2025年3月6日木曜日

主権国家サイコー(II)

 <承前> わが序章「主権という概念の歴史性」の書き出しについては、何度も書き改めて(合衆国の大統領選挙が進行中で、カマラ・ハリス優勢かもという報道に甘い期待を抱いたりしていました)、結局、現状分析の項目記事ではないと割り切って、第2段落で、短かくこうしたためて了としました。
 「今日、主権は争点としてきわだつ。ロシア連邦(プーチン大統領)、イスラエル国(ネタニヤフ首相)、そして中華人民共和国(習国家主席)のそれぞれ隣接地域にたいする侵攻と住民への暴虐については言葉を失うが、こうした事態を批判すると、当該政権から強い糾弾が返ってくる。その地のいわゆる「犯罪者」「叛乱分子」「テロリスト」を容認すること自体が、国家主権の侵害にあたるという「強者の論理」である。さらに今、トランプ第二期政権は歴史も国際法もなきがごとく、独特の「主権」を主張して世界を驚愕させている。
 2月17日に再校を戻す時点では、時間切れでもあり、おとなしくこれで済ませたのですが、その後の事態は、驚愕どころか、わたしたちの歴史観・世界観・ものの考えかたの根本的な更新を迫っているかもしれない。トランプ政権は経済学も、国際信頼関係もなきがごとく、Make America Great Again のスローガンのみ。MAGA、すなわち短期的(せいぜい4年の)スパンでしかことを考えないマネーゲーム人と有権者大衆との損得勘定の合算で、突っ走っています。
 損得勘定といっても、19世紀的(あるいは重商主義的?)な農工業偏重・貿易黒字主義で、自分/わが国さえよければ他はどうにでもなれ!という短慮だけです。たとえ自国のGDP≒国民経済ファースト、と考えたとしても、複合的な産業連関があるので、じつは関税障壁で国境を守れば OK というのはアホの知恵です。21世紀の大統領がそう本気で考えているとしたら、ブレインたちの怠慢でしょう。
 これにプラスして、民主党=バイデン政権を責める論法と、薬物規制がうまく行かないのを他国のせいにする議論が加わります。昨日の施政方針演説は、なんだか少年のケンカみたいで - 文字どおりのジャイアン - 、聞いていられない。大統領閣下=最高司令官がこのレベルで「論破」を続けると、全国民的に emotionalな対立があおられ、空気(political climate)が悪くなります。いずれ凶事が誘発されるのではないか、心配です。
 リベラル・デモクラシーが機能するには、有権者の大多数が知的で、落ち着いて、判断するということが大前提でした。合衆国でも、兵庫県でも、大前提が違ってきているのではないでしょうか。

2025年3月5日水曜日

主権国家サイコー!?

 この4月に刊行予定で進んでいる
 歴史学研究会編(中澤達哉責任編集)『「主権国家」再考』(岩波書店、2025)
ですが、ぼくは 序章「主権という概念の歴史性」を担当しています。
 昨夏の終わりが原稿〆切、暮れから正月に初校、2月に再校の期間がありました。歴史学研究会大会の合同部会で4年間にわたり共通テーマとして議論されたことが前提で、各章ともすでに部分的には『歴史学研究』大会特集号に連載されている論考を「再考」し、整えたものです。ぼくの場合は「序章」なので、第989号に載ったコメントから大幅に加筆して、「歴史的で今日的な問題」としての主権を、19世紀の東アジア、近世のヨーロッパについて論点整理してみたつもりです。そのさいに
・H. Wheaton, Elements of International Law (1836/1857)とその漢訳『萬國公法』(1864)および和訳・海賊版(1865-)
・J.H.エリオット「複合君主政のヨーロッパ」内村俊太訳、古谷・近藤編『礫岩のようなヨーロッパ』(山川出版社、2016)所収
が議論を展開するうえで、たいへん役に立ちました。
 とはいえ、11月~2月のあいだに国際政治上の緊迫と変化は著しく、悠長なことばかりで済ませることはできない、と再考しました。 → つづく

2025年2月19日水曜日

『読書アンケート 2024』

みすず書房より『読書アンケート 2024』(単刊書、2月刊、800円)が到来。
https://www.msz.co.jp/book/detail/09759/ 
ぼくも短かいながら5件の出版について感想を述べました(pp.175-178)。掲載の順番は、おそらく原稿がみすず書房に着いた順で、この本文180ぺージのうち、ぼくはビリから4番です。
月刊誌『みすず』は紙媒体ではなくなり、今はウェブ配信ですが、毎年2月号に載っていた読書アンケートだけで単刊書とすることになり、毎年の年初の楽しみは保たれます。むしろ前より厚くなった観があります。
ぼくの場合は、
1.二宮宏之『講義 ドラマールを読む』(刀水書房、2024)
2.木庭顕『ポスト戦後日本の知的状況』(講談社選書メチエ、2024)
3.松戸清裕『ソヴィエト・デモクラシー 非自由主義的民主主義下の「自由」な日常』(岩波書店、2024)
4.Lawrence Goldman, The Life of R.H.Tawney: Socialism and History (Bloomsbury Academic, 2013)
5.『みすず』168号~177号(1973-74)に連載された、越智武臣「リチャード・ヘンリー・トーニー あるモラリストの歴史思想」
を挙げてコメントしました。
4,5については、今書いている本『「歴史とは何か」の人びと』のなかの一つの章にもかかわり、また著者ゴールドマンが、E・H・カーの世代のインテリ男性の性(さが)について明示的に問うているので、響きました。
巻末の奥付に (c) each contributor 2025 とあり、著作複製権についてはぼくにあるのでしょうが、出たばかりの本ですので、ここには言及するだけで、文章は引用しません。

