2020年12月26日土曜日

奇蹟が起こったのか?

24日の午前(日本時間)にある編集者に送った我がメールでは、こう書いていました。

"事態は悪い方ばかりに向かい、この年末・年始のイギリスは、  Brexit+Covid → 大破局 を迎えるのかもしれません。(救いがありうるとしたら、EU側から差し伸べられるかもしれない友情の手のみ!) ヨーロッパで団結して事にあたらねばならない時に、「国家主権の亡者」の言いなりで余分な負荷を負ってしまった連合王国。Brexitを撤回しないかぎり、確実に三流国への道をたどるように見えます。"

世を悲観して、なにごとにも消極的で、憂鬱でした。

それがイギリス・ヨーロッパの24日の午後(日本の日付が変わるころ)には、あたかもクリスマスプレゼント(Surprise!)として計ったかのように、イギリス側・EU側ともに合意できる Deal が成立し、ジョンソン首相(UK)フォンデァライエン大統領(EU)が笑顔で記者会見したのです。奇蹟としか言いようがない。【以下、情報は https://www.bbc.com/news/uk-politics の数々のウェブぺージより】 President of the European Commission ですからマスコミは「委員長」と訳していますが、日本語の「委員長」は中間管理職的で、かなり弱い。Von der Leyen の権限は文字どおりEUの首長 =「大統領」です。

カナダ型の自由貿易で合意したとジョンソン首相。フォンデァライエン大統領は It was a long and winding road. ‥‥ It is now time to turn the page and look to the future. とにこやかに公言しました。UK は信頼できるパートナだ、とも。

約定書は 1246ぺージ、付録や註が約800ぺージ! そのうち政府のサイトに公開されているのはその要旨のみ、ということでヌカ喜びはまだ早いのかもしれない。労働党のスターマ党首は、しかし、「最悪の No Deal よりはまし」という理由で、早々と議会の批准に反対しない、と意思表示しました。 逆にスコットランド首相のスタージョンは、そもそもブレクシットはスコットランドの意志に反するのだから反対。むしろ "It's time to chart our own future as an independent, European nation." とヨーロッパ国民としての(イングランドからの)独立、を唱えています。 BBCのデスクも大急ぎの速読をへて、ヨーロッパの Erasmus プロジェクトによる大学生の交換交流からの離脱は既定方針、と憂慮しています。

要するにジョンソン政権には、イギリス ⇔ ヨーロッパの貿易に free trade(無関税取引)の原則を堅持する、ということが譲れない原則で、それ以上に商品の検認、人の交流・雇用については自由でなくなる、つまりEU政府の/UK政府の時どきの干渉により、実質的な制限が加わる、ということらしい。主権と経済優先。移行期間を終えて2021年にヨーロッパ統合から抜けることには変わりない。

BBC より

はたして主権に固執してきたジョンソン首相の勝利なのか? 否。むしろフォンデァライエンの友情のおかげで最悪の事態が避けられたに過ぎないのかも。想い起こすのは、今年1月末のEU議会におけるUK離脱を惜しむ Aulde lang syne の合唱、United in diversity の横幕(→ https://kondohistorian.blogspot.com/2020/02/blog-post.html)、のただなかでジョージ・エリオットの詩を朗読したのは彼女でした。

   "Only in the agony of parting, do we look into the depths of love.  We will always love you, and we will never be far."

今回の声明でも、ビートルズを引用して a long and winding road と語りだしました。彼女がイギリス(あるいは英語文化)に親しみと愛情を持ちつづけていることは明らかで、もし交渉相手のトップが彼女でなくマクロンだったら、こうは展開しなかったでしょう。

はたして最後の最後に、最悪の事態だけは避ける(山積みのイシューには、来年になってから取り組む)というのは、アメリカ合衆国におけるバイデン大統領選出と同じ構図です! 2016年からの4年間、いったい英米両国は、なにをしていたのか。無駄な言説とエネルギーの費消。

新型コロナウィルスの来襲、パンデミックの収まらない脅威によって「主権の亡者」たちも正気を取り戻した、ということであれば、これは「天からもたらされた賜物」かもしれません。そういえば、トランプも、ジョンソンも、マクロンも Covid に罹患しました。

Memento mori! 死を畏れよ! この世には「主権」より大事なことがある。あなどることなく、まじめに考えて行動せよ、と。

2020年12月22日火曜日

野村達朗さん, 1932-2020

 あとすこしで88歳になられるところ、今月に惜しくも亡くなって、すでに葬儀は済んでいるとのことです。

 1977年4月に名古屋大学に赴任して、ぼくの人生は新しい局面に入ったのですが、その名古屋におけるインフルエンサが野村達朗さんでした。ぼくが『思想』630号(1976年12月)に書いた「民衆運動・生活・意識」をほめてくださって、アメリカとイギリスと違うけれど、同じ労働者民衆の世界を社会史として見ている、それ以上に「近藤さんは民衆だ!」と過大評価してくださいました。

 名大文学部では非常勤の授業を続けてくださって、学生の良い先生でした。不定期ながら西洋史の研究会をやることもできました。それよりも映画についてのイニシエーションをしてくださって、名古屋は大須の芝居小屋で無声映画、グリフィスの『国民の創生』、そして『イントレランス』を一緒に見ました。小川プロの『日本国古屋敷村』も。

 西洋史学会大会の大シンポジウム、『過ぎ去ろうとしない近代』(山川出版社、1993)にどうしてアメリカ労働社会史の野村が入っているんだと、尋ねる人がありましたが、こうした名古屋の「密」なソシアビリテの結果であります。

 野村さんは1932年、鹿児島の生まれ。九州大学の大学院を修了してから愛知県立大学に赴任してそのまま30年間勤めあげたのでした。あの二宮宏之、遅塚忠躬と同じ「32年テーゼ」の年の生まれです。1950年代の東大西洋史は(34年生まれのTさんの言によると)、二宮・遅塚、そして33年生まれの西川正雄と「(知的)プリンスみたいな学生が揃っている研究室で、ぼくなんか気後れして‥‥」とのことでした。九州大学の、しかもエレガントでないアメリカ史をやって、野村さんも、このTさんと同じく「文化資本」の隔絶を感じてしまうはずのところ、そこはしっかり非共産党系の左翼労働民衆という立場を確立して自分の道を歩まれた。自己紹介では飲んべの「ノムラー」です、といった具合に気どらないおじさんでした。

 アメリカ史、カナダ史の交遊も広く、安武秀岳、太田和子、木村和男、金井光太朗、遠藤泰生‥‥といった方々とのお付き合いも、野村さんのおかげで始まったのでした。名古屋のアメリカンセンターで David Apter, Jack Greene をはじめ重要な学者たちと面談する機会もいただきました。亡くなってしまった木村和男とは、名大から四谷通りを下っていった店で初対面ながら、カナダや毛皮のことより、まずは吉岡昭彦、そしてグレン・グールドで盛り上がりました。

 近藤・野村(編訳)『歴史家たち』(名古屋大学出版会、1990);遅塚・近藤(編)『過ぎ去ろうとしない近代』で一緒に仕事をしましたが、明記されていなくとも、たとえば野村さんの『ユダヤ移民のニューヨーク』(山川出版社、1995)が〈歴史のフロンティア〉のシリーズに入っているのも、友情の結果です。『イギリス史10講』(2013)の名古屋における合評会にも出かけてくださいましたが、耳が不自由になって、とのことでした。2014年にいただいた(唯一の!)電子メールでは、長年ご愛用のワープロ専用機が壊れて使い物にならない‥‥と嘆いておられました。

 なかなか語り尽くせません。想い出を愛しみたいと思います。

2020年12月16日水曜日

ベルリンより

師走も中旬、いよいよ本当に寒いなぁと感じ入っていたら、予期せぬクリスマスプレゼントが到来! なんときれいなベルリンの住宅カレンダー。Charlottenburger Baugenossenschaft (シャルロッテンブルク住宅協同組合)とあり、毎月分 Shinichi 署名の景観水彩画です。
2000年の夏の終わりに Urban History の学会でベルリンに滞在したときは、工科大学に隣接し、クーダムからも遠くないホテルでした。このとき工科大学も本屋も運河もいろいろ案内していただき、楽しい想い出です。以後ちょうど20年も顔を合わせてないのではないでしょうか!

  朋あり遠方より来信、また楽しからずや。

それにしてもドイツの都市景観は、このカレンダーとは別の所でも、明るい雰囲気の似た場が少なくないような気がします。2005年にリサーチに行ったハノーファも [戦災による全滅後に建て直したようですが]これに似たよい雰囲気の住宅街の一角に泊まりました。Rathaus の前を通り、小川のほとりの Hannah-Arendt-Weg を歩き、Archiv に通ったのです。ずうっと後に行ったミュンヘンも含めてドイツの印象はいいことばかりです。

2020年12月4日金曜日

折原浩先生のホームぺージ

みなさま、コロナ禍でもお変わりないことを希望します。 こちらはあまり変わりなく静かな生活ですが、久しぶりに折原浩先生のぺージを読もうと思い、

http://hwm5.gyao.ne.jp/hkorihara/ をクリックしたところ

「指定されたページがみつかりませんでした。  以下の項目をご確認のうえ、再度アクセスしてください。  ホームページのアドレスをもう一度ご確認ください。  アドレスが正しい場合は、ページが削除されている可能性があります。」

というメッセージが出てしまいました。

今日昼に、わが集合住宅のインターネット設備のメインテナンス工事があったためか、と時間をおいて、再起動のうえ、再度クリックしてみましたが、変わりません。Google 検索では「アドレス変更のお知らせ(11月18日)」という断片が垣間見えますが、その先は辿れません。

いささか焦りました。慌てて、よくご存知のはずの方に問い合わせてみると、SONET側の事情で gyaoのサイトが閉鎖される、ということのようですが、現在のことは不詳と。あらためて、落ち着いて検索しなおし、 https://max-weber.jp/archives/1438 (Moritzさん)から確かな情報をえました。そこから

http://hkorihara.com にたどり着いて、先生ご自身の挨拶文を拝見し、ほっとしています。

11月後半には移動の予告があったようですが、今はすでに旧アドレスから辿れない状態になっていますので、慌てる人が他にもいらっしゃるかもしれません。

2020年12月2日水曜日

『感情史の始まり』

Jan Plamper著・森田直子監訳『感情史の始まり』(みすず書房)を手にしています。いつもながらみすず書房の美しい造本。

メルケル・プーチン・大きな犬の関係性をしめす写真(p.48)、アメリカ心理学の教科書みたいな表情のならぶ写真(pp.213, 217)、‥‥「キス測定器」!? など文脈のわからないまま一しきり見渡したあと、訳者あとがき、用語解説を見てから、最初に戻り、卒読を始めました。

当初の期待はあまり大きくなかったこの本、読み進むにつれ、知的なおもしろさと ambitionの力強さに引き込まれました。博士論文がスターリン崇拝だったという Plamper(初めて聞く名です)が、序論ではアリストテレス以来の哲学を(再)吟味する必要を説き、第1章をリュシアン・フェーヴル(アナール学派)で始める意気込み、‥‥pp.400-2 の引用文のしばらく後には「歴史家はなぜ、文書館作業における自身の感情について、一種のフィールドワーク日誌をつけないのであろうか」と尋問して、読者に迫ります。

あとがきによると、本書は歴史学の史学史(来し方行く末)、19世紀以来の諸学問の歴史(これから)「としても読める」とのことですが、むしろ積極的に、それこそが著者の狙いだったのではないか、とさえ思えます。ドイツ生まれ、大学・大学院は合衆国、その後またドイツで、今はロンドン大学教授。 圧倒的な本です。ブツとしても432+144ぺージ+前付き、後付き。すなわち600ぺージの存在感、退屈しません。

→ 著者・共訳者たちの紹介はこちらに:https://www.msz.co.jp/book/detail/08953/

関連して思うのは、 a)アメリカの学界(東海岸、西海岸)の先行性と土壌の豊かさ。引用されている中世史の Rosenweinも、フランス革命の Huntも、アメリカ人で外国史をやって世界のその分野を領導するような存在になりました。ここに出てこない N. Z. Davisも! 逆にヨーロッパ人でヨーロッパ史をやっている研究者も、おもしろい研究をする人は必ずのように何年か何十年かアメリカで過ごす(Kocka, Frevert, Elliott, Koenigsberger, Brewer . . .)。日本生まれの研究者でもノーベル賞をとっている人の過半はアメリカ在外生活。ちょっとこれにはかなわない!という気になります。

とはいえ、b) pp. 314, 325あたりでも指摘されるように、アメリカ中西部・キリスト教原理主義のルサンチマン、反啓蒙性 -つまりトランプ以前のトランプ現象- は厳として存在しています。この本の初版は2012年、英訳は2015年とのことですから「東西両海岸の左派リベラルにとっての「通過飛行地帯」」(p.314)の深刻な問題性は、まだ示唆にとどまったのでしょうが、いまや恥ずかしげもなく世界に報道されています。7000万票も集める大問題です。

2020年11月15日日曜日

天皇像の歴史

 夏から以降はハラハラどきどきの連続でしたが、そうした間にも、あわてず騒がず仕事を処理してくださる方々のおかげで、『史学雑誌』129編の10号(11月刊)ができあがりました。感謝です。

 「特集 天皇像の歴史を考える」 pp.76-84 で、ぼくはコメンテータにすぎませんが、「王の二つのボディ」論、また両大戦間の学問を継承しつつ、   A. 君主制の正当性根拠    B. 日本の君主の欧語訳について の2論点に絞って議論を整理してみました。

 じつは中高生のころから、大学に入ってもなおさら、いったい「日本国」って君主国なの?共和国なの?何なの? という謎に眩惑されましたが、だれもまともに答えてくれませんでした。いったい自分たちの生きる政治社会の編成原理は何なのか、中高でならういくつかの「国制」で定義することを避けたあげく、あたかも「人民共和国」の上に「封建遺制」の天皇が推戴されているかのようなイメージ。「日本国」という語で、タブー/思考停止が隠蔽されています!

 この問題に歴史研究者として、ようやく答えることができるようになりました。E. カントーロヴィツや R. R. パーマや尾高朝雄『国民主権と天皇制』(講談社学術文庫)およびその巻末解説(石川健治)を再読し反芻することによって、ようやく確信に近づいた気がします。

 拙稿の pp.77, 83n で繰りかえしますとおり、イギリス(連合王国)、カナダ連邦、オーストラリア連邦とならんで、日本国は立憲君主制の、議会制民主主義国です。君主制と民主主義は矛盾せず結合しています。ケルゼン先生にいたっては、アメリカ合衆国もまた大統領という選挙君主を推戴する monarchy で立憲君主国となります。君主(王公、皇帝、教皇、大統領)の継承・相続のちがい - a.血統(世襲・種姓)か、b.選挙(群臣のえらみ、推挙)か - は本質的な差異ではなく、相補的であり、実態は a, b 両極の間のスペクトラムのどこかに位置する。継承と承認のルール、儀礼が歴史的に造作され、伝統として受け継がれてきましたが、ときの必要と紛糾により、変容します。

 『史学雑誌』の註(pp.83-84)にあげた諸文献からも、いくつもの研究会合からも、示唆を受けてきました。途中で思案しながらも、 「主権なる概念の歴史性について」『歴史学研究』No.989 (2019) および 「ジャコバン研究史から見えてくるもの」『ジャコバンと王のいる共和政』(共著・近刊) に書いたことが、自分でも促進的な効果があったと思います。研究会合やメールで助言をくださったり、迷走に付き合ってくださった皆さん、ありがとう!

2020年11月8日日曜日

New York Times 朗報

たった今、読みました。

Joseph Robinette Biden Jr. was elected the 46th president of the United States on Saturday, promising to restore political normalcy and a spirit of national unity to confront raging health and economic crises, and making Donald J. Trump a one-term president after four years of tumult in the White House.

Mr. Biden’s victory amounted to a repudiation of Mr. Trump by millions of voters exhausted with his divisive conduct and chaotic administration, and was delivered by an unlikely alliance of women, people of color, old and young voters and a sliver of disaffected Republicans. Mr. Trump is the first incumbent to lose re-election in more than a quarter-century.

The result also provided a history-making moment for Mr. Biden’s running mate, Senator Kamala Harris of California, who will become the first woman to serve as vice president.

2020年11月4日水曜日

American democracy? 

みなさんと同じく、テレビの米大統領選挙の開票速報にクギ付け、ときにインターネットで米紙の速報を見たりしています。

それにしても、4年前に続いてまたもや世論調査はまちがって、民主党支持率を多めに、トランプ支持率を低めに見積もってしまいました。開票してみると、かつての激戦州では、今回トランプが予想以上に伸び、バイデンが勝つ場合も差は僅差です。これが悪意のデータ操作でないことを祈りますが、根本的に方法的な問題がありませんか?

世論調査を指揮している専門家が、そして実際の対質者が(自分たちはバカじゃない、エゴイストじゃないという立場から)、こんなにも非合理な共和党・トランプ支持者をバカか、エゴイストかと見て/見えてしまう‥‥といった具合に、観察者の観点が対象に反映して、調査の結果を左右していないでしょうか。 薬の治験や、社会調査における中立性の保証(ダミー薬も投与する、or「Youの意見・投票について尋ねるのでなく your friend の意見・投票について尋ねる」)といった手法は厳守されているのでしょうか?

