2014年12月19日金曜日

ついに British Library も!

こんな通知メールが到来しました。朗報です。
むずかしい相手でもあきらめずに要望し続けるものですね。
以下引用:

December 2014
Reader Service message
Self-service Photography

Dear Kazuhiko,

Over the past few years, many people who use our Reading Rooms have asked us
to consider introducing a self-service photography facility so that Readers
can use their own devices to photograph items for personal research purposes.

We are now pleased to announce that we are extending our current self-service
copying facilities to include photography. The new arrangements will take
effect from 5 January 2015 in the following Reading Rooms:

Boston Spa Reading Room
Humanities – Floor 1 & 2
Newsroom
Science – Floor 1 & 2
Social Sciences

We will review and assess the feedback we receive from Readers and staff,
before introducing self-service photography in the following Reading Rooms in
March 2015:-

Asian & African Studies
Business & IP Centre
Maps
Manuscripts
Philatelic
Rare Books & Music

You will be able to photograph all physical collection items which you can
currently copy using our self-service copying facilities. Because of license
restrictions that apply to some of our electronic resources, you will not be
able to photograph computer screens.

You may use compact cameras, tablets and mobile phones to photograph material.
Any copies made may be used for personal reference purposes but must not
be used for a commercial purpose. As with our current copying services, copy
right and data protection/privacy laws must still be adhered to.

Before using your device to take photographs, we kindly ask that you view
our guidelines on self-service photography
http://email.bl.uk/In/72187364/0/44CotTs5F9XtT7EDGk7xUssbuwClh4a4fgMbENZPiJm/

2014年12月10日水曜日

社会史・社会運動史: reflexions III

 承前
 岡田先生の遺著『競争と結合 - 資本主義的自由経済をめぐって』の心柱は、いうまでもなく「営業の自由」は人権か、公序か、そして(国家 ⇔ 個人だけでなく)中間団体からの自由、といった議論なのですが、その pp.156-165 には「革命的群衆の社会史的研究について」という『歴史学研究』No.520(1983)に載った書評論文が再録されています。ルフェーヴル(二宮訳)『革命的群衆』とリューデ(古賀訳)『歴史における群衆』という2冊の訳書を素材として、「‥‥民衆運動史の特徴と問題を若干考察し、社会史への一つの希望を述べてみたいと思う」と、これまたアーギュメントとしてしたためられた試論でした。

 「ところで、「民衆」とは、‥‥ひとつの抽象である」から始まる段落(p.158)で、岡田さんはこう述べられます。
「社会科学的に無意味で抽象的な「民衆」という用語は、歴史のなかでは、具体的効果を産み出す実体的機能をもつことがある。‥‥「民衆」というこの曖昧な用語、またそれで漠然と表象されているものの歴史的な意味や役割を問う必要はないか、このような問題意識を、旧来のマルクス主義的歴史学は無視ないし軽視しすぎていないか、さらにはそれを妨害することになってはいないか、こういう問いかけが、今日の社会史の問題提起の一つであるように思われる。」

 二宮さんを含み、また『社会運動史』(1972~85)を念頭においた議論であることは明らかです。【現在、『歴史として、記憶として』の巻末にある「略年表」では割愛されていますが、ワープロ原稿では、東大社研、岡田という固有名詞が見えました。また、1970年代のある日に岡田先生が、だれかすでに[ぼくが]名を忘れた左翼の教授にぼくを紹介なさる折に「近藤くんは民衆運動史をやっているんだ」と短く言われたときの空気というか、ある独特のムードを覚えています。】

 全体に岡田さんのルフェーヴルへの評価は高く、その結論部では、「結局、実証的な史実研究の積み重ねだけからではなく、‥‥人間の歴史についての彼自身の特定の見方=観点によって、選択された」ルフェーヴルの立場を強調なさる。そしてリューデについては、‥‥「これがこの大著の結語である。さびしすぎはしないか。」というものでした。
 刊行直後に名古屋でこれを読んだときの気持も覚えています。あまりに率直な岡田さんの評言にたいして、ぼくの反応は、同じGeorge(s) であっても、Rudé はさほどのすごい学者というより、社会民主主義的なリベラルであるし、またThe Crowd in History は「大著」というほどの仕事でもなく、過大な期待をしてもネ、といったものでした。
 「さびしすぎはしないか」というのは、George Rudé に対してよりも、むしろ「社会構成史が情熱的に問題とし、追究したもの」と無縁なところで史料と遊んで/溺れている70年代からの日本の社会史、社会運動史の人びとにむけられた批判だ、ということは誰にも明白だったでしょう。岡田さんの批判はちょっと違うな、と思いながら、ぼくは、まもなく「シャリヴァリ・文化・ホゥガース」『思想』740号(1986年)を執筆し、抜刷をご覧に入れた岡田先生から、ほとんど別離宣言のようなお返事をいただいた(と受けとめていました)。

 ところが、7日(日)夜の奥様はぼくに対して、まるで別のことをおっしゃった。どう受けとめてよいのか、にわかには分からないので引用しませんが、想い起こすに、2000年3月14日、米川伸一さんをしのぶ会のあと、東京駅近くの地下の店での懇談(吉岡さんも二宮さんもおられた)と、岡田先生の最後の言、「これも米川くんが引き合わせてくれたお陰だな」の含意も変わってきます。
 ゆっくり再考することにします。

2014年12月9日火曜日

岡田与好先生(1925~2014): reflexions II

 12月7日(日)は東京大学経済学部で、岡田与好先生(1925~2014)を偲ぶ会、というつもりで参りましたら、『岡田與好先生を偲ぶ会』という67ページの冊子、と同時に、なんと当日刊行のご遺著『競争と結合 - 資本主義的自由経済をめぐって』(蒼天社出版、2014)もいただきました。刊行記念会でもあったのです。
 1952年、53年のころ(27歳前後)の写真を拝見すると、ほとんど芥川賞でも取りそうな青年文士のような、あるいは、いたづら小僧がそのまま東大の秀才助手になったような雰囲気があって、いいですね。初めて見る写真です。
 山田盛太郎(1952年に)、大塚久雄(1966年に)といった大先生にも学会でしっかり噛みついた、論争的な岡田先生の勢いが、世良晃志郎さんとの友好的交わりをへて、『社会科学の方法』における「営業の自由」論争≒法学批判に繋がるのだということが、この日の皆さんのお話と写真から、よく納得できました。
 当然ながら、参集された方々はイギリス経済史、土地制度史学会、社会科学研究所、経済学部の方々が多いですが、ぼくのように傍系ながら先生から20代(1971~74)にしっかり学び、やがて30代(1980年代)から道を別にした者もいたことは、忘れないでください。
→ http://kondohistorian.blogspot.jp/2014/06/blog-post.html

 毛利健三さんのご挨拶、お嬢さんの最後のお話、また権上康男さんとの会話など、心に残るものがありました。樋口陽一、石井寛治といった方々の明晰な話っぷりは心地よかったけれど、とにかく(山田、大塚、高橋、世良といった大先生は当然として)、安良城盛昭、吉岡昭彦、柴田三千雄、二宮宏之、遅塚忠躬、山之内靖、西川正雄と、みんな向こうに行ってしまわれたんだから、‥‥考えこんでしまいます。
 奥様からは、信じがたい、身に余るお言葉をいただきました。
 つづく。