2025年2月4日火曜日

卒寿の著書

 みなさんは、服部春彦フランス革命と絵画 イギリスへ流出したコレクション』(昭和堂、今年2月刊)を見ましたか? 先に『文化財の併合 フランス革命とナポレオン』(知泉書館、2015)がありました。これに続く、フランス革命・ナポレオン・美術品の移動というテーマだな、と軽い気持で読みはじめて、驚嘆しました。
 明快な問題設定のもと、研究史と(回顧録や売立てカタログ‥‥からイギリス政治史のオーソドックスな史料 Hansard 議会議事録にいたる!)多様な史料を渉猟し分析した、374ぺージの研究書です! 今回はフランス史というより、イギリスの美術品取引史です。フランス革命期に大量の絵画が、フランス・ネーデルラント・イタリア各地から大量にイギリスへ移動したプロセス ~ 1824年、ロンドンに国立美術館(National Gallery)が設立されるまでの、オークションから私的契約売買まで、美術品取引の実際が具体的に解明され、迫力があります。
 イギリス史をやっている者にとって、18世紀前半のホウィグ体制において枢軸をなしたウォルポール家(Houghton Hall)タウンゼンド家(あの農業改良の Turnip Townshend)の今日にいたるまでの家運の転変はおもしろいものです。両家は同じノーフォーク州でほとんど隣接した大所領をもって、たがいに交際していました。しかし世紀後半の代になるとHorace Walpole は放漫な家政で、結局、せっかくのコレクションをロシアのエカチェリーナに売却するしかなかったばかりか、19世紀にはロスチャイルド家と縁組みし、今日も観光客を迎えて入場料を取り、一般向けのイヴェントをくりかえして所領を維持しています。他方のタウンゼンド家は代々、堅実な農業経営のおかげで、今も一般客を入れることなく所領を維持しています。
 1770年代にあの急進主義の風雲児 ジョン・ウィルクスが、そのウォルポールの Houghton collectionを国内に留めるための議会演説を行ったこと( → その効なくロシア宮廷に売却)から始まり、ナショナルな絵画館の設立運動をめぐるLinda Colley 説の批判、そして1824年にようやく National Gallery 創立、38年の新館開館にいたる政治社会史には、感服しました。脱帽です。
 たしかノーリッジのEdward Rigby(1747-1821)の娘 Elizabethは Charles Eastlakeとかいう NGの初代館長に嫁したのではなかったかな? この時代のチャリティ、農業改良、医療をはじめとする公共プロジェクト、そして大陸旅行記が父・娘ともにありますね。NG の1824年設立/38年の新館までで本書は終わりますが、それにしても、多くの登場人物、そして
公衆(the public)なる語にどのような意味がこめられていたか」p.335 
といった議論に刺激されます。服部春彦さんによるイギリス近代史の研究書です!
 1934年4月生まれの服部さんは、遅塚、二宮、柴田(この順)と同じころパリに留学していた方ですが、名古屋大学西洋史におけるぼくの先任助教授でした。こういう方が元気でしなやかに生産的でいらっしゃるので、こちとらも呆けることはできません。

2025年2月1日土曜日

2期目のトランプ

 1月20日に就任式を終えたトランプ大統領、議会の承認なしで執行できる大統領令(executive order)でどんなことを指令するか、メディアは戦々恐々で見つめていただろうと思います。ただ、いろんな極端なことを言っても、それは deal の始まりで、(ブレインが熟慮したうえでの)ほどほどの所に落とし所があるのではないか、と。 DEI (Diversity, Equity, Inclusion)原則の否定についても、民主党政権とは違う、という意思表示でしかないかも、と甘い観測もありました。
AIP(American Institute of Physics)は科学の研究教育にかかわる補助金の支出停止について憂慮を表明していましたが、裁判所が「支出停止」は違法だと決定したようです。https://ww2.aip.org/fyi/trump-spending-freezes-sow-confusion-among-researchers
   ところが、ワシントンDCの航空機衝突事故について、31日(JST)のトランプは型どおりの弔意を表したあとに、事故は管制官の採用方針における DEI のせいだと述べます。
. . . the hiring guidance for the FAA's diversity and inclusion programme included preference for those with disabilities involving "hearing, vision, missing extremities, partial paralysis, complete paralysis, epilepsy, severe intellectual disability, psychiatric disability and dwarfism".
https://www.bbc.com/news/articles/cpvmdm1m7m9o
これはまるでガキの喧嘩の論法(おまえのカーさんデベソ)で、大国の大統領としての品位も徳も感じられない。こんな男を大統領へとかつぎ上げ、投票した有権者たちの人格も疑われます。
記者会見で、このトランプの放言について根拠を問いただした記者にたいしては、
Asked by a reporter how he could blame diversity programmes for the crash when the investigation had only just begun, the president responded: "Because I have common sense."(やはり BBC.com)
ということで、これは18世紀スコットランド人たちが common sense について口角泡を飛ばして議論していたことへの侮辱か、挑戦か。両方でしょう。そもそもトランプもその支持者も反知性主義 anti-intellectualism です。

