2015年11月26日木曜日

近代フランス農村世界の政治文化


工藤光一さんの遺著『近代フランス農村世界の政治文化:噂・蜂起・祝祭』(岩波書店)が出版されました。秋の実りの収穫がつづくと言いたいところですが、こちらは悲しい、最後の収穫です。彼が亡くなったのは今年の1月10日でした。 → http://kondohistorian.blogspot.jp/2015/02/blog-post.html
 闘病生活がつづくなかで、校務や『二宮宏之著作集』の編集なども大変だったでしょう。努力と心配りの人でした。公刊のために推敲を重ね準備されていた原稿が、夫人の機転と友人たちの迅速な協力で世に出て、読めるようになったのは不幸中の幸いでした。

第Ⅰ部 噂と政治的想像界   【方法論と王制復古期】
第Ⅱ部 蜂起と農村民衆の「政治」【1851年に絞った考察】
第Ⅲ部 祝祭と「国民化」   【第二帝制と共和制期】
の三部構成で7つの章にわたって、19世紀フランスの地方社会における政治文化を解析します。開巻してプロローグの最初(p.1)に近藤の「政治文化」が引用されているのには驚きますが、本書のタイトル、キーワードでもあり、また政治を問い直すことが本書のテーマなのだから、順当かもしれない。本文および巻末注の議論は理論的・分析的に展開し、230+巻末31ページの充実した、気魄を感じさせる書物です。

解説を小田中さん、あとがきを高澤さん・林田さんが執筆して、出版にいたる事情を明らかにしておられます。亡くなった方の仕事への論及は、どうしても悲しい。
岩波書店の〈世界歴史選書〉ですが、なんと既刊の森本芳樹、佐藤次高、木村和男、工藤光一、すでに4名の方々が早々と逝去されました。

2012年3月にぼくが東大を定年退職した折には、工藤さんも元気な姿で参加してくれ、愉快にやりとりしました。その折の雰囲気を伝えるスナップ写真があります(左端)。

いよいよ本格的な冬に近づきます。どうか、健やかにお過ごしください。

2015年11月24日火曜日

フランス革命とパリの民衆


 松浦義弘『フランス革命とパリの民衆:「世論」から「革命政府」を問い直す』 (山川出版社)を落手。
 A.ソブールを実証的に批判しようとする立派な分析の書と受けとめました。とはいえ、マイナーながら2つ不満があります。
1) ソブール批判といっても、その実、柴田三千雄、遅塚忠躬の歴史学のもっとも枢要な部分への疑問/批判なのだということを、どこかで、とくに註18の前後にあたる本文(p.11)で明言すべきでした。でないと、日本語で出版することの意味が半減してしまいます。
2) よほどの理由がないかぎり本のタイトルに「 」を用いることにぼくは反対です。タイトルに使う語はほとんどすべてキーワードであり、概念であり、その内実を議論するために本を/論文を公にするのです。そのことを読者に喚起するのに「 」が必要というなら、「フランス革命」も「民衆」もそうでしょう。pp.6-8で「サン=キュロット」と表記されているように。もしや「ソブール」も?
 これはナンセンスで、昔の東大本郷のだれかが『週刊新潮』かなにかに影響されて始めた悪弊で、野暮を通りこしています。どうしても必要な『「パンセ」を読む』といった場合以外はカッコなど付けなくても、しっかり論じられるはずです。書物における品格も考えたい。
 
 近藤の名も言及していただきましたが、念のため、ぼくは1976年「民衆運動・生活・意識」から E. P. トムスンのモラル・エコノミー用語には疑問をもっており、その旨『民のモラル』初版【山川版 巻末 p.16】でも指摘しておりました。昨年〈ちくま学芸文庫〉から新版を出せたので、あらためて誤解の余地のないように修文しました【p.342】。柴田三千雄、山根徹也とは違いますので、お検めください。

 なおまたこの機会に、フランスとイギリスの関係【両革命の異同 pp.134-5;競争的交流 p.169;2つの近代のわたりあい p.205, etc.;ワイン pp.14, 63, 172, 180, 184, 232 ... 】についてイギリス史10講でも繰りかえし述べましたので、ご笑覧ください。さいわい増刷が続き、細かいながら改良を重ねています。