これまでゴア候補もヒラリ・クリントン候補も微妙な負けかたをしたけれど、最終的には潔く敗北を公に認めて政治ゲームを終わらせました。 あることないこと出まかせに言って4割のコア支持者を固め、「私は敗北を認めない」と公言する現職大統領(!)は、スポーツマンシップにももとる! こんな政治手法で権力を維持しようという「ジャイアン」を歓喜して支持する4割の有権者。こんなことがまかり通るなんて、まるで16世紀内戦中のフランスや現代アフリカの部族国家みたい。

 

この4割のコア支持者に訴えあおりながら権力政治を操作してゆく手法が、これからほかの国々でも定着してゆくのだとすると、恐ろしいことです。 テレビの視聴率4割だったら、モンスター番組でしょう。でもこれは大国の政治です。4割の硬い支持を根拠に(浮動・無関心が2割)面罵し、分断をあおりつつワンマンが強権的に「指導」してゆくのだとすると、これはナチスとどこが違うんですか?

ぼくはコア支持者よりもっと広く、なんらか公共性普遍理念に訴えるスピーチを聞きたい。  すべては、投票に行かない有権者の責任でもあります。  愚かな民には愚かな政府がふさわしい。

2020年11月1日日曜日

まともな発言

 この間の日本学術会議問題に現れた政治文化、マスコミや有権者のより深い問題、反知性主義について、こんな文章もあります。

 たとえば『日経ビジネス』における小田嶋隆さんの「ア ピース オブ 警句」 https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00090/

は辛口で、ジャーナリストおよび国民を(臆病な)チキンないし小学生程度とこきおろします。チキンではなかった NHKクロースアップ現代の国谷裕子キャスターがなぜ降板させられたか、という問題にも説きおよびます。小田嶋氏の結論は、次のとおり:

≪ そして、[チキンたちは]学者から学問の自由を奪い、研究者を萎縮させ、10億円ばかりの税金を節約することで、何かを達成した気持ちにさせられるわけだ。で、われわれはいったい何を達成するのだろうか。たぶん、役人から安定を奪った時と同じ結果になる。  安定した生活を営む役人をこの国から追放することで、われわれは、めぐりめぐって自分たちの生活の安定を追放する仕儀に立ち至っている。おそらく、自由に研究する学者を駆逐することを通じて、われわれは、自分たち自身の自由をドブに捨てることになるだろう。  昔の人は、こういう事態を説明するために、素敵な言葉を用意しておいてくれている。 「人を呪わば穴二つ」というのがそれだ。  他人の自由を憎む者は、いずれ自分の自由を憎むことになる。≫

 なおまた学者知識人の発言としては、三島憲一さんが『論座』で↓

https://webronza.asahi.com/culture/articles/2020102100003.html https://webronza.asahi.com/culture/articles/2020091400003.html https://webronza.asahi.com/culture/articles/2020102200007.html

まともな議論をしています。とりわけ「人事だからこそ、その理由を言わねばならない」と説き、ムッソリーニやヒトラーのいない「日本型のファシズムを考え」ようとしているのは、異議なし。

 ときを同じくして恒木・左近(編)『歴史学の縁取り方』(東京大学出版会)が公刊されました。恒木氏、そして最後の章の小野塚氏が冴えている。きわめて刺激的でおもしろい本。これについては、また後日に。

2020年10月29日木曜日

記者会見

 学術会議会員の不任命とその後の菅総理大臣および加藤官房長官の説明にならない言い逃れ、といった事態から、じつは学術会議がどうこう、というよりもずっと深刻な情況が明らかになって来つつあると思われます。権力者の意思は黙って貫き、異論は無視して -「人のうわさも75日」だから - やがて、くどくどと同じ対質をくりかえす連中は孤立し、結局は内閣官房の思いどおりに世の中は動き定まる‥‥。その内閣官房の意思は、どのようにして(どんな理由いつだれが言い出して、可能な別の選択肢は不採用として)決まったのか、については「最終的な決済」以外はゴミなので破棄して記録は残さない‥‥。

 このような、法治国家や市民社会にあるまじき、権威主義的な集権国家がいつのまにか登場し、通用し、こうしたことに「おかしい」とか「気持が悪い」とか言うひとはたしかに一定数いるが、それが国民の、あるいはマスコミの大多数にはならない、という情況。これが不気味です。いつこうなったのでしょう?

 古川さんと鈴木さんの始めた change.org の署名活動が、14万人以上の署名を短時間で集めたこと、そして10月13日にこれを内閣府に提出したことはNHKなどで報じられました。 → https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201013/k10012661631000.html

 さらに26日には日本記者クラブで記者会見が行われ、古川さん、鈴木さん、瀬畑さんの発言、質疑の様子が Youtube で(計1時間17分)見られます。組織的でも党派的でもない、3人の誠実さと真意が現れた、よい記者会見だったと思います。まだなら、どうぞ → https://www.youtube.com/watch?reload=9&v=5W71tY9IqBY&feature=youtu.be

 古川さんのキーワードは不公正(アンフェア)、鈴木さんの場合はわたし個人の考え、瀬畑さんの場合は、政府も自信をもって理由を公けにしてください、でした。

2020年10月22日木曜日

〆切は今日22日(木)

菅政権の反知性主義的で、強権的というより陰険な政治のやり方への抗議の署名キャンペーンが続きます。「西洋史研究者の会」の呼びかけたものは今晩で〆切です。 → https://seiyoushi-kenkyusha-kai.org/

賛同署名者は西洋史研究者に限定していません。あくまで個人的に賛同してくださった方々です。そのご氏名(匿名希望者は除く)は、こちら → https://seiyoushi-kenkyusha-kai.org/index.php/home/sandousha/

携帯の自由競争、前例打破‥‥といった受けの良い政策提言で支持率を維持しつつも、都合の悪い文書記録は残さない/廃棄するという、近代法治国家としてはありえない官房の(断固たる!)方針に支えられた知性攻撃ですから、恐ろしい。

「総合的・俯瞰的」という管理者的で上から目線の言い逃れだけで、なにも理由を説明しない、「木で鼻をくくった」応答に終始するのではいくらなんでもまずいだろう、という発言が自民党議員のなかにもチラホラ出ています。その名は記憶しておきたい。 → 岸田文雄(前政調会長)、稲田朋美(元防衛相)、村上誠一郎(元行革担当相)! こうした議員までもが「説明責任を果たしていない/乱暴ではないか」と言明する事態なのです。

なお、10月2日のぼくの発言もご覧ください。 → https://kondohistorian.blogspot.com/2020/10/blog-post_37.html 

2020年10月14日水曜日

日本史の14万人余り署名

今夕のNHKニュースで14万人余りの署名をもって内閣府へ提出しに行った鈴木淳さん古川隆久さんの勇姿を拝見しました。日本史の近現代史ゼミの元院生の皆さんが見せた結束力。すばらしい。https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201013/k10012661631000.html

それから一歩遅れて始まった「西洋史研究者の会」ですが、 → https://seiyoushi-kenkyusha-kai.org/index.php/shomei/

「今回の任命拒否の6人に宇野重規さんの名前が。えっ誤爆じゃないの‥‥」 という声もあります。ぼくもそう思いました。 宇野さんはそもそも自由な人で、その立場を貫いて安倍政権のいくつかの施策に反対を表明していたにすぎない。菅義偉およびその取り巻きたちは、「諫言」(かんげん)という言葉を知らず、「甘言」のパンケーキに囲まれていたい人々なのか。 これでは、自由民主主義の政治家としての未来はありません。

もともとテレビでアップされた菅の「眼」には(安倍晋三にはない?)暗さ・悲しさのようなものを感じていました。おぼっちゃま安倍晋三くんより、実力と運で這い上がってきた菅義偉くんのほうが狭量(非寛容)で、陰険(危険)なのかもしれません。 それが就任時のご祝儀高支持率を背景にして、菅イカロスのように、冷たく結論だけ表明して、「分かるでしょ」「よく考えなさい」という路線を押し出してきたようです。これはモンテスキュのいう専制政治、- 法も徳も名誉もなく - 君公の勝手な都合と「恐怖」によって統治するデスポティスムです(『法の精神』岩波文庫、上、pp. 51, 82-3)。

9日の「3社グループインタヴュー」における「105人のリストは見ていない」という発言は、学者を小馬鹿にしたものでした。万が一にも(見てもだれとは分からないから)「テキトーに5・6人削っといて‥‥」ということだったとしたら、不勉強すぎます。秘書官などに選別をまかせた、即 総理大臣以外の判断結果をみて「99名任用」がなされたということなら、違法性はさらに増しますよ。法学部卒業者なら、そこは分かるでしょ。

このところ、日本も合衆国も連合王国も中国も(!)それぞれの現れ方には政治文化のちがいがありますが、それにしてもそれぞれ大変な時代(great transformation!)に居合わせたものですね。 こちとらも、老いぼれてはいられません!

2020年10月12日月曜日

西洋史研究者の会

みなさま ご無沙汰しております。

菅政権に抗議する署名キャンペーンが始まりました。

このURL、https://seiyoushi-kenkyusha-kai.org/index.php/shomei/ をクリックして署名フォームに入ってください。

行政の長としての器じゃない驕慢な言動のある菅イカロスですが、 まだ高い支持率を引きずり下ろすには、それなりの運動が必要とみえます。 22日〆切としています。

 近藤 和彦  http://kondohistorian.blogspot.com/

2020年10月11日日曜日

パンケーキが怖い

菅義偉が自民党の総裁選挙に立候補したときから、ぼくは懸念を表明していました。

http://kondohistorian.blogspot.com/2020/09/blog-post.html

この人は政権の実務をあずかる能吏かもしれないが、No.1 になる(権力を代表具現する)にはふさわしくない人なのです。何より public speech ができない。むずかしい問題となると、担当官に言わせるか、事前に熟慮した想定問答集のメモにたより、失言しないようになるべく短く答える。

これは官房長官だったときの、あのでかく厚い帳面の端の付箋です。

https://www.asahi.com/articles/ASN962V20N93UEHF008.html

なぜか朝日新聞 Online(9月7日登載)に一つや二つでなく10以上も類似の視角からの写真があります。見てみましょう。

 たくさんならぶ付箋をよく見ると(クリックすると拡大)、

「岸田 30万円」には上に「」、 「30万円 妥当性」には「日テレ」、 「30万円 理由」には「」と朱書されている!

つまりそれぞれ共同通信、日本テレビ、朝日新聞が質問する予定項目(そして答弁)が並んでいるのです!

次の写真の場合は、

「IMF予測」に「共」、 「布マスク配布」に「朝」とか朱書されて並んでいますが、それらの付箋の一番上には

一つだけ薄青い紙で「山口代表」とあります。

つまり公明党の山口代表とのネゴ、あるいは配慮についての想定答弁・メモが(この場合は何社からの質問でもなく)用意されていた! 例の困窮家庭30万円給付から全国民一律10万円給付への転換( → 岸田政調会長の凋落の始まり)の直前に公明党の介入があったことの証拠でもあります!

菅おじさんは、こうした念入りの想定問答集がないと記者団の前に立つのが怖い。丁々発止、臨機応変のやりとりは苦手なのでしょう(岸田、石破、河野とは違うタイプです)。総理大臣に就任してからは通例の記者会見は9月16日のみ、それからはあのパンケーキ朝食会をはさんで、10月5日には読売新聞、北海道新聞、日本経済新聞の3社、9日には毎日新聞、朝日新聞、時事通信の3社に限定して「グループインタヴュー」なるものを設営しただけです。3社が総理を囲むように座して(予定の質問を発し)、他の記者クラブ各社はそれをただ傍聴する。当日志望の他のマスコミはクジで当選したら別室で音声のみを傍聴する(!)とかいう設営。

なにかとんでもなく「公共性を怖がる首相」を自由民主党は選んでしまったようですよ。外国メディアからあきれられても、当然です。菅個人というより、こうしたことを横行させる自民党、マスコミ、そして有権者の問題です。

2020年10月8日木曜日

田中優子さん、カッコいい!

法政大学のサイトにすみやかに総長メッセージが出ていたのを知りませんでした。 「日本学術会議会員任命拒否に関して」と題する5日付けのものです。

https://www.hosei.ac.jp/info/article-20201005112305/

(まずこの間の経過と制度をまとめ確認したうえで)「‥‥内閣総理大臣が研究の「質」によって任命判断をするのは不可能です。」と明快です。 「さらに、この任命拒否については理由が示されておらず、行政に不可欠な説明責任を果たしておりません。」

 そしてこのあとに続く文章がすばらしい。

「本学は2018年5月16日、国会議員によって本学の研究者になされた、検証や根拠の提示のない非難、恫喝や圧力と受け取れる言動に対し、「データを集め、分析と検証を経て、積極的にその知見を表明し、世論の深化や社会の問題解決に寄与することは、研究者たるものの責任」であること、それに対し、「適切な反証なく圧力によって研究者のデータや言論をねじふせるようなことがあれば、断じてそれを許してはなりません」との声明を出しました。そして「互いの自由を認めあい、十全に貢献をなしうる闊達な言論・表現空間を、これからもつくり続けます」と、総長メッセージで約束いたしました。

その約束を守るために、この問題を見過ごすことはできません。」

 
 田中さんがカッコいいのは、和服姿だけではありません!

2020年10月7日水曜日

日本学術会議 - 日本学士院

 5日のこのブログで言及した署名キャンぺーンを始めた日本史の二人は、「左翼」とは言い難い、個人主義的な、学者として誠実な人たちです。そこに意味があると思います。

 今晩のニュースで思わず快哉の声をあげたのは、またもや静岡県知事、イギリス学界では Heita Kawakatsu として知られる川勝の記者会見です(オブライエン先生もファーニ先生も[ドイツ的に]ハイタ・カワカツと発音していました!)。川勝もまた(学生時代はいざ知らず)左翼とは言い難い。むしろ彼を右寄りと受けとめている人も多いでしょう。

 その川勝知事が今日、静岡県の記者会見で日本学術会議の人事に触れて、

「‥‥「菅義偉という人物の教養のレベルが露見した。『学問立国』である日本に泥を塗った行為。一刻も早く改められたい」と強く反発した。  川勝知事は早大の元教授(比較経済史)で、知事になる前は静岡文化芸術大の学長も務めた、いわゆる「学者知事」だ。  川勝知事は6人が任命されなかったことを「極めておかしなこと」とし、文部科学相や副総理が任命拒否を止めなかったことも「残念で、見識が問われる」とした。」

ということです(朝日新聞 online、7日夕:https://digital.asahi.com/articles/ASNB761QMNB7UTPB00D.html)。

 そうなんですよ。菅首相が苦学して「法の精神」も、「現代政治の思想と行動」も身につける間もなく卒業してしまい、しかし経験的に世の中の機微だけは修得して権力に近づいた、小役人の頂点として内閣官房長官に納まるまでは幸運のわざ、と諒解できます。しかし総理大臣、すなわち statesman もどきの政治家として役を演じきるには、どうしても近くに賢いブレーンが必要不可欠です。(あの驕慢なエゴイスト・トランプがこれまでなんとか演技できてきたのも、献身的な側近 brains のおかげでしょう。)

 川勝知事の記者会見で「文部科学相副総理が任命拒否を止めなかったことも「残念で、見識が問われる」とした」というのも、問題は同類です。菅義偉という男のまわりには、権力の亡者ばかりがたむろして、忖度し追随しないと怖いことになる、という冷たい空気が漂っているのでしょうか?【ただし、ここで制度的に厳密なことを言い立てると、日本学術会議は文科省ではなく内閣府(← 総理府)の機関で、これを総理大臣が所轄しているので、文科相には発言権限がない! 文科省が管轄する(名称が似ていないではない)国家公務員団体は「日本[むかしの帝国]学士院」です。】

 ここで、日本学術会議よりもう一つ格上の賢者の集まり、「日本学士院」が - ただの御老体の終身年金受給者集団ではないという証に - どのような見識を示すのか、注視したいと思います。

2020年10月5日月曜日

日本学術会議会員の任命拒否 → 署名へ

 

前から申していますとおり、宇野重規、加藤陽子さんの態度表明は - 菅内閣の一枚上を行こうとして - 立派だと受けとめています。

菅政権は「適法にやっています」と黙って専制をつらぬく、という姿勢。いくつかの野党は「戦前への逆コース」をアピールしていますが、そうではない。これは新しい、ポストモダンの政治手法です。マスコミはトランプの病状と芸能人の死のほうが視聴率を取れるので、そちらの方面ばかり報道する‥‥。これはむなしい現状です。

 このブログで嘆息する以上に、なにかできることはないか、と案じていたら、アカデミズムのなかから、鈴木淳さん・古川隆久さんの呼びかけで、こんな署名キャンペーンが始まりました。ノンポリで(むかしの伊藤ゼミ、高村ゼミのよしみ?)学問的に誠実な動きだと思います。

→ https://www.change.org/p/菅首相に日本学術会議会員任命拒否の撤回を求めます!