 モンテスキューは言っていました。「共和国においてはが必要であり、君主国においては名誉が必要であるように、専制政体の国においては恐怖が必要である。」『法の精神』岩波文庫(上) p.82.
同じく一君をいただく政体ではあっても「君主政においては、君公がもろもろの知識の光をもち、大臣たちが公務に堪能で練達である。専制国家においてはそうではない。」p.86.
 アメリカ合衆国はいまや共和国でも君主国でもなく、(4年間の)専制政体の国に転じたかに見えます。

2025年1月5日日曜日

謹 賀 新 年

 戦禍や災害がうち続き、政治も危うげな昨今です。みなさま、いかが新年をお迎えでしょう。
 こちらの直近の最優先課題は
「歴史とは何か」の人びと - E・H・カーと20世紀知識人群像』(岩波書店)
の仕上げです。中澤(編)『「主権国家」再考』(岩波書店)は共著者とともに校正中です。その次の仕事『デモクラシー像の更新』も、自分の勉強として、公けの出版として、今から楽しみが一杯です。
 これらにも関連して、昨3月にはオクスフォード、バーミンガム等、9月にはスコットランド(ハイランド)、バーミンガム、ケインブリッジ等に参りました。ワークショップや人びととの再会懇談、文書リサーチとともに、1689年~1746年のジャコバイトの関連史跡を見て歩き、エディンバラでは一つの史料の細部を確かめることができました。ECCOなどディジタル化された画面では(いくら拡大しても)判別不能の、現物を見て触って、はじめて確かめられる特徴や細部など、喜びです。これはカーのいう「史料フェティシズム」でしょうか。
 それにしてもスコットランドのうち、ハイランドとロウランドの違いは、車で巡行してあらためて印象づけられます。北西部の氷期の痕跡、rough で tough な地理・天候とジャコバイトの心性は、無関係ではありませんね!(スコットランド王国には歴史的な大学が4つありましたが、グラスゴー以外は東海岸に偏っています。)
写真はインヴァネス(ジャコバイト最後の戦地 Cullodenの最寄り都市)のあるパブに刻まれていたエピグラムです。
 今年もお元気にお過ごしください。
 2025年正月     近藤 和彦

2024年12月25日水曜日

『講義 ドラマールを読む』

 クリスマス直前に、二宮宏之さんの遺著『講義 ドラマールを読む』(刀水書房、2024年12月)が到来! 知る人ぞ知る、ながらく話題になっていた、二宮さんの東大文学部における1984年度の講義全23回分が、そして講義中に配布された資料も一緒に、二宮素子さんのたゆまぬ努力、刀水書房=中村さんの全面サポートにより、ついに本になったのですね。
 B5の横組2段で iv+466ぺージ! 一般書店には置かず、刀水書房のサイトから直接注文する方式です。
http://www.tousuishobou.com/tankoubon/4-88708-487-2.html
https://tousui-online.stores.jp/
 ずしりと重い、存在感のある大著です。横組2段ですから、見開きで4段となり、視野の中心に左右にひろく拡がりますが、案外に目に優しく、読みやすい。 録音が忠実に起こされているので、数々の歴史家や研究史についてのコメント、また(完成本であれば割愛されたかもしれない)言い直しや言い淀みまで再現され、二宮さんのお話をそのまま聴いているような気持になります。そして配布資料に加えられた手書きの文字! 彼の口吻と、お顔や姿勢まで再生されるかと想われるようなご本ですが、なにより17-18世紀フランスをめぐる学識の厚み、熱い意気込みが読む人に伝わります。17-18世紀の書物を探す苦労、辞書を読む楽しさとともに、「ポリース」(← ギリシアのpoliteia、ローマの res publica、ドイツのPolizei)から始まってアンシァン・レジーム[あるいは近世ヨーロッパ]のキーワードが時代の用法としてよみがえる。
 (ちょうど同じ頃に名古屋大学文学部でも集中講義をなさいましたが、こちらは「フランス王権の象徴機能」でした。計4日、12コマの集中では『ドラマール』をやるのは困難ですね。)
 これは生前の二宮宏之さんがくりかえし口になさっていた、(最後の著作となさりたかった)すばらしい名講義で、多くの人を感動させる本ではないでしょうか。さぞやご本人はこれをご自分の手で、最後までしっかり推敲したうえで公けになさりたかったでしょう。
 何人もの協力でようやく世に出た由です。関係なさった皆々さんに感謝いたします。

