2018年8月18日土曜日

8月15日ということ


 
 『日経』14日夕刊の「8月15日 ニュースなこの日」という記事は、簡潔でザハリッヒでした。1995年、村山首相の「終戦記念日にあたって」という談話。これは特に日本遺族会会長、橋本龍太郎の合意をとったうえで閣議決定、発表にもちこんだのでした。
 記事の最後、「‥‥戦後70年談話でも安倍晋三首相は、過去の談話でキーワードとなった「植民地支配」「侵略」「反省」「おわび」の文言を全て盛り込んだ。いずれの談話も閣議決定し、政府の公式見解となった」と締めているのが良い。

 ここから昭和天皇を怒らせた靖国神社のA級戦犯合祀(1978年)を撤回する決断までは、あと一歩かと思われますが、しかし、日本政治の決定的局面で、今なお「右翼バネ」が効いているわけです。
 同じ『日経』、14日(火)の社会面で「平成最後の夏(上)」という連載が始まりました。この日は、全国戦没者追悼式の変遷をたどり、これが最初に開催されたのは1952年5月2日、新宿御苑で、その後、空白がつづいたこと。1963年8月15日に日比谷公会堂で再開され、翌64年に靖国神社で、65年に日本武道館で開催、以後これを踏襲、という事実が確認されます。
 そのうえで、シンボリックな日付8月15日の根拠をあらためて問うているのが良い。「終戦の詔書」は8月14日(ポツダム宣言受諾日)付、降伏文書に調印して国際法的に戦争が終わった日は9月2日。では、なぜ8月15日が終戦=敗戦の日とされてきたのか? 一に「玉音放送」と「お盆」との重なりゆえで、なんとも内向きでガラパゴス的な invention of tradition なのでした!

 靖国の関連で、念のため、右翼であることと、保守であることは、同じではありません。保守(反革命)はバークやピールのように、ある普遍的な世界観に結びつきうる。それにたいして右翼(ナショナリズム)は、アメリカのKKKも、日本の軍部も遺族会も、普遍性への指向はなく、縦に連なるとされる(本質!?の)系譜にこだわり、これを相対化するような批判にはハリネズミのように身構える。井の中の蛙ですが、武力をもつと、こわい! 

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