2014年12月8日月曜日

相良匡俊さん(1941~2013): reflexions I

 秋から冬へと、あっという間でした。
 しかも大学入試関連の仕事の合間に、亡くなった方々を偲び、著作を再考する会が続いたりしたものですから、しめやかな気持、そしてわが人生に reflexive な考察がせまられる機会でもありました。
 11月28日は法政大学ボアソナド・タワーで、昨年亡くなった相良匡俊さんの『社会運動の人びと - 転換期パリに生きる』(山川出版社、2014年9月)の出版記念会がありました。
 主催は田中優子総長率いる法政大学で、そこにモト社会運動史研究会のメンバーが便乗させていただくという形で、ちょっと hybrid な会合となりました。相良さんの80年代以降、ぼくたちがあまり知らないでいた側面も出て、そういった意味では有意義な催しでした。
 相良さんの書く姿勢、生きる姿勢における「再帰動詞的な」ところを指摘された福井さんの挨拶、また『社会運動の人びと』の刊行にいたる経緯(友人たちの協力)をきちんと報告してくださった北原さんの発言で、この夕は締まりました。
 谷川さんもスペイン旅行から帰ったばかりとのことで、元気なお姿。
 その後は市ヶ谷で、生き残った者の、現在の元気度の品定め‥‥。

 ぼく個人としては、『社会運動の人びと』p.180に
「けれども、これで終わらせようと思う。第1に、‥‥気の利いたお化けが引っ込んでしまった感じがするし、第2に、こういう種類の仕事にすっかり、あきがきたこともある。第3に、取り扱うべきテーマは近藤和彦氏の縄張りに属している。‥‥そして第5に、にもかかわらず、言いたいことは、ほかに、どこかで言えるだろう‥‥。」
としたためられているのを再読するのは、1979年以来、なんと35年ぶりで、それこそ気の利いたお化けに再会した思いですよ、相良さん。
 このあと1981年に「労働運動史研究の1世紀」と「フランス左翼出版物の系譜」を公になさってから、相良さんはもう歴史学的な発言はなさらないし、学会のたぐいにはほとんど出席なさらなかった。
 ですから『歴史として、記憶として』(御茶の水書房、2013)における「暗中模索のころ」という相良さんの文には、新鮮というか、驚きというか、デジャヴュのような感覚を覚えました。
【そして、亡くなる2週間ほど前のメールです。彗星のごとく再び姿を見せて、そして居なくなりました。
http://kondohistorian.blogspot.jp/2013/07/blog-post.html

Downton Abbey

 NHK地上波、日曜夜にいよいよ第二部が再開しました。
「日の名残り」的な、upstairs における貴族の世界と、downstairs における家僕の世界との交錯が、1912年のタイタニック後、いまは大戦中のヨークシャ州を舞台に描かれています。そこに加えて3姉妹の Jane Austen 風の「婚活」と、他の何組かの男女の組み合わせがよりあわされた作り話!

 20世紀初めの貴族と upper middle class との融合や、ロイド=ジョージ内閣のことが、時代のイシューとしてたいへん重要なはずですが、限嗣相続(継承的不動産処分)と貴族的 patronage の問題以外はほとんど出てこないまま。ステレオタイプな保守貴族(と家僕たち)versus 進取の気象でことに臨む中産階級、といった図式をうちだして、21世紀の大衆(直接には英・米の)の好奇心と視聴率をねらう歴史ドラマ。--と厳しい評価もありえます。「わざと」盛りだくさんでドラマチックにした展開も気になるけれど、学生・初学者には、時代の印象的前提として勧められる歴史ドラマですね。ただし、学生にはこの the Great War のさなかにイギリスは志願兵制度から徴兵制度に移行・転換したのだ、ということは分かっただろうか?

 個人的には、昨夜 Lancashire Fusiliers という古めかしい名の歩兵連隊が言及されて、マンチェスタ史としていささか懐かしい気がしました。

2014年10月5日日曜日

67歳の同期会

 ほんの2週間前のことです。ロンドン・コペンハーゲンから帰ってただちに、中学の同期会に参りました。
 40歳のときの会は覚えていますが(『朝日新聞』名古屋版にも書かせてもらいました)、そのあとはずっと会ってないのだろうか? 記憶が曖昧になりました。この中学から同じ高校へ50名以上が進学したので、そしてそのまま同じ大学へ20名ほどが進学したので、なんだかいろんなことが重なって記憶が厳密ではないのです(高校の同期会は60歳で参加して、たいへんなインパクトがありました)。
なにより不安だったのは、何人の顔がわかるだろうか、それよりいったいぼくが誰だと認識してもらえるだろうか、ということでした。
同期の一番の有名どころはオペラ歌手、秋葉京子でしょうか。東大理学部をへて広島市長をやった秋葉兄さんの妹さんです。集まったのは同期127名のうち41名で、大学教授も病院長も、昔の色男、今のつるっパゲ、今もきれいな専業主婦もいましたが、誰より15歳年長(すなわち82歳)の斉藤先生がお元気なのには圧倒されました。
 案ずるより易く、幹事さんたちのお陰で、きわめてすんなりと受けとめていただき、高石公平には『大学院紀要』の抜刷りを渡しながら、中学1年の冬に英和辞典を見ながら「Pig, hog, swine . . .」と暗唱しながら大笑いしたことを覚えているか尋ねたら、しっかり覚えていた! 1年C組で「近ちゃんはアメリカの50州全部を暗唱したり、円周率を何十桁も覚えたり‥‥」という高石は、鉄棒の大車輪でみんなを感服させる「ケネディー」だったのだ。
 たった一つの嫌な記憶は、他にも何人かが共有していたので救われた気持ですが、それ以外は、秋葉さんの先導で歌った校歌、戦後民主教育そのものでした。校長は飯田朝という憲法学者でした。

  空には若葉 かがやきて
   胸にはもゆる 自由の火
   亥鼻台に まなびやの
   歴史をほこる わが一中
   個性と自重 つねにあれ

   真理をもとめ もろともに
   不断の努力 たゆみなく
   文化の日本 うちたつる
   その先がけの わが母校
   平和と秩序 つねにあれ

 中学生のころは、歴史の教師になるとは夢にも思わなかった。それにしてもわが『10講』を貫く、心柱のようなテーマは「個性と自重」のありかた、「平和と秩序」のありかたの議論だったなぁと、あらためて感じ入ったことでした。

