5月17日の学会小シンポジウムに向けて準備はドタバタしましたし、当日も(ぼくは)あたふたと時間超過でお話しし、討論の部でも司会の期待どおりとはゆかず、済みませんでした。↓のような表紙に始まるPPTにより、ベイシックなお話をしました。
そのうちの後半、OEDのデータによる republic / republicanism, democracy / democratic の使用頻度の増減グラフはそれなりの意味があって、ひとを考えさせるものがあったのではないでしょうか。フロアでは久しぶりに元気なお顔を拝見できた方々もありました。
このシンポを核に、他の報告も一緒に英語/日本語の本として出版できるよう、すでに動き出しています。西洋史学会大会シンポをもとにした論集は少なくありませんが、ぼくがかかわったもので既刊のものには
『長い18世紀のイギリス その政治社会』近藤(編)(山川出版社、2002)
『礫岩のようなヨーロッパ』古谷・近藤(編)(山川出版社、2016)
『王のいる共和政 ジャコバン再考』中澤(編)(岩波書店、2022)がありました。
『「主権国家」再考 近代を読み替える』中澤(責任編集)(岩波書店、2025)の場合は、歴史学研究会大会の合同部会シリーズにもとづくものでした。
それぞれの準備のための討論に加えていただき/もろもろの勉強をすることができました。ありがとうございました。
2026年5月26日火曜日
2026年5月13日水曜日
日本西洋史学会大会(於)日本女子大学
5月17日(日)の日本西洋史学会大会(於)日本女子大学における午後の小シンポジウムですが、もくじ的なプログラムぺージが更新されました。
→ https://seiyoushigakkai.com/2026/common/pdf/symposium.pdf
中澤科研の「民主共和政」の会場は、他の小シンポとは別棟の「成瀬記念講堂」とのことです! ただし、事前に(3月に)実行委員会あてに提出した報告要旨についてはオフラインのままのようです。
日本女子大学といえば、青山吉信、喜安朗両先生、そして森田安一さんのころからお世話になっている大学です。久しぶり、といっても前に訪れてから数えて30年近く(!)経っているでしょうか。そういうこともあって、気を入れて準備しています。
ぼくの第1報告要旨について、修文を加えたものを、あらかじめ公開いたします。
→ 右肩の Features:「デモクラシーを歴史的に問いなおす」をご覧ください。
→ https://seiyoushigakkai.com/2026/common/pdf/symposium.pdf
中澤科研の「民主共和政」の会場は、他の小シンポとは別棟の「成瀬記念講堂」とのことです! ただし、事前に(3月に)実行委員会あてに提出した報告要旨についてはオフラインのままのようです。
日本女子大学といえば、青山吉信、喜安朗両先生、そして森田安一さんのころからお世話になっている大学です。久しぶり、といっても前に訪れてから数えて30年近く(!)経っているでしょうか。そういうこともあって、気を入れて準備しています。
ぼくの第1報告要旨について、修文を加えたものを、あらかじめ公開いたします。
→ 右肩の Features:「デモクラシーを歴史的に問いなおす」をご覧ください。
2026年3月25日水曜日
『近代日本の歴史学とフランス』
高澤紀恵・平野千果子(編)、山川出版社で今月刊です。副題に「日仏交流150年の軌跡から」とあるとおり、歴史ある日仏会館で2024年12月に催されたシンポジウムにもとづく、報告・討論集。
ぼくも巻末に「反省的所感 西洋史研究におけるフランス学」というのを寄稿しています。ご覧になれば一目瞭然のとおり、この一文と『「歴史とは何か」の人びと 20世紀知識人群像』(岩波書店、2026)の該当部分とは、相互参照の関係にあり、照合しています。最後の校正をしている段階で、両方のゲラ刷りを見ながら調整したところもあります。また中澤(編)『王のいる共和政 ジャコバン再考』(岩波書店、2022)の序章「研究史から見えてくるもの」でも論じた点については、それと同一の典拠註となりそうな箇所は省略しています。
つまり今回の「反省的所感」は計12ぺージで短いけれど、書き飛ばしたのではなく、このかんの問題意識を凝縮してしたためました。
つまり今回の「反省的所感」は計12ぺージで短いけれど、書き飛ばしたのではなく、このかんの問題意識を凝縮してしたためました。
2026年3月1日日曜日
『「歴史とは何か」の人びと 20世紀知識人群像』読者との交信 IV
OTさん
‥‥まず全体として本書は、『歴史とは何か』の副読本にとどまることなく、また内容的にも E.H.カーをめぐる人々の単なるエピソード集に収まることなく、20世紀の史学史・ヨーロッパ思想史になっている、と感じました。
最も印象に残ったのは、いかに20世紀のイギリスがヨーロッパからの頭脳の流入により受益していたか、という点です。ネイミアやエルトン、ホブズボームといった歴史家に加え、バーリンやポパーといった20世紀思想史の最重要級もその列に連なります。こうしてみると、20世紀のイギリスは長期衰退過程にあっても、最強の国際言語たる英語と教育/研究機関、リベラルな政治体制により、すばらしい人材を誘引していたことが改めてわかりました。同じ衰退国でも、21世紀の日本では逆立ちしても真似できそうもないのが、悲しいところです。
<中略>
また、カーのある種の欠落を明らかにする7章、8章も、非常に効果的だと思います。『パースト&プレズント』の面々との没交渉、フランス革命史研究への言及の欠如は、カーの知的傾向を理解するうえで重要でしょう。また女性たちおよび周辺人物とのコミュニケーション不全(15章)も、著作のみからはうかがえない彼の人格的凹凸をよく示しており、彼を把握するための助けになろうと思われます。
誰もが知る思想史上の大物ももちろんですが、個人的にはアクトンあたりに深い解説が加えられているのがありがたいです。主だった単著も邦訳もないアクトンの場合、特別な関心がない限り彼の著作を読むことも調べることもまずないと思われるので、彼の業績や歴史的評価に関する記述が読めるのは、貴重だと思います。
マンチェスタ大学史学科に関する記述(特にp. 219-220)も心が躍りました。わけても「オクスフォード・マンチェスタ・ケインブリッジ・ロンドンの4点からなる四角形」なる表現は、非常に誇らしい思いを抱かせるものでした。
以下には(些末ですが)気になった点を。
「付記10 LSEの変貌」の最終センテンス(p.180)、「そこにはかつてのように前近代の歴史を研究する教員はいない」という表現について。この文章は二重にとれまして、「LSEにはもう前近代経済史の専門家はいない」とも、「かつてのように」が「研究する」にかかるとすると「LSEの前近代経済史家の姿勢がかつてとは変わってしまった」とも解釈できます。いずれにせよ、「LSEにおける前近代経済史研究にかつての勢いはない」、あるいは、「前近代経済史研究から熱気が失われた」くらいの意味の文章だと拝察します。
しかし例えば、Oliver Volckart、イギリス史のPatrick Wallisなどは近世経済史において手堅い研究をしていると思います。アジア史でも、Tirthankar Royなどの仕事はどうでしょうか。
別にLSEを擁護する義理はないのですが、LSE:Department of Economic Historyの教員一覧を眺めるに、前近代についても専門誌でよく見る名前がそろっていて、依然として経済史研究の最前線だな、というのが私の印象です。これ以上充実した経済史のスタッフを揃えている機関は、そうはない。確かに往年のPatrick O'Brienのような大物が見当たらない、といわれればその通りです。また「黄金時代」のような熱気が感じられないとするなら(それも否定できません)、個々人の資質というより「付記」にも指摘されるとおり、もっと大きな知的潮流の変化に原因があるのでしょう。
OTさんに近藤より返信
ほとんど書評のようなコメント=メールをいただきました。内実のあるコメントを下さって、うれしい。たいへん心強く受けとめて、筆が軽く流れてしまった箇所など反省しています。
¶ マンチェスタについては、最初の留学で Boyd Hilton と V.A.C. Gatrell の指導を受けつつリサーチを開始したのですが、Manchester Central Library で Douglas Farnie先生(1926-2008)に会えてからは、ローカルな事情についてのお知恵を伝授していただくばかりでなく、史学史的な話もお好きなので、イギリスでも日本でも、会ってお話するのが楽しくなりました(拙著では p.281)。1987年9月に京都にいらしたときの写真をご覧にいれます(ぼくもまだ40歳になったばかり!)。
¶ 今日のLSEにおける歴史的学問の現状については、すみません、印象主義的な記述で凌いでしまいました。「付記10」p.180 の記述は、12行目「飛ぶ鳥を落とす勢いがある。」で終わりとし、以下は削除します。ここはむしろ、LSEは経済学自体の変貌、そしてヨーロッパ(西欧)中心史観からグローバルな視野への移行といった大きな変化を、オクスブリッジよりもはっきり代表具現している、と言うべきだったかもしれません。
‥‥まず全体として本書は、『歴史とは何か』の副読本にとどまることなく、また内容的にも E.H.カーをめぐる人々の単なるエピソード集に収まることなく、20世紀の史学史・ヨーロッパ思想史になっている、と感じました。