 このまま放っておくと、香港のようになってしまいます。菅義偉の顔が習近平のように見えてきました。

2020年10月2日金曜日

自由民主主義は今や‥‥

 事態に1日遅れで反応していることを恥じますが、日本学術会議会員の任命を拒否された学者に、宇野重規さんも含まれていると今朝知って、天を仰ぎました。

他の分野の方々の学問的なお仕事についてぼくから言えることはありませんが、少なくとも歴史学の加藤陽子さんと政治学・思想史の宇野重規さんについては、まちがいなく今日の学問と自由民主主義の担い手です。宇野さんの公開声明は熟慮された、立派なものです。こうした賢者を自由民主党総裁・菅義偉が任命拒否したとなると歴史的なスキャンダルです。

菅義偉は田舎出身で苦学して政治の世界に入ったとかいう経歴が一時話題になりましたが、苦学すれば即、立派な人なのではない! いったい法政大学で何を学んだのでしょう?(もしや左翼への反感のみ?)そもそも法学や政治学の考えかたを修得しましたか? 加藤陽子さんが小泉内閣(福田官房長官)のもとで公文書管理法の成立のためにどれだけ力を尽くしたか。こういった専門知を大切にしないとしっぺ返しを喰いますよ!

中国の習近平やロシアのプーチンならやりかねない暴政を、日本国の首相、しかも自由民主党総裁が(黙って)やってしまった。どんなに重大な失政をやってしまったか、菅首相もその取り巻きも、まだ認識していないようです!(司法研修生の任官拒否とは質が違います!)公明党はすこし動揺し始めたかな?

これには、まず全国の学者・研究者が抗議すべきです。(担当秘書官のせい!?とかへ理屈を造作して)とんでもない職務怠慢・誤解でした、とすみやかに決定を撤回し、任命を回復するならよし。さもなければ、

1) 日本学術会議として、まず会長声明。次いで学術会議の各会員は政府の審議会で委員をしているなら、その席でまず不条理を訴え、わたしは菅政権の御用学者ではない、自由な発言を続けると声明する。政権側の動きがないかぎり、以後の出席を拒否する。

 そもそも学術会議は、病気でもないのに6名の欠員、即、定員不足のまま任務を完遂できるのですか? 首相としてこうした異常事態を招いた責任をどうします?

2) 全国のあらゆる学会で抗議の声明。新聞などへの公共広告。さらに事態が解決に向かわないなら、学会メンバーたちの政府への協力を拒否。たとえば新型コロナ関連の専門家(疫学・生理学‥‥)も助言・データ提供を拒否します。

こうした学界をあげてのサボタージュで、事態の深刻さ、自由民主主義と学問のなんたるかを菅政権に知らしめるしかないでしょう。岸信介・佐藤栄作・安倍晋三と継承されてきた保守右派の国政のうちでも、管理主義、中央集権の性向をいや増した菅政権。おどろくべく非文明的で貧相な政権です。この件の処理をまちがうと、急転直下、信任を失い、短命な内閣に終わる、という展開になるかもしれません。


菅内閣の暴挙

「任命を拒否された」と東大の加藤陽子教授

2020/10/1 16:42 (JST)10/1 22:25 (JST)updated

©一般社団法人共同通信社

学術会議新会員任命見送りは6人

 日本学術会議が推薦した新会員候補者のうち6人が任命されなかった問題で、東大の加藤陽子教授は1日、共同通信の取材に「いまだコメントできる段階ではないが、任命を拒否された1人であることは事実だ」と電子メールで回答した。

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 もう寝ようと思ってニュースを見たら、信じがたい暴挙が進行中。

 もし共同通信の報道のとおりだとすると、菅内閣はトランプ政権にも劣らぬトンデモ政権ということだ。これでは学会も、東大の教授会も、アカデミズムをあげて暴挙の撤回を求めるしかない。

 加藤さんは、彼女をおいて今日の日本の歴史学を語ることのできない逸材です。 

2020年10月1日木曜日

きのうのニャロメ

すでに10月、中秋の名月です。

春からずうっとせわしなく、慌ただしく、2つほどの原稿は仕上げ、旧友とのリモート懇談や Webinarを楽しむ余裕はありましたが、なにより3月以来ある課題を抱えこんだまま進展がなく、憂鬱な気持がつづいていました。それが28日に人手を借りつつなんとか解決して、ようやく秋の涼風や名月をよろこぶ気分にもなったのです。

そうしたなかで、昨日は若き友人からのメールにて、岩波書店のtwitterにこんな記事があると知らされました。

 → https://twitter.com/Iwanamishoten/status/1310459260334215170

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「岩波書店@Iwanamishoten

1066年の今日、ノルマン・コンクエスト開始。ノルマンディー公ギヨーム(ウィリアム)がイングランドに侵攻、勝利を収め、ノルマン王朝を開きました。征服王朝であるため、封建制に立脚するものの王権は強く、影響は地方にまで及びました。

近藤和彦『イギリス史10講』 http://iwnm.jp/431464

午後3:00 ・ 2020年9月28日・Hootsuite Inc.

愛知地域労働組合きずな@QDdrZLvHCC29HKa

・9月28日

返信先: @Iwanamishotenさん

以前にも書きましたが、中の人は近藤先生から先生が名大助教授時代に西洋史を教えていただきました。元東大全共闘として出された、明日のジョーを文字った、昨日のニャロメというガリ版のビラを講義で学生に配布して戦後歴史学の転換、刷新を熱く語っておられたことが記憶に残っています。」

 ----------------------------------------〈以上、引用〉

この投稿者はだれでしょう。名前までは想いだせませんが、書いてあることは(忘れていましたが)まざまざと想い出せる事実です。69・70年の退却戦という局面でたしかに「きのうのニャロメ」の漫画イラスト付きのビラを作っていました。それをコピーして77年後半~80年前半(?)くらいに名古屋の西洋史の教材として配ったのでした。

これに類したことは名古屋大学だけでなく、1974~77年に助手でしたので東大西洋史でもいろいろありました。とぎれとぎれの記憶の糸をたどると、学生Sくんは(西川正雄さんの下でドイツ社民党かなにかをやろうとしていましたが)他の何人かとも一緒に、安丸良夫やE・P・トムスンを読んだりしました。

Sくんはときに研究室にたむろしていましたが、ある日、テレビ局から電話の問合せで、「エジプトのピラミッドは正確に東西南北を向いているというが、それは各面がそうなのか、稜線が向いているのか」という質問がありました。ぼくが百科事典のぺージを繰りつつ、「この研究室にはエジプト史の人はいませんので‥‥」とうろたえていると、Sくんが研究室の『広辞苑』を開いて、各側面が東西南北に向いているとのことです、と助けてくれたのでした! 機転の利くSくん、ともに「広辞苑もさすが簡にして要をえたレファレンスだね」と感じ入った場面をいま想い出しています。現行の広辞苑には(エジプトに特化した)そういう記述はありませんね‥‥。

そうした彼が学者先生になるのでなく、故郷に戻って組合専従になるのだというので皆驚きました。同窓会名簿(2012)をみると、その時点では ITUC(International Trade Union Confederation)に勤めているんですね。世界史的な見識を発揮していることでしょう。


2020年9月15日火曜日

戸田三三冬『‥‥アナキズムの可能性』

 戸田三三冬さんという存在感のある女性の、ドシッと重い遺稿集。カバー折り返しの写真も「みさと」さんの面影をよく伝えています。
 本のメインタイトルは『平和学と歴史学』(三元社)とあり、これだけではおとなしい印象ですが、副題のほうに意味があり、じつはすごい大冊で600ぺージになんなんとし、巻末の索引は夫・三宅立さんによる周到なもので16ぺージにおよびます。アナキズム、アナーキー、インタナショナル、社会主義、愛郷心・愛国心(patriotismo)、くに・故郷・祖国(paese)といった語を手引に、ぺージを前に後にくって読み返す価値があります。
  戸田三三冬さん(1933-2018)は、略歴からみても、
  卒業論文(1960)で「ドイツ11月革命におけるレーテ」
  修士論文(1963)で「第一次大戦中における中欧再編問題」 
  フルブライト奨学金でアメリカ・ボストン留学、ヨーロッパ旅行 
  アナキスト・マラテスタの著作に遭遇して、日本アナキストクラブに参加
  三宅立さんと結婚 
  イタリア政府給費留学生としてナポリ留学 
  各大学で非常勤講師を重ねつつ、1990-2004年に文教大学教授
  日本平和学会のシンポジウム「人間・エコロジー・平和」を企画・司会
  マラテスタ研究センター主宰 
といった具合に、三面六臂の活躍でした。  
 戸田さんはぼくよりずっと年長で、親しくお話しする機会は多くなかったし、会合でぼくが発言しても「坊や、いいこと言うわね」程度にあしらわれたように記憶します。それにしても本書に集められた論考も授業の記録も、人柄と語り口をしのぶ良きよすがとなっていて、懐かしいものです。たとえば、巻末の長い「解題」にも紹介されているとおり、
  [長いヤリトリのあと] 
  司会:「‥‥ストップしないと(戸田先生の話は)止まらないから」 
  戸田:「一つ言わせて! 私の平和学の根底にはアナキズムと仏教があります」
  司会:「それはみんなわかっている」
  会場と戸田:「ハッハハ」(p.528) 
  
 じつはいま「ジャコバン研究史から見えてくるもの」という拙稿、すでに去年に執筆したものですが、ただいま再考中でして、 「彼[マラテスタ]にとっては社会主義者、アナキスト、インタナショナリストは、常に同義である」(p. 363) といった戸田さんの文章に「再会する」ことにより、わが身体にいつしか刻みこまれたマルクス主義的≒近代主義的偏向(!?)をあらためて反省します。 
 イタリア人アナキスト・マラテスタは在ロンドン、1881-1919年。イギリス史の基本的レファレンスである Oxford Dictionary of National Biography にも当然のように Errico Malatesta が(クロポトキンなどとともに)立項されています。ロンドンの亡命者コミュニティというのは、すでに1840年代から呉越同舟で、おもしろい。なんと1905年、08年にはあのレーニンもマラテスタたちの居るロンドンに滞在しました! 顔を合わせてしまったら、どうする/したんでしょう?

2020年9月2日水曜日

菅だけは止めてほしい


自民党の総裁選、かねてから意欲を示していた石破茂、岸田文雄についで、菅義偉官房長官が立候補表明しました。
各政治家それぞれの政治傾向や能力, etc.ということ以前に、この2・3日で判明したのは、安倍晋三総理総裁の「任期の残余をつとめるだけだから+現政権の連続性」という2つの論理で党内派閥間の力学をうまく収め、その既定方針を崩さないために自民党の党大会は省いて、予定調和の菅に決しようということでしょう。
現政権の安倍=麻生=菅枢軸のうち麻生太郎は80歳ですし、高慢な失言も多いので、もはや出番はなし。これまで官邸をまとめ官僚を統率してきた実務派官房長官の経験に頼り、その奮闘努力をねぎらって残余1年間の総理総裁職を贈与する、という理屈が自民党の中で浸透するというのは、分からないではない。
それにしても、菅はイカン。
なによりいけないのは、菅義偉の記者会見にも現れる滑舌の悪さ。原稿を読んでいるにもかかわらず、前のめりでカンでしまう発音の悪さ。しっかり息を継ぎ、キーワードはゆっくり明快に発音しなければ、公人として失格です。もう一つ、政治家として内向きすぎます。河野太郎の対局かな。国際感覚ゼロの人が No.1 になってはいけない。この2つの理由で、総理総裁=首相になるべからざる人です。

昭和天皇の「終戦のみことのり」(の録音)は聞いていて恥ずかしくなるほど下手なスピーチでした。ブレスを意識するとか、公的な〈朗読〉すなわちスピーチの基本の訓練がなかったのでしょう。日本の旧エリートはそれでも良かったのか。音楽的センスの問題でもある。朗読をあなどるなかれ。
菅官房長官が「順当に」継承するなら、日本国の首相のスピーチは、日本語の分からない人にも分かるほど下手くそで、どこかの省庁の局長の「木で鼻をくくった」答弁みたいなものを毎日聞かされることになるのです! 耐えがたい。

2020年8月31日月曜日

湾岸の夜景

8月も今日で終わり。午後は、12月の都市史学会オンライン大会(http://suth.jp/event/convention2020/)へ向けての勉強会で、熱い4時間あまり。6時半に外を見ると、すでに暗くなっていて、河面をわたる風は涼しく、さすが盛夏も終わりか、と感じさせます。

この夏は、コロナ禍(と日差し)を避けてほとんど毎夜に散歩してきました。歩くコースは四方にあるとはいえ、やはり湾岸らしく、潮の香りがして展望もひらける所に惹きつけられ、この写真にあるような光景を歩くことが多いです。

東京港の入口、芝浦と台場をつなぐレインボーブリッジを遠望し、右手は「パークタワー晴海」と「晴海タワーズ」。紛らわしいけれど、三井不動産と三菱地所が競争的に共存しています(晴海2丁目)。この3棟の先、(ここからはほとんど見えない)オリンピック選手村に直結する一帯(晴海4丁目・5丁目)を Harumi Flag と呼ぶことにしたようです。タワマンの住み心地が良いかどうか、ぼくの好みではないけれど、ただ、周辺の緑地・遊歩道はよく整備されて、気持のよい空間です。むかしはセメント工場があり、はるか亀戸から貨物線が通じていました。
その Harumi Flag の写真を撮った場所を振り返ってみると、こんな具合です(豊洲2丁目・3丁目)。
左から三井不動産が再開発したタワマンと複合商業施設ららぽーと、青く光るのは豊洲の波止場で、かつてすべて石川島播磨造船( → 現 IHI)の敷地でした。それを記念したモニュメントが随所に残っています。右手の明るく大きな建物は、この夏にオリンピックを見込んで完成したばかりの三井のホテル+オフィス棟。

つまり真ん中に(夜は黒く光る)豊洲波止場前の海面をはさんで、三菱地所と三井不動産が対峙する配置です。どちらも海に接する遊歩道に、「ここの標高は5.5m」という同様の道標があり、緑地にはさらに丘のように盛り土した箇所もあり、人工の快適空間。
ぼくは、こういうのが嫌いじゃない。小学2年で千葉の新宿小学校に転校して以来、場所は移動しつつも、日本の高度経済成長と近隣の住環境の大転換とをずうっと目撃してきた世代です。40歳で湾岸は東京商船大学の脇に転居してきたのですが、このときも1988年(バブル最中で)佃の超高層マンションがニョキニョキと建てられ、地下鉄有楽町線が開通したのでした。湾岸の大変貌の画期でした。

2020年8月28日金曜日

『歴史学研究』1000号


          http://rekiken.jp/journal/2020.html
創刊1933年の『歴史学研究』が、戦後歴史学の中核をになった期間をへて、今も生き延び、この9月号で1000号を迎えたということです。創刊1000号記念の特集は「進むデジタル化と問われる歴史学」。なんと近藤も寄稿しています!

正直、昨秋に編集部から依頼を受けたとき、一瞬は迷いました。歴史学研究会とは「因縁」というものがあって、それは何十年たったら解消する、といった簡単なものではありませんので。ところが2・3年前から「研究部長」さんが変わって、歴研内部の討論のトーンも変わったような気がします。「主権国家再考」の討議にも参加しました。はばかりながら学問的な再考・修正・革新には、学生時代から積極的にかかわってきたという自負はありますので、2019年には「主権なる概念の歴史性について」という大会コメントを『歴史学研究』989号に寄せました。【西川正雄さんがお元気なら、大いに喜んでくださったでしょう。彼との関係修復(2007年7月、於ソウル・駒場)はあまりにも遅かった!】

今回はそれより長く、1000号記念特集で、ディジタル化/これからの歴史学に関係するなら、いかようにも自由に、という特段の依頼だったので、それなら、自分のためにも人のためにも、整理して記録しておこうとその気になりました。現今のディジタル化とグローバル化について短期的な(他の人にも書ける)エッセイをしたためるのでなく、1980年前後から顕著になっていた世界的な知の転換と同期してきたITの展開という文脈、そのなかに90年代以降の(≒ Windows 95 以降の)ディジタル史料(リソース)、オンライン学問の発達・展開を位置づけて論述してみたいと思いました。ぼく自身も同時代人としてそのただなかで生きてきたのです。
OUP や Proquest や Gale-Cengage といった特定企業名も出てきますが、それぞれ競合しつつ、2000年(OED オンライン供用)~2004年(ODNB)あたりから学界も個々の研究者も気持・志向・文化が転換したような気がします。社会経済史学会では、大会でも部会でも、Query をどのように立てて検索し、結果をどう処理するか、といったことを熱心に議論していました。
ぼく自身も、2004年7月には「オクスフォードの新DNB」について『丸善Announcement』に書かせていただいたし、12月には(Keith Thomas の代わりに)Martin Dauntonを招待して、丸善 OAZO にて ODNBシンポジウムを開催していただきました。

しかし同時に、現ディジタル世界のありようはあまりにも問題が多く - 今日のアメリカ政治にも、日本社会にも如実に現れているとおり -、賢明で積極的な対応が不可欠です。好き嫌いや利便性よりも、反証可能性をおもてに出した、クリアでシンプルな文章とすべきだと考えました。
従来の歴史学からの連続性、民主的アクセスが保証された知の営為、といったことも隠れたモチーフです。また他方ではイングランド・アイルランド・スコットランドの間の「歴史問題」をおもてに出した連携のような関係が、日本・韓国・中国・台湾などの間でいつになったら構築されるのだろう、という憂慮もあります。
後半はいささか整理不足で、あれもこれもとなってしまいました。

