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2025年4月17日木曜日

主権・IR・カー

「主権国家」再考』(岩波書店)は本日、16日発売とのことですが、先にも書きました詳細な目次だけでなく、立ち読みコーナーもあって、ぼくの「序論」についてはちょうど半分、pp.1-10 がウェブで読めるようになっています。
https://www.iwanami.co.jp/moreinfo/tachiyomi/0616940.pdf (目次のあとです)
そうした出版のオンライン開示は便利だなぁと見ているうちに、さらに今月刊のE・H・カー『平和の条件』(岩波文庫)も、訳者による解説(部分)が読めることを発見。
https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/8771
ちょうど『「主権国家」再考』がらみで、中澤論文からドイツの Andreas Osiander による
'Rereading early twentieth-century IR theory: Idealism revisited', International Studies Quarterly 42 (1998) へと導かれ、この論文でE・H・カーの国際関係学(IR)批判が試みられていることを認知したばかりでした。
この間のいろんなことが繋がってきて、嬉しいかぎりです。

2025年4月10日木曜日

Shohei's 'might-have-been'

 『「主権国家」再考』が岩波書店のウェブぺージに載りました。中澤達哉責任編集/歴史学研究会編、岩波書店、4730円。16日刊行とのこと。詳細な目次も、こちらに → https://www.iwanami.co.jp/book/b10132793.html
先にも(3月6日)書きました「‥‥今、トランプ第二期政権は歴史も国際法もなきがごとく、独特の「主権」を主張して世界を驚愕させている。」というぼくのセンテンスは、今となっては、ちょっと弱すぎる表現でした。
 そうした折、なんと大谷翔平(とドジャーズ選手たち)がホワイトハウスに招かれてトランプ大統領と談笑する光景が報道されました。何を話したのか、あまり愉快でない報道写真でした。ここでもし Shohei Ohtani が 
「ぼくは高校しか出てないし、野球のことばかり考えてきましたが、でも高校の公民では貿易収支(balance of trade)と経常収支(balance of current account)の区別は習いました。トランプさんはどうして今さら「貿易収支」みたいな物の取引の赤字なんかにこだわって、国際的なマネーや目に見えない富のやりとりは見ないんですか? 大統領はたしか大学を出て、すごいビジネスで成功なさっているんですよね」
とか、たとえ通訳を通してでも言えたなら、Shohei's Show-time! として、万国で人気が沸騰したに違いないのに。たられば(might-have-been)史観ですが。

2025年3月5日水曜日

主権国家サイコー!?

 この4月に刊行予定で進んでいる
 歴史学研究会編(中澤達哉責任編集)『「主権国家」再考』(岩波書店、2025)
ですが、ぼくは 序章「主権という概念の歴史性」を担当しています。
 昨夏の終わりが原稿〆切、暮れから正月に初校、2月に再校の期間がありました。歴史学研究会大会の合同部会で4年間にわたり共通テーマとして議論されたことが前提で、各章ともすでに部分的には『歴史学研究』大会特集号に連載されている論考を「再考」し、整えたものです。ぼくの場合は「序章」なので、第989号に載ったコメントから大幅に加筆して、「歴史的で今日的な問題」としての主権を、19世紀の東アジア、近世のヨーロッパについて論点整理してみたつもりです。そのさいに
・H. Wheaton, Elements of International Law (1836/1857)とその漢訳『萬國公法』(1864)および和訳・海賊版(1865-)
・J.H.エリオット「複合君主政のヨーロッパ」内村俊太訳、古谷・近藤編『礫岩のようなヨーロッパ』(山川出版社、2016)所収
が議論を展開するうえで、たいへん役に立ちました。
 とはいえ、11月~2月のあいだに国際政治上の緊迫と変化は著しく、悠長なことばかりで済ませることはできない、と再考しました。 → つづく

2025年2月19日水曜日

『読書アンケート 2024』

みすず書房より『読書アンケート 2024』(単刊書、2月刊、800円)が到来。
https://www.msz.co.jp/book/detail/09759/ 
ぼくも短かいながら5件の出版について感想を述べました(pp.175-178)。掲載の順番は、おそらく原稿がみすず書房に着いた順で、この本文180ぺージのうち、ぼくはビリから4番です。
月刊誌『みすず』は紙媒体ではなくなり、今はウェブ配信ですが、毎年2月号に載っていた読書アンケートだけで単刊書とすることになり、毎年の年初の楽しみは保たれます。むしろ前より厚くなった観があります。
ぼくの場合は、
1.二宮宏之『講義 ドラマールを読む』(刀水書房、2024)
2.木庭顕『ポスト戦後日本の知的状況』(講談社選書メチエ、2024)
3.松戸清裕『ソヴィエト・デモクラシー 非自由主義的民主主義下の「自由」な日常』(岩波書店、2024)
4.Lawrence Goldman, The Life of R.H.Tawney: Socialism and History (Bloomsbury Academic, 2013)
5.『みすず』168号~177号(1973-74)に連載された、越智武臣「リチャード・ヘンリー・トーニー あるモラリストの歴史思想」
を挙げてコメントしました。
4,5については、今書いている本『「歴史とは何か」の人びと』のなかの一つの章にもかかわり、また著者ゴールドマンが、E・H・カーの世代のインテリ男性の性(さが)について明示的に問うているので、響きました。
巻末の奥付に (c) each contributor 2025 とあり、著作複製権についてはぼくにあるのでしょうが、出たばかりの本ですので、ここには言及するだけで、文章は引用しません。