最も印象に残ったのは、いかに20世紀のイギリスがヨーロッパからの頭脳の流入により受益していたか、という点です。ネイミアやエルトン、ホブズボームといった歴史家に加え、バーリンやポパーといった20世紀思想史の最重要級もその列に連なります。こうしてみると、20世紀のイギリスは長期衰退過程にあっても、最強の国際言語たる英語と教育/研究機関、リベラルな政治体制により、すばらしい人材を誘引していたことが改めてわかりました。同じ衰退国でも、21世紀の日本では逆立ちしても真似できそうもないのが、悲しいところです。
<中略>
また、カーのある種の欠落を明らかにする7章、8章も、非常に効果的だと思います。『パースト&プレズント』の面々との没交渉、フランス革命史研究への言及の欠如は、カーの知的傾向を理解するうえで重要でしょう。また女性たちおよび周辺人物とのコミュニケーション不全(15章)も、著作のみからはうかがえない彼の人格的凹凸をよく示しており、彼を把握するための助けになろうと思われます。
誰もが知る思想史上の大物ももちろんですが、個人的にはアクトンあたりに深い解説が加えられているのがありがたいです。主だった単著も邦訳もないアクトンの場合、特別な関心がない限り彼の著作を読むことも調べることもまずないと思われるので、彼の業績や歴史的評価に関する記述が読めるのは、貴重だと思います。
マンチェスタ大学史学科に関する記述(特にp. 219-220)も心が躍りました。わけても「オクスフォード・マンチェスタ・ケインブリッジ・ロンドンの4点からなる四角形」なる表現は、非常に誇らしい思いを抱かせるものでした。
以下には(些末ですが)気になった点を。
「付記10 LSEの変貌」の最終センテンス(p.180)、「そこにはかつてのように前近代の歴史を研究する教員はいない」という表現について。この文章は二重にとれまして、「LSEにはもう前近代経済史の専門家はいない」とも、「かつてのように」が「研究する」にかかるとすると「LSEの前近代経済史家の姿勢がかつてとは変わってしまった」とも解釈できます。いずれにせよ、「LSEにおける前近代経済史研究にかつての勢いはない」、あるいは、「前近代経済史研究から熱気が失われた」くらいの意味の文章だと拝察します。
しかし例えば、Oliver Volckart、イギリス史のPatrick Wallisなどは近世経済史において手堅い研究をしていると思います。アジア史でも、Tirthankar Royなどの仕事はどうでしょうか。
別にLSEを擁護する義理はないのですが、LSE:Department of Economic Historyの教員一覧を眺めるに、前近代についても専門誌でよく見る名前がそろっていて、依然として経済史研究の最前線だな、というのが私の印象です。これ以上充実した経済史のスタッフを揃えている機関は、そうはない。確かに往年のPatrick O'Brienのような大物が見当たらない、といわれればその通りです。また「黄金時代」のような熱気が感じられないとするなら(それも否定できません)、個々人の資質というより「付記」にも指摘されるとおり、もっと大きな知的潮流の変化に原因があるのでしょう。
OTさんに近藤より返信
ほとんど書評のようなコメント=メールをいただきました。内実のあるコメントを下さって、うれしい。たいへん心強く受けとめて、筆が軽く流れてしまった箇所など反省しています。
¶ マンチェスタについては、最初の留学で Boyd Hilton と V.A.C. Gatrell の指導を受けつつリサーチを開始したのですが、Manchester Central Library で Douglas Farnie先生(1926-2008)に会えてからは、ローカルな事情についてのお知恵を伝授していただくばかりでなく、史学史的な話もお好きなので、イギリスでも日本でも、会ってお話するのが楽しくなりました(拙著では p.281)。1987年9月に京都にいらしたときの写真をご覧にいれます(ぼくもまだ40歳になったばかり!)。
¶ 今日のLSEにおける歴史的学問の現状については、すみません、印象主義的な記述で凌いでしまいました。「付記10」p.180 の記述は、12行目「飛ぶ鳥を落とす勢いがある。」で終わりとし、以下は削除します。ここはむしろ、LSEは経済学自体の変貌、そしてヨーロッパ(西欧)中心史観からグローバルな視野への移行といった大きな変化を、オクスブリッジよりもはっきり代表具現している、と言うべきだったかもしれません。
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2026年2月18日水曜日
『「歴史とは何か」の人びと 20世紀知識人群像』の読者より III
あいつぐ私信から、シャープな指摘、そして思考の糧をいただいています。有難いことです。その一部をご紹介します。
HMさん
‥‥『図書』連載が始まったときから、毎号拝読しておりましたが、それを数段もヴァージョンアップされた、とても内容の充実した御本ですね。カー/『歴史とは何か』を取り巻く歴史家・学者の研究・著作からプライベートまで、それぞれの個性が伝わってきました。20世紀イギリスの知識人のコミュニティを、立体的というのでしょうか、「ポリフォニー」的に感じ取ることができました。
錚々たる歴史家・学者ばかりでそれぞれの研究の意義をおさえるだけでも至難ですのに、各章のタイトルに掲げられた人物はもとより、現在の歴史家についてのエピソードも織り交ぜられ(キャナダインとコリーの結婚公告まで!)、大変面白かったです。また「付記」では歴史学の見方、日本の歴史学の先駆性・独創性にも言及されていて、イギリスを越えた同時代的な様子を知ることができたのも、有益でした。ご自身のリサーチによる『歴史とは何か』のアメリカ版刊行に関する書状の発見は、とてもスリリングでした。
拝読していつも感じるのですが、文体に無駄がないと申しますか、よく研かれていると感じます。加えて、アイリーン・パウワの箇所で「元気(パウワ)にあふれるアイリーン」「‥‥社会政策の「発電所(パウワ・ステーション)」と韻を踏まれるなど、読み手を楽しませてくれます。‥‥
NSさん
‥‥イギリスの歴史家論というと、ジョン・ケニヨン『近代イギリスの歴史家たち』を思い起こしますが、ケニヨンが情報豊富で勉強になりはするものの、記述がやや平板なのと比べると、ご著作のほうは人物の複合的背後が浮かび上がると同時に、筆致が活き活きしており、とても面白く、勉強になりました。
折に触れて示される鋭い洞察もとてもためになりました(アクトンがなぜ大著をまとめられなかったか、歴史家に構想力が必要なこと、しかし近年、資料の撮影が容易になり、資料フェティシズムには注意すべきこと‥‥)。
アダム・スミスがオクスフォード時代に読書に打ち込んだことにも言及されておりますが、近年の研究を踏まえても言えることで重要だと思います。かつてはスミスはオクスフォードであまり学びがなかったとされていましたが、フィリップスンらにより、スミスはオクスフォードで、グラスゴー大学にはない書籍に触れたことがわかってきました。
思想をどう歴史に組み入れるか、歴史的実態の中の思想をとくに意識するようになり、その点模索中です。とくに日本の思想史は、テキスト解釈に集中し、歴史的実態との関連を軽視する傾向にあります(内田義彦なども歴史を重視しましたが、それは講座派的な理解だったと思います)。イギリスの歴史解釈の層の深さを感じておりましたが、それはじつは20世紀に発展したものでした。‥‥
SOさん
‥‥歴史をやっている者にとってこの本が意義深いのは、一方で第15章で「わたしは孤独で、そして深く不幸です」というよく引用される言葉の本当の意味を教えてくれるというようなことだけでなく、『歴史とは何か』に登場する人たちが、20世紀史のなかに位置づけられ描写されていることだと思います。これは近藤さんにしかできない仕事だと思います。歴史学界の端っこにいる私にとって、興味深いだけでなく勉強にもなったところです。たとえば『P&P』誌の変身の舞台裏について、などなど。
個人的になるほどと思ったのはR・H・トーニのところでした。彼の人となりが魅力的なのは大昔に『ハエとハエとり壺』を読んで以来ですが、ながいこと彼が熱心なアングリカン[国教徒]だったことがしっくりきませんでした。ウェーバーの読み過ぎだったのかもしれません。[人口・家族史の]ケンブリッジ・グループの創立者たちがノンコンフォーミスト[非国教徒]だったことにも影響されていたかもしれません。‥‥
それが今回R・H・トーニの親友三人組の話を読んで、だいぶわかってきたように思います。その一人テンプルがアングリカンでキリスト教社会主義者、最後は大主教になったことを知り、あの時代のアングリカン改革派は国教会を内側から動かし、三人組のもう一人ベヴァリッジが構想した福祉国家への道を推し進めることになったのだと理解しました。有意義で楽しい読書でした。
KYさん
‥‥こうしてまとまって読ませていただくと、『図書』で拝読した時以上に、イギリスの歴史家たちへの近藤さんのまなざしがよく分る気がします。近藤さんが最も愛着を覚えているのはネイミアだろうという印象で読み終わりましたが、違っているでしょうか。
『図書』にはなかった「付記」も、日本関係の話題などを盛り込まれる形で、それぞれ短いながら読み応えがありました。カーの新訳同様、多くの方に読まれる本だと思います。
KYさんに近藤より返信
