2010年11月30日火曜日
2010年11月29日月曜日
Virtual reality とはこんなもんか
0. 世の中にはよくわからないことがありますが、以下は、単純にして怠慢なアウトソーシングと copy & paste の結果をだれも確かめてなかった、というお粗末な始末記です。
1. Manchester workhouse 関連で、新しくアプロードされた史料か文献はあるかな、とインターネットを探した折に、信じがたい発見をしたのです。
何番目かのヒットに次のようなものがありました。
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Title: The Workhouse Issue at Manchester Selected Documents, 1729-35
Author: 近藤, 正治 Kondo, Shoji
Issue Date: 31-Mar-1987
Publisher: 名古屋大学文学部
Citation: 名古屋大学文学部研究論集史学. v.33, 1987, p.1-96
URI: http://hdl.handle.net/2237/9791
ISSN: 0469-4716
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おいおい、近藤正治さんよ、これはあなたではなくぼくの仕事だよ。あなたがどんな方か知らないが、名古屋大学文学部に所属したことはないだろうに。
そもそも、Nagoya Repository という、名古屋大学の紀要類をディジタル・アーカイヴにする企画の一部らしいが、
http://hdl.handle.net/2237/9791 をクリックしてみると、正しく『研究論集』でぼくが編纂した史料集が PDF で出てきます。PDFなので 最初のページの著者名は Kazuhiko Kondo のまま。 → だったら問題ないじゃないか、と言いたいところですが、そうではない。
2. そもそも著作権は著者=近藤和彦にあるはずだが、その仕事が、①本人の関知しないまま、②著者名が変えられて、③ヴァーチャル世界に登載されている、という問題です。
① じつは何年か前に、名大図書館から同じく『名古屋大学文学部研究論集』に載ったぼくの Town and county directories in England and Wales, 1677-1822 という article について名大リポジトリに掲載してよいかどうか、郵便で問い合わせが来ました。これに OK した覚えはあります。同時に、1985年のこの article だけについて問い合わせが来て、翌々87年の workhouse issue について来ないのはどうしてか。リポジトリの年度区切りとか、著作権25年といった考え方とか、ありうるのかと想像しましたが、それ以上は深く考えないままで打ち過ごしていたのです。
‥‥いずれ材料を補充しつつ、この第2版を制作しなくてはいけない、と考えていました。Workhouse issue は英米ではそれなりに引用・参照されている史料集なので [→ Handley 1990; Horner 2001; Innes 2005; Langford 1991; Speck 1999]。→ http://www.l.u-tokyo.ac.jp/~kondo/Quoted.htm
3. 大学の知的資源の公共的アクセス・情報公開の推進といったことが数年前から話題になりました。大学の図書を市民に開放するとか‥‥。そもそも公共図書館の不備・未成熟をどうするかという問題と、官公庁の情報公開とが一緒になっての動きだと思われますが、しかし大学の人的資源はギリギリだという与件もあり、 じゃぁ SOLUTION はアウトソーシング、ということでにわか情報業者がもうかる構図です。
そうしたアウトソーシングの意味を全否定するつもりはありませんが、競争入札で、かつ新規業者を優先する方針でやった結果が、ここに出ています。
なにかの contingency の結果として、名大工学部の近藤正治先生の論文をPDF化した直後に、近藤和彦の番になって、そのままコピー&ペイストして「いっちょ上がり」だったのでしょう。
仕上がりを再確認するのはいったい同じオペレータか、職制か知りませんが、いずれにしても sine ira et studio、たんたんと作業を進めたのでしょう。
著作権許諾を問われた近藤正治先生の側も、多数のペーパーについて、PAが(?) たんたんと「承諾」という返事を繰りかえしたに違いない。
4. 上の3に書いたのは、憶測 a plausible conjecture に過ぎませんが、これに随伴して
②近藤和彦の仕事として検索した場合にはヒットせず、
③しかし、本人の知らぬまにインターネットの世界では利用が繰りかえされてきた、
という問題があります。英米の歴史研究者で Kondo Shoji という名は知られていないでしょう。 Google などで検索・ヒットしてもパスする(内容を見ない)、というケースがほとんどだったでしょう。
