2010年5月29日土曜日

John Morrill


>モリル先生はお元気でいらっしゃるでしょうか。

 という問い合わせがありましたが、今夕、そのモリル先生に呼ばれて夫婦で Coton村のパブレストラン Plough にてご馳走になりました。妻も驚くほど、おいしい料理。
 総選挙・連立政権のことから State Papers Online、そして Harumi と Satoshi のこと、またこれは初めての話題ですが、60年代のマルクス主義・反戦運動(Thompson, Hill)と今とのつながり‥‥録音でもすべきだったというほど密度ある話が続きました。
22歳で結婚した奥様(3年前に亡くなりました)との馴れ初めも。
 修正主義者とマルクス主義 or 労働党左派、というつながりは、日本では全然理解されていないと思われます。オクスフォードは Balliol での先生は Pennington. そしてケインブリッジでは最初は Gareth のセミナーのメンバーでした。これを松浦高嶺先生が聞いたら、びっくりなさるでしょう。日本の修正主義とは、筋がちがいます(「筋がちがう」というのは、高橋進さんが用いた表現でした)。

 今年はサバティカルで執筆に専念。毎日、朝8時から午後2時まで執筆(Ford lectures を含む3冊の本)、あとはいろんな雑務と gardening . . . メールは夜に見るだけ。日本の大学教師は、なかなかこうはできません。

2010年5月26日水曜日

A型・B型



 すこし日を遡りますが、ケインブリッジのあるセミナー後の光景。主賓がパイプを離さないので、パブ(禁煙)のなかに入れず、しかたなく、他にだれひとりスモーカは居ないのに、入れ替わり立ち替わり、外に出て話しました。<写真>

 13日は、アメリカ・イェールから Keith が来て1636年夏のニューカースルのペストについて研究報告(at Christ's)。
 アメリカに行った歴史家に、タイプは二つあるような気がします。A型: Stone, Cannadine, Colley はアメリカの学生・学界を意識して「大きな議論」(アメリカの大学生が「わかった」と思うようなアーギュメント)に比重を移したか、そもそもそういった仕事をしていた。
 Keith の場合は、B型: と言うべきか、イングランドにいたときの文書主義・経験主義のまま、「意味ある細部」と信じるものに拘って、史料の海に淫するか溺れるか。Probate Court records: deposition から「ニューカースルの書士 Raphe Taylor 26歳の個人史が どう時代のコンテクストにはまるか」; personal narrative put in context; to recapture the texture という問題設定で、基本的にだれがどうした、こんな遺言が書かれた、死者の後始末の費用の訴訟がこれだけあった、といった例示が続きます。市当局の記録は19世紀の火事で焼失。
 これだけ大変な疫病の後遺症もあったのに、どうして、この社会的記憶は失われるのか。直後の39年以来の三王国戦争、軍事衝突のインパクトが強すぎて、36年の災禍は市民の記憶から消失してしまったのだ、という話。
何千人もが一挙に死んだあと(市内の死者の多寡には地区による差があきらか)、37年に結婚・再婚ブーム。Raphe も36年に遺言まで書いて覚悟していたのですが、生き残って、この37年に27歳で結婚。1669年まで書士として繁盛します。
 う~ん、個別的にはおもしろい事にさまざま触れて下さるけど(伝染病人介護の問題、遺言状をめぐる訴訟の多さ, etc.)、どうなんでしょう。これでは将来有望な院生の報告みたい。天下の Keith が大西洋を渡って古巣に帰ってきて報告するんだから、もう少しダイナミックな話を聴きたい。

 その翌週、19日は Jeremy Adelman が 'Morality and markets: thinking about Albert Hirschman in the 1970s' と題して報告(at Trinity Hall)。
 こちらは無限におもしろく、思考を刺激された。すでに19日 Whitsun Feast の項にもしたためましたが、Skinner, Waltzer, Geertz, Ginzburug, Sen といった人々への明示的論及があっただけでなく、マキァヴェッリかスミスかヘーゲルかといった、あまりイギリス人がしないスケールの大きい議論をしてくれたからです。ぼく自身がいま考えているテーマにもろに関連するからでもあります。A型の良き展開といえるでしょう。
 Quentin や Gareth をふくむ他の聴衆も、プリンストンとパリで仕事している Adelman の話に、素直に喜んでいた様子。