2025年2月4日火曜日

卒寿の著書

 みなさんは、服部春彦フランス革命と絵画 イギリスへ流出したコレクション』(昭和堂、今年2月刊)を見ましたか? 先に『文化財の併合 フランス革命とナポレオン』(知泉書館、2015)がありました。これに続く、フランス革命・ナポレオン・美術品の移動というテーマだな、と軽い気持で読みはじめて、驚嘆しました。
 明快な問題設定のもと、研究史と(回顧録や売立てカタログ‥‥からイギリス政治史のオーソドックスな史料 Hansard 議会議事録にいたる!)多様な史料を渉猟し分析した、374ぺージの研究書です! 今回はフランス史というより、イギリスの美術品取引史です。フランス革命期に大量の絵画が、フランス・ネーデルラント・イタリア各地から大量にイギリスへ移動したプロセス ~ 1824年、ロンドンに国立美術館(National Gallery)が設立されるまでの、オークションから私的契約売買まで、美術品取引の実際が具体的に解明され、迫力があります。
 イギリス史をやっている者にとって、18世紀前半のホウィグ体制において枢軸をなしたウォルポール家(Houghton Hall)タウンゼンド家(あの農業改良の Turnip Townshend)の今日にいたるまでの家運の転変はおもしろいものです。両家は同じノーフォーク州でほとんど隣接した大所領をもって、たがいに交際していました。しかし世紀後半の代になるとHorace Walpole は放漫な家政で、結局、せっかくのコレクションをロシアのエカチェリーナに売却するしかなかったばかりか、19世紀にはロスチャイルド家と縁組みし、今日も観光客を迎えて入場料を取り、一般向けのイヴェントをくりかえして所領を維持しています。他方のタウンゼンド家は代々、堅実な農業経営のおかげで、今も一般客を入れることなく所領を維持しています。
 1770年代にあの急進主義の風雲児 ジョン・ウィルクスが、そのウォルポールの Houghton collectionを国内に留めるための議会演説を行ったこと( → その効なくロシア宮廷に売却)から始まり、ナショナルな絵画館の設立運動をめぐるLinda Colley 説の批判、そして1824年にようやく National Gallery 創立、38年の新館開館にいたる政治社会史には、感服しました。脱帽です。
 たしかノーリッジのEdward Rigby(1747-1821)の娘 Elizabethは Charles Eastlakeとかいう NGの初代館長に嫁したのではなかったかな? この時代のチャリティ、農業改良、医療をはじめとする公共プロジェクト、そして大陸旅行記が父・娘ともにありますね。NG の1824年設立/38年の新館までで本書は終わりますが、それにしても、多くの登場人物、そして
公衆(the public)なる語にどのような意味がこめられていたか」p.335 
といった議論に刺激されます。服部春彦さんによるイギリス近代史の研究書です!
 1934年4月生まれの服部さんは、遅塚、二宮、柴田(この順)と同じころパリに留学していた方ですが、名古屋大学西洋史におけるぼくの先任助教授でした。こういう方が元気でしなやかに生産的でいらっしゃるので、こちとらも呆けることはできません。

2025年1月5日日曜日

謹 賀 新 年

 戦禍や災害がうち続き、政治も危うげな昨今です。みなさま、いかが新年をお迎えでしょう。
 こちらの直近の最優先課題は
「歴史とは何か」の人びと - E・H・カーと20世紀知識人群像』(岩波書店)
の仕上げです。中澤(編)『「主権国家」再考』(岩波書店)は共著者とともに校正中です。その次の仕事『デモクラシー像の更新』も、自分の勉強として、公けの出版として、今から楽しみが一杯です。
 これらにも関連して、昨3月にはオクスフォード、バーミンガム等、9月にはスコットランド(ハイランド)、バーミンガム、ケインブリッジ等に参りました。ワークショップや人びととの再会懇談、文書リサーチとともに、1689年~1746年のジャコバイトの関連史跡を見て歩き、エディンバラでは一つの史料の細部を確かめることができました。ECCOなどディジタル化された画面では(いくら拡大しても)判別不能の、現物を見て触って、はじめて確かめられる特徴や細部など、喜びです。これはカーのいう「史料フェティシズム」でしょうか。
 それにしてもスコットランドのうち、ハイランドとロウランドの違いは、車で巡行してあらためて印象づけられます。北西部の氷期の痕跡、rough で tough な地理・天候とジャコバイトの心性は、無関係ではありませんね!(スコットランド王国には歴史的な大学が4つありましたが、グラスゴー以外は東海岸に偏っています。)
写真はインヴァネス(ジャコバイト最後の戦地 Cullodenの最寄り都市)のあるパブに刻まれていたエピグラムです。
 今年もお元気にお過ごしください。
 2025年正月     近藤 和彦

