阿智村の住宅を巡見させていただいて、感慨深かったのですが、清内路の神社の脇、昔の「回り舞台」のあとが公民館になっていて、そこの2階にこんな和歌がいくつも詠まれて、掲げられていました。
「養蚕を是としひたすらなりし世も 過ぎむとしつゝ残る桑株」
「村棲みの世に遅るるも承知にて 水声 鳥語 草莽の謡」
2024年12月10日火曜日
阿智村と湾岸
土・日は長野県 下伊那郡 阿智村(あちむら:清内路、駒場、昼神温泉)にて、都市史学会大会+山里科研総括シンポジウム「山里の都市性」でした。
寒かった! 清内路(せいないじ)・駒場など guided tour の最中にも、みぞれか雪か、という具合でしたが、夜の懇親会は村長さんとご一緒。その翌朝、早めに起きて窓外をみると、阿智川の上を雪が舞っています。今季の初雪とのこと。
2日目は充実した報告・討論を聞いて、夕刻の恵那山の上に半月を見て、高速バス・新幹線を乗り継ぎ、日曜遅くに帰宅。翌月曜に外に出ると、こんなにまぶしい陽光。隅田川大橋から永代橋、佃の高層住宅群をのぞむ光景ですが、信州と東京湾岸の違いは大きい。
寒かった! 清内路(せいないじ)・駒場など guided tour の最中にも、みぞれか雪か、という具合でしたが、夜の懇親会は村長さんとご一緒。その翌朝、早めに起きて窓外をみると、阿智川の上を雪が舞っています。今季の初雪とのこと。
2日目は充実した報告・討論を聞いて、夕刻の恵那山の上に半月を見て、高速バス・新幹線を乗り継ぎ、日曜遅くに帰宅。翌月曜に外に出ると、こんなにまぶしい陽光。隅田川大橋から永代橋、佃の高層住宅群をのぞむ光景ですが、信州と東京湾岸の違いは大きい。
2024年12月6日金曜日
『社会運動史』は研究誌か?
日仏会館で14日(土)に催される〈近代日本の歴史学とフランス――日仏会館から考える〉については、先に述べましたが、こちらは22日(日)一橋大学における催しです。ブログを転写しますと → http://blog.reki-nin.org/
「歴史と人間」研究会 シンポジウム
〈研究誌『社会運動史』(1972-1985)とは何だったか ― 史学史的に考える ―〉
2024年12月22日(日) 13:30-17:00
一橋大学国立東キャンパス 第3研究館3F 研究会議室
国立キャンパス地図 http://www.hit-u.ac.jp/guide/campus/campus/index.html
13:30-13:40 司会(見市 雅俊)による趣旨説明
13:40-14:30 原 聖 報告
休憩
14:45-15:05 コメント1 加藤 晴康
15:05-15:25 コメント2 近藤 和彦
15:25-15:45 コメント3 成田 龍一
休憩
16:00-17:00 質疑応答
この集会のテーマは、ぼく自身も関係者ですので、話は具体的になります。
『社会運動史』を研究誌としてだけとらえると、さらにまた『社会史研究』とならべて論じると、その本来の意味はかなり違ってきてしまうのではないか。おそらく加藤さんもそうお考えでしょう。
『歴史として、記憶として』(御茶の水書房、2013)の第一部、第二部をご覧になれば、1968年ころ以後の青年インテリゲンチア(!)がどんな空気を呼吸していたか、見えてくるでしょう。70年代の『社会運動史』は、1982年に出現したエレガントな第一線の学者たちの(商業的な)『社会史研究』とは異質です。もっと先行きの見えない暗中模索で、ウゾームゾーの来し方行く末の可能性があったことは、加藤さんの部分も含めて、各執筆者はかなり率直に書いています。ぼく自身はというと、執筆時にはあまり意義を感じていなかった(むしろ拙速だという思いがあった)出版ですが、いま読み直すと、時代の/世代の証言集として意味があった/出てよかった本だと思います。
22日(日)には、(喜安さんは別格として)社会運動史研究会の一番上の世代=加藤と、一番若い世代=近藤の二人が、「後から来た」「外から観察する」原さん、成田さんとどういった対話ができるでしょうか。
「歴史と人間」研究会 シンポジウム
〈研究誌『社会運動史』(1972-1985)とは何だったか ― 史学史的に考える ―〉
2024年12月22日(日) 13:30-17:00
一橋大学国立東キャンパス 第3研究館3F 研究会議室
国立キャンパス地図 http://www.hit-u.ac.jp/guide/campus/campus/index.html
13:30-13:40 司会(見市 雅俊)による趣旨説明
13:40-14:30 原 聖 報告