‥‥ぼくが一番愛着を覚えるのがネイミアなのかどうか、よく分かりません。ある時期にそうだったのかもしれませんが‥‥。カーその人については、ぼくとは違うタイプの人だが、理解はできる、という所まで辿り着きました!(かつて E.P.トムスンに距離感を覚えて以来、)あまり特定の一人に執着することはないかもしれません。むしろ拙著の執筆のために勉強した結果、従来は嫌いだった/理解の外だった、トレヴァ=ローパとか K.ポパーとかについて、少しは理解が増した気がします。
個人的に申しますと、1970年代に、フランス革命、18世紀英仏の民衆運動といったことで R.コッブ、G.リュデ、R.B.ローズ、M.ベロフなども読んでいたのですが、今回はこの人たちと E.P.トムスンばかりかネイミア(そしてベロフの場合はカー)との関係/摩擦まで浮かびあがってきて、目の覚める思いです。
フランス革命修正論とベティ・ベーレンス、そのカーへのつながりについて、なおまた I.バーリンが1955年にアリーンと婚約発表したあと(結婚前のハネムーンとして)夏の南フランスから車でたっぷり大旅行を敢行し、ローマの国際歴史学会議に向かったことについても(p.165)、柴田三千雄先生がお元気なら、ぜひ伝えたかったことでした。
【まだぼくが学部の5年生のころ、本郷の喫茶店で柴田先生から、世紀転換期ウィーンにおけるウェーバーの周辺の知識人世界をやるのも面白いんじゃないか、と誘惑されたことを、今ごろになって想い出しました。まだカール・ショースキの安井訳『世紀末のウィーン 政治と文化』(岩波、1983)が出るよりはるか前のことでしたが、ぼくが駒場で折原ゼミに精勤していたのをご存知だったので、柴田さんと西川正雄さんのあいだの懇談から、こうした発言が派生したのかもしれません。】
全体を通じてですが、巻末の「人物対照年表」の18名(→ 右上の Features に特別ぺージを設けました)について列伝みたいなものを試みたことにより、相互の意外なほどの関係が見えてきたのは収穫でした。当初に考えていたよりずっとテマヒマかかりましたが、調査探究の実が上がり、historiaという営みを生涯の仕事としてきたがゆえの喜び(これを醍醐味!というのでしょうか)を感じています。
HMさん
‥‥『図書』連載が始まったときから、毎号拝読しておりましたが、それを数段もヴァージョンアップされた、とても内容の充実した御本ですね。カー/『歴史とは何か』を取り巻く歴史家・学者の研究・著作からプライベートまで、それぞれの個性が伝わってきました。20世紀イギリスの知識人のコミュニティを、立体的というのでしょうか、「ポリフォニー」的に感じ取ることができました。
錚々たる歴史家・学者ばかりでそれぞれの研究の意義をおさえるだけでも至難ですのに、各章のタイトルに掲げられた人物はもとより、現在の歴史家についてのエピソードも織り交ぜられ(キャナダインとコリーの結婚公告まで!)、大変面白かったです。また「付記」では歴史学の見方、日本の歴史学の先駆性・独創性にも言及されていて、イギリスを越えた同時代的な様子を知ることができたのも、有益でした。ご自身のリサーチによる『歴史とは何か』のアメリカ版刊行に関する書状の発見は、とてもスリリングでした。
拝読していつも感じるのですが、文体に無駄がないと申しますか、よく研かれていると感じます。加えて、アイリーン・パウワの箇所で「元気(パウワ)にあふれるアイリーン」「‥‥社会政策の「発電所(パウワ・ステーション)」と韻を踏まれるなど、読み手を楽しませてくれます。‥‥
NSさん
‥‥イギリスの歴史家論というと、ジョン・ケニヨン『近代イギリスの歴史家たち』を思い起こしますが、ケニヨンが情報豊富で勉強になりはするものの、記述がやや平板なのと比べると、ご著作のほうは人物の複合的背後が浮かび上がると同時に、筆致が活き活きしており、とても面白く、勉強になりました。
折に触れて示される鋭い洞察もとてもためになりました(アクトンがなぜ大著をまとめられなかったか、歴史家に構想力が必要なこと、しかし近年、資料の撮影が容易になり、資料フェティシズムには注意すべきこと‥‥)。
アダム・スミスがオクスフォード時代に読書に打ち込んだことにも言及されておりますが、近年の研究を踏まえても言えることで重要だと思います。かつてはスミスはオクスフォードであまり学びがなかったとされていましたが、フィリップスンらにより、スミスはオクスフォードで、グラスゴー大学にはない書籍に触れたことがわかってきました。
思想をどう歴史に組み入れるか、歴史的実態の中の思想をとくに意識するようになり、その点模索中です。とくに日本の思想史は、テキスト解釈に集中し、歴史的実態との関連を軽視する傾向にあります(内田義彦なども歴史を重視しましたが、それは講座派的な理解だったと思います)。イギリスの歴史解釈の層の深さを感じておりましたが、それはじつは20世紀に発展したものでした。‥‥
SOさん
‥‥歴史をやっている者にとってこの本が意義深いのは、一方で第15章で「わたしは孤独で、そして深く不幸です」というよく引用される言葉の本当の意味を教えてくれるというようなことだけでなく、『歴史とは何か』に登場する人たちが、20世紀史のなかに位置づけられ描写されていることだと思います。これは近藤さんにしかできない仕事だと思います。歴史学界の端っこにいる私にとって、興味深いだけでなく勉強にもなったところです。たとえば『P&P』誌の変身の舞台裏について、などなど。
個人的になるほどと思ったのはR・H・トーニのところでした。彼の人となりが魅力的なのは大昔に『ハエとハエとり壺』を読んで以来ですが、ながいこと彼が熱心なアングリカン[国教徒]だったことがしっくりきませんでした。ウェーバーの読み過ぎだったのかもしれません。[人口・家族史の]ケンブリッジ・グループの創立者たちがノンコンフォーミスト[非国教徒]だったことにも影響されていたかもしれません。‥‥
それが今回R・H・トーニの親友三人組の話を読んで、だいぶわかってきたように思います。その一人テンプルがアングリカンでキリスト教社会主義者、最後は大主教になったことを知り、あの時代のアングリカン改革派は国教会を内側から動かし、三人組のもう一人ベヴァリッジが構想した福祉国家への道を推し進めることになったのだと理解しました。有意義で楽しい読書でした。
KYさん
‥‥こうしてまとまって読ませていただくと、『図書』で拝読した時以上に、イギリスの歴史家たちへの近藤さんのまなざしがよく分る気がします。近藤さんが最も愛着を覚えているのはネイミアだろうという印象で読み終わりましたが、違っているでしょうか。
『図書』にはなかった「付記」も、日本関係の話題などを盛り込まれる形で、それぞれ短いながら読み応えがありました。カーの新訳同様、多くの方に読まれる本だと思います。
KYさんに近藤より返信
‥‥ぼくが一番愛着を覚えるのがネイミアなのかどうか、よく分かりません。ある時期にそうだったのかもしれませんが‥‥。カーその人については、ぼくとは違うタイプの人だが、理解はできる、という所まで辿り着きました!(かつて E.P.トムスンに距離感を覚えて以来、)あまり特定の一人に執着することはないかもしれません。むしろ拙著の執筆のために勉強した結果、従来は嫌いだった/理解の外だった、トレヴァ=ローパとか K.ポパーとかについて、少しは理解が増した気がします。
個人的に申しますと、1970年代に、フランス革命、18世紀英仏の民衆運動といったことで R.コッブ、G.リュデ、R.B.ローズ、M.ベロフなども読んでいたのですが、今回はこの人たちと E.P.トムスンばかりかネイミア(そしてベロフの場合はカー)との関係/摩擦まで浮かびあがってきて、目の覚める思いです。
フランス革命修正論とベティ・ベーレンス、そのカーへのつながりについて、なおまた I.バーリンが1955年にアリーンと婚約発表したあと(結婚前のハネムーンとして)夏の南フランスから車でたっぷり大旅行を敢行し、ローマの国際歴史学会議に向かったことについても(p.165)、柴田三千雄先生がお元気なら、ぜひ伝えたかったことでした。
【まだぼくが学部の5年生のころ、本郷の喫茶店で柴田先生から、世紀転換期ウィーンにおけるウェーバーの周辺の知識人世界をやるのも面白いんじゃないか、と誘惑されたことを、今ごろになって想い出しました。まだカール・ショースキの安井訳『世紀末のウィーン 政治と文化』(岩波、1983)が出るよりはるか前のことでしたが、ぼくが駒場で折原ゼミに精勤していたのをご存知だったので、柴田さんと西川正雄さんのあいだの懇談から、こうした発言が派生したのかもしれません。】
全体を通じてですが、巻末の「人物対照年表」の18名(→ 右上の Features に特別ぺージを設けました)について列伝みたいなものを試みたことにより、相互の意外なほどの関係が見えてきたのは収穫でした。当初に考えていたよりずっとテマヒマかかりましたが、調査探究の実が上がり、historiaという営みを生涯の仕事としてきたがゆえの喜び(これを醍醐味!というのでしょうか)を感じています。
2026年2月15日日曜日
『「歴史とは何か」の人びと』(岩波書店)について II
拙著の読者からのご感想の第Ⅱ弾です。お寄せくださった皆さま、ありがとうございます。たいへん嬉しく、また励みになり、著者冥利に尽きるとはこのことです。個人的固有情報は除き、エッセンスのみご紹介いたします。
AMさん
‥‥岩波の『図書』に連載されていたエッセイは、部分的に読んでいたのですが、内容に引き込まれて、先週末に一気に読み終えました。「人物対照年表」を見ながら、錯綜した人間関係とOxbridge, LSEとの関係を改めて見直すことができました。
描かれる人物像とともに、付記の部分にも引き付けられました。付記12の、英米の出版事情の相違と、ご自身のオリジナルな史料的「発見」の部分は、さりげなく書いてありますが、本書における重要な独自性にもなっていると感じました。