2024年12月25日水曜日

『講義 ドラマールを読む』

 クリスマス直前に、二宮宏之さんの遺著『講義 ドラマールを読む』(刀水書房、2024年12月)が到来! 知る人ぞ知る、ながらく話題になっていた、二宮さんの東大文学部における1984年度の講義全23回分が、そして講義中に配布された資料も一緒に、二宮素子さんのたゆまぬ努力、刀水書房=中村さんの全面サポートにより、ついに本になったのですね。
 B5の横組2段で iv+466ぺージ! 一般書店には置かず、刀水書房のサイトから直接注文する方式です。
http://www.tousuishobou.com/tankoubon/4-88708-487-2.html
https://tousui-online.stores.jp/
 ずしりと重い、存在感のある大著です。横組2段ですから、見開きで4段となり、視野の中心に左右にひろく拡がりますが、案外に目に優しく、読みやすい。 録音が忠実に起こされているので、数々の歴史家や研究史についてのコメント、また(完成本であれば割愛されたかもしれない)言い直しや言い淀みまで再現され、二宮さんのお話をそのまま聴いているような気持になります。そして配布資料に加えられた手書きの文字! 彼の口吻と、お顔や姿勢まで再生されるかと想われるようなご本ですが、なにより17-18世紀フランスをめぐる学識の厚み、熱い意気込みが読む人に伝わります。17-18世紀の書物を探す苦労、辞書を読む楽しさとともに、「ポリース」(← ギリシアのpoliteia、ローマの res publica、ドイツのPolizei)から始まってアンシァン・レジーム[あるいは近世ヨーロッパ]のキーワードが時代の用法としてよみがえる。
 (ちょうど同じ頃に名古屋大学文学部でも集中講義をなさいましたが、こちらは「フランス王権の象徴機能」でした。計4日、12コマの集中では『ドラマール』をやるのは困難ですね。)
 これは生前の二宮宏之さんがくりかえし口になさっていた、(最後の著作となさりたかった)すばらしい名講義で、多くの人を感動させる本ではないでしょうか。さぞやご本人はこれをご自分の手で、最後までしっかり推敲したうえで公けになさりたかったでしょう。
 何人もの協力でようやく世に出た由です。関係なさった皆々さんに感謝いたします。

2024年12月6日金曜日

『社会運動史』は研究誌か?

 日仏会館で14日(土)に催される〈近代日本の歴史学とフランス――日仏会館から考える〉については、先に述べましたが、こちらは22日(日)一橋大学における催しです。ブログを転写しますと → http://blog.reki-nin.org/

「歴史と人間」研究会 シンポジウム
研究誌『社会運動史』(1972-1985)とは何だったか ― 史学史的に考える ―〉
 2024年12月22日(日) 13:30-17:00
 一橋大学国立東キャンパス 第3研究館3F 研究会議室
 国立キャンパス地図 http://www.hit-u.ac.jp/guide/campus/campus/index.html
13:30-13:40 司会(見市 雅俊)による趣旨説明
13:40-14:30 原 聖 報告
  休憩
14:45-15:05 コメント1 加藤 晴康
15:05-15:25 コメント2 近藤 和彦
15:25-15:45 コメント3 成田 龍一
  休憩
16:00-17:00 質疑応答

 この集会のテーマは、ぼく自身も関係者ですので、話は具体的になります。
『社会運動史』を研究誌としてだけとらえると、さらにまた『社会史研究』とならべて論じると、その本来の意味はかなり違ってきてしまうのではないか。おそらく加藤さんもそうお考えでしょう。
 『歴史として、記憶として』(御茶の水書房、2013)の第一部、第二部をご覧になれば、1968年ころ以後の青年インテリゲンチア(!)がどんな空気を呼吸していたか、見えてくるでしょう。70年代の『社会運動史』は、1982年に出現したエレガントな第一線の学者たちの(商業的な)『社会史研究』とは異質です。もっと先行きの見えない暗中模索で、ウゾームゾーの来し方行く末の可能性があったことは、加藤さんの部分も含めて、各執筆者はかなり率直に書いています。ぼく自身はというと、執筆時にはあまり意義を感じていなかった(むしろ拙速だという思いがあった)出版ですが、いま読み直すと、時代の/世代の証言集として意味があった/出てよかった本だと思います。
 22日(日)には、(喜安さんは別格として)社会運動史研究会の一番上の世代=加藤と、一番若い世代=近藤の二人が、「後から来た」「外から観察する」原さん、成田さんとどういった対話ができるでしょうか。