そもそも本人の研究計画のなかで The workhouse issue at Manchester: selected documents は緊急性の低い課題だったのでよかったとは言えますが、もし緊要な仕事だったらどうするのでしょう。損害賠償の訴訟‥‥といったこともありえますよ。
これを書くためにまさか、と思いながら検索したら
長谷川 博隆 の読みが Hasegawa, Kazuhiko
となっています!(Ciceroの法廷弁論にあらわれるcolonus と clientela)
ふざけるな、と言いたい。リポジトリを構築する図書館の担当者さん、委託された業者さん、どうぞ堅実に仕事してください。
【上の Workhouse Issue at Manchester の author にかぎって、名大図書館はすでに修正してくださいました。12月3日追記】
1. Manchester workhouse 関連で、新しくアプロードされた史料か文献はあるかな、とインターネットを探した折に、信じがたい発見をしたのです。
何番目かのヒットに次のようなものがありました。
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Title: The Workhouse Issue at Manchester Selected Documents, 1729-35
Author: 近藤, 正治 Kondo, Shoji
Issue Date: 31-Mar-1987
Publisher: 名古屋大学文学部
Citation: 名古屋大学文学部研究論集史学. v.33, 1987, p.1-96
URI: http://hdl.handle.net/2237/9791
ISSN: 0469-4716
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おいおい、近藤正治さんよ、これはあなたではなくぼくの仕事だよ。あなたがどんな方か知らないが、名古屋大学文学部に所属したことはないだろうに。
そもそも、Nagoya Repository という、名古屋大学の紀要類をディジタル・アーカイヴにする企画の一部らしいが、
http://hdl.handle.net/2237/9791 をクリックしてみると、正しく『研究論集』でぼくが編纂した史料集が PDF で出てきます。PDFなので 最初のページの著者名は Kazuhiko Kondo のまま。 → だったら問題ないじゃないか、と言いたいところですが、そうではない。
2. そもそも著作権は著者=近藤和彦にあるはずだが、その仕事が、①本人の関知しないまま、②著者名が変えられて、③ヴァーチャル世界に登載されている、という問題です。
① じつは何年か前に、名大図書館から同じく『名古屋大学文学部研究論集』に載ったぼくの Town and county directories in England and Wales, 1677-1822 という article について名大リポジトリに掲載してよいかどうか、郵便で問い合わせが来ました。これに OK した覚えはあります。同時に、1985年のこの article だけについて問い合わせが来て、翌々87年の workhouse issue について来ないのはどうしてか。リポジトリの年度区切りとか、著作権25年といった考え方とか、ありうるのかと想像しましたが、それ以上は深く考えないままで打ち過ごしていたのです。
‥‥いずれ材料を補充しつつ、この第2版を制作しなくてはいけない、と考えていました。Workhouse issue は英米ではそれなりに引用・参照されている史料集なので [→ Handley 1990; Horner 2001; Innes 2005; Langford 1991; Speck 1999]。→ http://www.l.u-tokyo.ac.jp/~kondo/Quoted.htm
3. 大学の知的資源の公共的アクセス・情報公開の推進といったことが数年前から話題になりました。大学の図書を市民に開放するとか‥‥。そもそも公共図書館の不備・未成熟をどうするかという問題と、官公庁の情報公開とが一緒になっての動きだと思われますが、しかし大学の人的資源はギリギリだという与件もあり、 じゃぁ SOLUTION はアウトソーシング、ということでにわか情報業者がもうかる構図です。
そうしたアウトソーシングの意味を全否定するつもりはありませんが、競争入札で、かつ新規業者を優先する方針でやった結果が、ここに出ています。
なにかの contingency の結果として、名大工学部の近藤正治先生の論文をPDF化した直後に、近藤和彦の番になって、そのままコピー&ペイストして「いっちょ上がり」だったのでしょう。
仕上がりを再確認するのはいったい同じオペレータか、職制か知りませんが、いずれにしても sine ira et studio、たんたんと作業を進めたのでしょう。