2024年12月20日金曜日

ナベツネと東京高校

 19日にナベツネ=渡辺恒雄さんが亡くなりました。1926年生まれ、98歳。
 2011年に亡くなった柴田三千雄さんと同い年です。そればかりか、旧制東京高校で同級生、学徒援農で、信州の農家に泊まり込み、なにかでお腹を壊して苦しんでいたところ、ナベツネに背負われてその農家まで帰ったことがある、というエピソードを聞いたことがあります。
昭和20年春に二人とも東京帝大文学部に入学、ただちに徴兵されて、ナベツネは茨城へ、柴田さんは習志野へ。8月に敗戦、生きて大学に戻り、ナベツネは哲学、柴田さんは西洋史。二人とも共産党に入って、やがて抜けた、という経歴も同じです。(しかしその後は、交遊があったとは聞いていません。)
 東京高等学校(東高)は、第一高等学校(一高)と同じく戦前のエリート校ですが、1921年に設立された比較的新しい(大正デモクラシーの)旧制高校で、戦後の学制改革により、一高と東高はともに東大教養学部として(人も資産も)統合されました。
 俗に「官僚になって出世するには一高、学者・インテリになるには東高」と語られたようで、シティボーイの通う「ジェラルミン高校」という渾名があったようです。
 渡辺、柴田以外に、有名どころの卒業生には、清水幾太郎、森有正、星新一、朝比奈隆、黒田寛一、生松敬三、城塚登、伊東俊太郎、南博、家永三郎、永原慶二、網野善彦、佐々木潤之介、山本達郎、二宮敬、高橋康也、糸川英夫、江上不二夫、小宮隆太郎、矢野健太郎、串田孫一‥‥などがいました。戦後日本を背負った、錚錚たる群像!
 東高で英語の教授、松浦嘉一に教わったというのが、柴田・松浦高嶺の友情の始まりのようです。

2024年12月10日火曜日

村棲みの世に遅るるも

 阿智村の住宅を巡見させていただいて、感慨深かったのですが、清内路の神社の脇、昔の「回り舞台」のあとが公民館になっていて、そこの2階にこんな和歌がいくつも詠まれて、掲げられていました。


養蚕を是としひたすらなりし世も 過ぎむとしつゝ残る桑株

村棲みの世に遅るるも承知にて 水声 鳥語 草莽の謡

阿智村と湾岸

 土・日は長野県 下伊那郡 阿智村(あちむら:清内路、駒場、昼神温泉)にて、都市史学会大会+山里科研総括シンポジウム「山里の都市性」でした。
 寒かった! 清内路(せいないじ)・駒場など guided tour の最中にも、みぞれか雪か、という具合でしたが、夜の懇親会は村長さんとご一緒。その翌朝、早めに起きて窓外をみると、阿智川の上を雪が舞っています。今季の初雪とのこと。


 2日目は充実した報告・討論を聞いて、夕刻の恵那山の上に半月を見て、高速バス・新幹線を乗り継ぎ、日曜遅くに帰宅。翌月曜に外に出ると、こんなにまぶしい陽光。隅田川大橋から永代橋、佃の高層住宅群をのぞむ光景ですが、信州と東京湾岸の違いは大きい。

2024年12月6日金曜日

『社会運動史』は研究誌か?

 日仏会館で14日(土)に催される〈近代日本の歴史学とフランス――日仏会館から考える〉については、先に述べましたが、こちらは22日(日)一橋大学における催しです。ブログを転写しますと → http://blog.reki-nin.org/

「歴史と人間」研究会 シンポジウム
研究誌『社会運動史』(1972-1985)とは何だったか ― 史学史的に考える ―〉
 2024年12月22日(日) 13:30-17:00
 一橋大学国立東キャンパス 第3研究館3F 研究会議室
 国立キャンパス地図 http://www.hit-u.ac.jp/guide/campus/campus/index.html
13:30-13:40 司会(見市 雅俊)による趣旨説明
13:40-14:30 原 聖 報告
  休憩
14:45-15:05 コメント1 加藤 晴康
15:05-15:25 コメント2 近藤 和彦
15:25-15:45 コメント3 成田 龍一
  休憩
16:00-17:00 質疑応答

 この集会のテーマは、ぼく自身も関係者ですので、話は具体的になります。
『社会運動史』を研究誌としてだけとらえると、さらにまた『社会史研究』とならべて論じると、その本来の意味はかなり違ってきてしまうのではないか。おそらく加藤さんもそうお考えでしょう。
 『歴史として、記憶として』(御茶の水書房、2013)の第一部、第二部をご覧になれば、1968年ころ以後の青年インテリゲンチア(!)がどんな空気を呼吸していたか、見えてくるでしょう。70年代の『社会運動史』は、1982年に出現したエレガントな第一線の学者たちの(商業的な)『社会史研究』とは異質です。もっと先行きの見えない暗中模索で、ウゾームゾーの来し方行く末の可能性があったことは、加藤さんの部分も含めて、各執筆者はかなり率直に書いています。ぼく自身はというと、執筆時にはあまり意義を感じていなかった(むしろ拙速だという思いがあった)出版ですが、いま読み直すと、時代の/世代の証言集として意味があった/出てよかった本だと思います。
 22日(日)には、(喜安さんは別格として)社会運動史研究会の一番上の世代=加藤と、一番若い世代=近藤の二人が、「後から来た」「外から観察する」原さん、成田さんとどういった対話ができるでしょうか。