2024年11月17日日曜日

山の上ホテルの記憶

 駿河台の「山の上ホテル」(英語では Hill Top Hotel)を明治大学が取得した、という新聞記事を読みました。16日の『日経』よりも、15日の『読売』のほうが1937年創建という史実、もともと明治大学の施設であったのが、1945年、GHQに接収され、占領終了後、独立して民間ホテルになり、場所柄から、文人がしばしば「館詰め」されるホテルに転じた、ということも明記して要をえた記事でした。テレビドラマ「火宅の人」では、ロケーションに使われました。
 1960年代に、学生のぼくにとっては、御茶の水駅から明大ブントの大きな立看群をすりぬけて、駿河台下・神保町の古書店街に下るその前に、右手にのぼる坂道があって、その奥に見える独特の洋館、不思議な、縁のない建物でしかなかった。
 初めてその建物に入ったのは、正確にいつだったか覚えていません。でも、1987年にある出版社の編集部長と取締役が、(まだ名古屋にいた)ぼくを招いて企画にオルグしようとしたときの現場が、このホテルのロビーだったことは、そのときのお二人の表情までふくめて確かに覚えています。文人のホテルということは、そのころまでに認識していて、まさかここで将来、館詰めにされるんじゃないだろうな、と半分マジメに思ったものです。
【幸か不幸か、流行作家ではないので、その後にも、他の旅館もふくめて「館詰め」の上げ膳下げ膳で原稿執筆したとかいった経験は、ありません。あるのは、大学の自分の研究室で、原稿についてのヤリトリの後、編集者が「わたしは他の仕事を片づけながら待ちますから」と言って鞄からなにか書類を持ちだして、ぼくに背を向けて仕事を始め、数時間すわりこんでしまった。ぼくは机のパソコンに向かって文章をひねり出すほかなかった‥‥といった程度の経験です。】
 次に覚えているのは、1989年9月の「フランス革命200年」の研究集会の折です。(組織責任者の遅塚さんが、ランチは「山の上」の中華、と指定なさって)柴田、二宮、樋口、ヴォヴェル、ルーカス、ハントといった先生方と一緒に、本郷からタクシーに分乗して、Hill Top 1階の中華料理に行って着席したのですが、遅塚さんは実務関連かなにかで到着がかなり遅れました。まぁよい、先に注文、乾杯だと柴田さんの音頭で、英仏チャンポンの談笑が始まったのですが、壁の大きな水墨画に添えられた漢詩には何が表現されているのか、とたしかリン・ハントから質問されて、日本人全員で四苦八苦、冷や汗をかいたのです。しばらくしてようやく遅塚さんが到着。白文を読む遅塚さんにとっては何でもない漢詩で、一挙に解決‥‥、といったこともありました。
 この経験から後は、なんとなく気取った二次会には最適な場所、ということで、ワインを飲むためだけに数人で「山の上」のバーに行く、といったことも90年代にはありましたね。2000年をこえると、そうした luxury は縁遠くなったような気がします。他にもいろんな場所ができたから、ということもあるかな。
 1937年創建の建物が、2024年にもとの明治大学に戻って改装、再利用されるというのは、めでたいことです。機会があれば、再訪してみますか?

2024年7月27日土曜日

暑い7月:中学生から知りたい パレスチナのこと

〈承前〉  暑い7月:『中学生から知りたい パレスチナのこと』の続きです。昨日書いたことだけですと、パレスチナのことを正しく知りましょう、というので終わってしまいそうですが、むしろこの本の強みは、アラブ・パレスチナ問題の専門家=岡さんと対話しつつ、ポーランド・ウクライナの小山さん、ドイツそして食の藤原さんが積極的に議論している点にあると思います。
 中東欧のことに少しでも触れるとユダヤ人問題に正面から向きあわないわけにゆかない、と承知していますが、2つの地図、①旧ロシア帝国と旧オーストリア・ハンガリー帝国の境 - バルト海と黒海にはさまれた幅広い帯の地域 - に広がるユダヤ人強制集住地域(Pale of Settlement, p.113)と、②東欧の流血地帯(Bloodland, p.116)との重なりを見せつけられると、厳しい。 ここには地図②のみコピーして載せます。
 著者3人の座談会で話されているとおり(pp.191-198)、ただの「民族の悲哀」ではなく、なぜかこのあたりには「突出した暴力を行使するシステム」が存在し、それを許容してしまう情況があった。【ちなみに the Pale とは原義の「柵の中」→「アイルランドにおけるイングランド人の支配地域」という用法はよく知られていますが、「ロシア帝国におけるユダヤ人強制集住地域」として固有名詞的に使用されていたとは!】
 シオニズムについても、イスラエルに違和感をもつユダヤ人たちについても、中途半端な認識しかないぼくにとって、この本のあらゆるぺージが目の覚める発言に溢れています。
 本体1800円。「中学生から」後期高齢者までに向けた本です。3著者とミシマ社の速やかな協力による、すばらしい本です。ぼくもL・B・ネイミア(ルートヴィク・ベルンシュタイン)をはじめとする中東欧人の生涯と20世紀シオニズムとの、単純でない関わりを知るにつれ、しっかり理解したいと思っていたテーマでした。
 なお書名の前半『中学生から知りたい』については、前回ちょっと違和感を洩らしました。 → https://kondohistorian.blogspot.com/2022/06/blog-post_11.html  今回、あとがき(p.209)に小山さんが「中学生から」とは「‥‥日本語の本を読むための基礎的な教育を受けたことのあるすべての人」という意味だろうと「定義」しておられ、そういうことなら、違和感なし、とここに訂正します。

