2021年10月23日土曜日

EPTウィルス感染者の集い

 昨22日(金)夜、Zoom にて Culture & Class: Rethinking E P Thompson という「公開講演会」があり、なんと2日前にその事実を知らされたばかりか、ウェビナだがコメントせよ、顔出し・声出しのパネルに加われとの連絡がありました。 これまでの経緯を理解しないままですが、あらかじめ4名の報告者とタイトルだけは知らされたので、ほんの少し心の準備をし、バイリンガルの興味深い会合に出てみました。

 ぼくの発言の趣旨です:
§ 松村高夫さんには、ぼくが「民衆運動・生活・意識 - イギリス社会運動史から」『思想』630号(1976年12月)という一文を書いて、生意気なので、1977年の初めに、「松村ゼミに来て話をせよ、稽古をつけてやる」というお声掛かりで三田に参りました。29歳でした。それ以来、留学の心がけから始まり、日英歴史家会議も含めて、お世話になりっぱなしです。

 Andy Gordon さんは、2013年10月にハーヴァードで The Global E P Thompson というコンファレンスを組織されました。ぼくは市橋秀夫さんと一緒に招待されて、Moral economy retried in digital archives という研究報告をしました。65歳になっていました。
 というわけで、松村さんにはぼくの学者人生がスタートしたばかりの頃、ゴードンさんにはぼくの学者人生の終盤に - しかしウェブの online情報を使ってどんな分析ができるかという新しい展望の見え方を示す機会をあたえていただきました。どちらも E P Thompson にかかわる報告でした。

§ E・P・トムスンを今、どう受けとめるか。
 トムスンの人柄+文章のもつ inspiration, 感染力は強い。
 Thompson, The Making of the English Working Class の初版は1963年ですが、ペンギン版が出たのは1968年。たいていの人はこちらを読んだと思われます。(市橋さんのテーマ)60年代のヴェトナム反戦、ビートルズ、そして68-69年には世界中の大学が沸き立つなかで、英語を読める人は Covid-19 ならぬ EPT-68 に接触感染して、実効再生産力(effective reproduction number)が高いので、パンデミックになってしまった。アメリカでもインドでもドイツでも日本でも、このパネルにいらっしゃる方々は全員 EPTウィルスの感染者、とくに重症患者ではないでしょうか。もっぱら「抗体」を保持している方も少なくありません!
 70年代のトムスンは Moral economy を初めとする18世紀イングランド社会史の議論を加えましたが、これによって、以前のホウィグ史観的な発達史とも、ネイミア的な停滞・構造観とも違う、磁場(field of force)論が加わり、魅力が増しました。
 ときにトムスンは2階級論で新興middle class の成長を見逃していた、といった類の批判がありますが、これは「階級実体」にとらわれた staticな議論です。階級は2つか、3つか、7つかという問題ではなく、むしろ「関係」で時代の社会構造を考える重要な視角をトムスンは呈示したのです。(情況・contingency とも言い換えられますし、彼のいう shared experience という考えかたは、発展性があります。)

§ ただし、問題といえば、トムスンがフランス革命の外在的影響でなく、freeborn Englishman といった歴史的な要素の起源探し、イングランド国内の発達史に「物語り」を限ったことでしょうか。(まだ未刊の共著『ジャコバンと共和政治』に「研究史から見えてくるもの」という拙稿を寄せましたが、ここでトムスンと色川大吉、丸山眞男を比しながら批判してみました。)
 一つはフランス革命の前と後のフランス社会の連続性を論じたA・トクヴィル、ロシア革命の前と後のロシア官僚制の連続性を指摘したE・H・カーのような視野;もう一つはもう少し大きな同時代的な構造(?)、広域システム(?)への問題意識‥‥ といった点で、E・P・トムスンには〈未完成交響曲〉といった感が残ります。
 松村さんはこうしたトムスンの特徴=個性を、詩的歴史家と表現されました。ぼくも詩人=歴史家と呼んだことがあります。少しでも接触した若い者を「何かある」と惹きつけ、歴史的思考にみちびく、ということがなければ、そもそも始まらない‥‥といった観点からは、(英語を読みさえすれば)E・P・トムスンの感染力はすごいのだから、だからこそピータ・バークは「歴史に残る歴史家」としてトムスンの名を挙げたのでしょう。
 ただし、イングランドの男たちの、ある独特の文化の起源をさぐるだけに終始したなら、今になってみれば、an inspiring historian というのに留まるのではないでしょうか。 サッチャ時代の反核運動がなかったら、詩人=知識人としての評価もどうだったか。
 ぼく個人としては、18世紀啓蒙のコスモポリタンな展開にネガティヴで、英仏蘇の競争的交流についてはほとんど拒絶するようなトムスンの姿勢には落胆しました。サッチャ時代が終わって、Customs in Common への意気込みを Wick Episcopi で語ってくれたエドワード(とドラシ)には感謝しつつも、ぼくは別の道を歩むしかないと悟りました。
『民のモラル』(1993年11月刊)の扉裏に、8月28日に亡くなったEPTへの献辞を刻みながらも、また『思想』832号に追悼文をしたためつつも、「モラル・エコノミー」論にたいしてぼくの「腰が引けている」のは、そうした事情がありました。

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