2016年4月26日火曜日

English Historical Review

 OUPなどグローバルな専門誌を刊行している出版社と、日本の学術誌を刊行している学会との根本的な姿勢の違いの一つは、
ディジタル化ないしウェブ世界への積極性 ⇔ 鎖国(攘夷?)、
ということに現れています。
 英語市場(何十億人)と日本語市場(1億人)の差もあるのですが、それにしても攘夷鎖国派の反応は、たとえば
「オンラインにしてしまったら『史学雑誌』が売れなくなってしまいます」
というもので、その牢固たる姿勢には、史学会評議員であるわたくしメとしても、何ともしようがありません。「オンライン・データベースに載せるのは、雑誌の刊行後せいぜい2年経ってから」といった具合です。
その間に欧米ではすでに一昔まえから、ジャーナルが紙として刊行される半年くらい前にオンライン公開されること(Advance Access/Early Online) が普通になっています。たとえば『史学雑誌』115-5(2006)歴史理論、『同』116-5(2007)総説で論及。

 たとえば先週に、こんな好論文が Oxford Journals の刊行前(Advance Access)ページに載りました。EHRの契約を済ませている大学図書館からはアクセスできますし、会員でなくても、著者から案内があれば、URLを(尻切れトンボにせず)丁寧にクリックするとゲストとしてアクセスし、ダウンロードもできるようです。
Full Text: http://ehr.oxfordjournals.org/cgi/content/full/cew077
PDF: http://ehr.oxfordjournals.org/cgi/reprint/cew077
'To Vote or not to Vote: Charity Voting and the Other Side of Subscriber Democracy in Victorian England' by Shusaku Kanazawa
The English Historical Review 2016; doi: 10.1093/ehr/cew077
【ウェブで Extract まではどこの誰にも読めますが、全文を読むための正確なURLについては、ご免なさい、著者・金澤さんに尋ねてください。】

2016年4月16日土曜日

熊本の震災

こちらが悠長なことをしたためている間に、熊本地方で14日夜から地震が連続し、今日もたいへんな惨状を呈していることを知り、何とも言葉がありません。
熊本大学には2010年11月に鶴島さん、高田さん、秋田さんの尽力で日韓英国史コンファレンス(KJC)が実現した折に参りました。宿に遅塚忠躬さんが亡くなったとの一報が届き、慌てたことを想い出します。
熊本は路面電車が便利な都市だと印象づけられましたが、今回の地震ではどうなのでしょう。お城の石垣が崩れているのをTVで見ました。市内の高層ホテルの客が小学校に避難したとの報道もあります。
どうか鶴島さんはじめ皆さまに大禍が及ばなかったことを祈ります。

2016年4月9日土曜日

年々歳々花相似たり

 ちょうど年度替わり、学事に前後する花便りで、落ち着きませんでしたね。
 今年は開花宣言の後、寒い日が続いたので、ようやく今週が盛りでした。雨に見舞われても風さえなければ、なんとか持ちます。
老母宅のすぐ近所、ぼくの小学3年以来の原風景のような公園の桜並木も、街とともにすでに成熟を過ぎて老いてきました。花曇りの月曜の午後で、あまり人出もないけれど、それなりの哀感のともなう染井吉野です(すでに樹齢60を過ぎています)。

 今夕(土)は本郷・赤門脇の八重桜を拝みました。何年か前まですこし色調のちがう花をつける2本が重なるように満開になると素晴らしい迫力があったけれど、数年前にピンク系の1本がダメになって、今はすこし淋しい色の1本だけです。

2016年4月5日火曜日

安丸良夫さん(1934-2016)

 新聞を見て驚きました。安丸さんが亡くなったとのこと。
 一昨年の喜安朗さんをかこむ『転成する歴史家たちの軌跡』(せりか書房)をめぐる研究会@東洋大でも、呼吸器の手術にもかかわらず積極的に発言なさり、後に続く者を激励する風がありました。今回は交通事故に遭われ、治療の甲斐なく、とのことです。喪失感はこの上ありません。

 安丸さんとのお付き合いは長く、東大の助手のとき(1975)、西洋史の学生たちと読書会を続けていましたが、出たばかりの『日本の近代化と民衆思想』(青木書店、1974)を読んで感銘して、もしや著者に来てもらってお話を聞けるだろうか、となりました。面識も何もないのに、ぼくが一橋大学御中 安丸良夫先生あてで伺いの手紙を書いてみたら、簡単に快諾のご返事が来て、うれしかった。
本郷の西洋史の奥の(今では談話室と呼んでいる)部屋でインタヴュー的な討論の会が実現しました(お礼は無しでした!)。その折の学部生は小林・皆川・石橋・西浜といった連中で、その後みんな高校教師になりました。その読書会は続いて、なんと Richard Cobb, The Police and the People に読み進んだのです!
 77年には岩波書店で開かれた「社会史の会」でご一緒しました。そこでぼくが調子こいて、すべて独創的な歴史家の血液型はBであるか、Bの因子が入っている。それが証拠に柴田三千雄、阿部謹也、二宮宏之、石井進、安丸良夫、‥‥がB型で(近藤も末席を汚していて)、ほかに ダレソレ がAB型だ、などと述べて、A型の遅塚忠躬さんから戯れが過ぎると叱られました【その後、遅塚さんは Annales 誌の血液型論文のコピーを送ってくださり、しっかり研究史をふまえて議論するよう、ご注意をいただきました!】。
その前後に早稲田の文学部で開かれた歴研の部会(?)は日本史主体でしたが、なぜかぼくも呼ばれて「安丸の西洋史版」みたいな扱いを受けているのが嬉しかった(まだ20代の最後で、名古屋まで通勤しました)。
 『民のモラル』(1993)が出た直後に外語大で催された合評会みたいな尋問の会みたいな所にも、安丸さんは山之内さんや二宮さんとご一緒に出席なさっていました。だものですから、『イギリス史10講』(2013)をお贈りした後、日をおかずにいただいたお手紙を読んで、嬉しいと同時にすこし考えこみました。

 「‥‥高度に洗練された知的な叙述に、細部へのこだわりと大きな展望が結びついて、すっかり感心してしまいました。短い表現にも多くの省察がふまえられていて、御苦心のあとを偲ぶことができたように思います。
‥‥近藤さん御自身としては『民のモラル』あたりまでに比べて大変身のようにも思われ、そのことの意味はぼくたちへの大きな問いかけなのでしょう。9.11、3.11などのあとで、歴史研究の新しい方向を模索しようとするとき、玉著の意義を反芻することができるかと思いました。‥‥」

 こういった感想はぼくの学生時代を知らない方々には少なくないのかもしれません。駒場における学問の最初はマルクスとヴェーバー(世良晃志郎訳)でしたから、本郷に進学して、堀米先生や成瀬先生の国制史・国家構造史はすんなりと頭に入りました。民衆史はむしろその後、柴田先生の影響で、ジャコバン権力と相対するサンキュロットという位置づけで加わった新展開です。70年代には世界的な研究史展開と同期して、そちら(民衆の生活・文化・運動)のほうが exciting で面白くなりました。安丸さんのお仕事のうち、百姓の世界、出口なおの宇宙についても具体的にぼくの視界を広げていただき、感謝していますが、むしろその後の『近代天皇像の形成』や〈日本近代思想大系〉などのほうが「これからの方向」を示しているような気がしてインパクトがありました。

 まだまだこれからこちらの書き物をご覧に入れて、お話もできると期していましたのに、残念ですし、無念です。
 ご冥福を祈ります。