2024年12月5日木曜日

日仏文化講座

すでにみなさんご存知かもしれませんが、12月14日(土)に日仏会館でたいへん有意義な催しが企画されています。 → https://www.fmfj.or.jp/events/20241214.html
日仏会館 日仏文化講座
近代日本の歴史学とフランス――日仏会館から考える〉
2024年12月14日(土) 13:00-17:30(12:40開場予定)
日仏会館ホール(東京都渋谷区恵比寿3-9-25)
定員:100名
一般1000円、日仏会館会員・学生 無料、日本語
参加登録:申込はこちら(Peatix) <https://fmfj-20241214.peatix.com/>

日仏会館の案内をそのまま転写しますと ↓
 日仏会館100年の活動を幕末以降の歴史の中に置き、時間軸の中でこれを反省的に振り返り、次の100年を展望します。フランスとの出会い、憧憬、対話、葛藤は、日本語世界に何をもたらしたのでしょう。フランスに何を発信したのでしょう。100年前に創設された日仏会館は、そこでどのような役割を果たしたのでしょうか。本シンポジウムは、この問題を日本の歴史学の文脈で考えます。その際、問題観の転換と広がりに応じて、大きく四つの時期にわけ、四人の論者が具体的テーマに即して報告します。
【プログラム】
司会:長井伸仁(東京大学)・前田更子(明治大学)
 13:00 趣旨説明
 13:05 高橋暁生(上智大学)
 「二人の箕作と近代日本における「フランス史」の黎明」
 13:35 小田中直樹(東北大学)
 「火の翼、鉛の靴、そして主体性 - 高橋幸八郎と井上幸治の「フランス歴史学体験」」
  休憩
 14:15 高澤紀恵(法政大学)
 「ルゴフ・ショックから転回/曲がり角、その先へ - 日仏会館から考える」
 14:45 平野千果子(武蔵大学)
 「フランス領カリブ海世界から考える人種とジェンダー - マルティニックの作家マイヨット・カペシアを素材として」
  休憩
 15:30 コメント1 森村敏己(一橋大学)
 15:45 コメント2 戸邉秀明(東京経済大学)
  休憩
 16:10 質疑応答ならびに討論
 17:25 閉会の辞

主催:(公財)日仏会館
後援:日仏歴史学会

NB〈近藤の所感〉: 「近代日本の歴史学」を考えるにあたってフランスにフォーカスしてみることは大いに意味があります。プログラムから予感される問題点があるとしたら、
第1に、箕作・高橋・井上・二宮のライン(東大西洋史!)が強調されているかに思われますが、これとは違う、法学・憲法学の流れ、京都大学人文研のフランス研究がどう評価されるのか。
第2に、20世紀の学問におけるドイツアカデミズムの存在感(とナチスによるその放逐 → 「大変貌」)の意味を考えたい。箕作元八も、九鬼周造もフランス留学の前にドイツに留学しました。柴田三千雄も遅塚忠躬もフランス革命研究の前に、ドイツ史/ドイツ哲学を勉強しました(林健太郎の弟子でした)! さらに言えば、二宮宏之の国制史は(初動においては)成瀬治の導きに負っていました!!

2024年11月17日日曜日

山の上ホテルの記憶

 駿河台の「山の上ホテル」(英語では Hill Top Hotel)を明治大学が取得した、という新聞記事を読みました。16日の『日経』よりも、15日の『読売』のほうが1937年創建という史実、もともと明治大学の施設であったのが、1945年、GHQに接収され、占領終了後、独立して民間ホテルになり、場所柄から、文人がしばしば「館詰め」されるホテルに転じた、ということも明記して要をえた記事でした。テレビドラマ「火宅の人」では、ロケーションに使われました。
 1960年代に、学生のぼくにとっては、御茶の水駅から明大ブントの大きな立看群をすりぬけて、駿河台下・神保町の古書店街に下るその前に、右手にのぼる坂道があって、その奥に見える独特の洋館、不思議な、縁のない建物でしかなかった。
 初めてその建物に入ったのは、正確にいつだったか覚えていません。でも、1987年にある出版社の編集部長と取締役が、(まだ名古屋にいた)ぼくを招いて企画にオルグしようとしたときの現場が、このホテルのロビーだったことは、そのときのお二人の表情までふくめて確かに覚えています。文人のホテルということは、そのころまでに認識していて、まさかここで将来、館詰めにされるんじゃないだろうな、と半分マジメに思ったものです。
【幸か不幸か、流行作家ではないので、その後にも、他の旅館もふくめて「館詰め」の上げ膳下げ膳で原稿執筆したとかいった経験は、ありません。あるのは、大学の自分の研究室で、原稿についてのヤリトリの後、編集者が「わたしは他の仕事を片づけながら待ちますから」と言って鞄からなにか書類を持ちだして、ぼくに背を向けて仕事を始め、数時間すわりこんでしまった。ぼくは机のパソコンに向かって文章をひねり出すほかなかった‥‥といった程度の経験です。】
 次に覚えているのは、1989年9月の「フランス革命200年」の研究集会の折です。(組織責任者の遅塚さんが、ランチは「山の上」の中華、と指定なさって)柴田、二宮、樋口、ヴォヴェル、ルーカス、ハントといった先生方と一緒に、本郷からタクシーに分乗して、Hill Top 1階の中華料理に行って着席したのですが、遅塚さんは実務関連かなにかで到着がかなり遅れました。まぁよい、先に注文、乾杯だと柴田さんの音頭で、英仏チャンポンの談笑が始まったのですが、壁の大きな水墨画に添えられた漢詩には何が表現されているのか、とたしかリン・ハントから質問されて、日本人全員で四苦八苦、冷や汗をかいたのです。しばらくしてようやく遅塚さんが到着。白文を読む遅塚さんにとっては何でもない漢詩で、一挙に解決‥‥、といったこともありました。
 この経験から後は、なんとなく気取った二次会には最適な場所、ということで、ワインを飲むためだけに数人で「山の上」のバーに行く、といったことも90年代にはありましたね。2000年をこえると、そうした luxury は縁遠くなったような気がします。他にもいろんな場所ができたから、ということもあるかな。
 1937年創建の建物が、2024年にもとの明治大学に戻って改装、再利用されるというのは、めでたいことです。機会があれば、再訪してみますか?