2014年9月19日金曜日

スコットランド をめぐる festival of democracy

 後ろ髪を引かれる思いで、投票日の18日(木)、ヒースロウからコペンハーゲンに乗り継ぎ、たったいま東京に帰り着きました。すでに19日(金)です。
 レファレンダムを「住民投票」と訳すのはどうかと思います(総選挙もまた住民が投票します)。今回のレファレンダムは、ゴミ処理場をどうするか、幹線道路をどうするか、といったレベルの問題ではなく、国のかたちを変えるかどうかという、国政選挙以上の国制をめぐる選挙ですから、人民投票に近い。
 選択肢は、単純:Should Scotland become an independent country? これに Yes か No で答える(チェック×する)という投票です。
 しかも有権者は、SNP の立法で、なんと16歳以上と定められました。自国の将来・未来を決める投票だから、だとしても高校2年生まで投票するのには、個人的に抵抗感があります。そもそもUKは政治的国民で、投票率は高いのですが、今回の有権者登録は97%にまで上ったというのだから、関心の高さは remarkable です。事前の世論調査では、Yesが48%、Noが52%。
 政府も、労働党もこれには脅威をおぼえて、投票前日にキャメロン首相(オクスフォード大学卒)、前首相ブラウン(エディンバラ大学出身)がともに連合王国堅持の立場から熱烈なキャンペーンをしました。
 17日にオクスフォードでお話ししたO先生とぼくは同じ立場で、ナショナリズムは不毛で、政治の視野狭窄をもたらすと考えます。
 いま開票結果が順に明らかになっている途中ですが、なんといっても大都市エディンバラとグラスゴーが決定的。エディンバラは18世紀からそうであるようにホウィグ的・UK支持。グラスゴーはひところまで労働党基盤だったはずなのに、いまは Scottish National Party の地盤になっているとのこと。最近の労働若者映画でよく描かれているとおり、失業若者が多い、したがって閉塞感の強い地域です。すでに1997年の労働党政権下でdevolutionが進行し、さらにSNPのサモンド党首がスコットランド首相に収まっているわけですが、21世紀のナショナリズム、煽りと内向で、スコットランドの将来ばかりでなく、連合王国の将来、そしてEUの将来を誤るデマゴーグではないか、というのがぼくの本音。
 独立して=主権国家になってどうするのか。あらゆる点で連合王国の重要部分として存在し、機能してきたスコットランド。しかし、イングランド人が結婚(Union)した相手をなおざりにしてきたことは確かで、プライドへのrespect が足りなかった、怒らせてしまった、ということも事実。タカをくくっていたこともたしか。
 ゴードン・ブラウンが What we have built together, by sacrificing and sharing, let no narrow nationalism split asunder! と熱弁をふるったのは、テレビでも見ましたが、18日のガーディアンは好意的です。
 開票途中で、案外、Yes が伸びないというので「安堵」の空気が出ているようですが、最後に最大の選挙区グラスゴーの票が確定するので、これが決定的です。No、すなわち連合王国が維持されるなら、スコットランド人も理性を失わずに合理的な選択をしたと判断してよいでしょう。さもなければ、連合王国全体、ヨーロッパ全体、コモンウェルス全体の政治文化は、良くない方向に展開するところでした。
 スペインも、フランスも(?)、さらには「琉球処分」にも関係するイシューです。

 多様性を前提に、連帯する連邦国家。アメリカ合衆国やドイツ連邦共和国に似た国制、が解決策でしょう。

2014年9月15日月曜日

スコットランド独立?

 ちょっと説明が足りませんでした。
(イングランド王、デンマーク王、ノルウェイ王を兼ねた)クヌート王によって命名されたスコーネのロンドン(Lund)からイングランドのロンドン(London)に参りました。見慣れた景色も相対化されます。
 スコーネをとりまく周囲の離合集散(スウェーデン、デンマーク、バルト海、ノルマン人の礫岩...)をふりかえると、-Skane と Scone! そしてScotland が無関係とは考えられない - 1707年、そしてバノクバンの1314年を想い出しながら、スコットランドの有権者が Yes! と投票したくなる気持は、わからないではない。
 SNP とは日本のマスコミがいう民族党ではなくて(スコットランド民族なんて存在しません)、19世紀のアイルランド国民党と同じく、構築され、主張されているスコットランド国民党ですが、
現UK の保守党(Unionist Party)にたいする political な反対と、
UK の constitution(国のかたち)問題とを混交させたデマゴギーをやっていると思われます。
もしSNP、独立派が勝利すると、イギリス史はもちろん、ヨーロッパ史においても時代が変わるんじゃないかと思います。それだけ重要なレファレンダムです。
『イギリス史10講』では pp.57-58, 181-183, 156, 299-302 などが関連します。

 18日、木曜の投票を刮目して待ちましょう。
日本のテレビ局からせっかく取材のお申し込みを受けましたが、すみません、ただいま在ロンドンで、遊んでいるわけではないぼくには、ちょっと無理なスケジュールでした。

2014年9月11日木曜日

Lund にて

 百聞は一見に如かず。
 一見は歩くにしかず。
 ルンドに来るには、ストックホルム経由でなく、コペンハーゲン経由なのでした。
(歴史を知らずして現実を理解することはむずかしい‥‥)
しかも、ケインブリッジやハーヴァードに負けないくらいの良いの雰囲気の大学町。
デンマーク大司教座がここに置かれていたということは、中世のこの地域の中心だということですね。
Conglomerate state を論じるのにこれほど適切な場がほかにあるでしょうか?
 昨日はコペンハーゲン大学の Lind 先生の案内で最高の17世紀コペンハーゲンを歩き、また夜の討論は
内村鑑三の『デンマルク国の話』の脱神話化、invention of tradition、内村 → 矢内原 → 大塚 の系譜の歴史性
にまで及びました。
 それにしても、4月のイングランドみたいな驟雨がつづきました。
ルンドについては、Gustav王のお友だちには既知の ↓ に写真がありますので、どうぞ。
https://www.facebook.com/daisuke.furuya/posts/10204152309586635

2014年8月29日金曜日

全勝さんのページ

 すこし涼しく、楽になりました。とはいえ、豪雨やたいへんな災害に見舞われている地域の方々には、申しあげる言葉もありません。

 岡本全勝という方がホームページを持っていらして、じつに精力的に発言なさっています(ということに、ようやく最近に気付きました)。政治と行政のど真ん中で発言なさっているエリート官僚のお一人でしょうか。大学でも教えておられるようです。
 その全勝さんが、なんと『イギリス史10講』について、全9回の連載でコメントをくださいました。こういう「公共精神の立場から国家百年の計を考え行動」なさっている「経国済民の士」(p.206)の目に止まったというのは嬉しいことです。その論評は、わが業界の若い院生や研究者とは異なるレヴェルで、実際的にしかも知的に行われていて、これも有り難いことです。
 ↓
http://homepage3.nifty.com/zenshow/seiji/seijinoyakuwari/seiji47.html
http://homepage3.nifty.com/zenshow/seiji/seijinoyakuwari/seiji48.html

 「引き続き、『民のモラル ― ホーガースと18世紀イギリス』、『文明の表象 英国』を読みました」とのこと。有り難うございます。たしかに岩波新書を書きながら想定していた主な読者は、史学科の学生よりは、もうすこし大人の人たちでした。そういう人たちの手にも届いたのだとしたら、もって瞑すべし、ですね。

2014年8月19日火曜日

舩橋晴俊くん

 この1週間、北海道にいて、インターネット環境はあまり良くありませんでした。
『北海道新聞』の紙面で15日朝に舩橋くんがくも膜下出血で亡くなったと知り、にわかに信じられません。今日18日が告別式だったとのこと。
 駒場の折原ゼミ以来の友人で、1972年5月、ぼくの結婚祝いの会にも参加してもらいました。東京都副知事を父とする秀才ですが、学問的には20代前半に模索を繰りかえして、経済学部でソ連経済の研究を志すこともあったようです。結局、環境社会学の創始者の一人となり、ぼくと違って(また Weber とも違って)、現実の問題と実際的にとりくむ学者です。
 生まれ育った大磯を愛する人でした。法政大学では学部長など要職をこなしつつ、プロジェクト・チームを運営しておられました。4年前に『世界環境年表』のために会ったのが最後となるなんて、想像もしていませんでした。66歳。原発問題にも取り組んでおられ、志なかば。無念だったでしょう。北海道とはいえ真夏の日射の下で、目眩がしました。しっかりしたことも書けません。