KHさん
‥‥すぐにご本を拝読いたしました。複雑な面白さなので、読んでいると止まらなくなって2晩で読了。二、三の感想を記して御礼にかえたいと思います。
登場する歴史家たちの大半について、学生時代以来さまざまの読書で学んできました。このご本の I部では文句なしに、第6章 経済史家にして教育者、トーニ。
II部では、第7章 フランス革命史-ルフェーヴルとコッブ、第9章 バーリンとドイチャ、カーの二人の友人 の両章がすばらしい。私はバーリンは大嫌いでしたが、今回その理由が分かったと思います。ルフェーヴルの本は何冊か持っていますが、やはり筋金入りの歴史家であることを納得。
III部は、とてもきつい。戦後育ちの私は、第15章 E・H・カーと女性たち を読むのが辛かった。時代的被拘束性は分かっていますが、それにしても何というカーなのだ、と。この本はこれから何度も読み直すと思います。
率直な不満があります。第8章 『パースト&プレズント』の歴史家たち の記述にはやはり不十分さを感じました。私は、学生時代からホブズボームの仕事が好きでしたので、E・H・カーとホブズボームはいったいどのような関係であったのかを知りたい。その探索の可能性は果たしてないのでしょうか。‥‥
YNさん
‥‥引き込まれるように一読させていただきました。素晴らしいご著書で、感嘆しております。
E.H.カーを軸に、20世紀を歩んだイギリスの歴史研究者を、その研究や大学人としての歩みだけでなく、全人格とともに描写し尽くす。これは並大抵なお仕事ではないと、門外漢ながら感じ入っております。英国におけるオックスブリッジの位置、また学寮を基礎とする大学の社会や機能、そこを主な舞台として繰り広げられてきた20世紀英国の歴史学の状況が、きわめて鮮明な像として描かれ、とてもよく理解できました。
いくつも印象的な部分がありました。
*ネイミアのいう、歴史家の仕事は画家に似ている、医者の診断に似ている。。。
*(歴史家の)頭のなかで響いていた音を聞き分ける
*ハスラム「カー評伝」における、私生活を含め「全人格をあつかう」という手法
*こうした視点で叙述された「知と愛とセクシュアリティー」の各章
また、ぜひ再読させていただくつもりです。
KSさん
‥‥興奮をもって読了しました。
激動の20世紀のイギリス主要大学で、伝統の血/知と外国からの新しい血/知が混ざり合い、濃密な人間関係の中で、互いの仕事を意識しつつ、強烈な自負をもつ、総じて「奇矯な」人びとが、教え学び、時代の荒波を生きて、同時代的課題に向き合い、友情や嫉妬や恋心や虚栄心や失望に翻弄されながら歴史を書いていたさまが、息遣いを再現するかのように描かれていて、ほんとうに、ほんとうにおもしろかった。
たしかに人生を生き切ったような綺羅星のごとき人たちの頭を「いっぱい」にしていたことを踏まえてはじめて、その人の仕事の真の評価ができるのだなと思います。
本書は、まことに「ポリフォニック」な作品だと思います。カーを出発点にして、数珠つなぎのように人間関係を探査していくうちに、当初計画にはきっとなかったような意外な事実が次々に浮上したのだろうと推察いたします(研究計画に偶然性を組み込んでいる、ということではないでしょうか)。登場人物が勝手に語り出すような、勝手に自己主張し始めるような、そんなところが随所にある気がいたします。著者自身が登場人物のお一人でもあり、そのことが独特の臨場感を与えています。 個人的に、昔お世話になった人に出逢った感もありました。「地上の星」的な存在にも随所で言及しておられるのも素晴らしいです。
本書は一書として自律したポリフォニックな書物ですが、また『イギリス史10講』と『歴史とは何か 新版』とトライアングルを成していて、互いのサブテクストになっているのだな、との印象を抱きました。このようなコンステレーション - 近藤史学の星座 - を観られるのは幸せです。
AMさん
‥‥岩波の『図書』に連載されていたエッセイは、部分的に読んでいたのですが、内容に引き込まれて、先週末に一気に読み終えました。「人物対照年表」を見ながら、錯綜した人間関係とOxbridge, LSEとの関係を改めて見直すことができました。
描かれる人物像とともに、付記の部分にも引き付けられました。付記12の、英米の出版事情の相違と、ご自身のオリジナルな史料的「発見」の部分は、さりげなく書いてありますが、本書における重要な独自性にもなっていると感じました。
KHさん
‥‥すぐにご本を拝読いたしました。複雑な面白さなので、読んでいると止まらなくなって2晩で読了。二、三の感想を記して御礼にかえたいと思います。
登場する歴史家たちの大半について、学生時代以来さまざまの読書で学んできました。このご本の I部では文句なしに、第6章 経済史家にして教育者、トーニ。
II部では、第7章 フランス革命史-ルフェーヴルとコッブ、第9章 バーリンとドイチャ、カーの二人の友人 の両章がすばらしい。私はバーリンは大嫌いでしたが、今回その理由が分かったと思います。ルフェーヴルの本は何冊か持っていますが、やはり筋金入りの歴史家であることを納得。
III部は、とてもきつい。戦後育ちの私は、第15章 E・H・カーと女性たち を読むのが辛かった。時代的被拘束性は分かっていますが、それにしても何というカーなのだ、と。この本はこれから何度も読み直すと思います。
率直な不満があります。第8章 『パースト&プレズント』の歴史家たち の記述にはやはり不十分さを感じました。私は、学生時代からホブズボームの仕事が好きでしたので、E・H・カーとホブズボームはいったいどのような関係であったのかを知りたい。その探索の可能性は果たしてないのでしょうか。‥‥
YNさん
‥‥引き込まれるように一読させていただきました。素晴らしいご著書で、感嘆しております。
E.H.カーを軸に、20世紀を歩んだイギリスの歴史研究者を、その研究や大学人としての歩みだけでなく、全人格とともに描写し尽くす。これは並大抵なお仕事ではないと、門外漢ながら感じ入っております。英国におけるオックスブリッジの位置、また学寮を基礎とする大学の社会や機能、そこを主な舞台として繰り広げられてきた20世紀英国の歴史学の状況が、きわめて鮮明な像として描かれ、とてもよく理解できました。
いくつも印象的な部分がありました。
*ネイミアのいう、歴史家の仕事は画家に似ている、医者の診断に似ている。。。
*(歴史家の)頭のなかで響いていた音を聞き分ける
*ハスラム「カー評伝」における、私生活を含め「全人格をあつかう」という手法
*こうした視点で叙述された「知と愛とセクシュアリティー」の各章
また、ぜひ再読させていただくつもりです。
KSさん
‥‥興奮をもって読了しました。
激動の20世紀のイギリス主要大学で、伝統の血/知と外国からの新しい血/知が混ざり合い、濃密な人間関係の中で、互いの仕事を意識しつつ、強烈な自負をもつ、総じて「奇矯な」人びとが、教え学び、時代の荒波を生きて、同時代的課題に向き合い、友情や嫉妬や恋心や虚栄心や失望に翻弄されながら歴史を書いていたさまが、息遣いを再現するかのように描かれていて、ほんとうに、ほんとうにおもしろかった。
たしかに人生を生き切ったような綺羅星のごとき人たちの頭を「いっぱい」にしていたことを踏まえてはじめて、その人の仕事の真の評価ができるのだなと思います。
本書は、まことに「ポリフォニック」な作品だと思います。カーを出発点にして、数珠つなぎのように人間関係を探査していくうちに、当初計画にはきっとなかったような意外な事実が次々に浮上したのだろうと推察いたします(研究計画に偶然性を組み込んでいる、ということではないでしょうか)。登場人物が勝手に語り出すような、勝手に自己主張し始めるような、そんなところが随所にある気がいたします。著者自身が登場人物のお一人でもあり、そのことが独特の臨場感を与えています。 個人的に、昔お世話になった人に出逢った感もありました。「地上の星」的な存在にも随所で言及しておられるのも素晴らしいです。
本書は一書として自律したポリフォニックな書物ですが、また『イギリス史10講』と『歴史とは何か 新版』とトライアングルを成していて、互いのサブテクストになっているのだな、との印象を抱きました。このようなコンステレーション - 近藤史学の星座 - を観られるのは幸せです。
2026年1月7日水曜日
試し読み
あまり心構えもできないうちに年が改まり、年賀状はようやく本日6日に投函しました!
ありがたいことに、いつのまにか拙著『「歴史とは何か」の人びと - E.H.カーと20世紀知識人群像』については、早々と詳細な刊行情報が出ました(1月23日刊)。旧臘にくりかえしたドタバタの<成果>ですね。
→ https://www.iwanami.co.jp/book/b10154380.html
しかも、巻頭部分は「立ち読み」もできます。はしがき(v-ix)、目次、凡例、第Ⅰ部のイントロ(p.2)、第1章の前半 pp.3-10まで。 → 「試し読み」をクリック!
ここで 図1-1 ケインブリッジ 学寮と大学(p.5)もきれいに読めます。
ありがたいことに、いつのまにか拙著『「歴史とは何か」の人びと - E.H.カーと20世紀知識人群像』については、早々と詳細な刊行情報が出ました(1月23日刊)。旧臘にくりかえしたドタバタの<成果>ですね。
→ https://www.iwanami.co.jp/book/b10154380.html
しかも、巻頭部分は「立ち読み」もできます。はしがき(v-ix)、目次、凡例、第Ⅰ部のイントロ(p.2)、第1章の前半 pp.3-10まで。 → 「試し読み」をクリック!