 なお念のため、上のA型、B型は仮のタイプ論であって、血液型とは無関係です。

2010年5月24日月曜日

Grantchester

 今日(日)は Whitsunday.  28度という予報のとおり、五月晴れ、日本の5月下旬に負けない暑い日となりました。

 自転車で Newnham Croft から川沿いの牧草地に入り、南へ。つまりケム川の川上です。30年前には一家4人で同じコースを自転車で行きましたが、川沿いのたよりない小径は、枯れ草や枯れ枝やトゲのたぐいで一杯で、ついにぼくの自転車のタイヤがパンクし、惨めな気持でとぼとぼ押して帰りました。 今回は西側にきれいに自転車道が舗装されて快適な行程。というより、かなりの人出。そしてみなさん、かなり大胆な露出的装束。今から2カ月ほどが、midsummer なのですから。
 ↑ 写真は、牛と人々のあそぶ牧草地よりケム川を望みます。カヌーがかろうじて見えるでしょうか。【クリックすると拡大します。】


 グランチェスタ村の The Orchard は、20世紀の初め、Bloomsbury group ならぬ(ほとんど人的に重なりますが)Grantchester group の文人の憩う場でした。草光さんの「マイナーポエッツ」(短調の詩人たち)から、J.M. ケインズ、ヴァージニア・ウルフ、E.M. フォースタ‥‥。
あの気むずかしげなヴィトゲンシュタイン先生とラッセル先生が一緒に裸で川遊びをしたとか‥‥。映画「モーリス」の世界。

 短い夏を楽しむイギリス人は平気で陽光のもと昼食を摂りますが、ぼくたちは暑さも紫外線もかなわないので、室内で食べました。こんなぐあい。↓

Professor Speck

 19日(水)夕に遭遇したスペック先生は、執筆のために今週だけ滞在しておられたのでした。
 木曜、金曜と続けて UL tea room にて昼食をご一緒し、Essex でも構想を述べた、今のプロジェクトの話を聴いていただきました。あの顔と声で、おもしろい!と言っていただくと、励まされる。
 ジンクスを述べるなら、『歴史的ヨーロッパの政治社会』p.342 の註15 にも記したとおり、この先生の反応が「マンチェスタ騒擾とジョージ一世」; 'The Manchester disturbances and George I in 1715'; および 'Lost in translation?' を生んだのだから、感謝してもしきれない。(念のため、エディンバラへ行ってディキンスン先生にも聴いていただこうかしら‥‥)
 大学教師って、このように encouraging でなくちゃいけないんだろう、言葉だけでなく顔の表情まで。

2010年5月22日土曜日

総選挙後の新議会

 今日は、政治(politics)よりも国制(constitution)にかかわる、おもしろい場面=議長選出の儀式を、動画で Features に登載しました。ご笑覧あれ。



 総選挙後の議席配分については、↑ 議長(と玉仗と書記)の上方からみた概念図が BBC で示されました。これも有用なので、見ていただきます。議長からみて右手が与党(Con-Lib*)、左手が野党(Lab + others)。Cameron と Clegg のみえる写真も、議長席からみたかのように構成されています。
 ふだんのプレスはこの反対側、末席から撮影することが多いし、歴史的な絵画のたぐいもそうなので、正面に議長、左に政府・与党席、右に野党(& 影の内閣)席となって、紛らわしいですね。

* スコットランドの Rさんからのメールによれば、Con-Lib ではなく Con-Demned Government なんだそうです。Liberal-Democrat の前後どっちに比重がかかっているか、という以前の問題かな。

 そもそも議場は、全議員が出席したら、あふれる構造。18世紀に議事にかかわる有職故実が確立しますが、それはこの建築構造にも規定されています。したがって、1834年の火災後に再建されるにあたっても踏襲されました。なんといっても経験主義の政治文化ですので。Customs in the Commons . . . .