2014年8月2日土曜日

註釈 『イギリス史10講』、リポジトリへ

 昨12月に刊行された『イギリス史10講』(岩波新書)ですが、文字どおり皆さまのおかげで、第5刷が出ます。これまでもそうでしたが、該当ページ内に収まるかぎりの修正をほどこしました。たとえば本文中に(p.267)のように参照ページを追加する、また索引の指示ページを若干ふやす、といったことも含めて、微細かもしれないがあきらかな改善と考えています。どうぞよろしく。

 なお、別のサイトですでにご案内したことですが、『イギリス史10講』p.304で予告しました「やや長い註釈」は、『立正大学大学院紀要・文学研究科』30号(2013年度)pp.71-87 に掲載されています。これがそのまま立正大学の学術リポジトリに登載されました。
http://repository.ris.ac.jp/dspace/handle/11266/5295

 Title: 註釈『イギリス史10講』(上)-または柴田史学との対話-
 Other Title: Ten Lectures of British History, annotated
 Author: 近藤 和彦 KONDO Kazuhiko
 Issue Date: 31-Mar-2014 (実際は4月)
 URI: http://hdl.handle.net/11266/5295

 どなたも PDF で読み、ダウンロードすることができます。お試しください。
岩波新書に書けなかった論拠や研究史的コメントなどはたいへん長くなり、1回では収まりませんので、今回は(上)として、同紀要の次号に(下)を発表することとします。

2014年7月30日水曜日

山之内靖さん

 27日(日)午後、東洋大学の公開討論会の席上、山之内靖さんが2月に亡くなったことが話題になりました。1933年生まれ(二宮宏之・遅塚忠躬の一つ下)ですから80歳だったのですね。 二宮さんが亡くなった後の2006年の催しでは、まだ昔の調子でお元気でしたが、最近はまったく音沙汰なく寂しい思いをしておりました。
→ http://www.asahi.com/articles/DA3S11272679.html
(近影も)
 ぼくの研究テーマが18世紀イギリス、あるいは産業革命前夜と定まるにあたって、決定的なのは内田義彦ですが、その前段でもうすこし曖昧に、大塚学派のなかでも『マルクス・エンゲルスの世界史像』(1969)や『イギリス産業革命の史的分析』(1966)を書いていた山之内靖という存在がありました。そのころ、まだ30代だったのですね。『イギリス産業革命の史的分析』のあとがきに、生まれたばかりの赤子の生命力への言及とともに、本書を「プロデュースしてくれた」青木書店の編集者への言及があり、こうしたスタイルは斬新で今も忘れません。
 大学院に入ってからは、山之内さんの『思想』論文、それをまとめた『社会科学の方法と人間学』(1973)で、わが意を得たり、と感じたものです。マルクス学と、社会科学と歴史学の先端で、ぼくにも何かできることがありそうだ。しかもヴェーバーをやってきたことが無駄ではなく advantage らしい、という感覚。
 そうこうするうちに、1976年の土地制度史学会秋季学術大会@高知大学へ向けての準備会が東大社研で始まり、これには(岡田先生、柴田先生でなく)遅塚忠躬、山之内靖、毛利健三といった方々が中心に動いておられました。半年あまりの討論の末に、例の「産業革命期の民衆運動」という大会シンポジウムが企画され、山之内、柳澤治のご両人とともにぼくも3人目の報告者として立ちました。司会は遅塚、毛利。土地制度史学会(とは即、講座派、山田盛太郎・高橋幸八郎学派の牙城)にデヴューし、吉岡昭彦さんと対決して、ぼくは初めて身震いというものを感じたのですが、このとき、山之内さんはマイペースで、ご自分の言いたいことを言って了、あとは観戦、といった姿勢でした。
 そのぶん、遅塚さん、毛利さんは十分に準備して議論を噛み合わせようと尽力なさったけれど、無理でした。ぼくとしても講座派マルクス主義史学との果たし合いに臨むような気持がないではなかったけれど、ザハリッヒな議論の準備はしたので、緊張はしなかった。会場で吉岡さんは小生意気な近藤を撃沈したおつもりだったのでしょうが、こちらは「‥‥先生の回春剤ですか」といった具合で、こたえなかった。吉岡さんの側では「アホか」と思ったかな。それにしては『史学雑誌』「回顧と展望」でムキになって20歳も下の近藤をやっつけていました。
 この1976年秋、高知大学における大会に、ぼくだけでなく青木康、深沢克己、藤田苑子、小井高志といった皆さん(全員まだ20代)までがはるばる出かけたという事実は、今では想像もできないでしょう。同じ年の12月には『思想』630号の巻頭にル=ゴフの二宮訳、そのあとにぼくの「民衆運動・生活・意識」が載ることになります。日本の史学史における転換の年でもありました。

 山之内さんは、その後、柴田三千雄『近代世界と民衆運動』(1983)が出たときの社研の合評会( →『思想』掲載)でも、慌てず騒がず、ご自分の論調を守られました。『岩波講座・社会科学の方法』12巻の編集をへて、『マックス・ヴェーバー入門』(岩波新書、1997)は出てすぐに評判になり、よく売れましたが、あまり顔色は変わらなかった。ご自分の世界を持っておられた、という印象です。
 その他、ここには書けない交渉もありました。 東京外国語大学の北区西ヶ原 時代の黄金期をささえたお一人で、不思議な魅力をおもちの方でしたが、個人的なお付き合いには、ちょっと不完全燃焼感が残りました。

2014年7月29日火曜日

転成する歴史家たち

 27日(日)には喜安朗さんの著書(http://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784796703321)をめぐって、東洋大学でこのような公開討論会がありました。
→ http://www.toyo.ac.jp/site/ihs/52631.html

 喜安さんのお話に続き、ぼくも戸邉さんとともに長めのコメントをさせていただきました。網野善彦、安丸良夫、二宮宏之、喜安朗の4人の方々とは、70年代から個人的なお付き合いもありましたし、それぞれのお仕事について、また戦後史学について、喜安さんとは少しちがう受けとめ方をしていますので、ぼくのコメントも無意味ではなかろうと考えたしだいです。安丸さんも見えて、80歳!お人柄のあふれる発言で感激しました。
 ぼくの「はっきりした」発言は、誤解されては困りますが、「昔のなじみ」がなぁなぁでごまかすのはよくない、一期一会であればなおさら、という心境で、ザハリヒに対立いたしました。エモーショナルな要素はなく、「読書する左翼」へのリスペクトは保持しています。
 東洋大学の会場から、夕方はネパール店で第2セッション、夜もふけて白山駅脇の第3セッションまで討論を続けられたことも幸せでした。戸邊さんの「転向文化の過剰性」について議論が始まり、議論における対等性、そしてデモクラシーから「自然権思想の近世・近代性」「法の支配という知恵」にまで論が及びました。これは大事な点で、もっと展開できれば、と希望しています。

 ハナ・アレントのように Denken しつづけ書きつづけたい。考える歴史家でありたい、と思います。「転向」なるものが自由で・真剣な思考の喪失を意味するなら論外だけれど、知的転回=展開は、むしろインテリゲンチアの証なのかもしれない。君子豹変す、とも言います。ホイホイ転変して流されるのは困りますが、必要なときに思いきった言動に出るのは、むしろ望まれているのではないでしょうか。喜安さんの場合の「転成する」とはどういう意味なのか、結局よくわかりませんが。

 というわけで、多くの方々とお話しする機会を作っていただいた、岡本さんと東洋大学の方々、ありがとう!