ここで 図1-1 ケインブリッジ 学寮と大学(p.5)もきれいに読めます。
2026年1月3日土曜日
腰帯
正しい名はどういうのか、知りませんが、とにかく本のカバーの下方を覆うように巻いて、その本の内容をアピールする、キャッチーな文言の記された帯/紙片です。著者でなく、その著書に長らく関与した編集担当者が苦労して制作します。
↑ クリックすると拡大します ↑
今回の『「歴史とは何か」の人びと - E.H.カーと20世紀知識人群像』の場合は、長い帯の右側(仕上がりでは本の裏側)に並んだ21名だけでなく、ウェブ夫妻やハイエクやマンハイム、そしてグラッドストン首相、チャーチル首相、サッチャ首相も登場します。カーの3人の妻や子どもたちが本のなかでどのような役をになうのか。そして高橋幸八郎や柴田三千雄を - 二宮宏之も西川正雄も! - 近藤がどう論じるのか。現役の歴史家たちにも顔を出していただきます。印象的な写真もありますよ。
「読んで楽しい」本にはなっているかな? ちなみに It is a delight to read とは、リン・ハントが History: Why it matters? (2018), p.124 でカーの What is History? を評した、短いけれど本質的な言でした。拙著の場合は、図版が多いので、見て楽しい本にもなっているかと期待しています。
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今回の『「歴史とは何か」の人びと - E.H.カーと20世紀知識人群像』の場合は、長い帯の右側(仕上がりでは本の裏側)に並んだ21名だけでなく、ウェブ夫妻やハイエクやマンハイム、そしてグラッドストン首相、チャーチル首相、サッチャ首相も登場します。カーの3人の妻や子どもたちが本のなかでどのような役をになうのか。そして高橋幸八郎や柴田三千雄を - 二宮宏之も西川正雄も! - 近藤がどう論じるのか。現役の歴史家たちにも顔を出していただきます。印象的な写真もありますよ。
「読んで楽しい」本にはなっているかな? ちなみに It is a delight to read とは、リン・ハントが History: Why it matters? (2018), p.124 でカーの What is History? を評した、短いけれど本質的な言でした。拙著の場合は、図版が多いので、見て楽しい本にもなっているかと期待しています。
2025年12月11日木曜日
2025年11月20日木曜日
20世紀知識人群像
季節は進んで、熊と雪の便りがつづきますね。
こちらはあいもかわらず拙著の仕上げでアクセクしております。
【とはいえ、この間に日仏会館の催しにもとづく、高澤・平野(編)『近代日本の歴史学とフランス』(山川出版社)の後半に収まるはずの「<反省的所感> 西洋史研究におけるフランス学」- 長くはない、ただの12ぺージですが、しっかり書きました - の校正も終えて、雰囲気は高まります。】
拙著『「歴史とは何か」の人びと - E・H・カーと20世紀知識人群像』(岩波書店)のほうの校正は、300ぺージを越えて、図版とキャプションも多いので、オイソレとは行きません。いま再校ゲラを抱えていますが、なかなか<充実>して、他のことが考えられません。
目次をご覧に入れると、こんな具合です。 請うご期待!
こちらはあいもかわらず拙著の仕上げでアクセクしております。
【とはいえ、この間に日仏会館の催しにもとづく、高澤・平野(編)『近代日本の歴史学とフランス』(山川出版社)の後半に収まるはずの「<反省的所感> 西洋史研究におけるフランス学」- 長くはない、ただの12ぺージですが、しっかり書きました - の校正も終えて、雰囲気は高まります。】
拙著『「歴史とは何か」の人びと - E・H・カーと20世紀知識人群像』(岩波書店)のほうの校正は、300ぺージを越えて、図版とキャプションも多いので、オイソレとは行きません。いま再校ゲラを抱えていますが、なかなか<充実>して、他のことが考えられません。
目次をご覧に入れると、こんな具合です。 請うご期待!
2025年9月27日土曜日
近況ご報告
まったくご無沙汰しています。ときに「‥‥ホームページのブログの更新が4月以降止まっていることを心配しています」とかいう優しい問合せをいただいて、恐縮しています。
なんとか無事に日々を暮らしていますが、ブログの更新がないのは、① 言いたいことがないのではなく、むしろ逆で、日本の政治社会よりもなによりも、トランプの3権分立なきがごとき独裁政治について憤懣やるかたない毎日です。これほど傍若無人の男にディクタトルぶりを発揮されては、モンテスキューもジェファソンも天を仰ぐでしょう。しかし、ぼくがブログをしたためるとしても、せいぜい新聞の社説に毛を3本加えた程度の(サザエさんの父=磯野波平くらいの)コメントしかできないでしょう。虚しい。
ブログ更新のないもう一つの理由はもうすこしポジティヴで、② 拙著
『「歴史とは何か」の人びと - E・H・カーと20世紀知識人群像』(岩波書店)
がいよいよ最終局面で、そちらに集中するしかないという事情もありました。(過去形で書いているということは、今は一段落ついたということです!)
これは『図書』の15回連載をもとにしたもので、それで骨組はできているとはいえ、調べれば調べるほど発見があり、「止められない止まらない」状態でした。最初は岩波新書にしようという話だったのに、註も図版も豊富な四六判で行こう、となり、この2年間に現地調査・取材した成果も生かしたく - といっても完璧な学術書というより、むしろ「こんなにおもしろいこと/すごいことがある。皆さんに伝えたい」としたためた試論(essay)であり、皆さんの思考と探究をうながす「いざないの書」という性格を打ち出しています。
『図書』連載時より分量はだいぶ増えて、内容も充実したかと思います。 ← https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/6074
「15章+エピローグ」編成ですが、全体を3部に分け、
Ⅰ.歴史学とオクスブリッジ
Ⅱ.変貌するイギリスの知的世界
Ⅲ.知と愛とセクシュアリティ
としてみました。各章の「付記」も含めて、書き込んでいます。
やがて校正ゲラにて目次などご覧に入れられるかと思います。
なんとか無事に日々を暮らしていますが、ブログの更新がないのは、① 言いたいことがないのではなく、むしろ逆で、日本の政治社会よりもなによりも、トランプの3権分立なきがごとき独裁政治について憤懣やるかたない毎日です。これほど傍若無人の男にディクタトルぶりを発揮されては、モンテスキューもジェファソンも天を仰ぐでしょう。しかし、ぼくがブログをしたためるとしても、せいぜい新聞の社説に毛を3本加えた程度の(サザエさんの父=磯野波平くらいの)コメントしかできないでしょう。虚しい。
ブログ更新のないもう一つの理由はもうすこしポジティヴで、② 拙著
『「歴史とは何か」の人びと - E・H・カーと20世紀知識人群像』(岩波書店)
がいよいよ最終局面で、そちらに集中するしかないという事情もありました。(過去形で書いているということは、今は一段落ついたということです!)
これは『図書』の15回連載をもとにしたもので、それで骨組はできているとはいえ、調べれば調べるほど発見があり、「止められない止まらない」状態でした。最初は岩波新書にしようという話だったのに、註も図版も豊富な四六判で行こう、となり、この2年間に現地調査・取材した成果も生かしたく - といっても完璧な学術書というより、むしろ「こんなにおもしろいこと/すごいことがある。皆さんに伝えたい」としたためた試論(essay)であり、皆さんの思考と探究をうながす「いざないの書」という性格を打ち出しています。
『図書』連載時より分量はだいぶ増えて、内容も充実したかと思います。 ← https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/6074
「15章+エピローグ」編成ですが、全体を3部に分け、
Ⅰ.歴史学とオクスブリッジ
Ⅱ.変貌するイギリスの知的世界
Ⅲ.知と愛とセクシュアリティ
としてみました。各章の「付記」も含めて、書き込んでいます。
やがて校正ゲラにて目次などご覧に入れられるかと思います。
2025年4月17日木曜日
主権・IR・カー
『「主権国家」再考』(岩波書店)は本日、16日発売とのことですが、先にも書きました詳細な目次だけでなく、立ち読みコーナーもあって、ぼくの「序論」についてはちょうど半分、pp.1-10 がウェブで読めるようになっています。
→ https://www.iwanami.co.jp/moreinfo/tachiyomi/0616940.pdf (目次のあとです)
そうした出版のオンライン開示は便利だなぁと見ているうちに、さらに今月刊のE・H・カー『平和の条件』(岩波文庫)も、訳者による解説(部分)が読めることを発見。
→ https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/8771
ちょうど『「主権国家」再考』がらみで、中澤論文からドイツの Andreas Osiander による
'Rereading early twentieth-century IR theory: Idealism revisited', International Studies Quarterly 42 (1998) へと導かれ、この論文でE・H・カーの国際関係学(IR)批判が試みられていることを認知したばかりでした。
この間のいろんなことが繋がってきて、嬉しいかぎりです。
→ https://www.iwanami.co.jp/moreinfo/tachiyomi/0616940.pdf (目次のあとです)
そうした出版のオンライン開示は便利だなぁと見ているうちに、さらに今月刊のE・H・カー『平和の条件』(岩波文庫)も、訳者による解説(部分)が読めることを発見。
→ https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/8771
ちょうど『「主権国家」再考』がらみで、中澤論文からドイツの Andreas Osiander による
'Rereading early twentieth-century IR theory: Idealism revisited', International Studies Quarterly 42 (1998) へと導かれ、この論文でE・H・カーの国際関係学(IR)批判が試みられていることを認知したばかりでした。
この間のいろんなことが繋がってきて、嬉しいかぎりです。
2025年4月10日木曜日
Shohei's 'might-have-been'
『「主権国家」再考』が岩波書店のウェブぺージに載りました。中澤達哉責任編集/歴史学研究会編、岩波書店、4730円。16日刊行とのこと。詳細な目次も、こちらに → https://www.iwanami.co.jp/book/b10132793.html
先にも(3月6日)書きました「‥‥今、トランプ第二期政権は歴史も国際法もなきがごとく、独特の「主権」を主張して世界を驚愕させている。」というぼくのセンテンスは、今となっては、ちょっと弱すぎる表現でした。 そうした折、なんと大谷翔平(とドジャーズ選手たち)がホワイトハウスに招かれてトランプ大統領と談笑する光景が報道されました。何を話したのか、あまり愉快でない報道写真でした。ここでもし Shohei Ohtani が
「ぼくは高校しか出てないし、野球のことばかり考えてきましたが、でも高校の公民では貿易収支(balance of trade)と経常収支(balance of current account)の区別は習いました。トランプさんはどうして今さら「貿易収支」みたいな物の取引の赤字なんかにこだわって、国際的なマネーや目に見えない富のやりとりは見ないんですか? 大統領はたしか大学を出て、すごいビジネスで成功なさっているんですよね」
とか、たとえ通訳を通してでも言えたなら、Shohei's Show-time! として、万国で人気が沸騰したに違いないのに。たられば(might-have-been)史観ですが。
先にも(3月6日)書きました「‥‥今、トランプ第二期政権は歴史も国際法もなきがごとく、独特の「主権」を主張して世界を驚愕させている。」というぼくのセンテンスは、今となっては、ちょっと弱すぎる表現でした。 そうした折、なんと大谷翔平(とドジャーズ選手たち)がホワイトハウスに招かれてトランプ大統領と談笑する光景が報道されました。何を話したのか、あまり愉快でない報道写真でした。ここでもし Shohei Ohtani が
「ぼくは高校しか出てないし、野球のことばかり考えてきましたが、でも高校の公民では貿易収支(balance of trade)と経常収支(balance of current account)の区別は習いました。トランプさんはどうして今さら「貿易収支」みたいな物の取引の赤字なんかにこだわって、国際的なマネーや目に見えない富のやりとりは見ないんですか? 大統領はたしか大学を出て、すごいビジネスで成功なさっているんですよね」
とか、たとえ通訳を通してでも言えたなら、Shohei's Show-time! として、万国で人気が沸騰したに違いないのに。たられば(might-have-been)史観ですが。
2025年3月5日水曜日
主権国家サイコー!?