2020年8月27日木曜日

朋あり 遠隔より談ず、また楽しからずや


このブログへの登載が間遠ではないかと心配するメールなどいただいています。コロナ禍と盛夏のただなかですが、いちおう元気です。ケアを要する家族も、皆みなさまの助力で、大きな変化はなく、なんとかやっています。

そうしたなかで、喜びといえば Zoomミーティング ですかね。
同一空間に会して歩く姿を見つめたり、全身が丸くなったとか、縮んだとか(?)いった印象とともに談笑することは今はできないけれど、リモートの画面で、ふだんは見ない書斎の背景を見せてもらったりしながら、久しぶりに談論風発‥‥、また楽しからずや。

たとえ(ご本人の嗜好で)リモート画面は伴わなくても、メールや電話で優しく細やかな配慮をいただいたりすると、これもうれしいですね。人は一人では生き続けられない、という真理にも想いいたります。

2020年8月13日木曜日

空蝉に ‥‥

特別に長い梅雨のあと、急に盛夏の猛暑がつづきます。みなさんお変わりありませんか。
わが集合住宅の敷地にもようやく蝉時雨(せみしぐれ)が襲来して、「滝もとどろに鳴く蝉」は部分的には深更にもやまず(例年はうるさいなぁと感じることもあったのですが)今年は、それがなんだか嬉しい。

7年間は地中の幼虫としてのいのち。つまり2013年の夏(『イギリス史10講』仕上げの夏!)に産み落とされ、地中にもぐって成長し、ようやく暑くなったので、夕刻、地上に這い出て見たことのない母の産んでくれた樹木にのぼり、夕闇のなか脱皮して、大きな羽根をえて、身体も一回り大きくなり、翌朝に飛び立つ。飛ぶ昆虫としての7日間くらいのいのち‥‥。考えるといとおしくなります。
昼間に(大学のリモート授業のあいまでしたが)郵便ポストまで投函しに行った折にふと大きな街路樹の足元をみると、小さな(1cm未満の)丸い穴がいくつもあることに気づきました。これは何だ、と思いつつ見上げると、高さ2m~3mくらいのところに蝉の抜け殻がいくつもあります。そぅか! 日が暮れてから来ると、あれをふたたび観察できるかもしれない! 小学生時代にはカメラなんて持っていなかったけれど、今はいくらでも写真が撮れる! 
というわけで、結局、晩には次に書くようなことを回想しながら、何匹もの脱皮の写真を撮りました。


小学生時代に母の実家(広島県)に行くと、夏は「クマンゼミ」と呼ばれた大きく透明な羽根をもつ蝉が、うじゃうじゃといて、網など使うまでもなく子どもの手でも一度に2・3匹づつ捕まえることができました。そして夕刻になると、樹木の幹を登る幼虫の何匹かを捕獲して、窓や縁側の手すりなどに置いたのです。彼らとしては違和感があったに違いないのですが、いささか体勢を整えなおしてから覚悟を決めて動かなくなり、やがて背中が割れ、美しい青緑の肉体、そして透明な羽根をゆったりと露出します。この間、自分の体重で、殻の割れ目に尻をはさむような形で逆立ちし大きな頭が下にくるのですが、6本の脚を上手に使いつつ体操選手のように屈伸して体位を180度変えて、頭が上、二枚の羽根がすなおに下向きに伸びるような位置に収まると、‥‥柔らかい身体が堅牢さを獲得し、なにより地上に出てから木登り・脱皮の重労働を完了するまで(3時間以上?)の疲労から回復するために動かなくなります。
明朝(鳥たちが動き始めるより前に)元気に飛び立てるよう、また(人にうるさいと思われながら)元気に歌い回れるよう、体力のみなぎるのを待つのでしょう。小学生だったぼくには、夏休みの良い観察(observation)課題でしたが、ただ夜8時~9時くらいに蝉の動きが静止してしまうと、もうすることがなく、寝るしかない。(すごく早起きしてみるほどの根性もなく)明朝は飛び立ったあとの抜け殻(うつせみ)を確認するだけでした。

「クマンゼミ」は瀬戸内ならぬ東京では見られませんが、基本は同じかな。
こんな句を見つけました。
空蝉に 朝日さしこむ 過去未来 (小枝 恵美子)

2020年8月2日日曜日

さみだれを集めて‥‥


先週のことですが、NHKニュースで河川工学の先生が
さみだれを集めて早し 最上川
と朗じて、このさみだれとは梅雨の長雨のことで、流域が広く、盆地と狭い急流のくりかえす最上川は増水して怖いくらいの勢いで流れているんですね‥‥と解説しているのを聞いて、忘れていた高校の古文の教材を想い出しました。

さみだれを集めて早し 最上川 (芭蕉、c.1689年)
さみだれや 大河を前に家二軒 (蕪村、c.1744年)

 明治になってこの二句を比べ論じた正岡子規の説のとおり、芭蕉の句には動と静のバランスを描いて落ち着いた絵が見える。しかし、蕪村の句は、増水した大河に飲み込まれそうな陋屋2軒に注目したことによって、危機的な迫力が生じる。蕪村に分がある、というのでした。
 しかしですよ、子規先生! 
第1に、そもそも蕪村は尊敬する芭蕉の歩いた道を数十年後にたどり歩き、芭蕉の句を想いながら自分の句を詠んだわけで、後から来た者としての優位性があって当然です。ないなら、凡庸ということ。
第2に、句人・詩人なら、完成した句だけでなく、
さみだれを集めて涼し 最上川
とするかどうか迷い再考した芭蕉の、そのプロセスにこそ興味関心をひかれるでしょう。蕪村はそうしたことも反芻しながらおくの細道を再訪し、自らを教育し直したわけです。
 さらに言えば、第3に正岡子規(1867-1902)もまた近代日本の文芸のありかを求めて先人芭蕉、蕪村、明治のマスコミ、漱石との交遊、‥‥を通じて自らの行く道を探し求めていたのでしょう。そのなかでの蕪村の再発見だとすると、高校古文での模範解答は、論じる主体なしの芭蕉・蕪村比較論にとどまって、高校生にとっては「はぁそうですか」程度の、リアリティに乏しいものでした。教える教員の力量ももろに出ちゃったかな。

 たとえれば、ハイドンの交響曲とベートーヴェンの交響曲を比べて、ベートーヴェンのほうがダイナミックに古典派を完成しているだけでなく、ロマン派の宇宙をすでに築きはじめていると言うのは、客観的かもしれないが、おこがましい。ハイドンが楽員たちと愉快に試みつつ完成した形式を踏襲しながら、前衛音楽家として実験を重ねるベートーヴェン。啓蒙の時代を完成したハイドンにたいして敬意は失うことなく、しかし十分な自負心をもって新しい時代を切り開いてゆく。(John Eliot Gardiner なら)révolutionnaire et romantique ですね。

 両者を論評しつつ自らの道を追求したシューマン(1810-56)が、上の子規にあたるのかな。優劣を評定するだけの進化論や、それぞれにそれぞれの価値を認めるといった相対主義ではつまらない。自らの営為と関係してはじめて比較研究(先行研究)は意味をもつ、と言いたい。

2020年7月30日木曜日

Pandemic

 お変わりありませんか。パンデミックの脅威はなおこれからという勢いです。

 1918年に合衆国から始まったインフルエンザ(スペイン感冒)について歴史人口学の速水融さんの『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ 人類とウイルスの第一次世界戦争』(藤原書店、2006)が有名です。去年3月にブダペシュトの博物館で印象的だったのは、第一次世界大戦とのかかわりで一室ぐるっと具体的にこの Spanish Flu の脅威が展示されていることでした。(ウィーンにおける)ヴェーバー、クリムト、シーレ、(パリの)アポリネールなど、‥‥そしてぼくの知らない多くの名が列挙されていて、そうだったんだ、と認識をあらたにしました。パンデミックへの先見の明というわけではなく、むしろ第一次大戦(the Great War)への問題意識の強さの証だったのでしょう。

 これらとは別に、今春になってから美術史的な観点で執筆された、この記事
https://news.artnet.com/art-world/spanish-flu-art-1836843
ムンク(罹患したときの自画像、ただし1944年まで生き延びた)、たった28歳で逝ってしまったシーレ、そして55歳にして基礎疾患の塊みたいなクリムトの、それぞれの自画像を大きくとりあげて、一見の価値があります。もしまだなら、どうぞ。
(c)artnet

 ぼくたちに近い知識人たちでいえば、辰野金吾が64歳で1919年3月の第二波で、マクス・ヴェーバーが56歳で1920年6月の第三波で急逝したという事実があり、厳粛な気持になります。それぞれ人生の盛りともいうべき時に、無念の死だったでしょう。
 とはいえ、こうした人たちと違ってずっと無名のまま生き死んだ何千万の犠牲者たち‥‥は、戦争でなくパンデミックで亡くなった「無名戦士」たちでした。現今の Covid-19 と違って、若年層も容赦なく重症化するのでした。

2020年7月20日月曜日

Pasmoの履歴 → Zoomで代行?


 先日まったく久しぶりに雑草の繁茂する実家(空き家)にゆき、さらに老母のくらす老人ホームに往復しました。庭ではぼくの背丈より高くなったブタクサなど雑草を掻き分けながら、それにしても雨の多い今年の梅雨。晴れの続くころに庭木や雑草と奮闘することにして、先延ばし。
 前よりさらに痩せたように見える母ですが、ホームの方々が良くしてくださり、食欲もあります。広島県の弟二人も90歳を越えて、ついに姉・弟三人が90代とあいなり、めでたいといえばめでたい。とはいえ、三人とも遠出は不可能で、互いに相まみえることはできません。ぼくのケータイ電話で姉弟が会話した折には広島弁まる出しで、「江奥小学校の卒業生でわたしが一番[年上]じゃ」とか、ぼくの知らない「[母の母の実家の]○さんのせがれは元気かのぅ」とかいった話題を何度もくりかえすのです。
 で、帰途に Pasmo に入金したついでに「利用明細・残額履歴」(100件)をプリントしてみて驚きました。3月14日以来ぼくは電車・バスをほとんど使わなかったのです。
  4月には計12回(都営・メトロ・バスと乗り継いだら、それで3回、往復で6回という記録方式です)
  5月には計4回
  6月には計2回(妻の通院に同行した日の往復だけ!)
  7月には歯医者と、この実家・老人ホーム往復だけ(後者は乗換が多いので、回数が増えます)。
なにも忠良なる都民として「ステイホーム」、「自粛」を厳守したわけではありません。自転車や徒歩で移動できる範囲では毎日(外気のもとではマスクなしで)、雨でも出歩いていました。スーパー特売日の買い出しも(時間帯を考慮しつつ)積極的に。それにしても、これほど公共交通機関を利用しなかった月日なんて、東京生活では珍しい。そういえば、外食もしていません。
 代わりに、5月11日の初体験から以後、Zoomを利用して、毎週水曜は2コマの大学院授業、不定期に学会の企画委員会や研究会、また N先生の最終講義、早稲田WINE のウェビナーといった催しが続きます。従来からの電子メールの交信も含めると、知的 sociabilité という点では、それなりの刺激は維持しています。とはいえ、face-to-face のあまり合目的でもない挨拶・ヤリトリ、すなわち雑談がないままでは味気なく、さびしいですね。

2020年7月19日日曜日

Go to トラブル


 Travel も trouble も平板にカタカナで表記すると「トラブル」ですね。
 違いは最初の母音が強い[æ]か、日本語のアに近い[ʌ]かということで、あきらかです。Apple や cat の[æ]か、cut や love の[ʌ]か、です。Cat と cut の区別は間違えようもないでしょう。
後半の弱い音節が「ブル」か「ベル」か、とかろうじて区別するというのは、非実践的な(日本の教室でしか通用しない)まやかしです。-vel と綴っても弱母音なので、「ベル」どころか「ブル」とさえ聞こえず、むしろ「ボー」と聞こえるかもしれない。「アンビリーバボー」と同様です。
 英語はとにかく強勢のある音節で識別するので、この場合、最初の音節をきちんと発音しないかぎり、英米人に、というより英語の話者には伝わらないでしょう。
 残念ながら、この基礎力は、中学・高校の英語の先生が英語の分かった人だったか、非力をカタカナ英語でごまかしながら授業してる人だったかによって、(あるいは、ラジオ「百万人の英語」で五十嵐先生の音声学を聴いていたかどうかによって)決まってしまうのかもしれません。

 で、安倍内閣の(だれが言い出したのでしょう)「Go to トラベル」政策ですが、すでにトラブル続きです。
a)そもそも英語として、Go to travel ... という表現は自然でしょうか。むしろ、
Go out for a trip / go to the countryside / visit friends / come to town
といった言い回しのほうが普通でしょう。
b)憶測ですが、どこかの大臣室に出入りする役人か「有識者」で英語的センス無しの人の発案かもしれません。
Go という動詞はそもそもどこでもいいから(ここではないどこかへ)行ってしまう/姿を消すという意味合いで用いられます。
だからこそ、Gone with the wind で「風とともにレットは去ってしまった」わけだし、
ケンカ腰で Go! と言えば「失せろ」という意味、
曖昧な顔をして Where can I go? と聞けば「ハバカリはどちらですか」という意味です。
 「Go to トラブル」内閣のゆくえやいかに? あきらかに some trouble(もしや troubles)へと向かっているのでしょう。

2020年7月10日金曜日

雨と『次郎物語』


 未知の新型コロナウィルスに続いて、これまで経験したことがないような雨が連続。「線状降水帯」という語はしばらく前から使われて、理解しやすいのですが、それにしても同じような所で長雨が続くのは勘弁してほしい。
 これから書くのは、水害地のみなさんには申し訳ない、九州と雨にかかわる悠長な想い出です。

 大分・福岡・佐賀を貫く筑後川(筑紫次郎)。少年時代(中一でしたか?)に読んだ、下村湖人『次郎物語』のいくつかのエピソードをおぼろげに覚えています。イカダを組んで少年たちが川下り、にわか雨で走るかどうか、‥‥。
 雨のなかを走るかどうかについては、納得のいかない「算数」あるいは「ギリシア的詭弁」の問題で、もしや以後(日本の)文人たちの論法への不審が芽生えた最初だったかもしれない。
 こういうことです。少年たちがたむろしていたあるとき、にわか雨が降り出し、(だれも傘は持たず)何人かは急ぎ駅だか学校だかへ向かって走りだしたのだが、年長の@くんは「走っても歩いてもあびる雨の量は同じだから、走るのは無駄」といって悠然と雨中を歩き通した、というエピソード。そのとき、ぼくにはなぜこれが違うのかは言えなかったけれど、納得ゆかず、以後、雨の日のたびにこの問題が再浮上して悩ましかったのです。
 @くんの論法は、(たとえば)学校と駅の間が1000mだとして、100mあたりの単位雨量が u だとすると、この間を走っても歩いてもあびる雨の量は u×10 で変わらない、というもの。
→ もし、雨の量が「単位×移動する距離」で決まるなら、亀さんのようにノロノロ歩いても(たとえ24時間かかっても)u×10 で同じ。古代ギリシアの詭弁家みたい!
 そのときのぼくは、あびる雨の量は移動距離でなく(停止していても雨をあびるのだから)、「単位×雨中の滞在時間」で決まるといった反証ができずに、悶々としていたわけです。1分あたりの雨量を r とすると、(たとえば)学校と駅の間を歩いて12分かかる(r×12)のと、2分で疾走する(r×2)のとでは、顕著な差が出ます。【駅前商店街に屋根付きのアーケードとかはない、雨中に走って転倒する事故もなし、という前提。】
 下村湖人(1884-1955)は、佐賀で生まれ育ち、帝大英文をでた教育者らしいですが、わがナイーヴな少年時代を悩ませた作家でした。その後もにわか雨で傘を持ちあわせない折には、いつも想い起こされた逸話です。

2020年7月2日木曜日

香港、加油!


中国共産党がここまで厚顔・破廉恥なのは、ウイグル(新疆)やティベット(西蔵)にたいする姿勢でわかっていたことですが、それにしても香港にたいする「國家安全法」(National Security Act)の効果はてきめんです。抗議どころか、コメントや疑問の声さえ封じてしまいそう。しかも香港人でなく、外国籍の者にまで適用が及ぶ、ということは、香港人が海外でおこなった発言・行動についても適用されるかもしれない。恐怖の弾圧法です。
罪刑を具体的に規定しないまま施行するのは、いかようにでも解釈し裁量できるような恐怖を導入するためですね。モンテスキュは『法の精神』で言いました。
「共和国においては徳(vertu)が必要であり、君主国においては名誉(honneur)が必要であるように、専制政体の国においては恐怖(crainte)が必要である。徳はここではまったく必要なく、名誉はここでは危険なものとなろう。」岩波文庫(上)p.82
この「恐怖」を後にロベスピエールは terreur (テロル)と言い換えたのでした。なんと今度の「國家安全法」では、恐怖の習近平政権に対する抗議を表明するデモンストレーションは「テロル」と規定されているのです!! なんという言語的暴力! なんという破廉恥!

コロナ後と香港(https://kondohistorian.blogspot.com/2020/06/blog-post.html)では、1982年にマンチェスタで出会った、快活な香港の正義漢たちの現在を心配しています。
Zoomの不都合な事実(https://kondohistorian.blogspot.com/2020/06/zoom.html)では、中国共産党にたいして弱腰の成長企業・諸国を憂いています。 
【そもそも1997年施行の「一國二制度」というレトリックのまやかしに乗ってしまった時のイギリス政府[サッチャ・メイジャ政権]の甘さが悔やまれます。じつは香港・中国利権に目がくらんで、半ばこうなると承知しながら、言語論的まやかしに乗ったのかもしれない、とさえ疑われます。】

香港、加油! 香港、挺住!