2014年7月4日金曜日

『ちくま』7月号

 筑摩書房の月刊誌『ちくま』No.520 に次のような文章が載りました(金澤周作さん執筆)。
http://www.chikumashobo.co.jp/blog/pr_chikuma/entry/1024/
(ただし月刊誌のほうは縦組、ウェブの「立ち読みページ」は横組)
こうした感動的な文章には滅多に出会えるものではなく、感極まりました。

じつは他にも『民のモラル』の学芸文庫版をお送りした方々から、20年あまり前に、あるいは学生としてどういう思いで読んだか、といった所感をいただいて、「そうだったのか」と霧の晴れるような感覚が続きます。今の時点で聞こえてくる率直でポジティヴな声と、かつてのメディアおよびアカデミズムの表面に現れたネガティヴというか斜に構えた声とのズレ、異次元性は何なのでしょう。

とにかく、『ちくま』の金澤さんの文章は圧倒的で、学部生のとき、京大西洋史の助手さんから、松井・川北・近藤の近刊書3冊を知らされたというエピソードから始まり、[‥‥中略‥‥]「多少とも書く経験を積んだ」金澤さんによる「構成の妙、文体の緩急、堂々たる叙述の幹、差し伸べられる枝葉の多彩さ‥‥」とのご指摘から展開部に入ります。ご本人もそういった点を意識して書いておられるんだということを確信しましたよ。
でも、コーダの「そう、私のタブララサは取り返しのつかないほどの刻印をほどこされたのであった」という締めは、ちょっと名文過ぎるかもしれません。
刻印は一冊の本というより、むしろその後の研究グループの討論や書き物から、相互的に得たのではないでしょうか。逆の方向でもそうです。1998年以来、フィランスロピとか海難事故とかいったテーマも、しっかり取り組むと枢要なことを照らしだすのだ、という発見が続きました。「取り返しのつかないほどの刻印」は、双方向的で互酬的なものでした。ありがとうございます。

2014年6月25日水曜日

岡田与好先生

 悲報です。岡田与好先生が5月27日に亡くなったと、Yさんから知らされました。旧臘『イギリス史10講』をお送りしても何の反応もなく、覚悟はしておりましたが。1925年のお生まれで、88歳でした。

 1971年7月、留年後に大学院に入ったばかりのぼくは、西洋史では柴田三千雄、成瀬治、経済学研究科では高橋幸八郎、岡田与好と4つの演習をとりました。高橋ゼミについては「美女逸話」以上に、なにひとつ学びませんでしたが、岡田ゼミでは鍛えられました。同期に森、梅津といったICU組、奥田、八林といった秀才組がいたのも良かったけれど、先生からはイギリス経済史よりも、「ゆらぎ/隙のない文章を書く」ということを教えられました。リベラルな西洋史の温暖な空気のなかだけで育った人とは、ちょっと違うトレーニングを受けたと思います。
 かくいうぼくはいい気なもので、修士2年のとき、卒論そのままの「産業革命期の民衆運動(上)」『社会運動史』2号(1973年1月)をご覧に入れたら、「読んでから」とのことで、1・2週間後、社研2階の先生の研究室にうかがいました。
その午後にわが慢心は打ち砕かれ、社研の玄関を出て、冬の日没後の欅並木を仰ぎみて、身体から力が抜けました。なにしろセッションの終わりの先生の言は「なお、道遠し、だな」というのでした。齢25歳、まだ人生の「日は暮れて」いなかったし、この時点で早々と根拠のない自信を打ち砕かれておいて良かったのだ‥‥、と振り返るのはずっと後年のこと。ぼくはしばらく何をしてよいのか、勉強が手に付かなかった。でも、とにかく「産業革命期の民衆運動(下)」『社会運動史』4号(1974年9月)については、全面的に書き改めました。そして社研の助手になりたい、と心底思ったものです。
 それから10年あまり、イギリス留学から帰国したぼくが社会文化史的な論文をドンドン書くようになってからは、先生との距離は広がってしまいました。とりわけ「シャリヴァリ・文化・ホゥガース」『思想』740号(1986年2月)には先生は否定的で、ぼくの側はふたたび自信家に戻っていたので(!)、いつだか本郷の飲み屋「大松」に同行して以後、親しくお話しすることはなくなってしまいました。

 最後にお話しできたのは、2000年3月14日、米川伸一さんをしのぶ会東京国際フォーラムで開かれたあと、新幹線で仙台に帰る吉岡昭彦さんを送りがてら、東京駅の手前の地下の小さな店に入って軽食を摂ったときです。吉岡昭彦・岡田・二宮宏之・渡辺格といった方々の末席をぼくが汚すという陣容でしたが、(ふつうなら会食しないメンツです)楽しく懇談して、最後に岡田先生が「これも米川くんが引き合わせてくれたお陰だな」と言ってくださって散会したのです。
 厳しくもやさしい先生でした。

2014年5月30日金曜日

『民のモラル』(ちくま学芸文庫)

 ご無沙汰しています。5月は wunderschoen というわけには参りませんで、
多くの皆さまにご心配をかけてきました。

 ただこの間にも筑摩書房と精興社の方々は獅子奮迅のお仕事を進めてくださり、そのおかげで、順調に『民のモラル』の改訂版が出ます。6月10日発売、本体1300円です。
筑摩書房のページ・著者近影も
こちらでは山川版とちくま版、それぞれのカバーデザインをご覧に入れます。
山川のカバー写真(1993)では、なぜか赤色が強調されたうえ全体に黒っぽくなっていました。まるで夕焼けの街頭みたいに。
ちくまのカバーおよび口絵(2014)では、青色の要素もしっかり表現され、白昼、青空の下の光景であることが歴然。

 せっかくこの機会をいただいたので、今となっては中途半端な終章「新しい文化史」は削除し、副題を「ホーガースと18世紀イギリス」と改めて、焦点も議論も明快な本としました。本文も巻末の史料・文献解題もミニマムながら補正して、2014年の刊行物として意味あるものとしました。なおまた編集担当者の熱意のおかげで地図など図版を追加することができ、18世紀なかば、Rocqueのロンドンを、シティのニューゲイト監獄・市門から、ホーバンを西に、聖ジャイルズ教会を経由して、オクスフォード街、そしてハイドパーク入口のタイバン処刑場までたどって歩けるようにしました。じつは今日でも基本的に(微調整すれば)この260年前の地図で歩くことができるんです! 見開きの地図が、右から左へと、次々に連続します。

 本とは一人では出せないものと承知はしていましたが、今回もつくづく、その認識をあらたにしました。
あとがきに名を挙げた方々に、感謝。

2014年5月15日木曜日

Im wunderschönen Monat Mai. . . .