頸椎症性神経根症

 つい2週間前のことです。大学のエレヴェータで出会ったグレースーツの紳士が、右腕に三角巾をしておられたので、どうしたのですかと尋ねたら、「肩の骨がささくれだって、神経を圧迫し、耐えられないように痛む。70歳を越えたらだれでもなるかもしれない、と医者に言われた」とのこと。お大事にと言って別れた、そのときのぼくはけっして冷たい気持で聞き流していたわけではない。でも、あたたかい気持で親身に心配してあげていたわけでもない。要するにぼくには関係ない不幸として受けとめていたのです。

 天網恢々‥‥そうしたぼくを戒めるかのように、13日(金)の深夜、就寝時から突然、右の二の腕、肘、そして右肩が大変に痛み/しびれ始めました。時間とともに、悶絶するほど痛くなる。未明に起き出して、湿布(ロキソニン)を探し出して貼ったけれど、気休めにもなりません。
 翌日(土)は千葉の老母のところに行く約束で、睡眠不足のまま出かけて(昼間は不思議なことにさほど痛まないので)この日はさほどの力仕事もなく、無事に過ごしました。とはいえ、やはり就寝後、数分たつとしびれ/疼痛が始まり、これが少し部位を移しながら波状に朝まで続く、悶絶の夜です! 日曜は史学会大会。これも、起床・活動時は軽く耐えられる痛みなので、皆さんとも普通に会話できました。

 16日(月)、知り合いの薦めもあり、麻布十番の鍼灸院に行きました。生まれて初めて。ちょっと緊張しましたが、話のやりとりをしながら納得づくで身体をほぐし、鍼をうち、灸をすえて、リラックスはできたと思います。若いときからの緊張と無理な力みが右手、右肩、身体の右半分すべてに累積しているとのこと。とはいえ急に恢復するわけではなく、じつはこの月曜夜あたりから疼痛も厳しくなったような気がします。
夕刻にはスマートフォンの画面入力さえビンビン響くように、指先や手の甲など身体の浅いところが痛む。ロキソニンに加えて、就寝時にパジャマの上から「衣類に貼るホッカイロ」を右肩および右肘のあたりに貼り、またバッファリンを飲む、ということを始めました。
 しかし、あいかわらず深夜にくりかえす悶絶の経験から再考すると、ロキソニンは部位を冷やして痛みを逆に強めているような気がするし、ホッカイロは上手に貼らないと低温ヤケドに近い痛みが残ります。というわけで、ロキソニンは中止、ホッカイロは一箇所、肩のみ。バッファリンは効果はあるのだが、多用しないことが条件。
 水木金から土日にも校務(推薦入試の面接と判定会議!)が続き、ようやく23日(月)になって鍼灸院を再訪。肩から二の腕、肘の部位をピンポイントで確認しつつ処置してもらいました。この月曜からホッカイロ、バッファリンも止めて、勧められた温湿布、トウガラシエキスの入った「ホグリラ 温感」のみ。あとはお酒を断ち、朝・夜2回の風呂。 → これでなんとか快方に向かっている気分です。

 ところで麻布十番って、歩くのが楽しい所ですね。http://www.azabujuban.or.jp/access/

 なお、インターネットで日本整形外科学会のサイトから「頸椎症性 神経根症」というページを捜しあてました。その記述とわが症状はピッタリで、加齢変化によるのですが、付随的に「遠近両用めがねでパソコンの画面などを頸をそらせて見ていることも原因となることがあります」! ‥‥手術はよほどのことがないかぎり必要ないようで、「基本的には自然治癒する疾患です。‥‥治るまでには数ヶ月以上かかることも少なくなく、激痛の時期が終われば気長に治療します」とのこと。
 こちらも参考になりました。頸椎症にも2つあるんですね。→ http://www.sekitsui.com/9specialist/sp005-html/
 現代医学でも決め手はないようで、ぼくと周囲の皆さんの直観が合致して、鍼灸に頼ったことは正しかった、と信じます。とはいえ、即効はなく、身体を温め、冷たい部分がないように、そして努めて上半身を動かす、ということでしょうか。軽い体操も教えていただきました。神経根症は身体の真ん中および足腰には作用しないようです。そもそも歩数計を装着して毎日しっかり歩いていますので、今のところ足腰は大丈夫。