2010年5月20日木曜日

Whitsun feast



 今日19日(水)は、これぞケインブリッジという一日でした。

① 朝7時、blackbird (クロウタドリ) の美しい歌声で目覚め、Cengage からはじつに感謝すべきメール。もともと Chadwyck-Healey はケインブリッジの企業だったといっても、感激雨あられです。なんと、わが CUL は The Making of the Modern World (Goldsmiths-Kress Library) を持っていないのですよ! と書いたら迅速な対応をいただきました。

② 朝のBBCテレビにわが学寮長さん。UKの高等教育についての調査報告書をまとめたというので、テレビのインタヴューはおざなりだが、お疲れさま。

③ 午前から午後にかけて、去年公刊された Jo の最初の単著をようやく落ち着いて読み、自分用の索引を書きこむ。きわめて重厚で議論は明快。生命の長い本であることは、すぐに分かります。亡きお父さんへの謝辞もしっかり刻まれて。
 しかし文献目録をつくらなかったことの弊害のようなことも、見える。学者の最初の単著は、なんといっても大学の校務がきびしくなる45歳より前に著すべき、ということでしょう。ぼく自身の単著も46歳。ちょっと遅かった。彼女のもぼくのも、あと10年早く出るべきだったかな。

④ 夕刻5時から Trinity Hall にてプリンストン/パリから来た Jeremy Adelman の Morality and markets: thinking about Albert Hirschman in the 1970s を聴く。exit, voice, loyalty についての現代経済社会学の割り切った人の話かとおもえば、そうではない。1968年以後の倫理と啓蒙とマキァヴェッリ以降の人文主義(資本主義精神の起源論)、そしてケインズ、ギンズブルグ、ラテンアメリカ政治、そして disengagement with the American economists!‥‥なんて面白いんだ。なんて日本の戦後歴史学(大塚、高橋、丸山、堀米)は狭く自己限定して、発展の余地をみずから刈ってしまったんだ。近代主義=禁欲主義。
(ぼくの周辺で言えば)八木紀一郎、二宮宏之、毛利健三を結ぶ線は、存在しなかった。かろうじてこの三人とお付き合いがあったのは、ぼく一人か。それぞれの人に感謝しつつも、一歩前に出るべきなのかも。
 
⑤ 夜の予定があるので、討論が終了しないうちに自転車に。Trinity Hall の角を曲がったとたんに出くわしたのが、Bill Speck. あんたどうしてケインブリッジに? えっ、しかも Clare Hall? 想像を絶する遭遇。あす1時、ランチをともに、という約束をして先を急ぐ。


⑥ こんどの日曜23日は復活祭の49日後、Whitsunday (Pentecost). 夏の始まりということで、Clare Hall の水曜のディナー(今晩)も特別に Whitsun feast. 予約のうえに男性は black tie というドレスコード。ダークスーツは用意してきたが、黒タイなんて持ってないので、M&S にて出費。ぼくの奥さんは、出発時の混乱で真珠のネックレスとか装身具をみんな置いて来ちゃった(ことに今日になって気づいた!)というので、直前にあれこれ着替えて、どうかしら。いつだかオクスフォードで招待されたときは dinner jacket と二度も念を押され、夫婦で貸衣装を借りたことがあった。今回の案内状を見直すと、そもそも Lounge suit or black tie とある。or なのだった。ガウンもない学寮なので、ちょっと略式でよいことにする。
 7:30の開場時間を過ぎても二人であたふた(日本は背広ですべてを済ませる略式の国だ‥‥)。
 7:35に Hall の手前のラウンジに行くと、ドイツは Goettingen 出身の Peter につかまる。幸か不幸かゲティンゲン大学はハノーファ公国でジョージ1世、2世が投資したケインブリッジ大学図書館の兄弟的存在なのです。ひとしきり話は盛り上がったが、学寮の割り振った席割りでは、Peter 夫妻とぼくたちとはテーブルの対角線的位置。
 8:00のドラでそちらに移動。普段より良い料理。というか、ワインは白が Sancerre, 赤は Haut Medoc, デザートに 1988年のポルト、ということでいつもとは水準が違います。
 ディナー後のコーヒーと懇談では、昨夜お話をうかがった James C から、畳みかけるように、戦後日本の政界トップに CIA からどれだけ現金が渡っていたか、という話。悲しいけど、しっかり弁えておくべき事実。
 酔っぱらって、これを書いています。