この4月に刊行予定で進んでいる
歴史学研究会編(中澤達哉責任編集)『「主権国家」再考』(岩波書店、2025)
ですが、ぼくは 序章「主権という概念の歴史性」を担当しています。
昨夏の終わりが原稿〆切、暮れから正月に初校、2月に再校の期間がありました。歴史学研究会大会の合同部会で4年間にわたり共通テーマとして議論されたことが前提で、各章ともすでに部分的には『歴史学研究』大会特集号に連載されている論考を「再考」し、整えたものです。ぼくの場合は「序章」なので、第989号に載ったコメントから大幅に加筆して、「歴史的で今日的な問題」としての主権を、19世紀の東アジア、近世のヨーロッパについて論点整理してみたつもりです。そのさいに
・H. Wheaton, Elements of International Law (1836/1857)とその漢訳『萬國公法』(1864)および和訳・海賊版(1865-)
・J.H.エリオット「複合君主政のヨーロッパ」内村俊太訳、古谷・近藤編『礫岩のようなヨーロッパ』(山川出版社、2016)所収
が議論を展開するうえで、たいへん役に立ちました。
とはいえ、11月~2月のあいだに国際政治上の緊迫と変化は著しく、悠長なことばかりで済ませることはできない、と再考しました。 → つづく
歴史学研究会編(中澤達哉責任編集)『「主権国家」再考』(岩波書店、2025)
ですが、ぼくは 序章「主権という概念の歴史性」を担当しています。
昨夏の終わりが原稿〆切、暮れから正月に初校、2月に再校の期間がありました。歴史学研究会大会の合同部会で4年間にわたり共通テーマとして議論されたことが前提で、各章ともすでに部分的には『歴史学研究』大会特集号に連載されている論考を「再考」し、整えたものです。ぼくの場合は「序章」なので、第989号に載ったコメントから大幅に加筆して、「歴史的で今日的な問題」としての主権を、19世紀の東アジア、近世のヨーロッパについて論点整理してみたつもりです。そのさいに
・H. Wheaton, Elements of International Law (1836/1857)とその漢訳『萬國公法』(1864)および和訳・海賊版(1865-)
・J.H.エリオット「複合君主政のヨーロッパ」内村俊太訳、古谷・近藤編『礫岩のようなヨーロッパ』(山川出版社、2016)所収
が議論を展開するうえで、たいへん役に立ちました。
とはいえ、11月~2月のあいだに国際政治上の緊迫と変化は著しく、悠長なことばかりで済ませることはできない、と再考しました。 → つづく
2025年2月19日水曜日
『読書アンケート 2024』
みすず書房より『読書アンケート 2024』(単刊書、2月刊、800円)が到来。
→ https://www.msz.co.jp/book/detail/09759/
ぼくも短かいながら5件の出版について感想を述べました(pp.175-178)。掲載の順番は、おそらく原稿がみすず書房に着いた順で、この本文180ぺージのうち、ぼくはビリから4番です。
月刊誌『みすず』は紙媒体ではなくなり、今はウェブ配信ですが、毎年2月号に載っていた読書アンケートだけで単刊書とすることになり、毎年の年初の楽しみは保たれます。むしろ前より厚くなった観があります。
ぼくの場合は、
1.二宮宏之『講義 ドラマールを読む』(刀水書房、2024)
2.木庭顕『ポスト戦後日本の知的状況』(講談社選書メチエ、2024)
3.松戸清裕『ソヴィエト・デモクラシー 非自由主義的民主主義下の「自由」な日常』(岩波書店、2024)
4.Lawrence Goldman, The Life of R.H.Tawney: Socialism and History (Bloomsbury Academic, 2013)
5.『みすず』168号~177号(1973-74)に連載された、越智武臣「リチャード・ヘンリー・トーニー あるモラリストの歴史思想」
を挙げてコメントしました。
4,5については、今書いている本『「歴史とは何か」の人びと』のなかの一つの章にもかかわり、また著者ゴールドマンが、E・H・カーの世代のインテリ男性の性(さが)について明示的に問うているので、響きました。
巻末の奥付に (c) each contributor 2025 とあり、著作複製権についてはぼくにあるのでしょうが、出たばかりの本ですので、ここには言及するだけで、文章は引用しません。
→ https://www.msz.co.jp/book/detail/09759/
ぼくも短かいながら5件の出版について感想を述べました(pp.175-178)。掲載の順番は、おそらく原稿がみすず書房に着いた順で、この本文180ぺージのうち、ぼくはビリから4番です。
月刊誌『みすず』は紙媒体ではなくなり、今はウェブ配信ですが、毎年2月号に載っていた読書アンケートだけで単刊書とすることになり、毎年の年初の楽しみは保たれます。むしろ前より厚くなった観があります。
ぼくの場合は、
1.二宮宏之『講義 ドラマールを読む』(刀水書房、2024)
2.木庭顕『ポスト戦後日本の知的状況』(講談社選書メチエ、2024)
3.松戸清裕『ソヴィエト・デモクラシー 非自由主義的民主主義下の「自由」な日常』(岩波書店、2024)
4.Lawrence Goldman, The Life of R.H.Tawney: Socialism and History (Bloomsbury Academic, 2013)
5.『みすず』168号~177号(1973-74)に連載された、越智武臣「リチャード・ヘンリー・トーニー あるモラリストの歴史思想」
を挙げてコメントしました。
4,5については、今書いている本『「歴史とは何か」の人びと』のなかの一つの章にもかかわり、また著者ゴールドマンが、E・H・カーの世代のインテリ男性の性(さが)について明示的に問うているので、響きました。
巻末の奥付に (c) each contributor 2025 とあり、著作複製権についてはぼくにあるのでしょうが、出たばかりの本ですので、ここには言及するだけで、文章は引用しません。
2025年2月4日火曜日
卒寿の著書
みなさんは、服部春彦『フランス革命と絵画 イギリスへ流出したコレクション』(昭和堂、今年2月刊)を見ましたか? 先に『文化財の併合 フランス革命とナポレオン』(知泉書館、2015)がありました。これに続く、フランス革命・ナポレオン・美術品の移動というテーマだな、と軽い気持で読みはじめて、驚嘆しました。
明快な問題設定のもと、研究史と(回顧録や売立てカタログ‥‥からイギリス政治史のオーソドックスな史料 Hansard 議会議事録にいたる!)多様な史料を渉猟し分析した、374ぺージの研究書です! 今回はフランス史というより、イギリスの美術品取引史です。フランス革命期に大量の絵画が、フランス・ネーデルラント・イタリア各地から大量にイギリスへ移動したプロセス ~ 1824年、ロンドンに国立美術館(National Gallery)が設立されるまでの、オークションから私的契約売買まで、美術品取引の実際が具体的に解明され、迫力があります。
イギリス史をやっている者にとって、18世紀前半のホウィグ体制において枢軸をなしたウォルポール家(Houghton Hall)とタウンゼンド家(あの農業改良の Turnip Townshend)の今日にいたるまでの家運の転変はおもしろいものです。両家は同じノーフォーク州でほとんど隣接した大所領をもって、たがいに交際していました。しかし世紀後半の代になるとHorace Walpole は放漫な家政で、結局、せっかくのコレクションをロシアのエカチェリーナに売却するしかなかったばかりか、19世紀にはロスチャイルド家と縁組みし、今日も観光客を迎えて入場料を取り、一般向けのイヴェントをくりかえして所領を維持しています。他方のタウンゼンド家は代々、堅実な農業経営のおかげで、今も一般客を入れることなく所領を維持しています。
1770年代にあの急進主義の風雲児 ジョン・ウィルクスが、そのウォルポールの Houghton collectionを国内に留めるための議会演説を行ったこと( → その効なくロシア宮廷に売却)から始まり、ナショナルな絵画館の設立運動をめぐるLinda Colley 説の批判、そして1824年にようやく National Gallery 創立、38年の新館開館にいたる政治社会史には、感服しました。脱帽です。
たしかノーリッジのEdward Rigby(1747-1821)の娘 Elizabethは Charles Eastlakeとかいう NGの初代館長に嫁したのではなかったかな? この時代のチャリティ、農業改良、医療をはじめとする公共プロジェクト、そして大陸旅行記が父・娘ともにありますね。NG の1824年設立/38年の新館までで本書は終わりますが、それにしても、多くの登場人物、そして
「公衆(the public)なる語にどのような意味がこめられていたか」p.335
といった議論に刺激されます。服部春彦さんによるイギリス近代史の研究書です!