2015年11月15日日曜日

イギリス近世・近代史と議会制統治

収穫の秋、ということでしょうか。ぴたり関連する出版が続きます。

青木康(編)『イギリス近世・近代史と議会制統治』(吉田書店、2015
http://www.yoshidapublishing.com/booksdetail/pg670.html
10名の科研プロジェクトによる、16世紀から19世紀半ばまでのイギリス史の「詳細で実証的な個別研究」の論文集です。
  第Ⅰ部 代表制議会
  第Ⅱ部 海洋帝国の議会
  第Ⅲ部 議会制統治の外縁部
に分けて計11の章がありますが、序、第2章「18世紀イングランド西部の下院議員」、第4章「ブリッジウォータの都市自治体と1780年総選挙」が編者青木さんの執筆。

 「序」のあと、まずは最後の Jonathan Barry の「コメント」に惹きつけられて読みました。
これは日本の読者むけに有益な動向サーヴェイであるばかりでなく、そもそも1832年以前の議会・政治・統治というものをどう捉えるべきか(とくに pp.305-11)、重要な指摘を明晰に呈示している論文ですね。またイギリスの特異性・近代性だけにとらわれることなく、広くヨーロッパの「複合諸王国(composite monarchies)とその連邦的構成」のうちの一つとして認識すべきであるというパラグラフには、註(2)として、ケーニヒスバーガ、エリオット、そしてラッセル、ヘイトンが挙がっています。共著『礫岩のようなヨーロッパ』を準備しているところなので、いちいち肯きながら読みました。
ただし訳文は、センテンスの息が長すぎて、ときに苦しくなる箇所もないではない。英語と日本語は構文が違うので、すこし短めに複数のセンテンスに分けて接続を確認しつつ訳して下さると、短気な読者にもわかりやすくなったろうと思われます。
またバリーの最後の一文(p.311)は、わたしたち「異なる政治体制のもとで暮らしイギリスの経験を冷静に見ることができる」日本人歴史家の問題意識を評価しつつ、この出版をことほぐ賛辞かと思われます。訳文ではそれがちょっと曖昧。

巻末の「人名索引」は歴史的人物に限定されていますが、13ページにわたり入念にできあがっています。

というわけで、あいつぐ有益な出版ですが、先の『国制史は躍動する』にくらべると、タイトルが実直すぎて、メッセージ性がちょっと不足します。「議会制統治」というのがキーワードでしょう。困ったときには英語にしてみて再考するというのが、むかしから青木さんのお知恵だったと思いますが、今回の英語タイトルは、いかに?

2015年11月14日土曜日

宗教戦争と文明

 「国制史」か「秩序問題」か、などと悠長なことを言っていたら、13日、パリでのたいへんな一連の事件が耳に入ってきました。報道に出てきた後藤健二さんのお母さんが心配していたとおり、「憎悪と報復のくりかえし/増幅」になってしまっています。
今年5月に刊行された、谷川 稔十字架と三色旗』(歴史のフロンティア → 岩波現代文庫版)が論じている「やわらかいライシテ」と「やわらかいイスラム」以外には、根本解決はないのではないかと思われます。
16・17世紀ヨーロッパの宗教戦争から生まれてきて「ポリティーク派」と貶められた公共善派、すなわち純粋主義(puritanism)を離れた「世知」にこそ、信教をめぐる戦争を越える道はある。それ以外に希望はないかもしれない。近世英語でも politic という形容詞は今日の「政治」と無関係ではないが、むしろ古典語の polis(都市共同体)や politicus(都会的、文明的、公共の作法を知る)の意味合いを継承していました。用例をみても、英語 polite や civil に近い。
Civil で polite で politic な文明に希望を託したい。

国制史は躍動するか?