2010年5月18日火曜日

日時計



 どうしてイギリス人はこんなに日時計が好きなんだろう、と前々から不思議でした。
 Dry とは(関東地方の冬のような)乾燥でなく、「雨が降っていない状態」つまり曇りのことを言い、毎日毎日、天気予報は sunny spells with scattered showers と言ってれば当たる、という国です。オクスブリッジのすべての学寮に備わっている日時計は、なんの役にたつのでしょう。

 今日、わが Clare Hall の煉瓦の家と芝生とちょっとした木や花が連なる、こぢんまりしたgarden を散策して、こんな庭がわが集合住宅にもあると最高! と思った最後に、blackbird (日本語でクロウタドリって言うんですね!) に導かれて日時計に遭遇。
 写真のとおり5時前を指していますが、いまは夏時間なので、じつは6時前。めずらしく快晴の im wunderschoenen Monat Mai, 花ひらき鳥うたう中で、小さき日時計にはこういう碑が刻んでありました。S方角の ∴ から文章が始まります。時計の反対回りに読んでください。
   Let others tell of storms and showers ・
   I'll only count your sunny hours
 ふふふ。
 日時計の真実を淡々と語りつつ、昔あるパブで見つけた
'A friend in need is a bloody nuisance'
といった正直な人間心理も、上品に伝える。How witty!

 日時計って、時を伝えるためじゃなくて、一人歩くひと、語りあう二人に、真実=心理を突きつけて局面を展開させるための碑文として、設けられていたのか。【かつては必ずのようにラテン語、今ではたいてい英語です。こちらはラテン語リテラシの問題でしょうね。】 つまり一人か二人で歩くのが好きなイギリス人には、晴れでも曇りでも、日時計の碑文が memento として必要なのでした。

2010年5月17日月曜日

Ash cloud


 Features という(定常的)写真ページも設けましたので、よろしく。

 アイスランド噴煙については、ひところの ash plume という表現から、元の ash cloud に戻っているようです。cloud は日常語、plume は専門語ということでしょうか。
 6月下旬に一時帰国するつもりで予定を組んでいますが、まさか再び、噴煙に翻弄されるの?

2010年5月12日水曜日

Cameron, new PM

今日午後、ブラウンが宮殿に参上して辞表を提出。今夕、女王がキャメロンを宮殿に呼んで組閣を要請。
今晩中に連立内閣をつくる、という算段です。
1997年の総選挙ではエキサイトしましたが、今回はどうも‥‥。
保守党がいまや本質的に English party で、スコットランド・ウェールズでは全然議席をとれないことに変わりはないので、連合王国のこれからを考えると、保守・自民連立は、どうだろう、この国を分裂させる方向に向かうかもしれない。
労働党と自民党の連立の場合は(数の問題で)SNP, WNP も連立に加わることが明らかでしたから、昨夜から今日の昼過ぎまでは、かなりの期待感がたかまっていたのですが‥‥。
それから自民党が強く要求している比例代表制への動きが(レファレンダムしだいで)具体化すると、二大政党制の制度的前提が崩れることになるのではないか。
‥‥とかいった interesting な諸問題を考える暇もなく、今はエセクス大学のペーパーに集中です。

いろいろと待っていてくださる皆さま、済みません。

2010年5月10日月曜日

総選挙の結果


開票結果はこのとおり。James Raven (LD-オレンジ色) は次点で惜しくも敗戦。
これまでは保(blue)・労(red)の下でつねに3位だったのだから、LD(自由民主党)の勢いがこの保守の地盤にも押し寄せていることになります。