休憩
14:45-15:05 コメント1 加藤 晴康
15:05-15:25 コメント2 近藤 和彦
15:25-15:45 コメント3 成田 龍一
休憩
16:00-17:00 質疑応答
この集会のテーマは、ぼく自身も関係者ですので、話は具体的になります。
『社会運動史』を研究誌としてだけとらえると、さらにまた『社会史研究』とならべて論じると、その本来の意味はかなり違ってきてしまうのではないか。おそらく加藤さんもそうお考えでしょう。
『歴史として、記憶として』(御茶の水書房、2013)の第一部、第二部をご覧になれば、1968年ころ以後の青年インテリゲンチア(!)がどんな空気を呼吸していたか、見えてくるでしょう。70年代の『社会運動史』は、1982年に出現したエレガントな第一線の学者たちの(商業的な)『社会史研究』とは異質です。もっと先行きの見えない暗中模索で、ウゾームゾーの来し方行く末の可能性があったことは、加藤さんの部分も含めて、各執筆者はかなり率直に書いています。ぼく自身はというと、執筆時にはあまり意義を感じていなかった(むしろ拙速だという思いがあった)出版ですが、いま読み直すと、時代の/世代の証言集として意味があった/出てよかった本だと思います。
22日(日)には、(喜安さんは別格として)社会運動史研究会の一番上の世代=加藤と、一番若い世代=近藤の二人が、「後から来た」「外から観察する」原さん、成田さんとどういった対話ができるでしょうか。
2024年12月5日木曜日
日仏文化講座
すでにみなさんご存知かもしれませんが、12月14日(土)に日仏会館でたいへん有意義な催しが企画されています。 → https://www.fmfj.or.jp/events/20241214.html
日仏会館 日仏文化講座
〈近代日本の歴史学とフランス――日仏会館から考える〉
2024年12月14日(土) 13:00-17:30(12:40開場予定)
日仏会館ホール(東京都渋谷区恵比寿3-9-25)
定員:100名
一般1000円、日仏会館会員・学生 無料、日本語
参加登録:申込はこちら(Peatix) <https://fmfj-20241214.peatix.com/>
日仏会館の案内をそのまま転写しますと ↓
日仏会館100年の活動を幕末以降の歴史の中に置き、時間軸の中でこれを反省的に振り返り、次の100年を展望します。フランスとの出会い、憧憬、対話、葛藤は、日本語世界に何をもたらしたのでしょう。フランスに何を発信したのでしょう。100年前に創設された日仏会館は、そこでどのような役割を果たしたのでしょうか。本シンポジウムは、この問題を日本の歴史学の文脈で考えます。その際、問題観の転換と広がりに応じて、大きく四つの時期にわけ、四人の論者が具体的テーマに即して報告します。
【プログラム】
司会:長井伸仁(東京大学)・前田更子(明治大学)
13:00 趣旨説明
13:05 高橋暁生(上智大学)
「二人の箕作と近代日本における「フランス史」の黎明」
13:35 小田中直樹(東北大学)
「火の翼、鉛の靴、そして主体性 - 高橋幸八郎と井上幸治の「フランス歴史学体験」」
休憩
14:15 高澤紀恵(法政大学)
「ルゴフ・ショックから転回/曲がり角、その先へ - 日仏会館から考える」
14:45 平野千果子(武蔵大学)
「フランス領カリブ海世界から考える人種とジェンダー - マルティニックの作家マイヨット・カペシアを素材として」
休憩
15:30 コメント1 森村敏己(一橋大学)
15:45 コメント2 戸邉秀明(東京経済大学)
休憩
16:10 質疑応答ならびに討論
17:25 閉会の辞
主催:(公財)日仏会館
後援:日仏歴史学会
NB〈近藤の所感〉: 「近代日本の歴史学」を考えるにあたってフランスにフォーカスしてみることは大いに意味があります。プログラムから予感される問題点があるとしたら、
第1に、箕作・高橋・井上・二宮のライン(東大西洋史!)が強調されているかに思われますが、これとは違う、法学・憲法学の流れ、京都大学人文研のフランス研究がどう評価されるのか。
第2に、20世紀の学問におけるドイツアカデミズムの存在感(とナチスによるその放逐 → 「大変貌」)の意味を考えたい。箕作元八も、九鬼周造もフランス留学の前にドイツに留学しました。柴田三千雄も遅塚忠躬もフランス革命研究の前に、ドイツ史/ドイツ哲学を勉強しました(林健太郎の弟子でした)! さらに言えば、二宮宏之の国制史は(初動においては)成瀬治の導きに負っていました!!
