2021年9月26日日曜日

政治の世界、学問の世界

なんとも間が空きました。 身の回りで気にかかることが続いたからですが、それだけでなく、ある原稿が完成に近づいて、そちらに集中したかったから、という理由もありました( → これについては後日)。

そうしたなかで、コロナ禍第5派、8月末には菅義偉首相の延命工作とその不首尾が目立ってきたと思いきや、なんと9月3日には総裁選不出馬宣言、それに続いて、にわかに自民党内の力学が動めき出したのです。
史上最低の菅内閣(ダンマリを決め込んでただ進行、よくも1年もちました!)が消えるのは良いことだけれど、そのあとどうなるのか?(届け出順でなく、立候補宣言順でみると)
岸田文雄の「ソフト資本主義」、反二階・非安倍
河野太郎の「実行力」(?)、発言力
高市早苗の筋金入り(!)右翼・秩序派男権路線
野田聖子のフェミニズム・弱者路線
といった「線」はわかりますが、
結局、当選の見込みのない(4位確定の)野田聖子のみフランクな発言をしていて、好感をもてないではない。他の3候補は、ニュアンスの差こそあれ、菅政権の批判はしない、安倍政権の汚点を追及しない、自民のコアである靖国・遺族会に配慮する、といったことで特徴が消えて、その分、内容的には高市(安倍の手飼い)が実力以上に浮上しています。 ぼく個人としては、内向きなだけの(つまり内政しか念頭にない)政治家、そして有能な同志が一緒にやりたいと申し出てくれないような人は、首相をつとめる資格はないと思っています。

マスコミはといえば、学術会議問題、歴史認識, etc.については質問しない、という暗黙の合意があるのでしょうか。政策・方針について独自に立ち入り追求することなく、国会議員・自民党員・世論の動勢を追うばかりです。ようするに勝ち馬はだれか、岸田・高市が連合する可能性はあるのか、といった分析(算術)のみ。
なおまた、野党側は蚊帳の外、話題の外で、せっかくの敵の弱将=スガが沈没してからは、どう攻めてよいか分からないままなのです。

学問の世界では、違いやズレにこだわり、そこに注目することから新しい展望を切り開いてゆくことが良しとされます。少数派であること、むしろ唯一であることは、弱点ではなく、むしろ希望のしるしです。
政治の世界では、なにより数と勢いが決定的。昨日までの敵をも巻き込みつつ、合従連衡、多数派を形成すること(plus 大衆へのイメージ戦略)に日夜、身を削っているようです。もしやそれ自体が目的になり、喜びになっているのでしょうか。