過労にて、体調不良、公私ともみなさまにご迷惑とご心配をかけました。

本日から戦線復帰しました(実はすでに昨日から、都内の匿名委員会に出席、その後、老母の所に参りました。二日遅れの母の日でした)。
今日はさっそくに学内の一会議で年間計画決定。
また図書館にて ECCO 導入のための話し合いが実現しました。
こちらは案ずるより産むが安し、といった感触。2007年の Cengage のインタヴューのプリントなどが出回っています。

ところで、
Im wunderschönen Monat Mai,
Als alle Knospen sprangen. . . .
と5月の美しさは年齢に関係なく(あるいは加齢とともに)十分に感じ取っているつもりですが、悲しいかな、「想いや憧れ」をだれかに告白するといった気持にはなりませんね。
もうすこし普遍的に表現し形にしたい、という気持は強く、はっきりしています。身体と頭脳の衰えを意識すればこそ、よけいに。
ぼくの先生方が60代だったころのことをしばし想起します。
自分が成熟したのか、枯れたのか、よく分かりませんが、これはたしかに何十年も前とは違う感覚です。

2014年5月2日金曜日

美しき五月に

 花と新緑の季節ですね。爽快にゆきたいところですが、いろいろなことが滞っていて、緑風に身を任せるとはゆかず、困っています。ただ旧柴田蔵書のことで茗荷谷のお茶の水女子大に訪れて、キャンパス内外の花の美しさには心おちつきますが。

立正大学大学院紀要・文学研究科』30号は、無事4月に刊行されました。「註釈『イギリス史10講』(上)- または柴田史学との対話 -」が掲載されています(pp.71-87)。ただし、その抜刷は想定部数をこえて必要となり、しかたない、きれいに複写をとってホッチキスで留めたコピーを制作することとしました。

そうこうしているうちに、出版社から「近影を」などと請われて、こんなのもあったなと想い出して、いくつかのウェブページ(まだ消えていない)を再訪してみました。

http://cengage.jp/ecco/2007/07/post-2.html
【この ECCO を立正大学ではトライアル利用中です】
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/personage/2232.html
【このQ & Aで「いま書いている本」とは『イギリス史10講』のことでした】
http://letters.ris.ac.jp/department/history/professor.html
【こちらは、立正大学史学科の同僚たちのプロフィールとともに】

2014年4月7日月曜日

XPの更新サポート終了後は‥‥


マイクロソフト社からは「2014年4月8日の Windows XP のサポート終了後、Microsoft はマルウェアから PC を保護するための Windows XP 用のセキュリティ更新プログラムを提供しません。」と繰りかえし言われています。マスコミも、ここまでは繰りかえし報道しています。

しかし、ぼくのように MS-DOS 以来の(ほとんど25年にわたる)ユーザの気持は、そんなにも忠良なユーザを冷淡に扱って許されるのか、無責任ではないか、というものです。

そもそも遊びにPCを使っているわけではないので、情報の交信と、書くための道具として、確実で信頼性のあるものであれば十二分。タッチパネルとか AV の4D処理とかはどうでもよいのです。もしや世界中のインテリ・物書きから国際的な損害賠償を求める訴訟が起こるのではないか、と考えていました。

で、本日MS社のサイトから探しあてたウェブページは:
→ http://www.microsoft.com/ja-jp/security/pc-security/mse.aspx

これから分かったのは、
「‥‥ Windows XP のサポートが終了するときに Microsoft Security Essentials を既にインストールしている場合、一定期間、お使いの PC のマルウェアを識別するための Microsoft Security Essentials 更新プログラムを入手できます。また、一定期間、Windows Update やダウンロード センターから Windows XP 用の悪意のあるソフトウェアの削除ツールを入手することもできます。
Windows XP 用のマルウェア対策製品の更新プログラムは、完全にサポートされているオペレーティング システムへの移行が終わるまで、お使いの Windows XP PC で特定のマルウェアの検出やブロックに役立てることができます。ただし、最新のセキュリティ更新プログラムが適用されていない PC ではマルウェア対策製品の有効性が制限されるため、お使いの PC は感染のリスクがあることに注意することが重要です。」
 ということは、すなわち、こう解釈できます。Windows XP のサポートは(損害賠償請求などに対応するために)Microsoft Security Essentials で実質的に継続する;「一定期間」というのは、他のページから「2015年7月14日」までということらしい**;ただし XP のサポート終了日より以前に Microsoft Security Essentials を既にインストールしている場合にかぎる、
と。
Hirschmann の 経営学における顧客の loyalty と voiceexit といった対照概念を連想しました。文句を言う(voice)客のほうが、黙って去る(exit)客より、はるかに大事で大切にすべき人びとなのです。マイクロソフト社さん、肝に銘じてね。

** http://blogs.technet.com/b/jpsecurity/archive/2014/04/03/eos-summary-windows-xp-office-2003.aspx より: このページの最後に近い Q&A を見てください。
→ 「サポート終了日までに完全に移行を完了できないというお客様が複数(!)いらっしゃる状況を考慮し、Windows XP に対するマルウェア対策ソフトの定義ファイルおよびエンジンのアップデートについては、2015年7月14日 (米国時間) まで継続します。
※対象製品:<中略>‥‥Microsoft Security Essentials (MSE)
この決定は、あくまでも、移行に猶予期間が必要なお客様の状況を考慮した上での決定であり、Windows XP の利用を推奨するものではありません。」
 

2014年4月3日木曜日

鳥越泰彦さん


にわかに信じられない訃報なので、出版社にも確かめました。悲しい事実です。
ご冥福をお祈りします。

<訃報>
2014年4月2日/麻布中学校・麻布高等学校からのお知らせ
3月29日(土)未明、社会科鳥越先生が国際交流の引率先、韓国にて就寝中に
心停止によりお亡くなりになりました。
ご家族の希望により、葬儀は密葬で行いますので、
香典や供物などは堅く辞退申し上げます。
https://twitter.com/takaya_ringo/status/451206722321776641

鳥越さんは、ぼくが東大西洋史に助教授として赴任した1988年の春、東大西洋史の修士課程に進学し、
西川正雄先生を指導教官として中欧史と歴史教育を研究しました。
そもそも早くから高校の世界史教師になるんだと公言しておられたが、その初志を貫徹して、
修士課程を修了後、そのまま麻布中高校の教諭に就職しました。
【1995年ころの大学院重点化より以前は、西川正雄、木畑洋一、木村尚三郎といった駒場の先生方も、本郷の人文科学研究科を担当しておられました。】

早くから西川さんが編集代表をつとめた三省堂の高校世界史を手伝っておられましたが、
三省堂が世界史教科書から撤退したあとは、
ぼくからお願いして、山川出版社の『新世界史』『現代の世界史』などについて現場教員として助言・提案・執筆していただくという関係でした。

多忙のなか、はりきっておられたのに‥‥      

2014年3月23日日曜日

ウェブ評いくつか

 こちらのブログの不具合で(といっても単にブラウザの設定支障に過ぎなかった模様です)、しばらく書きこみの意気阻喪していました。
 代わりにこちらの掲示板にて発言してきました。
→ http://kondo.board.coocan.jp/
「増刷の遅れ」、「歴史的な映画」、「電子書籍版」です。
 
 なお『イギリス史10講』についてウェブの世界、ブログ等でたいへん良い/上手なコメントを下さっているのは、この方々。皆さんに面識も(西島さん以外は認識も)ありませんが、ありがとうございます。今後の参考にさせていただきます。
1.http://d.hatena.ne.jp/nisijimadokusyo/20131225/1387949039
<西島建男さん。元朝日新聞・学芸部。『逆転の読書』の著者>

2.http://history-book.seesaa.net/article/387001972.html
2014年02月04日<匿名:史人(ふみひと)さん>

3.http://jhfk1413.blog.fc2.com/blog-entry-2409.html
<タイトル名には一寸たじろぐが、しっかりした内容です>

4.http://aandsaffairs.wordpress.com/2014/02/13/kondo-iwanami/
<Arts & Science Affairs >

5.http://ameblo.jp/bcewr898/entry-11742448592.html


 ほかにもぼくが気付いてないものが多々ありそうですが。
大新聞でまともなコメントを下さったのは『日本経済新聞』(2月23日)だけで、他はおざなりの扱い。
公共圏がマスコミから、対面談話とウェブへとゆっくり動いているのは、中華帝国だけのことではないのかも。