2020年6月26日金曜日

川勝 の 勝!

 川勝平太といえば、オクスフォードでもマンチェスタでも聞こえた男でした。ぼくより1歳若いが、小松芳喬先生と日本の社会経済史学会で鍛えられてアジア史をふまえ、イギリスでは Peter Mathias先生(そして Douglas Farnie先生)の薫陶のお蔭で、良い仕事をまとめることができたのです。早稲田大学では British Parliamentary Papers (いわゆるブルーブック)の購入決定に理事会が反対したというので、タンカを切って辞職して、国際日本文化研究センターに移動。そのころすでに環境史には一家言あり、1997年の日英歴史家会議(AJC, 慶応)ではスマウト先生の環境史報告へのコメンテータをつとめました。【じつは川勝とぼくの共著もあります!『世界経済は危機を乗り越えるか:グローバル資本主義からの脱却』(ウェッジ選書*、2001)】
 それからは静岡芸術文化大学(木村尚三郎後任)をへて政治にコミットしたようで、2009年の静岡県知事選挙で、(自民党・民主党の支持者を分裂させながら)当選、以後、2選、3選は圧倒的に勝利しています。

 一方のJR東海の金子慎社長は、といえば東大法卒、国鉄・JRの人事・総務畑で出世してきたかもしれないが、内向きの能吏で、- そもそも歴代首相とやりあい、英語での交渉もでき、皇室との個人的なつきあいもある川勝知事を相手に -、太刀打ちできるタマではない。
 今晩のNHK-TV、7時のニュースでも、川根の水で入れたおいしいお茶を供されて、金子社長が完全に手玉にとられてしまった場面が放映されました【この部分を、9時のニュースでは繰りかえさなかった。NHK幹部の独自の政治的判断≒配慮が介在したと想像されます!】。

 問題は、大井川や南アルプスだけではありません。
 コロナ禍で「リモート仕事」「Zoom会議」の快感を知ってしまった国民が、はたして、東京-名古屋は40分、東京-大阪は67分、といった恐怖のトンネル続きの「利便性」をこれからも支持しつづけるだろうか。ここは、むしろ東京オリンピックの中止、Aegis Ashoreの中止(河野防衛相の英断)、につづいて、never too late to mend! 電磁気によるリニア新幹線計画じたいを中止するという英断が待たれます。東京首都圏への過度の集中、通勤・出張を再考する好機ですよ、金子社長!

* ウェッジ選書とは、すなわち JR東海きもいりの出版でした! なんという皮肉/めぐり合わせ!

2020年6月15日月曜日

コロナ後 と 香港

すでに識者によって予言されているとおり、Covid-19(のパンデミック)のもたらす変化は、過去からの断絶ではなく、すでに始まっていた変化の顕著な促進でしょう。よくは見えなかった兆候が、この危機によって誰にも明らかな時代の転換として現れます。危機、すなわち生死を分けるような分岐点、転換点です。

イギリスを代表する、もしやヨーロッパ一の金融企業(銀行)HSBC が驚くべき発言をしました。BBCの報道によると
HSBC "respects and supports all laws that stabilise Hong Kong's social order," it said in a post on social media in China.
「香港の治安を安定させるあらゆる法律を尊重し支持する」と。
現今の金融資本主義を代表する企業が、中国政府の治安優先、というより習近平の独裁体制=権威的全体主義体制を尊重し支持する、と。これは天地もひっくり返るほどのことですよ。
ちなみに BBC は同じ記事のなかで、日本のノムラ(investment bank Nomura)が香港への関与を再点検する(修正する)と報じて、対照しています。
資本主義は、あるいは18世紀のヒュームやスミス、そしてブラックストンに言わせれば「商業社会」は、自由と所有権(と法の支配)によって成り立つ「文明社会」でした。以後、この自由と所有権と文明の間の比重にはニュアンスはあれど、これを旗印にする自由主義者と、これを否定する(競争と搾取の元凶と考える)社会主義者は、19世紀の前半から対立してきました。
20世紀前半には、ケインズのように、政府の政策によって野放図な資本主義をコントロールしようとする経済学者、そして福祉国家(大きな政府)を唱える「新自由主義者」(ネオリベラルではありません!)が現れ、1970年代まで西側先進国の民主主義を支える政策体系でした。しかし、民主と福祉は、ナチスや、ソ連や中国の共産党独裁とは相容れないと考えられていた。政治家は、イギリス労働党も日本社会党も「政治的判断」によって海外の共産党独裁を許容することはあったけれど。
上の BBC は含蓄をこめてこう言います。
The bank's full name is the Hongkong and Shanghai Banking Corporation and it has its origins in the former British colony.

じつはぼくが1980年にイギリスに渡って直ちに British Council から四半期ごとに給費を振り込む銀行口座は Midland Bank と指定されました(バーミンガム起源の歴史的な銀行です)。これがしかし、80年代半ばに HSBC に吸収されて、以後ぼくの小切手や Bank Card は HSBCのものとなりました。

後年、上海に行ってそこでバンドの威容を誇る建物群のうちでもHSBCが一番であること[そこまでは事前に写真で承知していました]、それが革命後、共産党政権により接収されて上海共産党本部になったことは、感銘深い、共産党側の論理としては理解可能な事実です。
ところで、香港の気のいい若者たちとマンチェスタで交流したのは1990年前後のことでした。Oxford Road をずっと南に下った所の YMCAに泊まっていて、留学生たちと仲良くなったのです。若者たちといっても30歳前後(?)で Manchester Polytechnic(その後 Manchester Metropolitan Universityへと改組改称)に研修で来ていた様子。
中国名とは別に Bob とか John とか自称していました。戦後の日本で「フランク永井」「ジェームズ三木」と言っていたのと似てるなと受けとめました。ぼくがイギリスのしかもマンチェスタの歴史を研究しているというのを珍しがると同時に、香港での現実問題は「汚職」(corruption)だということで、香港政庁の汚職特別委員会ではたらく、明るい正義漢が印象的でした。
まだeメールなどの普及する前だったので、その後、連絡は取れなくなってしまったのが残念です。彼らもすでに60代でしょう。イギリスの植民地支配から自由になったのはいいけれど、中華人民共和国のきびしい統制下に、今どのような日夜を送っているのだろう。たとえ汚職が蔓延していても、自由で、冗談の言える社会のほうが、よほどマシです。
革命独裁政権が、政敵を腐敗している(corrupt)として追放する/粛清するのは、フランス革命中からの常でしたね。

2020年6月13日土曜日

Zoom の不都合な事実

 これは「セキュリティ上の不具合」より深刻かもしれない問題です。

 この2・3ヶ月で急速に普及した Zoom会議。ぼくも初体験は学会の委員会で、5月から立正大学院の演習で利用しはじめ、先日はN先生の最終講義の会に「出席」しました。
じっさいやってみると、これは非常事態をしのぐ手段というより、とても便利で、発言者の顔が間近なので、独自の効用があり、今後もさらに普及しそう。音声と図像の微妙なズレといった問題もないではないが、周辺機器を(100%無線でつなぐのでなく)できるだけ有線でつなぎ、発言しないときは音声をミュートにする、とかいった工夫でなんとかしのげそう。
 セキュリティ上の技術的不具合は解決しつつあるようです。
 というわけで明るい展望のもとに周辺機器と Wifi環境をととのえていたら、日本では今朝からアメリカの報道を引用する形で記事になっていますが、重大事件です。
 6月4日の天安門虐殺事件(Tiananmen Square massacre)をめぐって Zoom を利用した集会・催しがアメリカ、香港で行われたのに対して、中国政府が Zoom社に圧力をかけ、これに Zoom社が屈して、進行中の4つの集会のうち3つを中断し、主催者のアカウントを停止/廃止した(we suspended or terminated the host accounts)のです。とんでもない事件です。今ではアカウントは回復された(reinstated)からというので、New York Times, Wall Street Journal などの報道は歯切れが悪い。 → https://www.nytimes.com/2020/06/11/technology/zoom-china-tiananmen-square.html
https://www.wsj.com/articles/zoom-catches-heat-for-shutting-down-china-focused-rights-groups-account-11591863002
 当の Zoom社のブログ(米、6月11日)を見ると、こうです。 → https://blog.zoom.us/wordpress/2020/06/11/improving-our-policies-as-we-continue-to-enable-global-collaboration/
Recent articles in the media about adverse actions we took toward Lee Cheuk-yan, Wang Dan, and Zhou Fengsuo have some calling into question our commitment to being a platform for an open exchange of ideas and conversations.

 20世紀史の身近な(卑近な?)事件で喩えてみると、4つの大学の学園祭で、ナチスか、スターリンか、「反米委員会」かをテーマにして討論集会/デモンストレーションを企画し実行していたら、当該政府・大使館から抗議がきた。 → あわてた3つの大学当局が催しを強制中止した。 → 企画・主催者そして参加していた学生たちは怒っているが、マスコミは静観中ということでしょうか。喩えの規模が小さいけれど、本質は似ています。ディジタルでグローバルなプラットフォームを利用して進行したことにより、一挙に国際事件になるわけです。
 喩えを続けると、中止させられた3つの大学祭の催しは、当該国からの留学生が参加していたので、当該国の法律=政府に従順な Zoom社としては、彼らだけを排除したかったのだが技術的にその手段がなかったので催しそのものを中断した。当該国の留学生がいなかった1つの催しは、支障なく進行した(中国の外の法は守られている)、という言い草です。

 Zoom社は、アメリカの企業です。広大な中国市場もにらみつつ、コロナ禍の好機に急成長しつつあるグローバル企業。ただし起業者は中国の大学を卒業してカリフォルニアに渡った Eric Yuan (袁征)。出自にこだわっては彼の志を貶めることになるので、これ以上は言いませんが、会社として、(a)中国市場への拡がりと、(b)それ以外の地域における世論(人権と民主主義)とが二律背反する情況を、どう克服するか。これは Zoom社にとってほとんど生命にかかわる問題となるでしょう。
 さすがにそのことを認知しているからこそ、11日のブログでは次の3項について明記したのでしょう。
Key Facts (すでに5月から中国政府の告知があった;ユーザ情報を洩らしたりはしていない;(IPアドレスで)中国本土からの参加者が確認された Zoom会議についてのみ中断の措置をとった)
How We Fell Short (2つの間違いを認める)
Actions We're Taking (現時点での対策:中国本土の外に居るかぎりいかなる人についても中国政府の干渉には応じない;これから数日の間に地理的規制策を開発する;6月30日までにわが社の global policy を公にする)

 そして中国政府の理不尽に無念の思いを秘めて、ブログの最初のセンテンスは、こうしたためられています。
We hope that one day, governments who build barriers to disconnect their people from the world and each other will recognize that they are acting against their own interests, as well as the rights of their citizens and all humanity.

 Zoom社の誠意と無念の思いはいちおう認めるとして、現実的には甘いんじゃないか。
かつて1930年代にナチス=ドイツにたいして宥和策をとり、スターリン=ソ連と平和条約を結び、また戦後の合衆国における「反米活動」の炙り出しを困惑しつつ傍観していたことを厳しく反省する立場からは、現今の中国政府のありかた、それに宥和的な各国政府およびグローバル先端産業を、このまま許すわけにゆかないでしょう。

 コロナ禍は、あたかも稲妻のように、平時には隠れていた(忘れがちな)大問題を照らしだし、もろもろの動機や関係をあばきだしています。先例を点検し、記憶を呼び覚まし、しっかり考察して、賢明に生きたい。cf.『民のモラル』〈ちくま学芸文庫〉pp.22-23.

2020年5月21日木曜日

自粛ポリス


 世間では「自粛ポリス」とかいった攻撃的な、しかしチマチマした民衆的〈制裁〉が見られるらしく、悲しい。
 近現代の国家(≒福祉国家)では暴力・強制力は国家が独占する(リンチを許さない)という原理で動いていますが、そうなるより以前の国家社会では - そもそも警察はなかったし - 自力救済で問題を解決するか、逆に軍隊の強制に反対するしかなかった。やむにやまれず、たいていは1個人の単独行動より、共同体としての直接行動・示威行動でした。騒擾・一揆・リンチ・シャリヴァリ、そして直訴がくりかえされたわけです。
 そうしたさいに、ただ何かに異議を申し立てての抗議や反乱というより、むしろ「官」が行きとどかない/職務怠慢であるのに代わって、自ら正しい(とされている)ことを執行する -〈正義の代執行〉あるいは〈制裁の儀礼〉といった行動様式が、日本でもヨーロッパでもアメリカでも見られました。そのことの意味を
拙著民のモラル ホーガースと18世紀イギリス』〈ちくま学芸文庫〉で考えました。
 そのときは文明人にとっての「異文化」、その意味を考えるというスタンスで、これは〈いじめ〉問題の捉えなおしにもつながると考えていたのです。コロナ禍のような、想定外の緊迫・恐怖が続くと、これまでマグマのように鎮静していた民衆的・共同体的な〈騒ぎとモラル〉の文化が噴出してくるのですね。
 そこまではよく分かります。でも、今日見られる「自粛ポリス」は、たいてい権力をカサに着た、チマチマして匿名の〈いじめ〉、あるいは脅しのようで、目の覚めるような未来への構想・〈夢〉は示してくれない。もっと前向きに開けた直接行動・デモンストレーションがあると、楽しいのにね。
 むかし、「国大協自主規制路線 反対!」とか言っていたのを想い出します。

2020年5月19日火曜日

薔薇の名前?

みなさん、お変わりありませんか?

近ごろのぼくは基本的に、非常勤の大学院授業(週2コマ)をオンラインであれこれ試すこと以外は、書いちゃ読み、読み直しちゃ発見し、書き直しちゃ歩き‥‥といった繰り返しの毎日・毎夜です。E.H.カーのタイプの仕事かな。...Reading and writing go on simultaneously. The writing is added to, subtracted from, reshaped, cancelled, as I go on reading. The reading is guided and directed and made fruitful by writing: the more I write, the more I know what I am looking for....
いわゆるリモート・ワーク。インターネットの恩恵なしにはありえない「生活様式」です。今日午前には「ECCOから見えるディジタル史料の宇宙」という拙稿をようやく仕上げて送りました。小論ですが、註は28個付いています。

散歩は毎日、買い物も3日に一度くらいは出かけています。散歩はあまり人気のない近辺を選び(3密ではないので)マスクなし、買い物は閉鎖空間に入るのでマスクを着けて。
歩いている途中に気づいたのですが、いまバラが満開。この薔薇の名前を知らないのは悲しいけれど、美しいものを美しい、と感じ入るときを忘れているわけではないのは、救いかな。

2020年5月4日月曜日

石川憲法学


(承前)さて、その『朝日新聞デジタル』のインタヴューで石川健治さんは、客観的緊急事態(ぼくの言葉で言い換えると constitutional emergency)と主観的緊急事態(dictatorial emergency)を対比して論じています。ただし彼は、ローマの dictator については何故か(朝日の編集が介入した?)触れていません。共和制ローマ、革命フランスから登場する「独裁」あるいは「ジャコバン主義」は、ただの歴史的なエピソードではなく、自由民主主義の非常事態における緊急避難的な措置の正当性/不当性という問題です。憲法学者も、歴史学者も真剣に考えなくてはならぬ、主権と民主主義、非常事態[革命的な情況]と執行権力、危機と学問といったイシューではないでしょうか。
【日本語では非常事態緊急事態が区別されているようにも聞こえますが、英語ではどちらも (state of) emergency で、通常ではない=extraordinary な情況です。私権やふだんの生活習慣が制限されてもしかたない「非常な」事態です。ローマ共和制でも respublica の存亡の危機には dictator (独裁官/執権) を「6ヶ月に限って」任命しました。「危機」はありうる。コロナ禍の後始末もできないうちに大地震・大津波が襲来することだってありうる。そうしたときに、強力なリーダーシップを発揮できる民主的制度を構築することは重要だと思います。】

 石川さんの書くものは
「八月革命・70年後」『「国家と法」の主要問題』(日本評論社、2018)をみても、また
尾高朝雄国民主権と天皇制』(講談社学術文庫、2019)の巻末解説(長い評注)をみても、
知的迫力があって、ドキドキします。仮に「‥‥の証拠が出てきてくれると「丸山眞男創作説」を打破できて大いに面白かったのだが、残念ながら‥‥」といったサスペンスも込められた文章を書く人です。東大法学部の憲法学の教授なのに!
それが浮ついた文にならない一つの根拠として、東大駒場の尾高朝雄文庫;国立ソウル大学校中央図書館古文献資料室(!);立教大学宮沢俊義文庫;早稲田大学のシュッツ・アルヒーフ;京都大学のハチェック文庫といった学者の蔵書・アルヒーフの踏査研究(evidence!)がある。20世紀の前半、戦間期に蓄積された知的資産をきちんと受け継ぐという「学問の王道」の観点からも、石川さんの言動はしっかり注目しておきたい。
 先の『朝日新聞』のインタヴューの場合は(記者の自粛のため?/理解をこえたため?)ちょっと知的迫力が足りないのは残念ですが。
おかげで、勉強することは次から次へ現れて、「自粛疲れ」なぞするヒマがありません! 