1934年4月生まれの服部さんは、遅塚、二宮、柴田(この順)と同じころパリに留学していた方ですが、名古屋大学西洋史におけるぼくの先任助教授でした。こういう方が元気でしなやかに生産的でいらっしゃるので、こちとらも呆けることはできません。
明快な問題設定のもと、研究史と(回顧録や売立てカタログ‥‥からイギリス政治史のオーソドックスな史料 Hansard 議会議事録にいたる!)多様な史料を渉猟し分析した、374ぺージの研究書です! 今回はフランス史というより、イギリスの美術品取引史です。フランス革命期に大量の絵画が、フランス・ネーデルラント・イタリア各地から大量にイギリスへ移動したプロセス ~ 1824年、ロンドンに国立美術館(National Gallery)が設立されるまでの、オークションから私的契約売買まで、美術品取引の実際が具体的に解明され、迫力があります。
イギリス史をやっている者にとって、18世紀前半のホウィグ体制において枢軸をなしたウォルポール家(Houghton Hall)とタウンゼンド家(あの農業改良の Turnip Townshend)の今日にいたるまでの家運の転変はおもしろいものです。両家は同じノーフォーク州でほとんど隣接した大所領をもって、たがいに交際していました。しかし世紀後半の代になるとHorace Walpole は放漫な家政で、結局、せっかくのコレクションをロシアのエカチェリーナに売却するしかなかったばかりか、19世紀にはロスチャイルド家と縁組みし、今日も観光客を迎えて入場料を取り、一般向けのイヴェントをくりかえして所領を維持しています。他方のタウンゼンド家は代々、堅実な農業経営のおかげで、今も一般客を入れることなく所領を維持しています。
1770年代にあの急進主義の風雲児 ジョン・ウィルクスが、そのウォルポールの Houghton collectionを国内に留めるための議会演説を行ったこと( → その効なくロシア宮廷に売却)から始まり、ナショナルな絵画館の設立運動をめぐるLinda Colley 説の批判、そして1824年にようやく National Gallery 創立、38年の新館開館にいたる政治社会史には、感服しました。脱帽です。
たしかノーリッジのEdward Rigby(1747-1821)の娘 Elizabethは Charles Eastlakeとかいう NGの初代館長に嫁したのではなかったかな? この時代のチャリティ、農業改良、医療をはじめとする公共プロジェクト、そして大陸旅行記が父・娘ともにありますね。NG の1824年設立/38年の新館までで本書は終わりますが、それにしても、多くの登場人物、そして
「公衆(the public)なる語にどのような意味がこめられていたか」p.335
といった議論に刺激されます。服部春彦さんによるイギリス近代史の研究書です!
1934年4月生まれの服部さんは、遅塚、二宮、柴田(この順)と同じころパリに留学していた方ですが、名古屋大学西洋史におけるぼくの先任助教授でした。こういう方が元気でしなやかに生産的でいらっしゃるので、こちとらも呆けることはできません。
2024年12月25日水曜日
『講義 ドラマールを読む』
クリスマス直前に、二宮宏之さんの遺著『講義 ドラマールを読む』(刀水書房、2024年12月)が到来! 知る人ぞ知る、ながらく話題になっていた、二宮さんの東大文学部における1984年度の講義全23回分が、そして講義中に配布された資料も一緒に、二宮素子さんのたゆまぬ努力、刀水書房=中村さんの全面サポートにより、ついに本になったのですね。
B5の横組2段で iv+466ぺージ! 一般書店には置かず、刀水書房のサイトから直接注文する方式です。
→ http://www.tousuishobou.com/tankoubon/4-88708-487-2.html
→ https://tousui-online.stores.jp/
ずしりと重い、存在感のある大著です。横組2段ですから、見開きで4段となり、視野の中心に左右にひろく拡がりますが、案外に目に優しく、読みやすい。 録音が忠実に起こされているので、数々の歴史家や研究史についてのコメント、また(完成本であれば割愛されたかもしれない)言い直しや言い淀みまで再現され、二宮さんのお話をそのまま聴いているような気持になります。そして配布資料に加えられた手書きの文字! 彼の口吻と、お顔や姿勢まで再生されるかと想われるようなご本ですが、なにより17-18世紀フランスをめぐる学識の厚み、熱い意気込みが読む人に伝わります。17-18世紀の書物を探す苦労、辞書を読む楽しさとともに、「ポリース」(← ギリシアのpoliteia、ローマの res publica、ドイツのPolizei)から始まってアンシァン・レジーム[あるいは近世ヨーロッパ]のキーワードが時代の用法としてよみがえる。
(ちょうど同じ頃に名古屋大学文学部でも集中講義をなさいましたが、こちらは「フランス王権の象徴機能」でした。計4日、12コマの集中では『ドラマール』をやるのは困難ですね。)
これは生前の二宮宏之さんがくりかえし口になさっていた、(最後の著作となさりたかった)すばらしい名講義で、多くの人を感動させる本ではないでしょうか。さぞやご本人はこれをご自分の手で、最後までしっかり推敲したうえで公けになさりたかったでしょう。
何人もの協力でようやく世に出た由です。関係なさった皆々さんに感謝いたします。
B5の横組2段で iv+466ぺージ! 一般書店には置かず、刀水書房のサイトから直接注文する方式です。
→ http://www.tousuishobou.com/tankoubon/4-88708-487-2.html
→ https://tousui-online.stores.jp/
ずしりと重い、存在感のある大著です。横組2段ですから、見開きで4段となり、視野の中心に左右にひろく拡がりますが、案外に目に優しく、読みやすい。 録音が忠実に起こされているので、数々の歴史家や研究史についてのコメント、また(完成本であれば割愛されたかもしれない)言い直しや言い淀みまで再現され、二宮さんのお話をそのまま聴いているような気持になります。そして配布資料に加えられた手書きの文字! 彼の口吻と、お顔や姿勢まで再生されるかと想われるようなご本ですが、なにより17-18世紀フランスをめぐる学識の厚み、熱い意気込みが読む人に伝わります。17-18世紀の書物を探す苦労、辞書を読む楽しさとともに、「ポリース」(← ギリシアのpoliteia、ローマの res publica、ドイツのPolizei)から始まってアンシァン・レジーム[あるいは近世ヨーロッパ]のキーワードが時代の用法としてよみがえる。
(ちょうど同じ頃に名古屋大学文学部でも集中講義をなさいましたが、こちらは「フランス王権の象徴機能」でした。計4日、12コマの集中では『ドラマール』をやるのは困難ですね。)
これは生前の二宮宏之さんがくりかえし口になさっていた、(最後の著作となさりたかった)すばらしい名講義で、多くの人を感動させる本ではないでしょうか。さぞやご本人はこれをご自分の手で、最後までしっかり推敲したうえで公けになさりたかったでしょう。
何人もの協力でようやく世に出た由です。関係なさった皆々さんに感謝いたします。
2024年12月6日金曜日
『社会運動史』は研究誌か?
日仏会館で14日(土)に催される〈近代日本の歴史学とフランス――日仏会館から考える〉については、先に述べましたが、こちらは22日(日)一橋大学における催しです。ブログを転写しますと → http://blog.reki-nin.org/
「歴史と人間」研究会 シンポジウム
〈研究誌『社会運動史』(1972-1985)とは何だったか ― 史学史的に考える ―〉
2024年12月22日(日) 13:30-17:00
一橋大学国立東キャンパス 第3研究館3F 研究会議室
国立キャンパス地図 http://www.hit-u.ac.jp/guide/campus/campus/index.html
13:30-13:40 司会(見市 雅俊)による趣旨説明
13:40-14:30 原 聖 報告
休憩
14:45-15:05 コメント1 加藤 晴康
15:05-15:25 コメント2 近藤 和彦
15:25-15:45 コメント3 成田 龍一
休憩
16:00-17:00 質疑応答
この集会のテーマは、ぼく自身も関係者ですので、話は具体的になります。
『社会運動史』を研究誌としてだけとらえると、さらにまた『社会史研究』とならべて論じると、その本来の意味はかなり違ってきてしまうのではないか。おそらく加藤さんもそうお考えでしょう。
『歴史として、記憶として』(御茶の水書房、2013)の第一部、第二部をご覧になれば、1968年ころ以後の青年インテリゲンチア(!)がどんな空気を呼吸していたか、見えてくるでしょう。70年代の『社会運動史』は、1982年に出現したエレガントな第一線の学者たちの(商業的な)『社会史研究』とは異質です。もっと先行きの見えない暗中模索で、ウゾームゾーの来し方行く末の可能性があったことは、加藤さんの部分も含めて、各執筆者はかなり率直に書いています。ぼく自身はというと、執筆時にはあまり意義を感じていなかった(むしろ拙速だという思いがあった)出版ですが、いま読み直すと、時代の/世代の証言集として意味があった/出てよかった本だと思います。
22日(日)には、(喜安さんは別格として)社会運動史研究会の一番上の世代=加藤と、一番若い世代=近藤の二人が、「後から来た」「外から観察する」原さん、成田さんとどういった対話ができるでしょうか。
「歴史と人間」研究会 シンポジウム
〈研究誌『社会運動史』(1972-1985)とは何だったか ― 史学史的に考える ―〉
2024年12月22日(日) 13:30-17:00
一橋大学国立東キャンパス 第3研究館3F 研究会議室
国立キャンパス地図 http://www.hit-u.ac.jp/guide/campus/campus/index.html
13:30-13:40 司会(見市 雅俊)による趣旨説明
13:40-14:30 原 聖 報告
休憩
14:45-15:05 コメント1 加藤 晴康
15:05-15:25 コメント2 近藤 和彦
15:25-15:45 コメント3 成田 龍一
休憩
16:00-17:00 質疑応答
この集会のテーマは、ぼく自身も関係者ですので、話は具体的になります。
『社会運動史』を研究誌としてだけとらえると、さらにまた『社会史研究』とならべて論じると、その本来の意味はかなり違ってきてしまうのではないか。おそらく加藤さんもそうお考えでしょう。
