2013年12月29日日曜日

クリスマス休暇をねらって?

 風邪と咳で苦しみ、年末のお仕事を片づけることができず、何人もの方々にご心配をおかけしました。まだ完全には復帰していません。

ところが、その間にも安倍晋三首相は、世界的にメディアがクリスマス休暇に入っていると踏んで(?)靖国参拝という愚行を実行し、これまで参拝できなかった「痛恨の極み」をはたし、日本の保守政治の呪われた宿命をあらわにしました。
安倍首相は日本資本主義の総帥であるよりも、ナイーヴなガラパゴス右翼の虜なのですね。なぜなら、

1. 西郷を国賊として排し、東条を英霊として合祀した靖国に参ることによって、首相は天皇陛下の歴史観と公けに対決しています。今上天皇は一度も靖国に参ったことはなく、昭和天皇は、靖国がA級戦犯を合祀した1978年以来参拝していません。
アジア太平洋戦争の開戦が愚かな国際政治の企てだったとして(それは今はおきます)、その終結の機を失い、ダラダラと後のばしにしたことによって、特攻隊もアジア各地の玉砕兵士も、また昭和20年3月の東京、大阪、名古屋をはじめとする全国の都市の空襲犠牲者、そして究極の広島、長崎、そして満州の犠牲者を無駄に増やしたのです。そうしたことの責任者=「英霊に哀悼の誠をささげ、尊崇の念を表する」とは、どういう意味なのか。まともな知性をもつ大卒者とは考えられない。
自民党右翼だけではありません。マスコミも問題の深刻さを認識していないんじゃないか。近現代日本がどれだけ有為の人材を無駄死にさせつつ突進してきたか、その責任を再確認する必要があります。

2. この問題について、歴代の官房長官のうちでも、クールで実際的な野中広務とか、福田康夫とかは脱宗教法人、国立追悼・平和施設といったことを提案してきましたが、フォローは乏しい。「政治は票だ」、「遺族会や右翼の票田を失うわけにゆかない」というだけでなく、三木武夫首相のころから/橋本龍太郎首相のときから(陰に陽に?)「怖い方面」からの脅迫・強要もあったのでしょうか? 明らかにしてほしい。

3. 無念なことに、戦後の民主日本は、ドイツ連邦共和国とは本質的に異なる道を歩むこととなりました。ナチス処罰とヨーロッパ統合という形で、近隣との呪われた関係を克服する道を選んだドイツ。公然と戦犯【開戦の責任者というより、むしろ終戦を決断しなかったリーダーたち】を哀悼し尊崇することによって、愚劣さを世界中に発信する安倍首相。
これでは「なにが決められない政治の克服だ」と言いたくなる。「世界」とか「普遍」とか「レゾン・デタ」とか「法」といったことを、大学時代にも、議員になってからも考えたことがないのだろうか。きみの父君の場合は、もうすこし国際感覚があったんじゃないの?

愚かな国民には、愚かな政治がふさわしい。

2013年12月22日日曜日

岩波新書 『イギリス史10講』 をもって


 お待たせしました。ほんとに刊行されました。
http://www.iwanami.co.jp/cgi-bin/isearch?head=y&isbn=ISBN4-00-431464
→ この画面で、右下の More Info をクリックしてください。
編集担当者によるメッセージと目次のページが開きます。

 21日、穏やかな土曜の午後に、柴田家に参って小冊を献呈してきました。
御遺影と対面して座すると、万感あふれてしまいましたが、
ご夫人はぼくをそのまま一人にしておいてくださいました。

「これで[本が出て]楽になったでしょう」というお言葉ですが、そう、前向きになれます。
累積する未決課題は多いのですが、積極的な気持でいます。

 おみやげに、なんとぼくの学部5年のときのレポート2つ(1970年5月5日という日付)
・「パリ、2月革命期における蜂起主体の社会的構成」
・「1848-49年革命の敗北とマルクス・エンゲルスによる教訓化
  -プロレタリアート党の独自的運動・組織化の提起」
をいただきました。
出席回数ゼロでしたが、単位をいただいたものです。
どちらも脚註つきで横書き原稿用紙23ページの力作!?
それぞれ先生の手で「80°」という評点が付いています!
捨てずに取っていてくださったのですね。