2020年5月3日日曜日

朝日新聞デジタル


 コロナ禍のなかで『朝日新聞デジタル』が良いことをしています。従来は内容の充実した記事に限って、最初のパラグラフだけ見せて、あとは「有料会員限定記事」として閉じていました。緊急事態宣言(4月7日)後は
「‥‥掲載している記事を原則[すべて]無料で公開する緊急対応を行いました。報道機関として、より多くの方々にいち早く正確な情報をお届けするために実施したものです。[その後、事態の長期化を見すえて]4月17日(金)16時より、新型コロナウイルス関連の情報をまとめた「新型コロナウイルス特集」ページを公開し、暮らしや健康を守るために必要な記事を無料で公開する対応に変更いたします。これに伴い、新型コロナウイルス関連以外の有料会員限定記事の無料会員への公開は終了いたします。」
というわけで、コロナウイルス関連記事に限って開放し、読み放題、ダウンロード放題です。
 そのなかには、たとえば石川健治さんのインタヴュー記事「「緊急」の魔力、法を破ってきた歴史 憲法学者の警鐘」のようなものもありました。4月17日付。
https://digital.asahi.com/articles/ASN4K3CQ3N4BUPQJ00C.html?_requesturl=articles%2FASN4K3CQ3N4BUPQJ00C.html&pn=15

 降って湧いたような全般的危機が、国民性(政治文化)をあぶり出す、というのは、わたしたちが日々、参加観察している現象です。でももっと重要なのは、全般的危機をどう克服するか/できるか、が国民のその後の運命を決める、ということです。さらにいえば、医学・衛生学・薬学・工学ばかりでなく、人文社会系の学問も、こうした全般的危機に用立てることのできる知見・学識があるはずで - 速水融さんの『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ』(藤原書店、2006)はその顕著な例でした -、この機会に自分は「専門バカ」ではない、という証をたてたいですね。(つづく)

カイロプラクティク

お変わりありませんか?
この緑かおる時候(im wunderschönen Monat Mai . . .)に、人の心を消極的にさせるパンデミックです。対策は social distancing だ、などと言われては、アル中気味になる方もいるでしょう。

ぼくはといえば、4月前半から左肩・左腕が上がらず、おかしいなと思っていたのですが、もろもろで落ち着かない日夜に、そのまま過ごしていました。複数の原稿や公務に対応すべく、督促を受けながら泡を食っていたのです。
パソコンでは右手だけでも不自由ながら入力できますので!
それが4月13日にはゴマカシがきかなくなって、左肩・左腕・左手の先まで鋭く痛み、衣服の着脱もできなくなりました。「左手を軽く添える」という動作ができなくなると、紙に文字を書くこともできません。
2015年11月の頸椎症性 神経根症のときとほとんど同じ(左右が違うだけ)。
→ http://kondohistorian.blogspot.com/2015/11/blog-post_24.html
あのときの麻布十番の針灸はとても良かったのですが、今はなく、しかたなく地域の整形外科に行って、後悔しました。レントゲンを撮ったあとは、「頸椎板ヘルニア」の理学療法とかいうことで、よく分からない電気的な刺激をうけ、首を牽引したり、痛いのに両腕を20回上下するとか、‥‥しかも周りに何人も同じような患者が同じようなことをしている!
隣の薬局経由で、帰途、歩きつづけるのさえ困難を感じつつ、もう行きたくないと思いました。
万事に意欲を失ってしまいそうなまま、痛み止めの効果で仮眠したあと、必死でウェブ検索しました。キーワードは、頸椎板、神経根症、鍼灸など。
ヒットしたうち、港カイロプラクティク(http://holistic.blue/)の説明が簡単明瞭で、院長の動画は無骨なくらい。好感をもちましたが、やや遠い。電車を乗り換えていく元気はないので、キーワードをカイロプラクティクに替えて検索すると、近隣にいくつもあるではないですか。そのうち歩いて行ける所に、深夜にインターネット予約して、明朝、返事があり、そのまま行って施術してもらいました。初回は1時間あまり時間をかけて話を聞きながら、全身に「手のわざ」(chiro-practic)を施してもらい、効果を実感しました。その後、4回施術。
お蔭さまで、今は正常心を取り戻しております。

2020年4月19日日曜日

対数グラフの不吉な動き


前から言っていますように、大きく動く数値について、少しでも長期の傾向、瞬間的な方向(あたかも放物線に現れるような変化のヴェクトル)を見通しながら比較するには、なんといっても対数グラフです。
日本の新聞でもテレビでもグラフとして示されるのはナイーヴな(小学生向け)グラフで、右端がぐっと急上昇して、「みんなで破局に向かう」みたいな印象主義です。
そうしたなかで『日経』はこれまで米ジョンズホプキンズ大学の成果を紹介するときだけ、対数グラフをそのまま見せていました。そんなに難しいことではなく、高校2年の数学、および遅塚忠躬先生の経済史の授業を受けた人なら馴染みがあるはず。
ほぼ日々更新されていますが、みなさんもどうぞ。
4月18日(日本時間)時点のチャートから一つだけ引用します。感染者数についてはテストの少ない日本の数値は少なめに現れているかもしれませんので、ここでは広汎なテストがあってもなくても fact として現れる感染死者数のグラフを見ます。「累計死者数の増加ペース」という対数グラフで、一般に新聞テレビで見なれたものとちがう印象を与えるのではないでしょうか。
死者数が全国で10名をこえてから何日たつと、どのように増加しているか。示されているのは主要国だけで、右側のめもりが 10, 100, 1000, 10000と上がっているように、各グラフ線の傾き増加のペースが一致します。薄く「2日で倍増」「3日で倍増」「1週間で倍増」と補助線が添えられています。紫のスペインや緑のイタリア、青いアメリカのような死者が万をこえて動くスケールと、下方の死者が何百のレベルで動く日本や韓国のスケールとは絶対数で比べれば、それこそ桁違いです。
でも、対数グラフは桁が違っても増減の動向(倍々ゲームの動き)を比較できるのが利点。スペインやイタリアのように死者が万をこえている国でも、じつは最近その伸びが鈍化していること;中国および韓国は増加ペースが水平に近づいて、それぞれ押さえ込みの効果を上げつつあることがクリアにわかります。
警戒すべきはアメリカ合衆国と日本です。アメリカの青い線は最近「3日で倍増」の補助線から離れて死者増が鈍化しているかもしれないが、しかしスペイン、イタリアとは違って、水平に向かうのではなく、上方へ首をもたげています。つまりトランプ大統領のハッタリとは異なる動きを示しています。
日本のオレンジ線はまだ「1週間で倍増」の補助線より下にあります。でも、空色の韓国とは違って、その線は水平に向かうのではなく上方へ首をもたげ、まもなく韓国の死者数を抜くことはほとんど明らかです。

この対数グラフの出典は → https://vdata.nikkei.com/newsgraphics/coronavirus-chart-list/ 他にもたくさん図示されています。

2020年4月16日木曜日

危機を教訓とする


危機(歴史的な岐路)は、それを生き延び、教訓をえることによって、意味が生じる、と前回に書きました。14世紀のペスト(黒死病)も、17世紀の全般的危機も、1929年の世界恐慌も、そうだったと思われます。
14世紀のペストは → 疫病者の船を一定期間隔離・遮断(Quarantine「40日」)する制度を;
17世紀の危機は → 南欧とオスマン帝国の衰弱;蘭・仏・英の競合とやがて財政軍事国家の覇権を;
1929年の恐慌は → ケインズ経済学、ニューディール、そしてソ連の覇権を;招来しました。

これらに比して1918-20年のインフルエンザは、十分には教訓化されなかったようです。
【そもそも、ぼくたちの習った学校世界史には出てこなかった! 例の『論点・西洋史学』ではいかに、と見直すと、さすが安村さんが「コロンブス交換」の項目でクロスビ、ダイヤモンド、マクニールの仕事に触れながら論じていますが、それ以外は弱いかな?】ヴェーバーが犠牲になったのは1918-19年のFlu第一波でなく、いったんは収束したかと思われた1920年、Flu第二波なのでした。気をつけましょう。

トッドが「‥‥歴史的に、誤ちが想像されるときには必ず誤ちを犯してきました。私は、人類の真の力は、誤ちを犯さない判断力よりも、誤っても生き延びる生命力なのだと考えています。」と言っていたのをもう一度想い起こしましょう。
http://kondohistorian.blogspot.com/2019/12/e.html
とにかく生き延びる生命力。これなくして教訓も意味も、なにもない。

2020年4月13日月曜日

道傳アナ

今ではアナウンサというより、NHKの解説委員でしょうか。
NHKの女子アナウンサのなかで一番知的で魅力的なかた。88年入社でまもなく(地方局周りをすることなく)夜のスポーツニュースキャスターを担当するという超エリートコース。たしかコロンビア大学院かどこかで国際政治学の修士号(1年ではなく2年の)をもっておられる。ある時点からBSに移って、落ち着いて、分析的なニュースを伝えたいと言っておられた(と新聞で読んだ)。
11日に ETV特集でブレマー、ハラリ、アタリの三人と今月上旬にインタヴューをしたものが編集のうえ放送されました。ぼくは録画で今日ようやく見たのですが、現在進行中のパンデミックについて疫学的に意味ある発言は別の番組に任せて、それぞれ国際政治、人類史、国際経済の専門家として見通せる、この危機の意味を道傳さんが上手に引き出していました。【放送前の予告では「緊急対談」とのことだったので、インタネット中継で4局をつなぎ、ありきたりの主張が繰りかえされる薄味の番組かと懸念しましたが、そんなことはない、三者が別の日に、道傳さんも十分に準備してやったインタヴューなので、内容がありました。】
ブレマーが賢明にほぼ予想できることを言って、ハラリが(イスラエル政府を批判しつつ)データ監視と民主主義の共存を、アタリが Think and live positive! と基本姿勢を訴えたのが良かった。NHK のサイトをよく探すと、16日(木)0:00(つまり深夜未明)にETVで再放送するようです。一見の価値あり。
https://www2.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2020-04-15&ch=31&eid=12588&f=20

危機は、これまでの人類史でそうだったように、それをたくましく生き延び、教訓をえることによって、意味が生じる。

2020年3月29日日曜日

『論点・西洋史学』 ミネルヴァ書房


鬱陶しいニュースが続きます。世界史に残るパンデミックの展開を同時代人として経験するとは、想像もしていませんでした。

そうした空気を一掃するような、金澤周作監修『論点・西洋史学』が到来。高さ26cmで xi+321+6 pp. のソフト装ですが、ずっしり重い大冊。https://www.minervashobo.co.jp/book/b505245.html

ミネルヴァ書房の最初は「よくわかる教科書」といったオファーにたいして、むしろ金澤さんのほうから逆提案して「「論点」だけで構成された西洋史本」を実現させたということです。編者でなく監修者ということらしいですが、とにかくそのイニシアティヴ/リーダーシップが明白で、「はじめに」も「おわりに」も気持が入って、力強い。

「おわりに」に引用されているチェスタトンによれば、望遠鏡派は「大きな物を研究して小さな世界に住み」、顕微鏡派は「小さな物を研究して大きな世界に住む」。そこで金澤さんの名言によれば、西洋史学は、どちらでもなく、「ちょうどよい論争的な多義性を持っている」(p.303)。はたまた「本書は決して、歴史の解釈には正解も優劣もない、といったようなシニカルで相対主義的な態度を推奨するものではない‥‥。むしろ、‥‥歴史ならではの、複数性と矛盾しない「真実」ににじりよっていく姿勢を善きものとして大切にします。本書で登場する競技場(アリーナ)の参加者はほとんど全員、真摯に歴史の真実を追究する求道者です。」(iii)と言い切る。 
そうした点からも、「はじめに」に続く「準備体操1 歴史学の基本」「準備体操2 史料と歴史家の偏見,言葉の力と歪み」を読んでも、学生よりまず誰より、この書を選ぶ教員たちを惹きつけるでしょう!

5人の編者たちとの会議が楽しかっただろうことは容易に想像できますが、123名もの担当執筆者とのヤリトリ・意思疎通はさぞや大変だったでしょう。

そこで本体の項目を個別的に見ると、じつは不満を覚える項目もないではありません(担当者の実力不足か、たまたま多忙すぎたか)。しかし、落ち着いて前後の項目をひっくり返し、相互参照しながら読むと、なにが問題なのかが浮き彫りにされてくる、という構造になっています。そうした点でも、積極的な学生たちには取り組み甲斐のある(active learning! の)教材と言えそうです。
たとえば、歴史記述起源論から中世史・近世史における国家論、そして19世紀の諸国民史から「帝国論」まですべて通読したうえで、「凸凹先生の項目は、少しくすんでいませんか」「△○先生って、短くてもシャープに表現できるすごい方ですね」とか議論するような学生が(院生が?)現れたら、すばらしい。

カバーデザインも、論点のある絵(1529年の表象)で、これだけでも1時限たっぷり討論できますね。
執筆者の半分くらい(?)はよく知っている方、半分くらいは知らない方々ですが、読んでいてぼくも元気になります。
ありがとうございました。

2020年3月26日木曜日

対数めもり


大きな変化の意味を考える、長期の傾向を比較する、さらに今後を予測するには、中学校や新聞で見なれた普通のグラフではなく、(半)対数めもりのグラフを使わなくちゃダメ、とは遅塚忠躬先生が口を酸っぱくしながら強調なさっていたことです。今回のようなパンデミックではまさしくそのとおりです。
感染者が何千人に達した、日に何十人増えた、といった実数は、疫学的にあまり意味はない。むしろ一定期間に感染者が何倍に増えたか、死者が何倍になったかという相対的な動向が問題なので、そのためにこそぼくたちは高2で対数を習ったのですよね。
さすが Johns Hopkins University の公開しているグラフはこのとおり、イタリア・スペイン・フランス・合衆国の増加傾向(勢い)の比較と警告に有効です。

『イギリス史10講』pp.150-151で、人口動態小麦価格のグラフを見ていただいたときも対数めもりだからこそ見える傾向を議論しました。もしそうでなければ、グラフの右端で断崖のような(蛇が鎌首をもたげているような)棒線が林立して、すごい急上昇してますね、といった印象主義より以上のことは語れない。変動を分析するには、対数めもりでないと幻惑(眩惑)されるのです。
環境問題・気候変動についても。じつはこのようなグラフの右端の hook(最近年の気温/炭酸ガスの急上昇)をどう解釈するかという問題があるようです。対数めもりで冷静に議論すべき論点です。

2020年3月22日日曜日

テレワークって


変な造語です。Work at home とか remote work とかなら、アリだと思いますが。

Covid-19 は、驚くべき急展開ですね。ダイアモンドプリンセス号が2月3日夜に横浜港に停泊した時点では、これほど世界中に急速に広まる pandemic の兆しとは予想されなかったし、なにより「不安だからといってむやみに病院に行き、検査を要求するのは無意味というより有害だ」という疫学専門家の意見が、まだ責任逃れのように聞こえたものです。
個々人の不安・恐怖の観点で考えるか、感染症の流行に社会的に対処する実践的な観点との違いがよく分かりました。前にも言及した、東北大学・押谷 仁教授が一般向けのインタヴューに答えた、よくわかる解説があります。
https://news.yahoo.co.jp/feature/1582
英国政府の公衆向け簡便版は、こちらです↓
https://assets.publishing.service.gov.uk/government/uploads/system/uploads/attachment_data/file/874281/COVID-19_easy_read.pdf

要するに、換気の悪い屋内に密集し、ハグしたりキスしたり、カンガクの議論をしたあげく、二次会は立食でおいしいものを飲み食いして、口角アワを飛ばして談論風発、といったことをしない、という理解でよいのでしょうか。じつは今月20日~22日の二泊三日で合宿研究会の予定でしたが、3週間前に慌てて(しかしメール討議の合理的な結論として)延期となりました。JSPS側も理性的に研究費の繰り越しを認めてくれたようです。そのときは、6月なら大丈夫、という見込みだったのですが、本当のパンデミックになってしまって、それさえ危ういのかもしれません。
この年度替わりに在外研究から帰国する人、逆に4月から出かけるべく(何年も前から)楽しみに予定していた人、本当に災難ですね。2010年4月にはアイスランドの火山噴火で、北極圏経由で英国に向かう飛行機がキャンセルされ、孤独な疎外感を味わいました。 →  http://kondohistorian.blogspot.com/2010/04/heathrow.html
http://kondohistorian.blogspot.com/2010/04/still-stranded.html
そのときとは違って、今回はグローバルな事案なので、個々人の難儀というより、文明的な問題を共有する、といった情況でしょうか。

イギリスの大学では、オクスフォードの友人からのメールによると、こうです。
They are all learning how to do online teaching. One of my friends has his first online classes, five hours of teaching, today. Things have been very frantic for them. [They/them とは大学の教員たち]
でも、退職したご本人には、
It is unusually quiet, because everything is closed or cancelled. Still, there is plenty I can do, and spring is coming, so it will become more pleasant to be out in the garden(!)