2024年11月16日土曜日

アメリカの、民主主義の、これから

5日(日本時間6日)の合衆国選挙の結果。なんとトランプの復活だけでなく、上院も下院も共和党が勝利! いったいマスコミの「大接戦」という予報は何だったんだ、というほどの最悪の結果です。これから4年間のトランプ専制が始まります。言葉を失います。
  (斜線がかかっている州で、2020年:民主から、2024年:共和へと振れました。)
合衆国の東北端と西海岸のリベラル州において民主党やジャーナリストの主導したPC(politically correct)なidentity / diversity politics は、全米的には通用せず、かえって庶民からは高学歴エリートの空理空論として反発された、ということでしょうか。完敗です。かつての大統領選挙でも民主党リベラル候補のアル・ゴア、ヒラリ・クリントンは続けて保守的なおじさん路線のブッシュやトランプに敗北しました。今回は輪をかけてリベラルで理想主義的な黒人女性エリートのカマラ・ハリスが完敗。これをアメリカ民主主義はどう総括するのでしょうか。
一昔前、ビル・クリントンやバラク・オバマの再選が続いたころには、「アメリカ共和党がWASPの党であるかぎり将来はない、多民族・多文化にどう対応するのか、根本的な転換が必要だ」といった論調が垣間見えました。ところが、今回の選挙ではむしろ反対に、白人でもプロテスタントでもない黒人やヒスパニックの労働者も含めて、トランプ的な即効に期待する人びとが多かったのです。リベラルな黒人女性エリートが理性的に正論=寛容を説くのを嫌う、愚かな男たちも(出身のいかんにかかわらず)少なくなかったでしょう。
たちが悪いのは、トランプ政権を支えるのは、けっして貧しい庶民の代表でも味方でもなく、大衆を操作して、自由放任(やりたい放題)をねらう金もうけ主義の大卒エリートたちだという事実です。ヴェーバーが『プロテスタントの倫理と資本主義の精神』の最後で憂いた「精神なき専門家、心なき享楽人‥‥」の天国が到来します‥‥。
これが合衆国だけのローカルな政治であれば、放っとけばよい。しかし、現代の国際政治のなかで(経済社会も含めて)、エリートが大衆の排外主義と攻撃性をあおると、とんでもない展開が待っている、というのは20世紀の歴史が何度も、どこでも明らかにしていることです。共和党のなかの相対的に賢明な人びとのバランス力に期待するしかないのでしょうか。
さらには、アメリカ合衆国だけではありません。他の「民主主義国」についても同じような危うさが感じられます。