§ ところで、こうした問題は、『歴史学の縁取り方』(東大出版会、2020)でも - とくに小野塚さんあたりが - 明示的に問うておられました。また2022年、京大の西洋史読書会シンポジウム(Zoom)でも、重要なテーマになりました。 → https://kondohistorian.blogspot.com/2022/11/ 共通して、学者研究者にとって(その卵にとっても)根本的な問題が、より緊急性を帯びたイシューについて議論され、実行された出版の好例と受けとめました。
 なお本のカバーデザインについても一言。明るい緑色のバックに、地球儀とともにパレスチナのオレンジが示されて、本文中の藤原さんの言(p.173の前後)に対応しています。むかし学校で習った「肥沃な三日月地帯」がイスラエルによる水資源の独占により、パレスチナでは柑橘栽培が抑制され、外国からの輸入・援助によらねば日常の食糧が確保できない現状 → 強制された飢餓状態、に思いを馳せることを読者に促しているのでしょうか。
 近年はスーパーでも普通に目にするようになったイスラエル産の柑橘、果物、ワイン‥‥。手を伸ばすのにいささか躊躇します。

2024年7月26日金曜日

暑い7月

 今月に入ってから、いろんなことがありました。
 イギリス総選挙と労働党の組閣;フランス国民議会選挙と政権の「オランピク休戦」!;合衆国ではトランプ狙撃に続き、これではトランプ圧勝に向かうかと見られた情況が、22日、バイデンの大統領選辞退、ハリス支持にともない、事態は急転直下 → 民主党の団結へと転じて「最悪」は防げるかもという希望が生じました。‥‥
 そうしたなか、2冊の本が到来して、背筋をのばされる思いです。
 順番に、まずは『中学生から知りたい パレスチナのこと』(ミシマ社、2024年7月)です。
 2022年6月に『中学生から知りたい ウクライナのこと』で、時宜をえた出版を実現した、小山哲・藤原辰史のお二人とミシマ社のトリオについては、このブログでも触れました。 → https://kondohistorian.blogspot.com/2022/06/blog-post_11.html
これはすばらしい内容と迅速な公刊で、大歓迎でしたが、じつは特別に驚いたわけではなかった。100%の好感とともに、このお二人なら、こういうこともなさるかな、と自然に受けとめました。
 今回の『パレスチナのこと』については、まずは驚き、さらにこれこそ歴史的な学問をやっている人びとの責任のとり方だ、と姿勢を正しました。
 イスラエルの蛮行、ガザの惨状につき、日夜、憤りとともに心を痛める(さらに歴史的背景を自分なりに探る‥‥)までは - このブログを見る人なら - だれもがやっているかもしれませんが、「事態は複雑だ、解決はむずかしい」より先に一歩進めて、歴史と地理を考える/調べる、さらに二歩目の、自分がやってること/自分の世界史観の見直し・再展開につなげる、というまでは(手がかりがないと)なかなか難儀です。
 イスラエル国を批判することが「反ユダヤ主義」に直結するのではないかと懸念し、そもそもホロコーストと「英仏の帝国主義」に翻弄された被害者としてイスラエル人を免罪する/サポートするという傾向が、わたしたち生半可の知識をもつ者には少なくなかった。 → https://kondohistorian.blogspot.com/2024/01/blog-post.html
https://kondohistorian.blogspot.com/2024/01/blog-post_29.html
https://kondohistorian.blogspot.com/2024/01/blog-post_30.html
 そうした生半可の常識(学校教育で教えられ/カバーされてきた事実認識)をひっくり返す本です。現代アラブ・パレスチナの専門家=岡真理さんによって、「2000年前にユダヤ人(ユダヤ教徒)が追放されて世界に離散した」というのはフィクション(p.24);かつての南アフリカ共和国のようなアパルトヘイト国家=イスラエル国は -「ホロコースト」の犠牲者であるがゆえに - 何があっても - 免責される;「敬虔なユダヤ教徒はシオニズムを批判し、これに反対してきました」(p.49)といったぐあいに指摘され、目の覚める思いです。  〈つづく〉

