2013年9月30日月曜日

『上海』

 皆さま、
 まったくもってご無沙汰です。
 この夏はたいへんな暑さもありましたが、諸々が重なって多事多難でした。しかもこの9月後半は中国(上海、天津、北京)、現在はアメリカ(Cambridge=Harvard)と、東奔西走中です。

 中国は、科研による租界調査の旅行でした。中国はすごいインパクト。世界史観が変わりそうなくらい。まだ整理がつきませんが、考えたことの一端を。
 7泊8日の充実した旅行を終わり、26日(木)夜に北京から羽田に着きましたが、モノレール内でメンバーの一人が(遠慮がちに?)寄ってきて、横光利一『上海』の岩波文庫本の解説文を示してくれました。
「上海はリヴァプールにならって作られた。」
 ぼくの反応は「えっ」という二重の驚きでした。第1に、「今回の旅行を着想したアイデアが、いとも簡単にオリジナリティを否定されてしまった‥‥」というもの。
だれでも思い付くことなのか。ただし、この解説者は根拠を示さないままです。
 第2には、「ぼくも文庫本を持っていたのに、この箇所に気付かないままだった。ぼくの目はフシ穴だったのか‥‥。」
 さて、金曜は勤務先の授業3コマを消化。土曜は重要な校務。その夜、ようやくに徒歩7分のオフィスに行って(ハーヴァード関連の物を回収するついでに)ぼくの『上海』文庫本を手にしました。
 意識していなかったが、ぼくの『上海』は講談社文芸文庫なのでした。装丁の雰囲気は似ている。∴上述の解説文を認識していなかったからといって、必ずしもぼくの眼力か知力の衰えの証というわけではなかった!
 講談社文庫では、横光の息子が父の想い出を、解説を菅野昭正がしたため、最後に「作家案内」と「著書目録」が収められている。岩波文庫より充実しているかも。
 菅野の解説(1991年ないしそれ以前に執筆)はさすがで、死ぬ前の芥川が横光に「上海を見て来い」と言ったこと、横光の文に
「芥川龍之介氏は支那へ行くと[ひとは]政治家になると言っている。これには僕も同感である」
というのがあると記しています。横光は39年に上海を再訪して
「ここほど近代という性質の現れている所は、世界には一つもない」
とまで記したということです。
 ここから先は菅野の表現ですが、「西洋と東洋の対立と角逐が、もっとも尖鋭にあらわれる問題の場所」、「現代の歴史の大きな波頭に拠点を定めて‥‥魔術的な力を秘めた都市を相手どる小説」。
 こうしたイマジネーションの最近の例は、高樹のぶ子の日経連載小説『甘苦上海』でしたね。高樹は、横光の本歌取りを意識していたのでしょうか。

 横光も高樹も、非マルクス主義/右寄り/ノンポリということで、ぼくたちの育った進歩的歴史学界では、歯牙にもかけない処遇でした。
 上海・天津の会食の場でも断片的に口にしましたし、12月刊の『イギリス史10講』を読んでいただけば明らかなとおり、今さらながら歴史学の転換(の収穫!)を意識しています。
 ぼくの先生や先輩たちの大前提にあったマルクス主義講座派は、コミンテルン32年テーゼ、『日本資本主義分析』34年刊に現れたとおり、あまりにもダイレクトな欧米日中心史観≒対義和団出兵国史観でした。それが再生産されていました! あるいはせいぜいそれから一国革命論を人道主義的に希釈化したもの(越智、松浦、今井‥‥、検定教科書)でした。この両方を越えてゆかなければ、イギリス史も歴史学も日本国憲法も展望はないと考えています。
 経験主義≒実証主義( → 業績主義)だけでなにかが解決するというのは甘い。