2014年3月4日火曜日

岩波の Facebook

岩波新書の Facebook というのが運用されていて、いろいろな催しや放送の情報などとともに、重版のお知らせも載っています(だれがどう反応しているのか、その片鱗も窺えます!)。

そこに 『イギリス史10講』 の第3刷のお知らせも。
じつは、先月末からローカルな本屋さんでは軒並みに品切れ状態でした。
https://www.facebook.com/iwanami.shinsho/posts/410523022426574?stream_ref=10

岩波書店にはお手数をかけましたが、この機会に、本文について(ふたたび!)マイナーな添削をさせてもらいました。

とはいえ、 Facebook にはぼくの本のように呑気な出版、重版のことばかりでなく、もう少し真剣なニュースもあります。 ご覧ください。
→ https://www.iwanami.co.jp/topics/index_i.html

2014年2月21日金曜日

鈴木博之さんと安西信一さん


 なんと予想もしない訃報が続きました。厳冬というのは関係あるでしょうか。

 鈴木博之さんは、『英国をみる』(リブロポート、1991)に「工業化以前の中世」を寄稿され、伊藤・吉田科研ではケインブリッジやエアフルトの都市史コンファレンスでご一緒しました。12月14日の「都市史学会」創立大会では、お姿を拝見したばかりで、たいした挨拶をしないままでいました。68歳、肺炎で急逝なさるなんて、だれが想像していたでしょうか。 「明治村」の館長もしておられたのですね。
→ http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/building/news/20140210/651029/

 さらに驚愕したのは、安西信一さんの急死です。
『朝日新聞』を定期購読していないぼくですが、必要が生じて、しかたがない、デジタル無料会員という制度を利用して、会員登録したところ、最初に飛びこんできたのが、あろうことか「東大准教授の安西信一さん死去」というニュースでした。
 個人的には1月24日付の葉書をいただいたばかりなのに。53歳、くも膜下出血。苦しかったことでしょう。
→ http://www.l.u-tokyo.ac.jp/bigaku/staff.html
「18世紀学会」では、ご心配ばかりおかけしました。
 いつだか東大文学部の催しでは、ジャズバンドを率いてフルートを吹かれました。

2014年2月19日水曜日

註釈『イギリス史10講』- または柴田史学との対話(上)


 『イギリス史10講』のあとがき p. 304 でもお約束のとおり、岩波新書の「脚注」というよりは研究史的解題に近い「註釈」の原稿を、先月27日に提出しました。編集実務の担当者にかなり急かされて、学年末の校務のさなか、時間的余裕がなかったので、(上)ということで第4講まで(~ p.112)で中締めとさせていただきました。匿名の査読者2名のご意見も考慮しつつ、改訂原稿を出したのが2月7日です。校正刷りはまだ目にしていません。
立正大学大学院紀要』の刊行予定日は3月15日と言われていますが、もし順調にいったとしても抜刷などの出そろうのはいつでしょう? しばらくお待ちください。
 上にも書いたような事情で前半だけとはいえ 21,000字を越えていて、『イギリス史10講』の本文ではかなり切り詰めてコンパクトに記したことの背景ないし根拠を説明しています。もっぱら近現代だけに関心のある方にも、方法的な構えとしてどういうことなのか、わかるように書いたつもりです。副題から全体のトーンは伝わるでしょう。

 ちなみに 「学内紀要を活用せよ」というのは、黒田先生の置き土産のような助言でもあり、早速に去年の 『立正史学』113号(礫岩政体と普遍君主:覚書)から利用させてもらっています。これからもそうします。

追記: 立正大学リポジトリに登載されました。どなたでも利用できます。 → http://repository.ris.ac.jp/dspace/handle/11266/5295

2014年2月12日水曜日

『10講』 増刷


 『イギリス史10講』(岩波新書)をめぐって、このページとは別に、相互発言のしやすい掲示板を用意してありますので、ご利用ください。
http://kondo.board.coocan.jp/

 おかげさまで、ローカルな本屋さんでは1月末から品切れ状態だったようですが、第2刷が出ました。奥付によると2月14日発売、とはいえ、すでに在庫です。「品切れ」という表示があっても、注文してみてください。

 年の瀬に出版された『10講』の仕上がりをみると、残念ながら、原図がカラーの図版は写真がかなり暗い印象になって、また地図にもごく細かい問題、本文にも不十分な箇所が残ってしまいました ! こうした点を気に病んでいました。
 増刷の機会にこれさいわいと、技術的に可能な修正をほどこし、また好評なので文中の参照ページ指示(p.*)をふやし、索引も窮屈なスペースながらほんのすこし改良しました。

 改訂版ではないので、パラグラフを入れ替えるような大きな改訂はできません。本質的には同じ本ですが、問題かなと思われた場合は、こちらの第2刷を参照してみてください。
 これからも、お気づきのことがあれば、大小いずれであれ、ご指摘ください。

2014年2月8日土曜日

すべて雪のせい

 今日は積雪で都心部も歩行はたいへんですが、とても静かです。午後、大学の会議に出て、そのあとは必要なコピーなどしていますが、このあと成績入力で、今晩も奮闘します。

 ところでJR東日本の駅に貼られているスキーの美少女ポスターですが、「ぜんぶ雪のせいだ」というキャッチが、おもしろく効果的。
「ぜんぶキミのせいだ」とすると、直截すぎて了見が狭く、おもしろさがない。
「ぜんぶスキーのせいだ」とすると、これはまた宣伝でしかなくなる。
「ぜんぶ雪のせいだ≒雪のおかげだ」とすると、おかしいが真実。印象的なキャッチとなる。

 試験の終わった学生たちの冬の vacation !
もうすこし大人になると、in vino veritas とか、つぶやくようになるよ。

2014年2月4日火曜日

『みすず』 読書アンケート特集


月刊のみすず』1/2月号、到来。「読書アンケート特集」、例年のことですが、156人の物書きたちが新刊・旧刊の本について所感を述べる、自由な空間です。しかも(おそらくは)原稿の到来順に組んであるので、だれの稿がだれの後に、といったことは予想不可能。

宮地尚子さんという(ぼくの存じあげない)方は、書物として『みすず』「読書アンケート特集」そのものを挙げておられます。「‥‥書き手の個性が豊か。その時々の心情を吐露したものや、自己宣伝に近いもの、自分の好みというより自分の領域で読んでほしいものの紹介など、様々。‥‥隠れた精神的系譜も見えてきます」(p.24)とのこと。大新聞の書評欄とは全然ちがう知的な宇宙が広がり、ぼくの大事な勉強部屋です。というより、たとえればオクスブリッジにおける SCR かな。オクスフォードでは Senior Common Room, ケインブリッジでは Senior Combination Room と微妙な表記の違いは譲らないんだが、実質は同じ。
みすず書房の「ハウス・スタイル」への賛辞も、自然と受けとめられます(p.57)。
坪内祐三さんという方には、ルカーチ『歴史学の将来』(11月刊)にも言及していただきました。「フール・ジャパンに必要なのは、現代史(つまり政治)リテラシーだ」(p.110)といった発言もあって、いまだ捨てたものではないな、という気になります。