2024年2月2日金曜日

みすず『読書アンケート2023』

みすず書房から【WEBみすず】を定期的にいただいていますが、
https://magazine.msz.co.jp/backnumber/
【お知らせ】月刊雑誌『みすず』新年の号に恒例の特集として掲載してまいりました「読書アンケート」は、本年から書籍『読書アンケート2023』として2月16日に刊行予定です。全国の書店を通してご注文になれます。
ということです。例年のことになりましたが、ぼくも執筆しています。
1.M・ウェーバー『支配について』 I、II 野口雅弘訳(岩波文庫、2023-24)
2.嘉戸一将『法の近代 権力と暴力をわかつもの』(岩波新書、2023)
3. E. Posada-Carbo, J. Innes & M. Philp, Re-imagining Democracy in Latin America and the Caribbean, 1780-1870 (Oxford U P, 2023)
4.R・ダーントン『検閲官のお仕事』 上村敏郎ほか訳(みすず書房、2023)
5.大澤真幸『私の先生』(青土社、2023)
についてしたためました。
じつは原稿を送ってから、「そうだ、この本も逃してはいけない重要なお仕事だったのに」と気付きました。その本については、また別途、きちんと論じなくては。

2024年1月31日水曜日

『イギリス史10講』ハングル版

『イギリス史10講』(岩波新書)の初版は2013年12月20日に出ましたので、まる10年を越えたところです。さいわい今も増刷を重ねて、去年春には第16刷が刊行されています。第2刷から以後、ごく微少ながら訂正・改良を重ねてきました。
2021年に中国語版が中国工人出版社から刊行され、そのことについては、こちらにもしたためました。
今年の2月中旬にハングル版が出るとのことで、そのカバーデザインが呈示されています。ご覧のとおり、出版社はAKコミュニケーションズ、書名タイトルは『イギリス史講義』とのことです。
  ブリテン諸島のうち海峡諸島やオークニ、シェトランドは消えて、若きエリザベス2世のイメージの中抜きでユニオンジャックが現れる、というのはいささかproblematicではあります。とはいえ、訳書を出してくださるということ自体に深謝しております。
そもそもは初版、第1講の終わり(p.16)に、
「イギリス史はけっしてブリテン諸島だけで完結することなく、広い世界との関係において展開する。‥‥海の向こうからくる力強く新しい要素と、これを迎える諸島人の抵抗と受容、そして文化変容。これこそ先史時代から現代まで、何度となくくりかえすパターンであった。こうしたことをくりかえすうちに、やがてイギリス人が外の世界へ進出し、他を支配し従属させようとする。その摩擦と収穫をはじめとして、さまざまの経験を重ねつつ、競合し共存し、それぞれに学びあい、新しい秩序が形成される。」
と記しましたとおり、そうしたことを具体的にるる述べた本です。
他に例のみられる、王と妃のゴシップを書き連ねたものとも、議会制民主主義の手本となる「国史」の道筋をかたったものとも違います。とくに「現代史」の知的な群像については、『「歴史とは何か」の人びと』であらためて表現してみようと目論んでいます。

2023年10月31日火曜日

『図書』11月号休載 → 最終回は「E・H・カーと女性たち」

 岩波書店の『図書』に連載しています「『歴史とは何か』の人びと」ですが、申し訳ありません、11月号(899)はお休みとさせていただきます。
 第1回(2022年9月号)<https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/6074>にも記しましたとおり、三面六臂どころか、90歳まで執筆を続けたE・H・カー(1892-1982)ですが、その謎をすこしでも解き明かすために、20世紀のエリート群像の生きざまのなかで人物カーを脱特権化=相対化してみるという目論見でした。見開き6ぺージ(約6000字弱)の essay(試論)とはいえ、毎回、読むべきもの/確認すべきことが多くて、大変でした。肖像写真の選定にも苦労しました。しかし、それに見合う新しい発見/気付きもあり、充実した連載でした。
 元来は12回連載ということで始まりましたが、途中で15回に延伸できるかとの打診があり、やや充実させることができました。とはいえ、9月のアイルランド・イングランド旅行は(その準備段階も含めて)強烈で、連載原稿を仕上げることはできず、11月号は休載。12月号で第15回=最終回「E・H・カーと女性たち」をご覧に入れるということにさせてください。写真も含めて、それなりに印象的な最終回(有終の美!)とさせていただきます。(すでに最終回のゲラ校正も戻して、執筆者としての仕事は済んでいます。)
 ご愛読の方々、そして感想や声援を寄せて下さったみなさん、ありがとうございました。

