2019年6月30日日曜日
'Moral economy' and E P Thompson
よく分かっている人たちから、こんな反応をいただき、素直に喜んでいます。
'Moral economy' retried in digital archives.
自負と不安との相半ばするぺーパーだったものですから。
みなさんが EPT と呼んでいるのは、もちろん Edward P. Thompson (1924-1993)のことです。
〈MJB〉
It was very good to hear from you, and many thanks for sending me your essay on Thompson. Its doubly-interesting to me: I am trying to get funding for a research project on the politics of bread from 1300-1815, part of which is about linguistic shifts, and your material is really helpful; and I am also beginning work on a biography of Christopher Hill, so your thoughts about this intellectual milieu are also very stimulating. I didn’t think it was disrespectful or damaging to EPT at all - I am sure he would have been interested in this material, and keen to use it to think about his case.
〈PJC〉
Thank you for your splendid bibliometric investigation into the concept of Moral Economy, which has just reached me. It's a very useful as well as insightful study. I am sure that the late EPT would himself have welcomed it. His conclusions might have differed from yours. (As we all know, he quite enjoyed differing from everybody at some stage or other in his intellectual career).
But I am sure that EPT would be delighted that you have found some key eighteenth-century examples ('I told you so', he would have triumphed) and he would appreciate the care with which you have dissected shades of meaning in the term's application. Well done.
I am currently writing something on styles of digi-research and I intend to quote this essay as a good example of a productive outcome.
〈JSM〉
So good to hear from you and to receive the offprint of your essay on EPT and moral economy. As you know I have made fruitful use of word search on EEBO and BBIH to help me understand the emerging historiography of the seventeenth century and I was very excited by Phil Withington's work on the term 'early modern' and keywords within the early modern.
So I needed no persuading that you had a sound idea and I think you used the technique with real flair to get a real deepening of the great breakthrough that 'Making' represented. I like the way you demonstrate the tensions within the 18th/early C19th usage and suspect EPT would have relieved by what you have found! It helps me because I use Scott's sense of moral economy in my own work on the Irish depositions of 1641, seeking to distinguish the moral economy of the eye-witness testimony with the moral economy of the hearsay. I will be better informed in how I use the terms going forward.
2019年6月25日火曜日
ゼラニウムとペラルゴニウム
ベランダで気になるもう一つの花がこれで、どうも日本語のサイトでは分かりにくい。
RHS 【Royal Horticultural Society[英国園芸学会], なんとこちらのほうが Royal Historical Society より創立は早く、したがって後者は略称を R. Hist. S. としなければならないのでした!】のサイトで探してみると、
→ https://www.rhsplants.co.uk/search/_/search.pelargonium/sort.0/
このとおり、下と同じく Pelargonium (ペラゴーニアム)なのでした。なんとヴァラエティのある花なんだ! 南アフリカ原産。
【学会サイトなのに通販価格も明記されているのが、イギリス的です!】
きれいで育てやすい5弁の花としての共通性もあり、英語の世界でもいわゆるゼラニウム(ジレイニアム)
→ https://www.rhsplants.co.uk/search/_/search.geranium/sort.0/
とよく混同されているとのことで、素人向けに ↓ のような区別がしたためられています。
→ https://www.rhs.org.uk/plants/popular/pelargonium
Did you know? Common names can cause mix ups. ‘Geranium’ is the name most people use when talking about Pelargonium. But Geranium is actually a different plant genus, so to help avoid confusion some refer to Geranium as ‘hardy geraniums’, and Pelargonium as ‘tender geraniums’.
さらに詳しい説明は ↓ 別の団体サイトですが、
→ https://geraniumguide.com/difference-between-geraniums-and-pelargoniums/
なんと18世紀、リンネの命名からまもなく論議は始まったとのこと!
2019年6月8日土曜日
可憐な花
ベランダが南と北にありますが、わが書斎は北向きで、夏の朝以外は日の当たらないベランダ(ポーチ)で、手入れらしいことをしなかった鉢の植物から、細い茎がまっすぐ伸びて、先にツボミを付け、開花しました、いくつも。 可憐なピンクの花房が日に日に増えて、今は花房が10も。日持ちします。しらべると、geranium (フクロソウ)のうちの pelargonium(テンジクアオイ)属ということで、ふつう花屋さんで「ゼラニウム」と呼んでいる、あれですね。
何年も(十年以上も?)前に頂いた鉢を海外に出ている間にダメにしたのに、捨てずに水をやっていたら、快復して元気に花を咲かせるようになったわけです。目をかけて、ほんのちょっと土を耕し、枯葉やゴミを取り除き、といったことをしていると、植物も意気を感じて(炭酸ガスを吸収して)生育するのだろうか。人と同じかな?