日仏会館 日仏文化講座
〈近代日本の歴史学とフランス――日仏会館から考える〉
2024年12月14日(土) 13:00-17:30(12:40開場予定)
日仏会館ホール(東京都渋谷区恵比寿3-9-25)
定員:100名
一般1000円、日仏会館会員・学生 無料、日本語
参加登録:申込はこちら(Peatix) <https://fmfj-20241214.peatix.com/>
日仏会館の案内をそのまま転写しますと ↓
日仏会館100年の活動を幕末以降の歴史の中に置き、時間軸の中でこれを反省的に振り返り、次の100年を展望します。フランスとの出会い、憧憬、対話、葛藤は、日本語世界に何をもたらしたのでしょう。フランスに何を発信したのでしょう。100年前に創設された日仏会館は、そこでどのような役割を果たしたのでしょうか。本シンポジウムは、この問題を日本の歴史学の文脈で考えます。その際、問題観の転換と広がりに応じて、大きく四つの時期にわけ、四人の論者が具体的テーマに即して報告します。
【プログラム】
司会:長井伸仁(東京大学)・前田更子(明治大学)
13:00 趣旨説明
13:05 高橋暁生(上智大学)
「二人の箕作と近代日本における「フランス史」の黎明」
13:35 小田中直樹(東北大学)
「火の翼、鉛の靴、そして主体性 - 高橋幸八郎と井上幸治の「フランス歴史学体験」」
休憩
14:15 高澤紀恵(法政大学)
「ルゴフ・ショックから転回/曲がり角、その先へ - 日仏会館から考える」
14:45 平野千果子(武蔵大学)
「フランス領カリブ海世界から考える人種とジェンダー - マルティニックの作家マイヨット・カペシアを素材として」
休憩
15:30 コメント1 森村敏己(一橋大学)
15:45 コメント2 戸邉秀明(東京経済大学)
休憩
16:10 質疑応答ならびに討論
17:25 閉会の辞
主催:(公財)日仏会館
後援:日仏歴史学会
NB〈近藤の所感〉: 「近代日本の歴史学」を考えるにあたってフランスにフォーカスしてみることは大いに意味があります。プログラムから予感される問題点があるとしたら、
第1に、箕作・高橋・井上・二宮のライン(東大西洋史!)が強調されているかに思われますが、これとは違う、法学・憲法学の流れ、京都大学人文研のフランス研究がどう評価されるのか。
第2に、20世紀の学問におけるドイツアカデミズムの存在感(とナチスによるその放逐 → 「大変貌」)の意味を考えたい。箕作元八も、九鬼周造もフランス留学の前にドイツに留学しました。柴田三千雄も遅塚忠躬もフランス革命研究の前に、ドイツ史/ドイツ哲学を勉強しました(林健太郎の弟子でした)! さらに言えば、二宮宏之の国制史は(初動においては)成瀬治の導きに負っていました!!
登録:
投稿 (Atom)