2023年8月14日月曜日

近刊予告

近況ですが、『歴史学研究』No.1039(2023年9月)に 〈批判と反省〉『歴史とは何か 新版』(岩波書店, 2022)を訳出して (全7ぺージ)①  

『思想』No.1193(2023年9月)に 翻訳のスタイル (全4ぺージ)③  

が掲載されます。【後者は『思想』7月号「E・H・カーと『歴史とは何か』」特集号における上村論稿に触発されてしたためた小文で、そこで呈示された疑問や指摘に答えています。個人間の論争ではありません。一般的な意味を求めて、多くの第三者読者に向けて発した、論文/翻訳のスタイルについてのコメントです。ぼくもかつては清水幾太郎『論文の書き方』(岩波新書、1959)の愛読者で、卒業論文の執筆時に大いに参照しました。】
どちらも早ければ8月末には公刊とのことで、編集サイドの厚意とすみやかな作業のお陰です。ありがとうございます。
お読みになる順序としては、先にも少し書きましたとおり、
 『歴史学研究』9月号〈批判と反省〉①に最初の目を通していただき、
 その次に「思想の言葉:いま『歴史とは何か』を読み直す」『思想』7月号②を、
 そして、『思想』9月号の「翻訳のスタイル」③
という順で読んでいただくと、一番ナチュラルで良いかな、と思います。
②は、早くから岩波書店のウェブ「たねをまく」 → https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/7306 にて公開されていますが、やはり順序として①が最初に読めるようにみずから努力すべきだったと、段取りの悪さを反省しています。

2023年7月25日火曜日

『思想』・『歴史学研究』・『図書』

梅雨明け10日」はメッチャ暑い、とは気象予報士の言。そのとおり連日の猛暑ですが、皆さま、どうぞ慎重に、お健やかに。(蝉しぐれのなかで書いています。)

先にも書きましたとおり『思想』7月号「カーと『歴史とは何か』」をめぐる充実した特集号でしたが、8月号はなんと <特集 見田宗介/真木悠介> なのですね!
見田さんは駒場のまぶしいほどの先生でしたし、その後も社会学の学生たちを実存レヴェルで揺さぶっていた先生です。60年代には父親=見田石介がだれしも知るマルクス主義の学者で、父といかに距離を保つか、どこに自分のアイデンティティがあるか、を考え続けていたのでしょう。8月号、未見ですが、楽しみにしています。 http://kondohistorian.blogspot.com/2022/04/19372022.html でも私見をしたためました。

そうこうするうちに昨朝『歴史学研究』のための初校を終えました。9月号(No. 1039)で、
〈批判と反省〉『歴史とは何か 新版』(岩波書店, 2022)を訳出して
というタイトルです。じつは昨年8月に書き始めてすでに9月には8割方できあがっていました。どう締めるかで迷っているうちに、『図書』の連載で月々の〆切に(心理的に)追われるようになって、しばらく冬眠・春眠していた原稿です。 4月から中学の同期会とか、高校の同期生のやっている「千葉県生涯大学校」の講演とかに出かけて、旧友たちと懇談して気持も整いました。無理なく「締める」ことができたと思います。
というわけで、本当の順番は、この『歴史学研究』9月号が先で、『思想』7月号は後なのです。「思想の言葉」をご覧になって、ちょっと飛躍があると受けとめた方々には、申し訳ありません。9月に『歴史学研究』をご覧になっていただくと、無理なく接続するかと愚考します。いずれにしても、『歴史学研究』編集長とスタッフにはたいへんご心配をかけました。

なお『図書』の連載はまだまだ続きます。
第11回(7月号)ウェジウッド「女史」。 これは自分では良く書けたのかどうか分からないところが残ります。
第12回(8月号)はマクミラン社の兄弟。 こちらは自画自賛ながら、調べて書いた成果が実感できます。カーの出版についても、マクミラン社およびマクミラン首相についても、「そうだったのか!」と納得していただけるのではないでしょうか。連載のうちでも会心の回の一つです。この2回連続して、セクシュアリティが通奏低音になります。
熱心に読んでくださる読者、とくに現役の方々からいただく反応はなによりのご褒美です。ありがとうございます。

2023年6月30日金曜日

カルガモ母子と『思想』7月号

 うっとうしい天気ですが、爽快な光景です。集合住宅のアトリウム池に数日前から大柄のカルガモが一羽すわりこんでいて、大丈夫だろうかと心配していたら、今日はなんと小さな雛7羽を従えて、池を泳いでいます。抱卵して動きがほとんどなかったのでした。
ご覧のとおり浅い池なので、お母さんの脚は床に着いて、ほとんど歩いています。
 先日到来した『思想』第1191号(7月号)は、特集として出色の号かもしれません。
 カーその人、著書『歴史とは何か』とその日本における/中国における受容、20世紀史におけるカーの所説の意味(の転換)、そして清水幾太郎訳(1962)と近藤の新版(2022)をめぐって、等々、なかなかの壮観です。各論考から大いに学べます。
 なおまた、「思想の言葉」についてはウェブの「たねをまく」に公開していただいて、早々と感想を寄せてくれる方もあり、有難いことです(縦組の文章を横組に開示しているので、漢数字がやや煩わしいですが)。 → https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/7306 
ただし、最後の数行前に、脱落があります。
  二〇世紀を生きた自由主義者社会主義的かもしれないが「一皮むけば七五%はリベラル」の知識人の告白でもあった。
    ↓ 
  二〇世紀を生きた自由主義者--社会主義的かもしれないが「一皮むけば七五%はリベラル」の知識人--の告白でもあった。
とダーシを2箇所補ってください。たった今、再見しましたら、直っています。担当者の方、有難うございました!

