デモクラシーを歴史的に問いなおす


   日本西洋史学会大会 小シンポジウム3  2026.5.17(日)@日本女子大学

   第1報告: デモクラシーを歴史的に問いなおす       近藤 和彦

 中澤科研グループではヨーロッパ近世・近代における共和政を議論してきた。語源的に厳密なことをいうと、共和政 republic の古典語源はラテン語 res publica であって、これはギリシア語にはない。アリストテレスが『政治学』で論じたのは一人支配の monarchia、少数支配の aristocratia、公民全体の politeia であった(理想の politeia の堕落態が democratia と呼ばれた)が、ローマではギリシア語 politeia の訳語として res publica という語がつくられ、公共善、国家、国制(また理想の政治共同体)という意味で用いられた。そのラテン語の直訳から英語の public good, commonwealth, republic は生まれ普及した。つまり republic とは元来 - 王がいてもいなくても、礫岩かジャコバン型かも含めて -「国のかたち」「政治共同体」をあらわす語だった。

 中澤=共和政科研ではこれを抽象概念としてでなく、歴史具体的な国のかたち・機能について考察してきたし、本シンポジウムにおいても歴史分析的な報告が以下に続く。第1報告は、それらの前提をなす概念と研究史について基本的な確認を試みる。

 古代ギリシアに始まった国制論では、君主政(一君の支配)・貴族政(特権集団の支配)・デモクラシー(多数者の支配)が論じられ、以後この3つは国制/政体の基本概念である。デモクラシーは時に(アリストテレスの場合は)理想の国制の堕落態であり、むしろ(ポリュビオスのように)3者の「混合政体」こそ賢明な国制とされることもあった。ローマ共和政は SPQRというフレーズのとおり元老院(貴族政)と人民(デモクラシー)の混合からなると表象された。その後、中世・近世にデモクラシーは単独では衆愚政治か無秩序にいたるとされ、警戒・蔑視の対象だった。名誉革命後のイギリス国制は君主政(王)・貴族政(貴族院)・デモクラシー(庶民院)の混合政体として正当化された。

 そのイメージが変わるのはようやくアメリカ革命・フランス革命以後であるが、しかし一挙に肯定されるわけではなく、革命の混乱と模索をへて19世紀半ばから、デモクラシーを積極的にとなえる議論と運動が盛んになった。デモクラシーはただの観念から現実的な政治課題へと転換するのである。以降にもデモクラシーに異をとなえる主義主張は勢いを失わないが、それにしてもデモクラシーという語の使用頻度は20世紀・21世紀に段違いに高まる。同時にナショナリズムや社会主義、そしてポピュリズムとどう関係し、どう区別されるか、というように問題情況は変わってきた。

 わたしたちはアメリカかフランスか、どこかに近代の共和と民主の震源地があって、それが後進地域へと波及・伝播したと考えて探究しているのではない。観念的な起点はむしろ古典古代にあり、ルネサンスの人文主義由来の教育、そして18世紀の啓蒙にある。すなわち近世に共有されたヨーロッパ文明というべきものにあった。各地の多様な経験とともに、相互に関係しあう同時代史を見たい。この点で R. R. パーマの『民主革命の時代』(1959-64)および E. ホブズボームの『革命の時代』(1962)の時代史から学ぶところは大きい。また Q. スキナたちケインブリッジ学派の思想史研究、そして社会史と言語論的転回を経過して取り組んだ J.イニスとM.フィルプの共同プロジェクト『デモクラシーのイメージ更新』(2013-28)の構想と分析からも示唆を受けている。

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