どの選挙区でも2万~3万くらいの得票で楽勝しています。
連合王国の人口(赤ん坊も含めて)6000万で庶民院議員は620余なのだから、議員一人あたりの人口は10万に満たない。日本よりはるかに「代表的」な議会。総選挙のたびに人口に比例するよう再調整しているので、選挙区による「一票の重さ/軽さ」の差が問題になることはありません。
18世紀には、議員一人あたりの人口は平均すると1万人前後でしたが、ご存じのとおり、選挙区(バラ)によって人口ばかりか有権者の資格も違ってバラバラでした。

それにしても、レイヴン候補の落選により、12日(水)のエセクス大学の催しは予定どおり開催。
ペーパーはまだ半分しかできていない‥‥。
先方では こんなポスター が掲示されているらしい。ぼくではなく EPT がメインなんだな‥‥。

<このブログにPDFは登載できないようです。せっかくの図柄なきまま文字情報だけで>
【→ 追伸:Features にようやく載せることができました。】

Professor Kazuhiko Kondo (University of Tokyo)
‘The moral economy of E. P. Thompson retried in digital archives’

Wednesday 12 May 4.30 pm Room 5N.7.23
ADMISSION FREE ALL WELCOME

2010年5月7日金曜日

CUL




 ぼくがこれまで利用した図書館のうち、一番合理的で気に入っているのが Cambridge University Library.
 特定の書物や手稿史料、学位論文については Bodleian や British Library、ときに Chetham や Manchester Central Library に行くしかないのですが、落ち着いて、自由な発想でしっかり研究しようというときには CUL ではないでしょうか。なにしろ開架で、貸し出しもするし、また写真のような slip を本に挟み込んで署名することによって、任意の机で「ここはわたしのコーナー、この本はいじるな」と宣言することができる。
 この朱色のスリップ(縦 17cm)は、じつに30年前から変わってない!(左下の [19] というのは無かったかな)
 ケインブリッジを出て今はロンドン大学教授である Julian が言っていました。史料調査はあらゆる文書館、図書館に出かけて遂行するとしても、本の執筆の最終段階、校正時には CUL がなければ仕事にならない、と。ときどき(少なくとも数年に一度は)この参考室(Reading Room)に帰ってきて、高い木造の天井と窓からみえる空を眺めつつ、自分の研究の意味を再考し、人生の priority を練り直すことをしないと、知的 integrity を保てない気がする‥‥。
 東大の総合図書館団地と似て、それを大規模にしたようなもので、外からみるとほとんど長方形の敷地に8層の建物がつらなります。正面の塔は日本の国会議事堂と似た設計。戦間期の建築思想のコスモポリタニズムに思いいたります。(それにしても東大の総合図書館が、じつは「図書館団地」の4分Ⅰさえも占めていないというのは恥ずかしい事実です。教育学部も * * 研もすべて追い出して、同じ敷地に地下10階、地上10階の全館図書館・文書館・研究センターを再建すべきです。)

 そうそう、出発が10日間狂ったので、いったん荷に入れたものを再度出して仕事したりしたものだから、必携のものをいくつか日本に置いてきてしまった。『民のモラル』もその一つ。なぜか『文明の表象 英国』や『江戸とロンドン』、Workhouse issue, Town & county directories... などは、持参しなくてもこのCULに所蔵しているのですが。『民のモラル』は無い‥‥
 どうするか。5月12日まで、もうあと1週間ないとなれば、頭の中にあるものを信じて議論する以外にありません。

2010年5月5日水曜日

Ash plume



「羽毛状の噴煙灰」とでもいうのでしょうか。
じつはまだまだ問題は続くということらしい。アイルランド・スコットランドで飛行禁止。
高度20,000フィート、とは 6,000mですから、成層圏より下の現象。
遠距離の飛行機が巡航するのは10,000m ± ですから、その状態になる前後、
離陸上昇中、着陸下降中に生じうる危険ですね。
これはもう日本では忘れられたニュースでしょうか?