ところで、ぼくの挙げたものはというと、
ハンナ・アーレント『イェルサレムのアイヒマン』(みすず書房、1969)
ステュアート・ヒューズ『大変貌』(みすず書房、1978)
熊野純彦『日本哲学小史』中公新書、2009
熊野純彦『和辻哲郎』岩波新書、2009
です。
横文字のものを少なくとも1つという、例年、自分に課している方針を守ることができなかったことにも現れているとおり、熟慮する時間がなくて、すぐ手近のものを列挙。これでも中長期にわたって振り返ると、なんらかの意味が見えてくるんでしょう。恐ろしい。

2014年1月28日火曜日

歴史と歴史学の将来


 22日に書き付けましたブログの最後に、ルカーチ『歴史学の将来』(みすず書房、2013)に触れました。これは John Lukacs, The Future of History (Yale U.P.) の翻訳で、ぼくは監修者というかかわりですが、巻末の「解説」を書いています。じつにおもしろい本です。アメリカの学問および大学のありかたにたいするリベラル知識人の警鐘ですが、ほとんど日本の現状/近い将来のことを語っているかと思わせるほどです。

 この本についてのウェブ書評があると知らされて、読みました。筆者の出口治明さんという方は存じませんでしたが、会社の取締役会長・CEOとのこそ。すごいインテリ・ビジネスマンですね。
http://blogs.bizmakoto.jp/deguchiharuaki/entry/17292.html
 1948年生まれで京都大学卒、ということは、ぼくとも本質的には似た学生生活を送ったのかな?

 かつて大塚久雄や丸山眞男がイロンなことを申し立てて、「遅れている」「ゆがんでいる」と難じていた日本社会も、じつはこの数十年間にはるかに成熟して、進歩的文化人のオクシデンタリズム的劣等複合は、とっくに「置いてけ堀」をくらっている; 戦後民主教育と高度経済成長の実は上がっている、ということでしょうか。
 むしろルカーチ的なヨーロッパ中心=教養主義による現状批判は、「遅れている日本」でなく「進んでいる日本」にたいする批判力をどれだけもっているかという風に、前向きに捉え直したいですね。

2014年1月22日水曜日

『民のモラル』 から 『10講』 への変身?


 いただく私信のうち、次のW先生のようなものも、じつはめずらしくありません【後半のセンテンスのことです】。
「‥‥洗練された叙述に、細部へのこだわりと大きな展望が結びつき、短い表現にも多くの省察がふまえられていて、ご苦心の跡をしのぶことができ‥‥」とかいうお誉めの言葉【有難うございます】に続いて、
「‥‥[近藤]御自身としては 『民のモラル』 あたりまでに比べて大変身のようにも思われ、そのことの意味はぼくたちへの大きな問いかけでしょう。9.11、3.11などのあと、歴史研究の方向を模索しようとするとき、御著の意義を反芻することができるかと思いました。」

 全体に暖かく厳しい励ましとして受けとめますが、ただし、『10講』(2013) は 『民のモラル』(1993)からみると「大変身」なのか?
本人としては歴史研究および執筆にあたっての姿勢は変わっていない/一貫しているつもりなのです。出版のテーマが民衆文化か通史か、ということ以外には、 <歴史のフロンティア> も岩波新書も基本は共通しています。岩波新書のほうが読者層が多様で、また「元学生」の方も少なくない、という傾向性は承知していますが、それが執筆スタイルを変化させたわけではありません。
α もちろんアカデミズムの面々が構える桟敷席も向こうに見えてはいますが、それより本を読む学生、勤め人や街のインテリが一杯の平戸間に顔をむけています【『民のモラル』も、リサーチと史料分析による本でしたが、註はありませんでした】。
β みなさんに「こんな事実があった」「こんな時代があった」「研究により、こんなことまで分かっている」「で、君はどう思う?」と 『民のモラル』でも対話をしかけたつもりだし、今回の『10講』 でもそうです。
 むしろ新しい問題としては、民衆文化の自律性まではよいとして、歴史のagency としての推進力/構想力を考えると、どうか? といった問いかけが、『民のモラル』では弱かった。ましてや歴史の contingency、「諸力の平行四辺形」(エンゲルス)といったアジェンダは表面に出ていなかった。だからこそ、次に『文明の表象 英国』(1998)といった異質な出版が必要でした。
執筆スタイルといえば、この20年間にすこし経験を重ねて、ほんのすこし表現力は増したかもしれません。「簡にして要」だけを追求するのでなく 「溜め」を取るとか、逆に、くどくど経過説明せずに(映画や演劇のように)舞台を回してしまい、後から事情が分かるようにするとか‥‥。

 別のある読者は、おわりまで通読してから、今度は所どころ拾い読みをして、意味を確かめたり、余韻に耽ったりして下さっているとか。有難いことです。 『歴史学の将来』 のルカーチ先生にも読んでいただけると嬉しいな。

2014年1月15日水曜日

『イギリス史10講』 と 映画

 さいわい、良き読者をえて、ご挨拶以上に心のこもった/実質的なお言葉もいただいています。ありがとうございます。
そのなかで、映画についての感想やコメントもいただいていますので、ひとこと。

『イギリス史10講』では(最初の構想から意識して)本筋に関連するかぎりで、できるだけ映画や演劇・文学作品に言及しようと思いました。ただし、これは「一般受けするために」ということではなく、むしろ 『タイタニック』も『インドへの道』も『日の名残り』も『英国王のスピーチ』も、これなしでは話が進まないというべきか、エッセンスのような役割を負っています。図版が飾りでなく本文と同じく重要だ、というのと似ています。
それじゃ、逆に、『ベケット』はないの? シェイクスピアなら『マクベス』でしょう! といったご質問もあり、お答えは苦しい。つまり、この300ページの本が2倍の600ページになってよいなら、作品だけじゃなくて、もっと興味深いエピソードや人物はたくさんあるわけだし、いくらでもさらに充実させることができたでしょう。とにかく岩波新書1冊で、というのは絶対の条件でしたから、その枠内でどういった工夫ができるか、悩ましい問題でした。
その補いになったかどうか、縦組の本文に (p.*) という形で参照ページを挿入したのは、短く、しかし目立つ、効果的なやり方だったな、と思っています。 
増刷が出るときには(p.*)の表示をすこし増やしましょう!
【→7刷ではさらに各講の扉ページ写真にも該当ページを明示しました。】

2014年1月7日火曜日

謹賀新年

 新年をいかにお迎えでしょうか。
東京地方はおだやかで、すでに大学も平常の日々が始まっています。卒業論文・修士論文の提出をサポートすべく、ぼくも連日出勤しています。

 おかげさまで昨年末には
・『歴史学の将来』(監修: みすず書房、11月)
・『イギリス史10講』(単著: 岩波新書、12月)
の2冊の刊行まで漕ぎ着けることができました。年来の知友の叱咤激励、編集担当者の奮闘努力のおかげです。ありがとうございます。どちらもそれなりに好評のようで、うれしいことです。
 なお、とくに『イギリス史10講』については、双方向の討論のしやすい掲示板として
http://kondo.board.coocan.jp/
を用意してあります。どうぞご利用ください。

 じつは他にも長年の「負債」のように持ちこしている課題は少なくなく、「註釈:イギリス史10講」や日英歴史家会議(AJC)の出版、そして 『民のモラル』 (ちくま学芸文庫版) をはじめとして、順々に、ポジティヴに実現してゆきます。

 旧臘に上野で「ターナー展」、神保町で映画「ハンナ・アーレント」を続けて見たことも、とても知的に励まされるよい経験でした。時代のなかで創造的な知識人がどう生きるか。どちらも立正大学の西洋史の院生と一緒に見ることができて幸せでした。