ぼくの場合は花粉症もあるし、庭いじりするほどの土はないので、春を楽しむという気分ではありません。ただ、共同住宅の中庭のソメイヨシノがほぼ満開で、夜は、こんなぐあい。
ちょっと、ほっとします。

2020年3月10日火曜日

確定申告の期限


毎年、この時期は(春の休業期の原稿執筆に加えて)年度末の諸事と確定申告とが重なり、(去年はブダペシュト行きの直前でもあり)ドタバタすると同時に、なにごとも早めに取りかかればこうならない‥‥、といった反省しきりなのです。今年もあいかわらず、可能なかぎり先延ばしにしていた確定申告。
15日期限、といっても日曜日。どうなるんだ? もはや猶予なし、とすがる思いで、ウェブのお知恵拝借と検索していたら、なんと国税庁(NTA)から、こんなお知らせがあったのですね!
https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/shinkoku/kansensho/kigenencho.htm
 「今般、政府の方針を踏まえ、新型コロナウイルス感染症の拡大防止の観点から、申告所得税(及び復興特別所得税)、贈与税及び個人事業者の消費税(及び地方消費税)の申告期限・納付期限について、令和2年4月16日(木)まで延長することといたしました。」 
なんたる朗報!
民間のサイトには、「確定申告会場で相談される方に高齢者が多いために配慮がされたと思います」とか、したためられています! 
 https://manetatsu.com/2020/03/241946/ (マネーの達人)
 https://www.sumoviva.jp/feature/feature_458.html (スモールビズ)

業界で「働く高齢者」とか「ライターさん」とかいう範疇に、ぼくは入っているのでしょうか。でも、単純に期限延長でぬか喜びしてはいけない。来年度の etc, etc.にも影響するのだから、ここは早め早めに、とどのサイトも助言してくださっています。ありがとうございます。

2020年3月6日金曜日

神保町を歩く


コロナウィルス19とスギ花粉の時候がら、「不要不急の外出」は控えていますが、緊急必要のタスクがあれば、それなりの防備をした上で出かけざるをえません。大学にも、量販店にも。しかし一番良いものはやはり神田神保町の古書店街に、ということで、火曜・木曜には久方ぶりに出かけました。

靖国通りに面した2つの老舗店で良い買い物ができました。
 崇文荘書店は(坂巻助手、岡本先輩に教えられ)社会経済史も充実して、70年代にはお世話になったものです。書店側でも本の価値がよく分かっていて「ちょっと高め」の価格設定でしたね。今はどうかな。「日本の古本屋」kosho.or.jp というウェブぺージがあって、読者は歩き回らなくても相場がわかる(今では海外の古書店に注文するのも手軽にできる)ということもあり、それなりにリーズナブルな価格設定でなければ、売れません。

田村書店は、仏文の田村先生と関係あるのかないのか知りませんが、フランス文学や古典学に強い店。2階へ上がる階段にも古書が一杯で、階段幅は半分に狭まっている! そういうこともあって、これまでこの書店の2階に上がった覚えがない。今回は「日本の古本屋」で2巻本のラテン語辞典がかなり安く出ていたので、問い合わせたら、まだ在庫、というので飛んで行きました。ご主人とちょっとお話しできたし、なにより1階の和書は、今でも勉強家の学生にとって魅力的な掘り出し場です。

上の両店ではなく、別の古書店の前の歩道で、ちょうど荷車から降ろしているのを見かけたら、なんと西洋近世近代史の(ぼくの蔵書の一部、といっても通る)良い本ばかり複数の山を造っている! 思わず蔵書印かなにか手がかりをと思って手にとろうとしたら、「ダメです、店の中のものだけにしてください」と厳命されてしまった! 

春の晴れた午後。まだ日本の書籍市場も捨てたものではない、という気持にさせてもらいました。
(とはいえ、駿河台下交差点付近では、小川町ですが、昔むかしのエスワイルという洋菓子店も、またKKR・気象庁方面へ向かう千代田通りの左手・地下にあった鰻の店も、なくなっています。どちらも最初は柴田先生に連れて行ってもらった店。ずっとご無沙汰していたぼくもいけないのだが、悲しい。)

2020年3月2日月曜日

「東アジアとイタリア」から来る人


新型コロナ感染症をどう制御するか/できるか、という観点から、よくわかる説明をしてくれているのが、大阪大学の専門家お二人で、もしまだなら是非、お読みください。自分が感染するかどうかより、もっと大きな目で警戒すべきことがある。ということはパンデミックにさえならなければ、身の回りに1人や2人の患者が出てもパニクる必要はない、冷静に構えるべし、ということでもありますね。
https://gooday.nikkei.co.jp/atcl/report/14/091100031/022600659/

当方もいろいろ情報を集めたり、研究会予定について考えたりしているうちに、ケインブリッジのクレアホール学寮から、こんなメールが到来しました。

The rapid spread of coronavirus into Europe as well as East Asia raises questions about policy on offering apartments and guestrooms to Visiting Fellows or Life Members who come from infected areas. We will for the time being, not offer accommodation to Visiting Fellows or Life Members who come from high risk areas (as defined by Public Health England, Categories 1 and 2[1]).
(つまりぼくたち日本から来訪するメンバーは中韓伊からの方たちと同じで、学寮宿泊を当面は謝絶いたします、という通知です。)
(ちょっと微妙なこの方針について若干の正当性(理屈)は必要と考えるんでしょう。このように言います。↓)
In part this is to protect the college from a possible source of infection, but equally it is to protect the visitor from the problems which they would face in the event that they had to be quarantined within college.
We have therefore instituted a practice of asking those who wish to book guestrooms whether they are travelling from an infected area, and if they are, to refuse the booking with apologies.

で、その英国政府の定めたカテゴリー1と2なるぺージを見ますと、↓こんな具合。
https://www.gov.uk/government/publications/covid-19-specified-countries-and-areas/covid-19-specified-countries-and-areas-with-implications-for-returning-travellers-or-visitors-arriving-in-the-uk

2020年2月22日土曜日

水際作戦からパンデミックへ


いま中国、日本だけでなく、韓国、その他においても「市中感染」の段階に進んでしまった新型コロナウィルス(WHO の正式名称は COVID-19)ですが、これについてぼくは疫学もその歴史も知りませんから、特別なことは指摘できない。また不安やパニックを煽ったりしたくありません【当面、12日から個人的には花粉症で苦しみ始めました!】。ただ二つほどのことは言えます。

¶1.NHKテレビにもしばしば登場される賀来 満夫 教授(東北医科薬科大)がすでに2月前半には指摘なさっていたとおり、政府も医療チームもできること分かっていることはやっている、ただしこれは SARS や MERS と違って「はじめに劇症が出ない感染症だから、やっかいだ」ということです。つまり COVID-19のキャリアでありながら(とくに若くて元気な人は)ほとんど軽症で、肺炎の症状は出ない。だから普通の生活を送りながらウィルスを拡散しているかもしれない。糖尿病や循環器に疾患をもつ人、そして高齢者が罹患すると重症化してニュースになるが、その周囲にもっと多くの(軽症の)感染者がウィルスを拡げてゆく可能性を警戒すべきだ、とおっしゃっていました。事態はそのとおりに展開しています。【3月6日加筆:同じく東北大学の押谷 仁 教授が、大学のぺージでよく分かるように説明してくださっています。 → https://www.med.tohoku.ac.jp/feature/pages/topics_217.html
WHO はもう少し早めに、この病気の世界的な拡がりの脅威を警告すべきでした。そうすることによって、各国政府に早めで真剣な取組をうながすことになったでしょう。

¶2.もう一つの問題は、横浜港に停泊している Diamond Princess 号の国際法的な位置と船長の指揮権です。(日本政府は、船内の感染者数を日本国内の症例とは別にカウントしています!)
・外国籍の船が、感染症とともに、3700人もの多国籍・多言語の人々を乗せて寄港してしまった場合(しかも、入国手続は全員未履行)に、どうすべきかというノウハウはなかった。だから日本政府は毅然たる/明快な方針を立てなかったということでしょうか。官僚主義的で、どこか真剣さが足りないような気がしました。
・それにしても、船のなかのとりわけ緊急の問題は、船長(とそのスタッフ)に権限・リーダーシップがあるはずですが、今回の事態からはそれがさっぱり見えてこない。乗客にたいするコミュニケーション、乗員従業員にたいする指示・指導‥‥大きな問題を残しました。
グロティウスから大沼保昭、金澤周作にいたる賢者も即答できない、歴史的で急を要する事態が発生したわけです。そうした認識が1月の時点では(だれにも?)不足していた。
「水際作戦」とか quarantine (昔は40日!今は14日)といった、近世・近代的な対策では、スペイン風邪(WWI 直後のインフルエンザ pandemic)以後の現代的感染症 - しかも、はじめは劇症でなくソフトに始まる新型感染症 - には対処できない。これに英語発信の立ち後れという「日本的」問題も加わって(Ghosn 事案の場合と同じ)、この2020年は疫病史だけでなく、世界史に刻みこまれる年になりそうです。

‥‥これによって、付随的に、2020年真夏のオリンピック強行という愚行が、なんとか延期・修正されるかな?

2020年2月11日火曜日

川島昭夫さん(1950-2020)

 川島さんが2月2日に亡くなったと、先ほど知らされました。69歳。

 1950年生まれ、あるいは1969年の京都大学入学者には人も知る逸材が多くて、(西洋史にかぎらず)あの人も、この人も、という情況でした、今でもそうです。ぼくが川島さんを意識したのは(誰から聞いたのでしたか)越智武臣先生のもとにすごい逸材がいる、ということでした。17世紀あたりの科学史やものの歴史、近代のantiquarianism といった変なこともやってる自由人!
 たしか父上は『西日本新聞』の記者で、そうした点でも、かつて『朝日新聞』九州本社に勤務した越智先生と話が通じやすかったのでしょうか。広く自由な興味関心のままに、京都の教員生活を楽しまれたのかな。いつだかの年賀状には、俳句をひねることもある、と記されていました。
 20年以上前のなにかの学会で、「こんなアホな報告、聞いていられない」と途中で廊下へ出たら、すでに廊下に退出していた川島さんと目が合って、あはは、となったこともありました。ぼくの「自由の度合い」は川島さんのそれに一歩出遅れている、ということかな。
 いまさらの恨み言をひとつしたためると、『岩波講座 世界歴史』16巻〈主権国家と啓蒙〉に執筆してくれるはずだったのに、どれだけ待っても原稿を出してくれず、1999年夏、ぼくがオクスフォードに滞在して自分の原稿の仕上げにアタフタしているうちに、岩波書店がこれ以上は待てないとのことで(当時はファクスおよび紙媒体の郵便のヤリトリでした)、結局見切り発車となってしまいました。そのときの「月報」には、正誤表のあとに、
 「本巻掲載予定の‥‥「森林と法慣習」(川島昭夫)は、都合により収載できませんでした。読者の皆様に深くお詫び申し上げます」
と記されています。
 その翌年の Anglo-Japanese Conference of Historians (IHR, 28 Sep.2000) ではオブライエン司会で
 British colonial botanic gardens and Edinburgh
という報告をなさいました。Respondent はキャナダインでした。
 谷川・川島・南・金澤(編著)『越境する歴史家たちへ』(ミネルヴァ書房、2019年6月)には寄稿されていません。
 最後にお会いしたのは京大の構内で、あわただしく挨拶しただけでした。川島さんが65歳で定年退職なさった直後ですから、4年前でしたか。ぼくも彼もそれぞれの研究会合に向かう途上で、こんなに急いで別れて良いのだろうか、とそのときも心残りでした。

 ご冥福をお祈りします。

2020年2月5日水曜日

ピート市長!


アイオワ州の民主党コーカスで、途中経過ながら、まさかの38歳 Pete Buttigieg が第1位!
政治手腕は未知数ですが、若さと落ち着きの好青年、democratic capitalism を支持する、カトリック≒アングリカンというので、案外これから他州でも支持を拡げるかも。Gay であると公言したうえでの出馬ですから、今後は右翼からの攻撃・揶揄はすごいでしょう(警備はしっかりやってほしい)。

長い大統領選挙キャンペーンで、ぼくが考える第1の基準は「トランプに勝てるか」です。サンダーズやウォレンがどれだけ正しいことを主張しても、最終的に全国で勝てない選挙戦をつづけるのは、トランプ再選に手を貸すことになる。今のアメリカ合衆国で50%以上の有権者を獲得できる、かつ理性的な政策・政治姿勢はなにか、という観点から考えるべきです。
想うに、16世紀フランスの血で血をあらった宗教戦争(36年間におよんだ)の最後に出現したポリティーク派(正しい信仰かどうかよりも、公共善/国家の存立を優先した人文主義者たち)の選択を、いまも実際的で賢明だと思います。「パリはミサに値する」。プロテスタントのナヴァル王アンリは、みずからの信仰を曲げてまで、内戦の終結、フランス王国の安泰、各信教の自由を優先しました。近世フランス、ブルボン朝の繁栄の始まりです。

ところで CNN も言うとおり、
  But while Buttigieg will struggle with building national name recognition,
  voters will likely struggle with pronouncing his name.
マルタ系の氏名らしいですが、日本のマスコミの「ブティジェッジ」という表記には無理がある。ゲルマン風には「ブティギーク」となりますが、これでは硬い。最初の音節 Butt に強勢をおいて、後半の -gieg をどう流すか、がポイントですね。弱く「ジッジ」ないし曖昧母音で「ジャッジ」かな。
https://edition.cnn.com/2019/01/23/politics/how-to-pronounce-pete-buttigieg/index.html
↑ こんなサイトがあります。すでに1年前にCNNの質問に答えて本人が「ブティジッジ」(後半は弱く曖昧)と発音しています。でも笑って「ピート」でいいんだよ、とのこと。

2020年2月3日月曜日

『みすず』 読書アンケート


 例年どおり、2月の始めに『みすず』の1・2月合併号(no.689)が到来。みすず書房から計134名の方々にたいして依頼した「2019年読書アンケート」の特集、読み始めると止まらなくなるのが欠点です!
 新刊本に限らず、また日本語の本に限らず、しかも長さは約*字とかいったゆるい制限で、読書によせて考えたことを自由に書いてよいことになっています。書き手として年末年始のちょうどよい節目でもあり、読み手としても、あぁ、あの人はまだ元気だとか、そうかこんな本があったのかとか。とても有意義なフォーラムだと思います。あきらかに1年前の『みすず』当該号を意識した発言もあったりして。
 原稿の到着した順に(あいうえおも、世代も専門もなく)そのまま組んでいる - でなければ暮から正月三が日の編集者が過労死してしまう!- のですが、加藤尚武さんに始まり、杉山光信さんが最後を締める構成のうち、ぼくはビリから11番目。
 ぼくの場合、論及したのは、
・歴史学研究会編『天皇はいかに受け継がれたか - 天皇の身体と皇位継承』績文堂、2019 
・尾高朝雄『国民主権と天皇制』講談社学術文庫、2019(初版は1947年)
・清水靖久『丸山真男と戦後民主主義』北海道大学出版会、2019
  → この本についてはすでに https://kondohistorian.blogspot.com/2020/01/blog-post_8.html でも述べました。
・山﨑耕一『フランス革命 - 共和国の誕生』刀水書房、2018
・Takashi Okamoto (ed.), A World History of Suzerainty: A Modern History of East and West Asia and Translated Concepts. Toyo Bunko, 2019

 それぞれ各々読まれるべき良書だと思いますが、一応、ぼくの側のストーリとしては、君主制ないし主権ないし国のかたちという問題; 
人としては丸山真男(を相対化する尾高朝雄、清水靖久、柴田三千雄、岡本隆司‥‥)で筋を通してみたつもりです。
 わずかながら、上村忠男、山口二郎、草光俊雄、苅部直、川本隆史、増田聡、喜安朗、市村弘正、キャロル・グラック、そして杉山光信といった方々の文章に(全面的にではないが一部分、強く)響くものを感じ、教えられる所がありました。
 なぜか説明なしのカタカナで暗号のように刻まれた言葉もありました。グラックさんの場合、記憶の palimpsest(前の字句を書き直した羊皮紙≒目の当たりにされた多重構造)のことですし(p.105);杉山さんの場合は jusqu'au-boutiste すなわち68年末・69年初の徹底抗戦派のことですね(p.110)。ぼくは、こんなことをしたためたことがあります。 → https://kondohistorian.blogspot.com/2019/09/blog-post_22.html
 なおまた patria/patriotism の問題が少なからぬ方々の心をとらえていることも知れました。将基面貴巳『愛国の構造』(岩波書店)に触れる方々が少なくありません。ジャコバン主義、共和政治、共同体運動を考えるときに、避けて通れない問題ですね。

2020年2月2日日曜日

つらい別れのときに エリオット

 ついに1月31日(日本時間では2月1日)連合王国(UK)はヨーロッパ連合(EU)から離脱。その最後のヨーロッパ議会で Auld Lang Syne (蛍の光)が合唱されたことは日本のメディアでも伝えられましたが、その前に EU 委員長≒大統領の von der Leyen (写真の手前左の女性)が、優しく(あるいは respectable な教養人としては当然の礼儀として)次のような詩を朗読したことは、日本で伝えられたのでしょうか? 女性作家ジョージ・エリオットの詩ですが、
   "Only in the agony of parting, do we look into the depths of love.
   We will always love you, and we will never be far."
  「つらい別れのときに、ようやくわたしたちは愛の深さ[複数形! あれこれの強烈な想い出!]を見つめる。
   これからもずっとあなたを愛しています。遠い所に行ってしまうわけではないので。」