『歴史として、記憶として』(御茶の水書房、2013)の第一部、第二部をご覧になれば、1968年ころ以後の青年インテリゲンチア(!)がどんな空気を呼吸していたか、見えてくるでしょう。70年代の『社会運動史』は、1982年に出現したエレガントな第一線の学者たちの(商業的な)『社会史研究』とは異質です。もっと先行きの見えない暗中模索で、ウゾームゾーの来し方行く末の可能性があったことは、加藤さんの部分も含めて、各執筆者はかなり率直に書いています。ぼく自身はというと、執筆時にはあまり意義を感じていなかった(むしろ拙速だという思いがあった)出版ですが、いま読み直すと、時代の/世代の証言集として意味があった/出てよかった本だと思います。
22日(日)には、(喜安さんは別格として)社会運動史研究会の一番上の世代=加藤と、一番若い世代=近藤の二人が、「後から来た」「外から観察する」原さん、成田さんとどういった対話ができるでしょうか。
2024年12月5日木曜日
日仏文化講座
すでにみなさんご存知かもしれませんが、12月14日(土)に日仏会館でたいへん有意義な催しが企画されています。 → https://www.fmfj.or.jp/events/20241214.html
日仏会館 日仏文化講座
〈近代日本の歴史学とフランス――日仏会館から考える〉
2024年12月14日(土) 13:00-17:30(12:40開場予定)
日仏会館ホール(東京都渋谷区恵比寿3-9-25)
定員:100名
一般1000円、日仏会館会員・学生 無料、日本語
参加登録:申込はこちら(Peatix) <https://fmfj-20241214.peatix.com/>
日仏会館の案内をそのまま転写しますと ↓
日仏会館100年の活動を幕末以降の歴史の中に置き、時間軸の中でこれを反省的に振り返り、次の100年を展望します。フランスとの出会い、憧憬、対話、葛藤は、日本語世界に何をもたらしたのでしょう。フランスに何を発信したのでしょう。100年前に創設された日仏会館は、そこでどのような役割を果たしたのでしょうか。本シンポジウムは、この問題を日本の歴史学の文脈で考えます。その際、問題観の転換と広がりに応じて、大きく四つの時期にわけ、四人の論者が具体的テーマに即して報告します。
【プログラム】
司会:長井伸仁(東京大学)・前田更子(明治大学)
13:00 趣旨説明
13:05 高橋暁生(上智大学)
「二人の箕作と近代日本における「フランス史」の黎明」
13:35 小田中直樹(東北大学)
「火の翼、鉛の靴、そして主体性 - 高橋幸八郎と井上幸治の「フランス歴史学体験」」
休憩
14:15 高澤紀恵(法政大学)
「ルゴフ・ショックから転回/曲がり角、その先へ - 日仏会館から考える」
14:45 平野千果子(武蔵大学)
「フランス領カリブ海世界から考える人種とジェンダー - マルティニックの作家マイヨット・カペシアを素材として」
休憩
15:30 コメント1 森村敏己(一橋大学)
15:45 コメント2 戸邉秀明(東京経済大学)
休憩
16:10 質疑応答ならびに討論
17:25 閉会の辞
主催:(公財)日仏会館
後援:日仏歴史学会
NB〈近藤の所感〉: 「近代日本の歴史学」を考えるにあたってフランスにフォーカスしてみることは大いに意味があります。プログラムから予感される問題点があるとしたら、
第1に、箕作・高橋・井上・二宮のライン(東大西洋史!)が強調されているかに思われますが、これとは違う、法学・憲法学の流れ、京都大学人文研のフランス研究がどう評価されるのか。
第2に、20世紀の学問におけるドイツアカデミズムの存在感(とナチスによるその放逐 → 「大変貌」)の意味を考えたい。箕作元八も、九鬼周造もフランス留学の前にドイツに留学しました。柴田三千雄も遅塚忠躬もフランス革命研究の前に、ドイツ史/ドイツ哲学を勉強しました(林健太郎の弟子でした)! さらに言えば、二宮宏之の国制史は(初動においては)成瀬治の導きに負っていました!!
日仏会館 日仏文化講座
〈近代日本の歴史学とフランス――日仏会館から考える〉
2024年12月14日(土) 13:00-17:30(12:40開場予定)
日仏会館ホール(東京都渋谷区恵比寿3-9-25)
定員:100名
一般1000円、日仏会館会員・学生 無料、日本語
参加登録:申込はこちら(Peatix) <https://fmfj-20241214.peatix.com/>
日仏会館の案内をそのまま転写しますと ↓
日仏会館100年の活動を幕末以降の歴史の中に置き、時間軸の中でこれを反省的に振り返り、次の100年を展望します。フランスとの出会い、憧憬、対話、葛藤は、日本語世界に何をもたらしたのでしょう。フランスに何を発信したのでしょう。100年前に創設された日仏会館は、そこでどのような役割を果たしたのでしょうか。本シンポジウムは、この問題を日本の歴史学の文脈で考えます。その際、問題観の転換と広がりに応じて、大きく四つの時期にわけ、四人の論者が具体的テーマに即して報告します。
【プログラム】
司会:長井伸仁(東京大学)・前田更子(明治大学)
13:00 趣旨説明
13:05 高橋暁生(上智大学)
「二人の箕作と近代日本における「フランス史」の黎明」
13:35 小田中直樹(東北大学)
「火の翼、鉛の靴、そして主体性 - 高橋幸八郎と井上幸治の「フランス歴史学体験」」
休憩
14:15 高澤紀恵(法政大学)
「ルゴフ・ショックから転回/曲がり角、その先へ - 日仏会館から考える」
14:45 平野千果子(武蔵大学)
「フランス領カリブ海世界から考える人種とジェンダー - マルティニックの作家マイヨット・カペシアを素材として」
休憩
15:30 コメント1 森村敏己(一橋大学)
15:45 コメント2 戸邉秀明(東京経済大学)
休憩
16:10 質疑応答ならびに討論
17:25 閉会の辞
主催:(公財)日仏会館
後援:日仏歴史学会
NB〈近藤の所感〉: 「近代日本の歴史学」を考えるにあたってフランスにフォーカスしてみることは大いに意味があります。プログラムから予感される問題点があるとしたら、
第1に、箕作・高橋・井上・二宮のライン(東大西洋史!)が強調されているかに思われますが、これとは違う、法学・憲法学の流れ、京都大学人文研のフランス研究がどう評価されるのか。
第2に、20世紀の学問におけるドイツアカデミズムの存在感(とナチスによるその放逐 → 「大変貌」)の意味を考えたい。箕作元八も、九鬼周造もフランス留学の前にドイツに留学しました。柴田三千雄も遅塚忠躬もフランス革命研究の前に、ドイツ史/ドイツ哲学を勉強しました(林健太郎の弟子でした)! さらに言えば、二宮宏之の国制史は(初動においては)成瀬治の導きに負っていました!!
2024年9月2日月曜日
Re-imagining Democracy
7月に書き込んでから、猛暑にやられたというわけではありませんが、このブログに書き込む余裕のないまま、8月はあっという間に過ぎてしまいました。台風と長雨もなかなかでしたね。みなさんの近辺では、豪雨等々の大きな被害のないことを祈ります。
ドタバタとしていますが、このあとぼくは、スコットランド・イングランドに参ります。
いろいろと書くべきことは多いのですが、3月にオクスフォードでお世話になったイニス、フィルプのお二人がオクスフォード大学のウェブサイトに
・Re-imagining Democracy というぺージを作成し、ニュース・近況を告知しています。すでにご存知かもしれませんが、念のためお知らせします。
→ https://re-imaginingdemocracy.com/
共著『民主政のイメージ更新』プロジェクトの第4巻:中欧・北欧は、2027年完成を目標としています。中澤科研としては黙って看過できませんね。cf. 『王のいる共和政 ジャコバン再考』(岩波書店、2022)pp.20-21.
なおこの8月に彼らが始めた
・Centre for Intellectual History という試論ぺージもありますが、こちらはほとんど共著のエッセンス/論文素案のお披露目の舞台といった感じです。
Joanna Innes ↓
https://intellectualhistory.web.ox.ac.uk/article/what-did-it-mean-to-be-a-democrat-in-the-age-of-revolutions
Mark Philp ↓
https://intellectualhistory.web.ox.ac.uk/article/between-democracy-and-liberalism-ludwig-bambergers-path
中澤編『王のいる共和政 ジャコバン再考』(2022)、歴研編『「主権国家」再考』(2025)とも問題意識の重なる共著企画ですね。
ドタバタとしていますが、このあとぼくは、スコットランド・イングランドに参ります。
いろいろと書くべきことは多いのですが、3月にオクスフォードでお世話になったイニス、フィルプのお二人がオクスフォード大学のウェブサイトに
・Re-imagining Democracy というぺージを作成し、ニュース・近況を告知しています。すでにご存知かもしれませんが、念のためお知らせします。
→ https://re-imaginingdemocracy.com/
共著『民主政のイメージ更新』プロジェクトの第4巻:中欧・北欧は、2027年完成を目標としています。中澤科研としては黙って看過できませんね。cf. 『王のいる共和政 ジャコバン再考』(岩波書店、2022)pp.20-21.
なおこの8月に彼らが始めた
・Centre for Intellectual History という試論ぺージもありますが、こちらはほとんど共著のエッセンス/論文素案のお披露目の舞台といった感じです。
Joanna Innes ↓
https://intellectualhistory.web.ox.ac.uk/article/what-did-it-mean-to-be-a-democrat-in-the-age-of-revolutions
Mark Philp ↓
https://intellectualhistory.web.ox.ac.uk/article/between-democracy-and-liberalism-ludwig-bambergers-path
中澤編『王のいる共和政 ジャコバン再考』(2022)、歴研編『「主権国家」再考』(2025)とも問題意識の重なる共著企画ですね。
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