総選挙直前



 6日(木)が投票日。写真のような支持看板を掲げる家もあったり、なかったり。
 Gordon Brown 政権にとっては、初めて受ける総選挙の洗礼によって転ぶことがわかってる、という辛い選挙。今朝の新聞ではGuardian, Independent ともに
「Tory を勝たせないために、接戦区では LibDem に投票しよう」
というキャンペーンを打ちだし、ブラウン首相の渾身の演説でも、トーリ(というのは正確には正しくない、本当は保守=統一党、Cameron 党首)攻撃に集中して、自由民主党(Clegg 党首)にたいしてネガティヴなことはほとんど言わない。つまり連立を意識しているわけです。
 日本語の響きはとても奇妙ですが、グラッドストン・ロイドジョージの流れをくむ「自由党」と、サッチャ時代に労働党を割って出た「社民党」が合併してできた Liberal Democrats が第3党でなく、第2党になる可能性が一時期語られていました。しかし、具体的に選挙区別に数え上げてゆくと、そういう劇的なことにはならないようです。むしろ三党すべてが過半数をとれない hung parliament の可能性は大いにあるので、そうした場合にどうなるか、どうするか、が目下の政治好きを夢中にさせているわけです。
 わが James はこれまで落選することが自明の選挙区で自由党候補として立っていましたが、今回は勝つ見込みがある‥‥どうする? え、5月12日の research seminar はどうなるんでしょう。

 そもそも、この寒い日々が続くと投票率にどう影響するか‥‥。予報のとおり夕刻から雨になると‥‥。(学寮内は暖房中。ちょっと甘く見て、セーターを持ってこなかったぼくは、外へ出ると、寒風に驚きます。)
 東京の Aさん、今月はイギリスに滞在していたかったでしょうね。

2010年5月2日日曜日

May Day in Cambridge



 VS901 の翼の先端からかすかに観察できるのは、微量ながら volcanic ash cloud の一部か?

 八重桜は University Library の脇道沿いで満開です。


ようやくケインブリッジはクレアホール学寮に到着しました。
英国時間で5月1日(土)午後。
悪戦苦闘のうえ、ようやくインターネット接続に成功。最初の書き込みです。

昨30日(金)は飛行機で12時間、ヒースロウ空港の入国審査ではあいかわらず小1時間かかり、ヒースロウから曇天で寒い郊外を眺めつつケインブリッジまでコーチ787で3時間(こちらは想定外に長かった)。夜9時にケインブリッジ市に着いて、2人ともへとへと。学寮内のApartment 19 に案内されて、ゆっくり荷を解くまでもなく、風呂に入ってバタンキューで寝ました。

今朝は6時に起床。きわめて簡単な朝食。学寮受付は Porter's lodge といいますが、そのおじさんに最低限の案内をしてもらいましたが、土曜なので IT officer はいない。
(しかも、わが pigeonhole には学寮長 President から夫婦あてに、21日7:15pm、新フェロー歓迎リセプションとその後のディナーの招待状が入っていた!! なんとも、週が開けてからご挨拶に参らねば。)

したがって、まずは市内に買い物に出て食糧やバス情報など仕入れることを優先。Market Hill, Marks & Spencer, Sainsbury と Tourist Information などで生活情報を。昼食は11時半に市内で。
ケインブリッジは基本的に変わらない印象だけれど、八重桜の並木が増えたとか、ど真ん中の Lion Yard に接続して大アーケード街が出現したとか、確実に変わっている側面もあります。
帰宅してお茶を飲んでから、一人で頼りないメモをもとに(IPアドレスから始まって何度もやりなおし、ほとんど絶望的になりながらも)LAN接続に奮闘したというわけです。

爽快なケインブリッジの5月。満開の花々と鳥のさえずりが気持いい。大移動はたいへんでしたが、今はもう元気です。皆さまもお元気で。

そうそう、Market Hill (すなわち市庁舎前) では総選挙に向けて UK Independent Party, Cambridge Socialists などが運動していました。