 しかもこれに加えて、United in diversity といった青いバナー(横幕)が掲げられては、もぅ感涙するしかないじゃありませんか。

 こうした優しい配慮と友情にたいして、感謝を知らないウツケ者ファラージ(Brexit党)は、
1534年に我々はローマ教会から抜けて自由になった[首長法のこと]。いま我々はローマ条約[1957年の条約によるEEC結成]から自由になるのだ」

などと公言して悦に入っている。ローマカトリック信徒への差別、みずから国家主権の亡者であることを包み隠さぬポピュリストです。

 【ちなみにポピュリスト・ポピュリズムをマスコミは大衆迎合主義(者)と訳していますが、これは不十分です。大衆に迎合するようなこと[フェイクも含む]を言って扇情的に政治権力を執ろう[維持しよう]とする政治手法ですし、そういう政治家です。「デマゴーグ」と昔は呼んでいました。ファラージもジョンソンも、トランプもヒトラーも。大衆受けを狙うだけなら、そう悪いことじゃない。芸能人は(かつてのトランプも)それが商売です。しかし、デマゴーグの扇情的=分断的=反知性的手法でポリティックスをやられては、地獄か煉獄です。ナチス政権は、12年間続きましたね。】

2020年1月26日日曜日

大相撲・取組編成の不始末


 大相撲は14日目を終えて、なんと幕尻(前頭17枚目)の徳勝龍が1敗で単独首位。千秋楽の貴景勝戦で万が一にも勝てばそのまま優勝、負けても正代が2敗のままなら優勝決定戦、正代が負けて3敗ならば、13勝2敗で徳勝龍の優勝となります。
 これをおもしろいと考えるか、取組編成会議の不始末と考えるか。あきらかに後者です。タカをくくっていたに違いないが、下位の取り組みばかりでまさかの連勝を続け、これは想定外と、ようやく12日目から豊山、正代と成績の良い実力者と当ててみたが、こと遅し。
 今日14日目に、徳勝龍は正代に勝ったけれど、この3日ほどの勝ち方はウンの御蔭といった様で、おもしろくない。たまにそういうことがあってもよいが、それで優勝してよいのか、という問題です。
 負けた正代のほうは、前頭4枚目という位置もあるので、高安栃ノ心豪栄道貴景勝といった元・現大関と当たり、また炎鵬北勝富士朝乃山松鳳山阿炎といった好調の力士と取り組んだうえでの成績(2敗)ですから、立派なものです。(徳勝龍は、こうした実力者とほとんど当たっていないのです! 11日目までは弱いのとばかり当たって勝ちを重ねていた。)
 いかに横綱、大関が不調の場所だからといって、幕尻の力士が強豪と当たることなく千秋楽にようやく大関と組んで、優勝が決まる、というのは、だれがみても取組編成会議の不見識、見通しが甘かったということでしょう。
 平幕力士が奮闘して幕内優勝することは嘆かわしくはない、慶賀すべきことでしょう。しかし、強い力士に連勝することなくマグレで優勝賜杯を抱く、というのは、なにより取組編成会議が恥ずべきことです。

2020年1月18日土曜日

生と死


 いただく寒中見舞いではじめて知己の死を知ることも少なくありません。厳粛な気持になります。
 まだお元気であっても「"生涯の残余"を通過中」というある方は、ぼくより13歳年長でしょうか、「死に逝く者にも矜恃があるとして、それはいつまで保てるものか」「もう少し勉強してみよう」と記しておられます。
 こんなポストカードに印字されていました。
 Anthony Sedley 1649 Prisoner
 セドリはレヴェラーの一人ということですが、不覚にも知らず、ODNB を引いても項目がありません。ウェブのなかで検索すると、オクスフォードの Burford Church 教区教会の関連で、1649年のレヴェラー指導者の処刑にかかわる逸話と写真がいくつかあるのでした。(「なんにも知らないんだなぁ」とまた言われそう。)

2020年1月16日木曜日

Ireland, Tony Benn & birds

 blog 管理者としてうかつでしたが、12月17日に Brexit とアイルランド島について1月8日に労働党 Tony Benn についてのコメント発言があったのに、気づかぬままに未公開状態で過ごしていました。さっそく読めるように公開しました。それぞれ示唆的に再考をうながすコメントと受けとめました。
 このところ、イギリス政治について、Prince Harry, Duke of Sussex について(日本の天皇家との違い)、ゴーンと日本の司法・プレスについて、など色々考えさせられるイシューが続きます。ところが、こちらも期限付きの本務としてやらねばならぬことが続きますので、ウェブ発言もままならず、という事情です。

 そうした忙中にも閑あり、小鳥たちが毎朝、挨拶に来てくれます。

2020年1月8日水曜日

『丸山真男と戦後民主主義』

 昨年には読んで良かったなという本がいくつもありましたが、清水靖久『丸山真男と戦後民主主義』(北海道大学出版会、2019)もその1冊。
このたび、恒例の『みすず読書アンケートへの原稿をまとめるにあたり、これを再読しました。【近年は丸山眞男という表記が一般化しましたが、ぼくたちの世代には、丸山真男という表記の方が馴染むのです。1965年、高校3年のとき『朝日新聞』の文化欄で、最近の学界を展望して注目すべき学者たちというコラムがありました。そのときもそうでしたし、以来、大学に入って『日本の思想』でも『現代政治の思想と行動』増補版でも、眞男でなく真男でした。清水さんも1950年代終わり~80年代の実際・慣行に従い、丸山真男と表記します。】
 その後、勉強が進むにつれて、丸山真男は強烈な存在感のある、ちょっと距離を保ちたい人と感じつつも、しかし読むに値する人であり続けました。1996年夏につづいた大塚久雄の告別式には行きませんでしたが、丸山真男の告別式には参りました。
 人格的に100%好きになれなくても、100%学ぶべき人はいる、というのがぼくの人生後半の知恵です。極端な例をあげれば、マルクスは嫌いだし、もし友人・隣人としたら厄介このうえないヤツでしょう。しかし、彼の書き残したものは再読三読に値するのです。

 著者・清水さんは「‥‥丸山真男と戦後民主主義について未解明のことを明らかにし、その思想を継承したい、ただ批判的に継承したい」(p.318)という立場で、東京女子大の「丸山文庫」や「東大闘争資料集」DVDに収められた手記やビラなどにも分け入り、関係者を捜し出して面談し、誠実に緻密に腑に落ちる解釈を呈示します。その姿勢は爽快で、敬服します。
 ただし、本書のうち唯一、1968年12月23日の「法学部研究室」(という固有名詞の研究棟、正門脇)の封鎖について、翌24日、毎日新聞に載った
軍国主義者もしなかった。ナチもしなかった。そんな暴挙だ」(本書では p.182 に写真)
とされる丸山発言の真偽については、まだ納得できません。
その場にぼくも居なかったので、報道や人々の証言に依拠するしかないのですが、「ナチ」と明記したニュース源、一次証言は結局のところ毎日新聞しかありません(他はその拡散か、「ファシズム」「ファシスト」です)。
 一昨年秋の和田英二『東大闘争 50年目のメモランダム:安田講堂、裁判、そして丸山眞男』でも、この点が第Ⅱ部のテーマでした。
 なんと清水さんは2008年にその毎日新聞の担当記者に尋ねあたり、「ただ聞いたままを記事にした」「山上会議所の電話で本社に送稿した」という証言をえたということです(p.185)。ご努力には頭が下がりますが、これで証拠は十分といえるのでしょうか。
 申し訳ないが、40年経過して自分の行為を正当化した記者は、ナチスとファシストの違いが問題だと認識していたのでしょうか。たしかに自分で了解した言説を(法学部から山上会議所・現山上会館まで移動するのに急いでも数分以上かかり反芻する時間があります)整理して、電話でデスクに伝えたのでしょう。オーラル・ヒストリの方法論にかかわりますが、記憶が正しいとして、彼の頭脳を経由した記憶ではないでしょうか。

 これに加えて、清水さんは「ナチは‥‥ユダヤ人教授や反ナチ教授が早く追放されたので、研究室を封鎖する必要もなかったということだろう」(p.186)と述べられます。これは矮小化に近づいています。さらにまた「「ファシストもやらなかった」(佐々木武回顧)と言っても、「軍国主義者もしなかった。ナチもしなかった」(毎日新聞)と言っても、ほとんど違いはなかった」(p.187)とまで述べられます。
 これは西洋史をやっている者には、そして丸山を政治学者・思想史学者と考える者には、かなり抵抗を覚える箇所です。
焚書やマルク・ブロック銃殺やベンヤミン自殺を例に挙げるまでもなく、問題は学問や知性の圧殺です。そうしたナチスさえ東大の「法学部研究室」の封鎖まではしなかったと、もし本当に丸山が言ったのなら、おそろしく錯乱していたことになります。当時も今も、ちょっと信じがたいことです。

 とここまで書いて、今日、清水さんご本人から私信をいただきました。「ナチもしなかったと言った」という(毎日新聞とは別の)たしかな私的証言があるとのことです。そうだとすると、ぼくの疑念も、和田の論証も覆されることになります!

 1968年11月から12月にかけての丸山の言動、林団交にたいするシュプレヒコールやナチス報道に接したぼくたち(文スト実)は、今だったら「ウソーッ」「マジか」といった感覚でした。 林団交にたいする坂本・丸山両教授たちのデモンストレーションの際に、当時社会学の院生だった杉山光信さんは図書館前にいらしたようですが、「正直のところ違和感がないわけではなかった」と記しています(『丸山眞男集』16巻月報)。丸山月報への寄稿文なので、抑制された表現ですが、たしかに多くの学部生・院生が共有した違和感だと思います。
 1968年、ぼくたちサンキュロット学生とアリストクラート教授陣の間のズレ・隔絶が、6月の機動隊導入 → 無期限ストライキを招き、秋から以降の丸山真男を錯乱させた、ということなのか。【ついでに言うと、柴田三千雄『バブーフの陰謀』(岩波書店、1968)は1月刊行で、『朝日新聞』にも紹介が載ったし、すぐに増刷されて、フランス革命の後半局面についての重要で分析的な仕事ということは知れていたと思われますが、『丸山眞男集』全16巻にも、『自己内対話』にも柴田についての言及はないようです。ジャコバン主義とサンキュロット運動、というフレームワークは丸山の頭にはなかったのでしょうか?】
 (なお、67年2月の法学部学部長選挙で丸山が当選した後、医師の診断書を提出してこれを辞し、3月に再選挙の結果、辻清明が当選したという事情がありました。辻は同期の助手、丸山は24年前に「国民主義理論の形成」稿を新宿駅で彼に託して出征したのでした。法学部長職を旧友辻に押しつけることになったことが仁義の負い目となり、以後の丸山の言動に抑制がかかったというか、不自然が生じた、というのが当時の -事情を知る人たちの- 憶測でした。

 なおさらに究明すべきことが示されている、という意味も含めて、とにかくこの書は丸山真男論として、これまでぼくが接したうち、一番啓発的で、説得力のある力作です。有り難うございました。

2020年1月5日日曜日

謹 賀 新 年

 新しい年をいかがお迎えでしょうか。

 旧年は、おかげさまで身辺にあまり大きな変化もなく過ぎました。それでも沖縄で首里城などぐすくを歩き(10月末の炎上には驚き悲しみました)、ブダペシュトやブラティスラヴァ、対馬、青森、水戸に遊びました。それぞれ良き先達のおかげで印象深い経験となりました。なにより古くからの師友に再会し、またいくつもの研究集会で報告者やコメンテータをつとめ、討論に参与できる機会が続いたのは、嬉しいことでした。

 華麗ならぬ加齢のすすむにつれ、折々の交わりがいとおしく、このブログに所感をしたためています。

 今年も どうかご健勝にお過ごしください。

 2020年正月                近藤 和彦

(写真[クリックすると拡大]は晴れて寒い今日、晴海大橋から遠望した豊洲の海辺です。
 正面にやや低く4・5層で横に広がるのが「ららぽーと」で、その真ん中に波止場の跳ね橋が見えます。
 豊洲の新市場は、画面の右端「ゆりかもめ」の軌道を右手前に延伸した先にあります。)

2020年1月2日木曜日

Ghosn's gone!


 大晦日の年賀状作成作業が佳境に入っているときに飛び込んできたのが、Ghosn's gone! という速報。アクション映画かなにかで見たような、あるいはフランス革命の重要局面に似ていなくもない逃亡劇です。(日本の当局もマスコミも、年末年始で、この突発事件にすみやかに対応できないまま!)
 この事件を考えるさいに2つのイシューがあり、混同することはできません。

1.日本の司法における人権無視。
 これはぼくたちが学生のころからまったく変わっていません。日本(や東アジア、また他の中進国で)の刑事訴訟法では(疑わしきは無罪、とは大学の授業でのみ唱えられるお題目で)、逮捕時点から被告・容疑者は有罪を想定されていて、しかも実際の運用で、有罪と自白するまで、執拗な取り調べがつづき、釈放されず、外の人々との接触も制限される。【「証拠隠滅のおそれ」という口実で、じつは非日常の空間に長期間拘束された】本人がよほどの忍耐心と自尊心をもちあわせていないと、「楽になりたいばかりに」、真実とずいぶんズレても「自白」とされる検事の用意した調書(彼の構築したストーリ)の最後に署名捺印して釈放される、ということがどれだけ繰りかえされてきたことか。あいつぐ冤罪事件は、ほとんどこれでしょう。「冤罪」ほどでなくとも、正確には違うのだけれど、もぅ疲れた、もぅ終わりにしたい、というケースがどんなに多いか!
 もと厚労事務次官・村木厚子さんのたたかいを、みなさん覚えているでしょう。
 人権の国フランスで教育されたカルロス・ゴーンおよびその周囲の人々は、これを耐えがたい人権侵害と受けとめて、それには屈しなかった。たいする日本の司法官僚たちは、「法治国家日本」のメンツをかけても、現行刑事訴訟法にもとづく作法と手続を駆使して、「外圧」なにするものぞ、と挑んだのでしょう。
 こうした日本の「近代的」文化にもとづく刑事訴訟法(とその実際)にたいする異議申し立てに、ぼくは賛成です。この点にかぎり、ゴーンおよびその弁護団を支持していました。

2.それと今回の逃亡劇とは、まったく別問題です。
 あのソクラテスにとっても、悪法といえども法は法。手続上はそれにしたがい、有能な弁護士と全面的に協力して戦略戦術をたて、具体的に論駁し、たたかうべきだった。ましてやソクラテスの場合とは違って死罪ではなく、経済犯容疑で時間的猶予はあったのだから、何年かけてもたたかって人権のチャンピオンになることすら可能だった。【随伴的に、日本の刑事訴訟法の改正に向かう道が切り開かれるかもしれなかった!】
 それなのに逃亡しては、しかも妻の進言か手引により、クリスマス音楽会を催して大きな楽器ケースに紛れて(?)家を出たうえ、パスポート偽造か偽名を使って日本を出国し、トルコ経由でベイルートへという茶番! (フランス・パスポートは2通目をもっていた!)Extradition treaty (これぞ今、香港でたたかわれている問題!) のないレバノンで、日産と日本の司法の非を鳴らしつつ、これから一生過ごすおつもりですか?
 下手なアクション映画にありそうな筋立てですが、こうした偽装逃亡劇をやってしまうと、日本の世論も欧米の世論も急転直下、ゴーンの人格・品位を疑い、支持しなくなるでしょう。弁護チームもお手上げです。ご本人のベイルートからのメッセージは、このとおり ↓
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO54000320R31C19A2I00000/?n_cid=DSREA001
「わたしは裁き・正義(la justice)から逃れたのではなく、不正・権利侵害(injustice)と政治的迫害から自由になったのだ」という主張ですが、これは通りません。たしかに Wall Street Journal だけは
It would have been better had he cleared his name in court, but then it isn’t clear that he could have received a fair trial.
と仮定法で擁護しています。clear のあとの that は if と読み替えたいところ(https://www.wsj.com/articles/the-carlos-ghosn-experience-11577826902?mod=cx_picks)。辣腕投資家・経営者の味方・WSJ らしい論法で、歴史的に考えない無知の表明です。
 フランスで高等教育をうけたカルロス君のよく知るとおり、革命から2年、1791年6月、ルイ16世が王妃マリ=アントワネットとともに変装して逃亡し、国境近くで阻止されて、パリに召喚され、さんざ嘲られた事件を想い出してほしい。もしやカルロス君は理工系だから、このヴァレンヌ事件なんて知らない、とは言わせない。このときまで立憲君主制(イギリス型の近代)という落とし所が用意されていたフランス革命は、もう止める堰もなく、王なしの共和国、人民主権の革命独裁に突き進むしかなくなったのです。

 この第2点により、ぼくも弁護団も、コングロマリットの普遍君主カルロス・ゴーンを、いささかも擁護できなくなってしまいます。http://kondohistorian.blogspot.com/2018/11/blog-post_23.html
コングロマリットとは『礫岩のようなヨーロッパ』(山川出版社、2016)pp.14-16 でも喩えた、ヨーロッパの政治的なまとまり、国際複合企業の様態をさす専門用語です。これは礫岩とも「さざれ石」とも訳せますが、ここでは明治天皇の行幸した武蔵の大宮(現さいたま市)の氷川神社にある「さざれ石」を見ていただきます。
 いかに経年変化により「‥‥いわおとなりて、苔のむすまで」にいたっても、本質的にこういった脆い結合体ですから、「一撃」があれば、容易にくだけ散ります。