著作権許諾を問われた近藤正治先生の側も、多数のペーパーについて、PAが(?) たんたんと「承諾」という返事を繰りかえしたに違いない。
4. 上の3に書いたのは、憶測 a plausible conjecture に過ぎませんが、これに随伴して
②近藤和彦の仕事として検索した場合にはヒットせず、
③しかし、本人の知らぬまにインターネットの世界では利用が繰りかえされてきた、
という問題があります。英米の歴史研究者で Kondo Shoji という名は知られていないでしょう。 Google などで検索・ヒットしてもパスする(内容を見ない)、というケースがほとんどだったでしょう。
そもそも本人の研究計画のなかで The workhouse issue at Manchester: selected documents は緊急性の低い課題だったのでよかったとは言えますが、もし緊要な仕事だったらどうするのでしょう。損害賠償の訴訟‥‥といったこともありえますよ。
これを書くためにまさか、と思いながら検索したら
長谷川 博隆 の読みが Hasegawa, Kazuhiko
となっています!(Ciceroの法廷弁論にあらわれるcolonus と clientela)
ふざけるな、と言いたい。リポジトリを構築する図書館の担当者さん、委託された業者さん、どうぞ堅実に仕事してください。
【上の Workhouse Issue at Manchester の author にかぎって、名大図書館はすでに修正してくださいました。12月3日追記】
2010年11月25日木曜日
横浜の収穫
24日(水)、横浜みなとみらいの「図書館総合展・学術情報オープンサミット2010」に行って参りました。
パシフィコ横浜で開かれたいくつもの公開セミナーのうち、「大学図書館における人文社会系データベース」という催し。早稲田大学図書館のドン・中元さんの組織なさった催しだから、有意義であることは最初からわかっていて、オーディエンスのみなさんも、そうしたことは先刻承知でいらしたのでしょう。雄松堂および Cengage の方々にはお世話になりました。
ぼく個人としては、「自分がいま夢中になっているテーマを話すと、決められた時間をどうしてもオーバーする」という定理からそろそろ学習しなくては、と反省しております。討論では、当然ながら IT 格差の問題も提起されました。
事後には、NII の担当者にも直接に要望を伝えることができて幸いでした。Webcat Plus のひどい状態は、かならず改善してくださる、としっかり耳に刻みました。ここにも記しておきます。Webcat から Wikipediaへのリンクも、はずしましょうね。品位の問題です。
2010年11月20日土曜日
KJC@熊本
隔年の会合ですでに3度ご一緒し、もはや haiku を交わす旧友という関係になりました。
【一斉写真を撮れなかったので、2次会の -見通しの悪い- スナップですが】
Thomas Spence の土地構想を論じた『史学雑誌』研究ノート(松塚俊三)を発見して勇気が出たという趙先生の学生時代。青山・越智(編)『イギリス史研究入門』を持って勉強していた1980年前後の韓国の院生たちは、いま初老の大学教授。わたしたちは日本語で仕事していても、ガラパゴスではなかった‥‥!
いま新しい『イギリス史研究入門』を手にする日韓の院生たちは30年後にどうしているでしょう? 後景に見える方々にも注目。
Robert Bartlett って熊本で初めて意識しましたが、良い先生ですね。ずっと前にロンドンの AJC(2000年)でコメンテータをつとめられた Clanchy 先生も、2003年にいらした Harry Dickinson 先生もそうですが、理想的な「先生」。こういった師に学べるひとは幸せです。
2010年11月14日日曜日
2010年11月11日木曜日
2010年11月7日日曜日
‥‥京都やあらへん
11月2日に京都の史学研究会でお話をする機会を与えられ、ついでにぼくの懐かしい原風景(の一部)を再確認してきました。2日、3日と快晴でしたし、北山もよーく見えた。百万遍から烏丸御池・烏丸丸太町あたりまでを徒歩で往復して、京のまちなかをゆったり見ることができたのも(予定になかった)収穫でした。
9歳まで、阪急 桂 駅からのぼった月見ヶ丘の北窓から、なんとなしにいつも稜線を眺めていました。まわりは建て込んでなかったので、西山・北山・東山と遮るものなく見えました。
「桂ゆうたら 京都やあらへん」
ゆうこと言やはった先生にも来ていただいて、「伝説」と「記憶」の創造・捏造について、木屋町のお店でしばらく再審することもできました。ありがとうございます。
3日の読書会に出席するのも初めてでしたが、たくさんの懐かしいお顔に挨拶できて良かった。
そこでも話題になった『イギリス史研究入門』については、こちらで対話が継続中です。お時間があったら、たっぷり10月26日の分まで遡ってご覧ください。
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