売却するしかなかったばかりか、19世紀にはロスチャイルド家と縁組みし、今日も観光客を迎えて入場料を取り、一般向けのイヴェントをくりかえして所領を維持しています。他方のタウンゼンド家は代々、堅実な農業経営のおかげで、今も一般客を入れることなく所領を維持しています。
 1770年代にあの急進主義の風雲児 ジョン・ウィルクスが、そのウォルポールの Houghton collectionを国内に留めるための議会演説を行ったこと( → その効なくロシア宮廷に売却)から始まり、ナショナルな絵画館の設立運動をめぐるLinda Colley 説の批判、そして1824年にようやく National Gallery 創立、38年の新館開館にいたる政治社会史には、感服しました。脱帽です。
 たしかノーリッジのEdward Rigby(1747-1821)の娘 Elizabethは Charles Eastlakeとかいう NGの初代館長に嫁したのではなかったかな? この時代のチャリティ、農業改良、医療をはじめとする公共プロジェクト、そして大陸旅行記が父・娘ともにありますね。NG の1824年設立/38年の新館までで本書は終わりますが、それにしても、多くの登場人物、そして
公衆(the public)なる語にどのような意味がこめられていたか」p.335 
といった議論に刺激されます。服部春彦さんによるイギリス近代史の研究書です!
 1934年4月生まれの服部さんは、遅塚、二宮、柴田(この順)と同じころパリに留学していた方ですが、名古屋大学西洋史におけるぼくの先任助教授でした。こういう方が元気でしなやかに生産的でいらっしゃるので、こちとらも呆けることはできません。