2024年11月4日月曜日

アメリカの民主主義

いよいよ5日(日本時間では6日に投開票)に迫ったアメリカ合衆国大統領選挙です。民主党・共和党、それぞれ盤石の支持基盤が40%以上(47%以上?)あって、浮動票や若年層を把握しようと最後の追い込みです。
とはいえ全国的な支持率調査は、それだけでは misleading 過ちをもたらします。United States の連邦主義は明白に大統領選挙人団(electoral college)の制度に生きています。どんなにカリフォーニア州やニューヨーク州で Kamala Harrisが圧倒的に勝っても選挙人の上限は決まっていて、「激戦州」で僅差の敗北が重なれば、結局は彼女は負け、Donald Trumpの勝利となります。これは変な制度ではなく、建国のとき以来の連邦国家ゆえの原理原則です。
現実的な問題は、それよりも、たとえばトランプは嫌い、でもハリス=民主党はイスラエルに甘い、環境=温暖化問題にも甘い、だからハリスを支持するわけにゆかない‥‥といった若者がいて、批判の意思表示として 棄権する、あるいは無効票を投じるといった傾向です。
3億人を越える大国で100%の理想的な政治はそう簡単には実現しません。選択肢が2つならベターなほう/悪くないほうを選ぶしかない。世の中が安定して、おだやかに成長している時代であれば、棄権・無効票によって異議を申したてるのも意味ある行為です。しかし今はたいへん緊迫した情況で、こうした折には「最悪」を避けることを第一に考えるべきでしょう。
トランプは歴史的に A.ヒトラーJ.マッカーシ上院議員に肩をならべる存在です。敵を作り、これを攻撃し、あおることによって自らの権力を維持する。荒廃の時代を世界史に刻みのこす。こんなヤツに権力を執らせてはならない。
あの連中(Them)われわれ(Us)の対立を際だたせ、口をきわめてThemを攻撃し、敵の陰謀をとなえ、Usの正しさ、愛国心、力強さをうたいあげる。迷い・ブレ・まちがいを許さない。ロベスピエールとの違いは、経済的自由放任(やりたい放題)の立場で、また反教養主義である点でしょうか。徳のかわりに男らしさを強調していますね。
今は、政治的に賢明な決断をする秋です。世界が、文明が、この選挙に注目し凝視しています。アメリカ合衆国の民主主義が試されています。

2024年10月31日木曜日

総選挙と大人の政治

なかなか慌ただしかった10月。27日(日)の総選挙の結果と今後については多方面で論評されていますが、
  おごる自民党が大敗して191議席(← 247)、
  自民ににじり寄る公明党もまさかの大敗で24議席(← 32)、
  与党 計215 ⇔ 野党 計235 でした(定数465)。
野党を愚弄し、有権者をなめきった安倍晋三政権から菅義偉政権(連続して麻生太郎が大御所然と内閣に鎮座していた)の罪状 - つまり旧統一教会、キックバック脱税、なにより不透明な官房専決 - がようやく公になって、岸田政権はなぁなぁで凌いできましたが、解散・総選挙の決断ができずに自壊。弱体=石破政権はただちに総選挙に打って出たまではよかったが、泰然たる読書人よろしく、火急の大問題に対応し処理する実行力に欠け、腰の定まらぬままアタフタ、右往左往してしまった。
野党間で立候補調整の余裕のないまま=不十分な準備のまま臨んだ総選挙なのに、与党がこれだけ大敗するとは、よほどのことです。有権者をなめるんじゃない、ということです。
今後の連立政権・閣外協力のための協議、権謀術数については、みにくい「野合」だの「数の論理」だのと冷笑するのでなく、政治とはそういうことです。交渉し妥協する大人のゲームとして、日本政治の成長を見守りたいと思います。
純粋主義(puritanism)、ブレない政治が良いとしてきた価値観は、あまりにも幼い。GHQのマッカーサに「12歳の国民」と評されたころの世界観です。そろそろ卒業したい。
とはいえ、同時に、ひそかに参政党、日本保守党といった純右翼政党が得票を伸ばしている事実は警戒しています。総選挙では自民党の(男権・靖国)別働隊のように動きました。いずれ彼らは自民党に吸収されるのか、逆に自民党が男権=靖国セクトを細胞分裂させて、自身は現代の保守主義政党に脱皮するのか。注目したい。後者は、ほとんどありえないですね!
彼らは国連の女性差別撤廃委員会(UN-CEDAW)の勧告に、本質的・感性的に反発し凝り固まるグループです。CEDAWについて正確には → https://www.ohchr.org/en/topic/gender-equality-and-womens-rights  その 29 October: Press Release というぺージです。

2024年9月15日日曜日

グレンコウの宿恨

はるばるスコットランドのハイランドも西海岸、コウの大渓谷(Glencoe)に参りました。
すごく険しく、ものすごく広大で、これは写真でなく実際に来てみないとその迫力はわからない。と言いながらここは写真でご覧に入れるしかありません。
訪ねあてたのは、マクドナルド氏族の末裔が19世紀末に建てた1692年の虐殺の顕彰碑。
これより前に Campbell, Duke of Argyll家の居城 Inveraray にも参りました。別の大渓谷(glen)を抜けて、潮の満ち干のいちじるしい深い入り江(loch)に面した立派な居城です。
対立したジャコバイトとホウィグと両方に挨拶したわけです。
そもそもこんなにも大渓谷で隔てられた各氏族、交際・連絡は険しい陸路よりも、リアス式に奥まで切り込んだ Loch の水路によるところが大きかったろうと、十分に想像できました。それだけ陸路をたどるのは大変でした・・・ その夕刻、太陽を背にして走るうちに、虹の根本に遭遇したのでした。 
ついでにスコットランドの loch とは湖だけでなく、海の入江についてもいうのだと認識しました。ドイツ語の See も海と湖と両方を指しますね。日本の古語でも「うみ」は琵琶湖だったり、瀬戸内海や日本海だったり・・・

2024年9月11日水曜日

虹の根本

ただ今、ハイランドを探訪旅行中。幸運にも虹の根本(ねもと、こんぽん)に遭遇。
車を降りて、撮影しました。

2024年9月2日月曜日

Re-imagining Democracy

7月に書き込んでから、猛暑にやられたというわけではありませんが、このブログに書き込む余裕のないまま、8月はあっという間に過ぎてしまいました。台風と長雨もなかなかでしたね。みなさんの近辺では、豪雨等々の大きな被害のないことを祈ります。
ドタバタとしていますが、このあとぼくは、スコットランド・イングランドに参ります。