 ただし同じ号のなかで唯一、「カー『歴史とは何か』と〈言語論的転回〉以後の歴史学--近藤和彦の新訳をめぐって--」に限って、大きな違和感があります。清水旧訳を名訳とするかどうかは、拙文でも述べた「年長の先生方」の懇談(p.2)を想起して「あの年長の先生方のお仲間」を相手にしているのか、と認識を改めました。その旺盛なお仕事を何十年も前から読み、学んで、遠くから尊敬し羨望してきた方の文章なので、かなり困惑しています。
 「もう一工夫欲しかった」「誤訳ではないか」「疑問点」「‥‥するべきではなかったか」と指摘されている箇所は、ほとんど誤解と無理解によるものと思われます。いずれザハリッヒに学問的にコメントしたいと考えています。ただ今、身辺が多事多端ですので。

2023年6月4日日曜日

『図書』という月刊誌

こちらに「『歴史とは何か』の人びと」という連載を続けています。5月20・21日、名古屋の学会大会では、久しぶりに対面で懇談できたのも良かったのですが、何人もの方々から「読んでいますよ」と言っていただき、励まされました。
6月号(第10回)では「A・J・P・テイラとトレヴァ=ローパ」という、ちょっと問題的な20世紀の歴史家二人について立ち入っています。それは、第1にE・H・カーが『歴史とは何か』で彼らの言を効果的に引用しているからですが、また第2に20世紀のオクスフォードの学者たちの小宇宙を - スノッブのようにあがめ憧れるのでなく - 具体的にイメージングしておくことも必要、と考えたからでした。次(7月号)の「ウェジウッド「女史」」へとつながります。
同じ6月号には、桜井英治さん、大石和欣さん、池田嘉郎さんといった面々も書いていらして、前からの「日本書物史ノート」「東京美術学校物語 西洋と日本の出会いと葛藤」といった連載とあいまって、なかなかの読み物です。
さらには、今号から「西洋社会を学ぶ意味」というタイトルで、前田健太郎さんの「政治学を読み、日本を知る」という連載も始まったのに気付きました。これからが期待されます。しかも、この記事はウェブで読めるのですね。 → https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/7252
そういえば、ぼくの連載「『歴史とは何か』の人びと」の第1回目(昨年9月号)も、ウェブに公開されているのでした。 → https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/6074
便利です。 岩波書店の英断だと思います。

2023年4月30日日曜日

April

今月もあっという間に過ぎてゆきます。April についてイングランド人がどういったイメージ(日照と驟雨が交替することで知られる月: POD)をもっていたか、という中学高校で習った知識、プラス日本では新年度という画期性が、刻みこまれています。
とはいえ、ただただ天候と日夜のことに追われて、というわけではなく、それなりの成果はあるのですが、そのことはまた後日に。
じつは4月の前半にはいろいろありましたが、23日(日)夜から妻が腰が痛いと言いだし、翌日からは声が出ず、咳が続き、発熱しました。すわ、コロナの初期症状?と警戒しましたが、そうではなく「ひどい風邪」ということらしく、水分たっぷり、睡眠もたっぷり、小食ながら栄養バランスには留意、という方針で凌ぎました。
ほぼ24時間遅れでぼくもまた同じ症状で、身体の節々も痛く、咳で苦しみましたが、連続してたっぷり睡眠したのは効果的だったと思われます。この週末から、短時間ながら住宅の周囲を歩いています。かろうじて『図書』連載の6月号分(A J P テイラとトレヴァ=ローパ)の初校を終えていたのは、不幸中の幸いでした。
名古屋の学会大会のための新幹線および宿の予約も、ようやく済ませましたよ!

2023年3月31日金曜日

ハナカイドウ

ご無沙汰しています。
花便りとともに、四季の移ろいは早い。昨日は母の一周忌でした。写真はご近所のハナカイドウ(海棠)。
要介護の家族と生活し、またオンライン会議や『図書』の連載のことなど考えていると、2月・3月もあっという間に過ぎました。
『歴史とは何か』の人びと」という連載列伝は、毎回それなりに気を入れて書けています。わがままな著者に合わせて、いろいろと工面してくださる編集スタッフのお陰です。ときに思ってもいなかった方が読んでくださっていると知れると、とても嬉しいです。
3月号は「フランス革命史とG・ルフェーヴル」
4月号は「バーリンとドイチャ、論敵と友人」‥‥ここまで既刊。
5月号は「『パースト&プレズント』の歴史家たち」
を書きました。
時代と政治と学問だけでなく、親との関係、夫婦のこと、老いの生き様など、さらに書き込むべきことがらは多い。列伝ですので、書きすすむに連れて、互いの同時代的な関係が浮き彫りになってくるのは愉快です。まずは骨組をしっかり書いておかないといけません。