みなさんは、服部春彦『フランス革命と絵画 イギリスへ流出したコレクション』(昭和堂、今年2月刊)を見ましたか? 先に『文化財の併合 フランス革命とナポレオン』(知泉書館、2015)がありました。これに続く、フランス革命・ナポレオン・美術品の移動というテーマだな、と軽い気持で読みはじめて、驚嘆しました。
明快な問題設定のもと、研究史と(回顧録や売立てカタログ‥‥からイギリス政治史のオーソドックスな史料 Hansard 議会議事録にいたる!)多様な史料を渉猟し分析した、374ぺージの研究書です! 今回はフランス史というより、イギリスの美術品取引史です。フランス革命期に大量の絵画が、フランス・ネーデルラント・イタリア各地から大量にイギリスへ移動したプロセス ~ 1824年、ロンドンに国立美術館(National Gallery)が設立されるまでの、オークションから私的契約売買まで、美術品取引の実際が具体的に解明され、迫力があります。
イギリス史をやっている者にとって、18世紀前半のホウィグ体制において枢軸をなしたウォルポール家(Houghton Hall)とタウンゼンド家(あの農業改良の Turnip Townshend)の今日にいたるまでの家運の転変はおもしろいものです。両家は同じノーフォーク州でほとんど隣接した大所領をもって、たがいに交際していました。しかし世紀後半の代になるとHorace Walpole は放漫な家政で、結局、せっかくのコレクションをロシアのエカチェリーナに売却するしかなかったばかりか、19世紀にはロスチャイルド家と縁組みし、今日も観光客を迎えて入場料を取り、一般向けのイヴェントをくりかえして所領を維持しています。他方のタウンゼンド家は代々、堅実な農業経営のおかげで、今も一般客を入れることなく所領を維持しています。
1770年代にあの急進主義の風雲児 ジョン・ウィルクスが、そのウォルポールの Houghton collectionを国内に留めるための議会演説を行ったこと( → その効なくロシア宮廷に売却)から始まり、ナショナルな絵画館の設立運動をめぐるLinda Colley 説の批判、そして1824年にようやく National Gallery 創立、38年の新館開館にいたる政治社会史には、感服しました。脱帽です。
たしかノーリッジのEdward Rigby(1747-1821)の娘 Elizabethは Charles Eastlakeとかいう NGの初代館長に嫁したのではなかったかな? この時代のチャリティ、農業改良、医療をはじめとする公共プロジェクト、そして大陸旅行記が父・娘ともにありますね。NG の1824年設立/38年の新館までで本書は終わりますが、それにしても、多くの登場人物、そして
「公衆(the public)なる語にどのような意味がこめられていたか」p.335
といった議論に刺激されます。服部春彦さんによるイギリス近代史の研究書です!
1934年4月生まれの服部さんは、遅塚、二宮、柴田(この順)と同じころパリに留学していた方ですが、名古屋大学西洋史におけるぼくの先任助教授でした。こういう方が元気でしなやかに生産的でいらっしゃるので、こちとらも呆けることはできません。
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