いろいろと書くべきことは多いのですが、3月にオクスフォードでお世話になったイニス、フィルプのお二人がオクスフォード大学のウェブサイトに 
Re-imagining Democracy というぺージを作成し、ニュース・近況を告知しています。すでにご存知かもしれませんが、念のためお知らせします。
https://re-imaginingdemocracy.com/
共著『民主政のイメージ更新』プロジェクトの第4巻:中欧・北欧は、2027年完成を目標としています。中澤科研としては黙って看過できませんね。cf. 『王のいる共和政 ジャコバン再考』(岩波書店、2022)pp.20-21.
なおこの8月に彼らが始めた
Centre for Intellectual History という試論ぺージもありますが、こちらはほとんど共著のエッセンス/論文素案のお披露目の舞台といった感じです。
Joanna Innes ↓
https://intellectualhistory.web.ox.ac.uk/article/what-did-it-mean-to-be-a-democrat-in-the-age-of-revolutions
Mark Philp ↓
https://intellectualhistory.web.ox.ac.uk/article/between-democracy-and-liberalism-ludwig-bambergers-path

中澤編『王のいる共和政 ジャコバン再考』(2022)、歴研編『「主権国家」再考』(2025)とも問題意識の重なる共著企画ですね。

2024年7月27日土曜日

暑い7月:中学生から知りたい パレスチナのこと

〈承前〉  暑い7月:『中学生から知りたい パレスチナのこと』の続きです。昨日書いたことだけですと、パレスチナのことを正しく知りましょう、というので終わってしまいそうですが、むしろこの本の強みは、アラブ・パレスチナ問題の専門家=岡さんと対話しつつ、ポーランド・ウクライナの小山さん、ドイツそして食の藤原さんが積極的に議論している点にあると思います。
 中東欧のことに少しでも触れるとユダヤ人問題に正面から向きあわないわけにゆかない、と承知していますが、2つの地図、①旧ロシア帝国と旧オーストリア・ハンガリー帝国の境 - バルト海と黒海にはさまれた幅広い帯の地域 - に広がるユダヤ人強制集住地域(Pale of Settlement, p.113)と、②東欧の流血地帯(Bloodland, p.116)との重なりを見せつけられると、厳しい。 ここには地図②のみコピーして載せます。
 著者3人の座談会で話されているとおり(pp.191-198)、ただの「民族の悲哀」ではなく、なぜかこのあたりには「突出した暴力を行使するシステム」が存在し、それを許容してしまう情況があった。【ちなみに the Pale とは原義の「柵の中」→「アイルランドにおけるイングランド人の支配地域」という用法はよく知られていますが、「ロシア帝国におけるユダヤ人強制集住地域」として固有名詞的に使用されていたとは!】
 シオニズムについても、イスラエルに違和感をもつユダヤ人たちについても、中途半端な認識しかないぼくにとって、この本のあらゆるぺージが目の覚める発言に溢れています。
 本体1800円。「中学生から」後期高齢者までに向けた本です。3著者とミシマ社の速やかな協力による、すばらしい本です。ぼくもL・B・ネイミア(ルートヴィク・ベルンシュタイン)をはじめとする中東欧人の生涯と20世紀シオニズムとの、単純でない関わりを知るにつれ、しっかり理解したいと思っていたテーマでした。
 なお書名の前半『中学生から知りたい』については、前回ちょっと違和感を洩らしました。 → https://kondohistorian.blogspot.com/2022/06/blog-post_11.html  今回、あとがき(p.209)に小山さんが「中学生から」とは「‥‥日本語の本を読むための基礎的な教育を受けたことのあるすべての人」という意味だろうと「定義」しておられ、そういうことなら、違和感なし、とここに訂正します。

§ ところで、こうした問題は、『歴史学の縁取り方』(東大出版会、2020)でも - とくに小野塚さんあたりが - 明示的に問うておられました。また2022年、京大の西洋史読書会シンポジウム(Zoom)でも、重要なテーマになりました。 → https://kondohistorian.blogspot.com/2022/11/ 共通して、学者研究者にとって(その卵にとっても)根本的な問題が、より緊急性を帯びたイシューについて議論され、実行された出版の好例と受けとめました。
 なお本のカバーデザインについても一言。明るい緑色のバックに、地球儀とともにパレスチナのオレンジが示されて、本文中の藤原さんの言(p.173の前後)に対応しています。むかし学校で習った「肥沃な三日月地帯」がイスラエルによる水資源の独占により、パレスチナでは柑橘栽培が抑制され、外国からの輸入・援助によらねば日常の食糧が確保できない現状 → 強制された飢餓状態、に思いを馳せることを読者に促しているのでしょうか。
 近年はスーパーでも普通に目にするようになったイスラエル産の柑橘、果物、ワイン‥‥。手を伸ばすのにいささか躊躇します。