昨夜、いろんな校務を終えて、さぁわが第1章「礫岩のような近世ヨーロッパの秩序問題」に復帰、いよいよこれを脱稿して送信するぞ、と意気込んで帰宅したところ、青天の霹靂!

池田嘉郎・草野佳矢子(編)『国制史は躍動する:ヨーロッパとロシアの対話』(刀水書房, 2015
という本が待っていました。
編者をふくむ9名の共著ですが、池田さんが
  序 論 「国制史の魅力-ヨーロッパとロシア」
  第1章「ソヴィエト・ロシアの国制史家 石井規衛」
  第7章「ロシア革命における共和制の探求」
  そして「あとがき」、つまり計4箇所も執筆している。
独壇場とはいわないが、池田的博学とリーダーシップあってこその論文集です。
ブルンナー、成瀬治、鳥山成人、渓内譲、和田春樹といった研究史の大きな流れのなかに、国制史家=石井規衛の仕事が位置づけられて、読者は目を覚まされる。
しかも中近世史では、渋谷聡、根本聡、中堀博司、そして
ロシア史では田中良英、青島陽子、巽由樹子、草野佳矢子、松戸清裕といった皆さんの章がある!

いまこちらで準備している共著『礫岩のようなヨーロッパ』(山川出版社, 2016)は、けっして『国制史は躍動する』に負けない論文集ですが、それにしても、ぼくの担当する第1章にかぎって、研究史的になにか対応が必要かと思い、急ぎ読みました。

『国制史は躍動する』について各論より前に、ただちに思いつく研究史的な瑕疵は、ブルンナーや国際歴史学会議にも関連して、
1.世良晃志郎と堀米庸三の間であった「法制史」「一般史」論争に言及がないこと。でも、これはごくマイナーな瑕疵。
2.「国家と社会の区分が可能となる以前のヨーロッパにおける文明の内部構造の総体」「国家と社会の対置が成立しない秩序の総体」(pp.6, 13) を問うことには大賛成で、「友軍」といった感覚をもちます。しかし、それを狭く「国制史」に収斂させてよいのか。
むしろ、これはヴェーバーもパーソンズもハーバマスも問うていた根本問題ではないのか。ブルンナーが第二次大戦後に「社会=構造史」といった用語を使った理由は、なにもナチス的な臭いの残る Verfassungsgeschichte を回避するだけでなく、彼自身の成長を反映した、ある広さ・構造性を意識していたのではないのか、といった疑問をもちます。
ぼく自身は、これを「ホッブズ的秩序問題」、そして18世紀啓蒙の政治社会(political society)という概念から学び、解決しているつもりです(たとえば『イギリス史10講』p.133)。今後とも丸山眞男的な国家と社会の区分とはちがう地点、また市民社会欠如論ではない発想で、議論を進めたいと考えています。【→ 次の発言】
3.「ある社会の歴史的個性を総体として捉えるという国制史の視角には、‥‥同時にまた類型をも提示するという、二面性がある」(p.19)という文は、それだけ読むと悪くはないかもしれないが、しかし比較社会経済史の人々なら笑い出してしまうでしょう。大塚久雄・高橋幸八郎・遅塚忠躬といった先生たちは、まさしく
「ある社会の歴史的個性(specificum: なぜかラテン語)を総体として捉える社会経済史は、また同時に類型(Typen: なぜかドイツ語・複数)を提示することによって、比較を可能にする」
と考え、営々とそのような学問を構築していたからです。せっかく序論 pp.3-4 で「社会全体の仕組みを捉えん」とする志において社会経済史と共通すると示唆していたのだから、ここも注意深く書いてほしかった。

それにしても、本書が共著出版として立派なものであることに異論はありません。
岡本隆司(編)『宗主権の世界史:東西アジアの近代と翻訳概念』(名古屋大学出版会, 2014)と併読すると、なおさら価値が高まるでしょう。

 不意をつかれて慌てましたが、一晩たって、共著『礫岩のようなヨーロッパ』はこのままでも問題ない、しっかり公刊することが大事、と思えてきました!
 妄言多謝。