2019年6月4日火曜日
ジャコバン・シンポジウム反芻
5月19日西洋史学会大会小シンポジウム〈向う岸のジャコバン〉と、26日歴研大会の合同部会〈主権国家 Part 2〉における討論は、人的にも内容的にも連続し重なるところが多いものでした。文章化するまですこし余裕があるので、メール交信にも刺激されながら、反芻し考えています。とりあえず3点くらいに整理すると:
1.Res publica/republic/commonwealth にあたる日本語の問題。
これは古代由来の「公共善を実現すべき政体」ですが、politeia でもあり、「政治共同体」「政治社会」とも訳せますね。 cf.『長い18世紀のイギリス その政治社会』(山川出版社)pp.7-11 でも初歩的な議論を始めていました。
岩波文庫でアリストテレス『政治学』と訳されている古典は、ギリシア語で Ta Politika, ラテン語版タイトルは De Republica です。その訳者・山本光雄は訳者注1で、本書のタイトルにつき「もともと「国に関することども」というぐらいの意味で‥‥むしろ『国家学』とする方が当っているかも知れない」(岩波文庫、p.383)としたためています。また巻末の「解説」では同じ趣意ながら、「字義通りにとれば、「ポリスに関することども」という意味になるかと思う」(p.443)と言いなおしている。
宗教戦争中に刊行されたボダンの De République は『国家論』と訳され、共和政下に刊行されたホッブズ『リヴァイアサン』の副題は「聖俗の Commonwealth の素材・形態・力」でした。それぞれ「あるべき国のかたち」を求めての秩序論でした。
これが、しかし、ジャコバン言説(を結果的に生んだ18世紀第4四半期)あたりから「君主政を否定した政治共同体」=「王のいない共和政」を主張する republicanism の登場により、19世紀にはこちらが優勢となり、福澤諭吉の『西洋事情』(1867)では、「レポブリック」が即(モナルキやアリストカラシと並び区別された)デモクラシの意味で紹介されるに至るわけです。
とはいえ、共和政・共和国という表現は、今にいたるまで(自称・他称のいずれも)ある種の「理想的な政治共同体」「当為の公共善(へ向かうもの)」を指して、使われるようです。フランス共和国も、朝鮮人民共和国も、主観的には理想郷(をめざす運動体)なのですね! ここで共和主義と祖国 patrie への愛がポジティヴに語られるのが、おもしろい。何故?
かねてから中澤さんの指摘なさる「王のいる共和政」については、中東欧だけの問題ではなく、イングランドの研究史でも Patrick Collinson (ケインブリッジの近代史欽定講座教授、Q.スキナの前任者) による The monarchical republic of Queen Elizabeth I (1987) という覚醒的な論文があり、さらにその影響を20年後に再評価する論文集
The monarchical republic of early modern England: essays in response to Patrick Collinson, ed. by J. McDiarmid (2007) も出ています。
2.近世 → 近現代
こうした republic の用語法(の変化)にも、近世(前近代)から近現代への飛躍か架橋か、といった問いを立てる意味があるわけですが、これについて、ぼくの立場は折衷的です。まず、もし「近世」なるものと「近現代」なるものの実体化(平坦なピース化)に繋がる議論だとしたら危ういものがあります。ジャコバンについて、(静岡で申しましたように厳密な a であれ、向う岸の b現象であれ)いろんな議論が可能ですが、結局は飛躍と連続の両面があるといった結論に帰着しそうです。
なおまた次に述べることですが、フランス革命もジャコバンも、社団的編成論(二宮、Palmer)や複合革命論(Lefebvre)といったこれまでの理論的な達成をパスしたまま議論するのは空しい。革命はアリストクラートの反動から始まり、情況によってロベスピエールもサンキュロットたちも変化・成長するのです。
3.国制史の躍動
2にもかかわることですが、近藤報告は「「大西洋革命」論を冒頭において、その意義を論じようとした‥‥」と受けとめられた方もあったようですので、補います。ぼくの主観的ねらいは違いました。
第1報告の本論冒頭においたのはロベスピエールの2月5日演説であり、(切迫した情況における)徳、恐怖、革命的人民政府、正義、暴政、République といったキーワードを集中的に呈示し、共同研究のイントロにふさわしいものにしたつもりでした(ブダペシュトでも、静岡でも)。研究史として「大西洋革命」やパーマが出てくる前に、国制史の意義をとき、成瀬治と Verfassungsgeschichte、二宮宏之とコーポラティストやモンテスキュに論及し、そのあとにようやく広義のジャコバン研究&社団的編成論として R.パーマの The age of the democratic revolution(とこれを早くに評価した柴田三千雄)が登場します。これにより一方でロベスピエールないし厳密なジャコバンを相対化する(歴史的コンテクストに置く)と同時に、他方で成瀬、二宮、柴田を再評価する、随伴してスキナたちケインブリッジ思想史の偏りを指摘し、イニスたちの近業の可能性を讃える、といった筋(戦略)で臨んだつもりでした。
むしろ広汎な各地で、若くして啓蒙の republic of letters に遊んだ人々が、1790年代の高揚した情況のなかで élan vital を共有し、当為の宇宙に夢を見た(それを E.バークたちは冷笑した)、それぞれの運命をもっともっと知りたい、と思いました。
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